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月光の師と未完の魔術師 ― 世界はまだ、繋がっている ―  作者: 平子 天陽


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道の記憶

 数日後。


 王都魔術塔の神代語辞典編纂室には、紙をめくる音と、ペン先が走る音が絶え間なく響いていた。


「ルーメル先生」


「はい」


 呼ばれて、アルノは机上の資料から顔を上げた。

 その拍子に、肩まで伸びた淡い栗色の髪が、緩く波打ちながら頬へ落ちる。

 指で無造作に耳へ掛ける仕草にはまだ少年の頃の面影があったが、十五歳の頃より背は大きく伸び、細かった肩にも少し厚みがついていた。


 以前なら、その呼び名を聞くたびに訂正していた。

 十八歳の自分が先生と呼ばれることに、どうしても慣れることができなかったからだ。


 けれど、今では自然に返事が出る。

 主任研究官という肩書きに慣れたわけではない。

 ただ、この部屋で自分を呼ぶ声へ応えることも、与えられた役目の一つだと思えるようになっていた。


 声を掛けてきたのは、編纂室へ配属されて日の浅い若い研究員だった。

 両腕には、神代文字の用例を書き写した紙束を抱えている。


「Nodusの分類について、確認していただきたいんです。こちらでは『接続』、別の記録では『結節点』と訳されています。同じ項目にまとめてよろしいでしょうか」


「見せて」


 差し出された紙を受け取り、アルノは二つの用例を並べた。

 一方は第二星環の運転記録、もう一方は各地の遺跡で確認された術式の写しだった。

 神代文字そのものは同じでも、前後に置かれた言葉によって、指し示すものが少しずつ違っている。


「どちらも間違いじゃないよ。ただ、道そのものを表す言葉ではないと思う」


 アルノは白紙へ二つの円を描き、そのあいだを一本の線で結んだ。


「繋ぐという働きより、線が繋がっている場所に近い。力が入ってくるところと、出ていくところ。その二つを一つの流れにする結び目、かな」


「では、『結節点』を主な意味にしますか」


 すぐそばの机から、エレナ・クラウゼが口を挟んだ。

 青灰色の瞳はアルノの描いた二つの円へ向けられ、手元の分類票には、すでにいくつもの注記が加えられている。


「うん。でも、接続という意味も消さないで。どちらか一つに決めると、読めなくなる記録が出ると思う」


「承知しました。用例によって訳し分けることを記載します」


 エレナが内容を書き留める。

 若い研究員も頷き、自分の机へ戻ろうとした。


 その時、編纂室の扉が開いた。


「差し入れだよ」


 大きな籠を両腕で抱え、リネが部屋へ入ってくる。

 三年前より伸びた手足はすらりとして、その身体には旅と鍛錬で培ったしなやかな強さがあった。

 高い位置で結んだ赤茶色の髪が歩くたびに背で揺れ、頬へ落ちた短い髪の奥で、琥珀色の目が楽しそうに笑っている。


 蓋の隙間から焼きたてのパンと香草の匂いが流れ、紙とインクの匂いで満ちていた室内へ、昼時らしい温かさを運んできた。


「母さんから?」


「うん。第四星環から無事に帰ったお祝いだって。編纂室のみなさんで食べてください、って」


 籠の中には、切り分けられたパンや肉料理、野菜を包んだ小さな焼き物が、隙間なく詰められていた。

 アルノの母は料理が得意で、時折、編纂室にも差し入れをしていた。

 一人への差し入れではないと聞いても、編纂室にいる全員で食べ切れる量なのか不安になるほどだった。


「やったー。先生のお母様の差し入れ、おいしいんだよなあ」


 先ほどの研究員が目を輝かせる。


「母もそう言ってくれると、喜ぶと思うよ」


「おばさん、張り切ってたよ。まだ足りないんじゃないかって、最後までパンを増やそうとしてたから」


「これ以上増やしてどうするの」


 アルノは籠を受け取り、自分の机ではなく、部屋の中央に置かれた長机へ運んだ。

 そこに積まれていた資料を皆で片付けると、人数分の皿と飲み物が手際よく並べられていく。


「せっかくだから、休憩にしましょう」


 アルノが声を掛けると、エレナの手が止まった。


「ルーメル先生が、ご自分から休憩を」


「僕だって休憩くらいするよ」


「以前はされませんでした」


「……最近はするようにしてます」


 エレナはそれ以上追及せず、わずかに表情を和らげた。

