王の残したもの
「誰か来たのか」
男はアルノたちを見回し、懐かしい客でも迎えるように笑った。
その身体は淡い光で形作られ、向こう側にある石棺が透けて見えている。
生きた人間ではないことは明らかだったが、不思議と恐ろしさは感じなかった。
「あなたは……」
アルノが問いかけると、男は肖像画へ目を向けた。
「ルーゼン王国第十二代国王」
絵の中で家族と並ぶ自分を眺め、少し照れくさそうに目を細める。
「だった人間だ」
過去形だった。
リネが警戒を解かないまま、男と石棺を交互に見る。
「幽霊ってこと?」
「さて、どうだろうな。魂が残っているのか、死ぬ前に術式へ記憶を移しただけなのか、私にも分からん」
王は自分の透けた手を見下ろし、指を開いたり閉じたりしてみせる。
「ただ、この墓へ辿り着いた者に一度だけ姿を見せ、言葉を託す。そのために残したものだ」
「では、私たちが来ることを知っていたわけではないのですね」
レグルスが尋ねると、王はあっさり頷いた。
「もちろんだ。三百年も先のことまで分かるほど、私は賢くない」
あまりにも普通の答えに、リネの肩から少しだけ力が抜けた。アレクシスも白銀剣へ添えていた手を離したが、王との間合いだけは崩さなかった。
王はそんな四人の様子を面白そうに眺めている。
「それで、君たちは墓荒らしか?」
「違います!」
アルノが慌てて否定する。
「あなたの子孫であるルーゼン侯爵から、発見された遺跡の調査を依頼されました。ここが王墓だと分かったのは、中へ入ってからです」
「子孫か」
王の顔から笑みが消えた。
悲しんだわけではない。長く気に掛けていたものの名を、思いがけず聞いたような表情だった。
「私の子孫は、今もこの地にいるのだな」
「はい。王家は侯爵家として残っています」
「そうか」
王は短く答え、肖像画の中にいる子供たちを見つめた。
その声に込められた安堵を感じ取り、誰もすぐには次の言葉を挟まなかった。
「今は、どのような土地になっている?」
アルノは王墓へ来るまでに見た景色を思い出した。
「麦畑や果樹園が広がっていました。街道もよく整備されていて、穏やかな土地です」
侯爵と過ごした時間は短い。それでも、彼が使用人や兵士へ向ける言葉に身分を笠に着るような響きはなく、アルノたちにも誠実に接していた。
「侯爵様も、領地のことを大切にしている方だと思います」
「本当か?」
「少なくとも、僕にはそう見えました」
確かめていないことまで断言するつもりはなかった。アルノが見たままを答えると、王は満足そうに目を細めた。
「それで十分だ」
王冠を失い、国の名が消えたあとも、子孫が土地と人々を守り続けている。
三百年の時を待った王にとって、何よりも聞きたかった答えだったのだろう。
「よかった」
王の口から零れたのは、国を治めた者の言葉ではなかった。
遠く離れた子供の無事を知った、父親の声だった。
王は石棺の脇へ歩き、家族の肖像画へ手を伸ばした。
光で形作られた指先は額縁へ触れることなく、その表面を通り抜ける。
それでも王は気にした様子を見せず、絵の中にいる妻と子供たちを順に眺めた。
「妻と、二人の子供だ」
肖像画の下には、王墓には似つかわしくない小さな木箱が置かれていた。
リネが蓋を開くと、中から木彫りの馬と、少し歪んだ人形が出てくる。
どちらも名のある職人が作ったものには見えない。
表面には何度も手で触れた跡が残り、木彫りの馬は片方の脚が折れた箇所を丁寧に直されていた。
「子供たちが小さい頃に遊んでいたものだ」
「王様のお墓に、おもちゃを置いたんですね」
リネの言葉に、王は笑う。
「王冠よりも、こちらの方が私のものらしいだろう?」
棺の周囲には金貨も宝石も、国王として用いた王笏も並べられている。
けれど、王が見つめているのは家族の肖像画と、幼い子供たちが残した玩具だけだった。
王は壁際に積まれた古い手紙へ視線を移した。
戦地から妻へ送ったものや、成長した子供たちから届いた手紙が、今も大切に保管されている。
「私は、立派な王ではなかった」
穏やかな声で、王は自らの過去を語り始めた。
ルーゼン王国の周辺では、長い間、小国同士の争いが続いていた。
やがて現在の王国が勢力を広げ、ルーゼンも従属か戦争かの選択を迫られた。