 研究員たちが席を立ち、編纂室にはしばらく、資料をめくる音の代わりに皿やカップの触れ合う音が広がった。


 リネは空になった籠を机の脇へ置き、配られたパンを一つ受け取った。

 旅装ではなく、動きやすい普段着をまとった彼女が研究員たちの中へ混じっている光景は、アルノにとって何も珍しいものではない。

 遺跡へ向かっていない時でも、リネは時折こうして編纂室へ顔を出していた。


「リネさんって、綺麗ですよね」


 若い研究員が、アルノにだけ聞こえるよう声を潜めた。


「そう?」


「そうですよ。優しいし、面倒見もいいし。先生と付き合ってるんですか?」


「違うよ」


「違うよ」


 少し離れた場所にいたはずのリネと声が重なった。

 若い研究員は二人を交互に見て、ますます不思議そうな顔になる。


「でも、よく差し入れにも来ていますよね」


「幼馴染だから」


「放っておくと何も食べない幼馴染だからね」


 リネが呆れたように付け加える。

 若い研究員は納得したように頷いたものの、すぐにまた何かを尋ねようと口を開いた。


「続きは食事が終わってからにしてください。休憩が終わる前に、ちゃんと食べてくださいね」


 分類票から顔を上げたエレナにたしなめられ、若い研究員は慌ててパンを口へ運んだ。


「すみません」


 アルノとリネは顔を見合わせた。

 窓から差し込む昼の光が長机を照らし、母の料理から立つ湯気が、その中で柔らかく揺れている。


 失われずに残った、何でもない日常だった。


 ◇


 午後になると、編纂室には再び紙とペンの音が戻った。


 アルノも机へ向かい、午前中に受け取ったNodusの用例へ目を通していた。

 分類そのものは、すでにエレナが整えている。

 接続。

 結節点。

 繋ぎ目。

 どれも間違いではなく、使われた場所によって意味の重心が変わる。


 昼に描いた二つの円と、そのあいだを結んだ一本の線が、頭から離れなかった。

 アルノは机の引き出しを開き、折り畳んでいた一枚の紙を取り出した。


 エルディオンが展開した四次元魔法陣を、記憶を頼りに書き起こし、三年間の研究で補い続けてきたものだった。

 編纂室の仕事とは分けて保管しているが、研究を止めた日は一日もない。


 空間を固定する線。

 境界を越えるための円環。

 知覚できない方向へ術式を展開し、今いる場所から別の場所へ遷移するための構造。

 三年間で集めた神代スペルを組み合わせることで、形はあの日の術式へ近付いている。


 けれど、最後には必ず空白が残った。


 これまでは、そこへ何を加えれば道が完成するのかを考えていた。

 新しい神代スペル。

 知らない補助線。

 観測できない方向を定める、別の構造。

 足りないものがあるのだと思い、各地の遺跡を巡り続けた。


 アルノは、紙の端へ二つの円を描いた。

 一つに自分の名を、もう一つにエルディオンの名を書き入れる。


 考え込むと、指先が無意識に空中の点と点を結ぶ。

 紙の上にはない線を探すように、二つの円のあいだを何度もなぞっていた。

 それは神代魔法陣を読むようになってから身についた、本人も気づいていない癖だった。


 そのあいだへ線を引こうとして、指が止まった。


 エルディオンが死んでいないという証拠は、どこにもなかった。

 それでもアルノは三年間、四次元魔法陣を追い続けた。

 あの人が今もどこかにいるのなら、そこへ至る道は必ずある。

 まだ見つからないのなら、自分で繋げばいい。


 Nodusが示すのは、道そのものではない。

 外から来た流れを受け取り、別の道へ渡す結節点だ。

 ならば、接続が切れたあとも、そこには以前の流れが通っていた跡が残るのではないか。


「……切れた道を、逆から辿れる?」


 呟いた声は、周囲の作業音へ紛れた。


 これまでアルノは、空白へ何を加えれば道が完成するのかを考えていた。

 何もない場所へ、新しい道を作ろうとしていた。

 けれど、エルディオンが渡った道の端がこちら側に残っているなら、必要なのは道を一から作ることではないのかもしれない。

 途切れた場所から、その先を辿るための構造。


 アルノは新しい紙を引き寄せ、思い付いたことを書き始めた。

 Nodusが組み込まれた結節点。

 接続が切れたあとも、以前の道筋は魔法陣の中へ痕跡を残すのか。

 残るのなら、片側からその先を辿ることはできるのか。


 一つ書き留めるたび、三年間埋められなかった空白に、少しずつ輪郭が生まれていく。

 答えを見つけたわけではない。

 それでも、迎えに行くために何を探せばいいのか、その問いをようやく見つけた気がした。


 ◇


 日が傾く頃、研究員たちは作業を終え、順番に編纂室を出ていった。


「本日の翻訳記録は、こちらへまとめてあります」


 最後まで残っていたエレナが、分類票の束をアルノの机へ置く。

 彼女の視線が、その隣に広げられた四次元魔法陣へ移ったが、内容について尋ねることはなかった。


「ありがとうございます。僕もこれを片付けたら帰ります」


「その言葉を信じることにします」


「信じてないよね?」


「帰宅されたかどうかは、明日の朝に分かりますので」


 エレナは淡々と答え、編纂室を出ていった。

 扉が閉じると、広い部屋にはアルノ一人が残される。


 昼間の温もりは薄れ、窓の外には夕暮れの王都が広がっていた。

 長机はすでに片付けられているが、母の料理を運んできた籠だけが、リネが取りに戻るのを待っている。


 扉が再び開いたのは、空に最初の星が見え始めた頃だった。


 入ってきたのはレグルスだった。

 淡い金髪も、灰紫色の目の前に掛けた細い銀縁眼鏡も、三年前とほとんど変わって見えない。

 ただ、各地の遺跡を巡った歳月の分だけ、その眼差しには以前より迷いがなかった。

 腕には、これまでにまとめた星環の調査記録を抱えている。


「レグルス。待ってたよ」


「約束の時間ですから」


 レグルスはアルノの向かいへ座り、差し出された紙へ目を落とした。

 そこには完成途中の魔法陣ではなく、二つの円と、接続が切れたあとの結節点についての仮説が書かれている。


「接続が切れたあとも、Nodusを組み込んだ魔法陣には、力が通っていた道筋が残ると思う?」


「仮説ですか」


「うん。もし残るなら、一つの結節点から、途切れた道の先を逆に辿れるかもしれない」


 レグルスはすぐには答えなかった。

 紙に書かれた仮説を最初から最後まで読み、条件を一つずつ確かめていく。


「検証するには、過去にどこから力を受けていたのかが記録に残っていて、受け手側の結節点だけを調べられる例が必要です」


「何かある?」


 問われた瞬間、アルノの脳裏へ、雲海に浮かぶ白い都市が蘇った。


「一つだけある。第六星環とアウレリア」


「第七星環で読んだ記録ですか」


「うん。アウレリアは第六星環から力を供給されていた。でも、第六星環の事故で供給路が切れて、海へ落ちた」


「第六星環側の結節点がどこにあったのかは、記されていなかったのですね」


「そこまでは分からない。でも、アウレリア側には、力を受け取るための結節点があったはずだ」


「それなら、使える」


 アルノは、紙の上に描いた受け手側の円へ指を置いた。


「アウレリア側の結節点だけを調べるんだ。そこに第六星環から続いていた道筋が残っていれば、切れた道を受け手側から辿れるって証明になる」


「あなたが読んだ供給記録との一致をもって、仮説を検証するわけですね」


「うん。アウレリア側の施設が残っていれば、確かめられるかもしれない」


 第七星環の研究室。

 壁一面に描かれていた、夕日を受けて金色に輝く街。

 空から流れ落ちる滝と、その飛沫に架かる虹。

 人々の暮らしを支えていた力は、第六星環から送られていた。


 そして、第六星環の事故によって供給は途絶えた。


 アウレリアは高度を維持できなくなり、海へ落ちた。


「でも、あの資料は持ち帰ってない」


「ええ。原資料は第七星環の研究室に残されています」


 残されていたのは事故の経過であり、アウレリア側で力を受け取っていた施設を描いた設計記録ではない。

 もう一度第七星環へ戻って読み直しても、知りたい構造までは分からないだろう。


 レグルスは安易に結論へ飛び付かず、確認できる事実を一つずつ拾い上げた。


「したがって、現時点で根拠にできるのは、あなたが読んだ内容だけです。アウレリアが今も残っているかも、その施設が墜落に耐えたかも分かりません」


「場所は覚えてる」


 アルノは迷わず答えた。


「エルディア海域西方、リュネ諸島沖」


 記録を読んだ時の痛みとともに、その言葉は今も胸の奥へ残っている。

 多くの住民が逃げ遅れ、空にあった都市ごと海へ消えた。

 忘れられるはずがなかった。


「第六星環との供給路は、事故によって切れた。それでも、アウレリア側の結節点が残っていれば、力が通っていた道筋を、切断されたあとも留めているのか確かめられるかもしれない」


「仮説としては成立します」


 レグルスは調査記録の余白へ、墜落地点の名を書き留めた。


「ただ、記録にある落下地点は広い海域です。都市の捜索方法と、海底へ到達する手段を検討する必要があります」


「うん」


「準備を進めるなら、アウレリアの捜索と結節点の魔法陣の調査を分けて整理する必要があります。そこで何を確認し、結果を何に用いるのかも明確にしてください」


「分かってる。目的は、アウレリアの発見だけじゃない」


 アルノは机へ広げた四次元魔法陣へ目を向けた。


「僕が作りたいのは、エルさんをこちらへ引き戻す魔法陣じゃない。エルさんが渡った道を辿って、僕が迎えに行くための魔法陣です」


 あの日、伸ばした手は届かなかった。

 けれど、今度は向こうから戻ってくることを待つつもりはない。

 自分で道を作り、自分の足で迎えに行く。


「そのために、アウレリア側の結節点を構成する魔法陣が、途切れた第六星環への道筋を残しているのか調べたい」


 レグルスはアルノを見つめ、やがて短く頷いた。


「では、調査計画を作成します」


「手伝ってくれる?」


「そのために来ました」


 レグルスは持参した紙を広げ、必要な項目を書き始めた。


 その時、扉の外から足音が近付き、昼に見た赤茶色の髪が覗いた。


「籠、取りに来たよ」


 リネは部屋へ入り、机に広がった星環の記録と四次元魔法陣を見比べた。

 帰る支度をしているようには見えない二人を前にしても、呆れた様子は見せない。


「何か分かったの?」


「まだ、分かったわけじゃないんだ」


 アルノは昼間に考えたことと、アウレリアの施設を調べたい理由を話した。

 リネは途中で口を挟まず、最後まで聞いてから、レグルスが書き留めた地名へ目を向ける。


「でも、アウレリアへ行けば、エルさんへ繋ぐ方法が分かるって決まったわけじゃないんでしょ?」


「うん。都市が残ってない可能性もある」


「何も見つからないかもしれない?」


「それもある」


 リネは少し考え、空になった籠の持ち手を握り直した。


「だったら、確かめに行こう」


 迷いのない声だった。


「今まで見てないところにしか答えがないなら、見に行くしかないよ」


「海底です」


 レグルスが補足する。


「そうみたいね」


「相当な深度に沈んでいる可能性があります」


「じゃあ、沈む方法を考えないとね。まず船もいるでしょ」


 難しい理論を知らなくても、リネは立ち止まらない。

 今できることを探し、次の一歩へ変える。

 それは三年前から変わらない彼女の強さだった。


 アルノは、もう一度アウレリアの名を見つめた。


 第七星環で壁画を見た時、実際の街を見てみたいと思った。

 隣にいたエルディオンも、同じ景色を見上げながら「僕も見てみたかった」と言った。


 あの時は、もう失われた夢だと思っていた。


 今、その街だけが、切れたあとも道筋が残るのか、その答えを持っているかもしれない。


 ◇


 数日後。


 アルノ、リネ、レグルスは、同行を申し出たアレクシスとともに、再び港町を訪れていた。


 港町には、朝から魚を選り分ける声と、網を引く音が響いていた。


 沖の黒い霧が消えてから、港へ戻ってくる船は目に見えて増えている。

 桟橋には銀色の魚が詰まった籠が並び、威勢のいい競り声のあいだを、猫たちが忙しなく走り回っていた。


 ベイルは自分の船の横で、傷んだ網を繕っていた。


 日に焼けた太い腕が止まったのは、アルノから話を聞き終えた時だった。


「海の底の都だと?」


「あるかどうかも、まだ分かりません」


 アルノは正直に答えた。


「分かっているのは、リュネ諸島の西にあったということだけです。近くまで行ければ、海に残っている神代魔法陣の線を僕が見つけられるかもしれない」


「見つけたあとは、四人で潜るのか」


 ベイルの視線が、アルノの後ろに立つ三人を順に見た。


 赤茶色の髪を高く結んだリネ。

 銀縁眼鏡の奥から静かに船を見ているレグルス。

 そして、白い外套の下に剣を帯びたアレクシス。

 陽を受けた金髪と鍛え上げられた大きな体は、漁師たちのあいだに立っていてもすぐに見つけられる。

 澄んだ蒼眼だけが、ベイルの問いへ静かに向けられていた。


「はい」


 レグルスが答えた。


「船には海上で待っていただきます。潜行には、アルノさんの神代魔法を使います」


「海は、潜る時より上がる時のほうが厄介だ」


 ベイルは網を膝へ置いた。


「潮に流されりゃ、潜った場所と浮かぶ場所が変わる。天気が崩れても、海底のお前たちには分からねえ。俺の船で行ける海域だが、簡単な仕事じゃないぞ」


「だから、あんたの船で行くんだろ」


 背後から声が飛んだ。


 ミラが、干した網を肩へ掛けて立っていた。

 袖を肘まで捲り、魚市場と桟橋を行き来していたのか、額には薄く汗が浮かんでいる。


「腕を見込まれてるんだよ。少しは嬉しそうな顔をしたらどうだい」


「海の怖さを知らねえ連中を喜んで乗せる船乗りがいるか」


「この四人が海の怖さを知らないように見える?」


「そういう話じゃねえ」


「じゃあ、あたしが出すよ」


「駄目だ。お前は港を離れられねえだろうが」


「離れられないのと、船を出せないのは別の話だね」


「誰もお前の操船の話はしてねえ!」


 桟橋にいた漁師たちが、慣れた様子で笑った。


 ベイルは苦い顔で頭を掻き、アルノへ向き直った。


「王国の仕事じゃないんだな」


「はい」


「僕たちの都合で探しに行くんです。だから、無理にお願いするつもりはありません」


 ミラの眉が上がった。


「無理に頼まれてるかどうかは、頼まれた側が決めることだよ」


 彼女は、霧の消えた沖合へ顎を向けた。


「あんたたちがあれを閉じてくれたおかげで、沖の漁場が戻った。今朝だって、久しぶりに大漁旗を上げた船が帰ってきたんだ」


「でも、それは――」


「借りじゃないって言うなら、あたしたちからの礼だと思いな」


 ミラはそう言って、ベイルの背を平手で叩いた。


「船はあんたが出す。食料と真水は組合で用意する。それでいいね」


「勝手に決めるな」


「嫌なのかい?」


「嫌とは言ってねえ」


 ベイルは深く息を吐いた。


 それから立ち上がると、桟橋に繋いだ自分の船を振り返った。


「条件がある」


 低い声に、四人の表情が引き締まる。


「海が荒れたら引き返す。目的の海域へ着いても、俺が駄目だと判断した日は潜らせねえ。命あっての漁だ。探しものだって同じだ。それと、船じゃ海の底まで迎えには行けねえ」


 ベイルはアルノを真っ直ぐ見た。


「潜るなら、自分たちの力で必ず上がってこい」


「はい」


 アルノは頷いた。


「必ず、四人で戻ります」


「四人だけじゃない。船に乗る全員で戻るんだよ」


 ミラがベイルへ言う。


「分かってる」


「返事が小さい」


「分かってるって言ってんだろ!」


 もう一度、桟橋に笑い声が起きた。


 出航までの二週間、四人は港へ滞在することになった。


 浅瀬で防護膜を試し、潜行と浮上を繰り返し、海上で待つベイルと時間や合図を決める。

 確かめなければならないことは多かった。


 それでも、船は決まった。


 三年前に結ばれた縁と、この港で取り戻した海が、失われた都市へ向かう道を開こうとしていた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

更新は19時半時です( ᴗ ᴗ)⁾⁾

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