「戦えば、王国の名を残せたかもしれん。運がよければ、あと何年かは王冠を守れただろう」
けれど、その代わりに失われるのは兵士と領民の命だった。
王は戦わずに国を明け渡し、王冠を置いた。
王家が侯爵家として残ることよりも、領民の暮らしと土地が守られることを条件に選んだのだという。
「臆病な王だと責めた者もいた。国を捨てたと剣を向けた者もいたよ」
「それでも、戦わなかったんですね」
「ああ」
王は肖像画の中にいる子供たちを見つめる。
「妻にも、子供たちにも、領民にも、生きていてほしかったからな」
アルノは壁画に描かれていた、別の国の旗の下へ王冠を置く姿を思い出した。
英雄として戦い、国とともに滅びる道もあったのかもしれない。けれど、この王は自分の名や誇りより、生き残る人々を選んだ。
その選択が正しかったのかを、王自身も確かめることはできなかった。
だからこそ、三百年後の土地が穏やかだと知り、あれほど安堵したのだろう。
「僕は、臆病だとは思いません」
アルノの言葉に、王が顔を向ける。
「戦うより難しいことも、あると思うから」
邪竜へ立ち向かったエルディオンの姿が胸をよぎる。
けれど、戦わないことで守れるものがあることも、今のアルノには分かった。
王はしばらくアルノを見つめ、やがて柔らかく笑った。
「ありがとう」
◇
墓所の入口付近で、淡い光が揺れた。
四人が振り返ると、先ほど倒れた近衛騎士団長が立っていた。
今は骸骨ではなく、生前の姿を模した半透明の身体に古い鎧を纏っている。
青い炎に支配されていた時の敵意はない。
王の傍らへ進むと、剣を胸の前に立て、アレクシスへ深く頭を下げた。
アレクシスも同じように頭を下げる。
「見事な剣でした」
近衛騎士団長は答えなかったが、その口元には、かすかな笑みが浮かんだように見えた。
王は近衛騎士団長を見てから、大きく息を吐く。
「しかし、守り方には少々問題がある」
近衛騎士団長の姿勢が固まった。
「墓荒らしを入れるなとは言った。だが、巨大な石球で押し潰せとは言っていない」
騎士団長が目を逸らす。
リネが口元を押さえ、笑いを堪えた。
レグルスも何も言わなかったが、銀縁眼鏡の奥から騎士団長へ向けられた視線には、わずかな呆れが含まれている。
「近衛の皆さんが用意したんですか、あれ」
アルノが尋ねると、王は肩を落とした。
「私は眠りを妨げる者へ、少し試練を与えろと言っただけだ」
「少し……」
「まさか、あれほど大がかりにするとは思わなかった」
騎士団長はさらに深く頭を下げた。生前から、王の命令を必要以上に重く受け止める人物だったらしい。
王は困ったように笑いながら、石棺の裏側へ回った。
「そして、こいつが勘違いしたものがもう一つある」
石棺の陰に置かれていた小さな箱を指し示す。
リネがその箱を取り出して蓋を開けると、中には一本の鍵が収められていた。
銀色の鍵には、王冠を戴く鳥の紋章が刻まれている。
複雑な溝の周囲を細い魔力の導線が走り、何らかの術式と組み合わせて使うものだと分かった。
「城の開かずの部屋の鍵……」
アルノが呟く。
「おそらく、それだ」
王は近衛騎士団長へ視線を向ける。
「私は死ぬ前に、この鍵を子供へ渡してほしいと頼んだ」
騎士団長は無言のまま俯いた。
「ところが、こいつは王家の大切な鍵ならば、私とともに守らなければならないと思ったらしい」
リネがとうとう吹き出した。
「渡してって言ったのに?」
「そう言ったはずなんだがな」
王はため息をつき、騎士団長は兜の後ろへ手をやった。困った時の癖なのか、何もないはずの額に汗を浮かべているようにさえ見える。
アレクシスだけは笑わなかった。
「主君の大切なものを、命が尽きても守り続けたのですね」
責めるでも茶化すでもなく告げられた言葉に、騎士団長が顔を上げる。
「届ける相手を間違えただけで、その忠義まで誤りだったとは思いません」
騎士団長はしばらくアレクシスを見つめ、再び深く頭を下げた。
王も呆れたように笑いながら、その眼差しには長年自分を支えた騎士への親しみを滲ませていた。
「まあ、そういうことにしておこう」
◇
アルノは箱から鍵を取り出した。
何百年も石棺のそばに置かれていたはずなのに、錆も曇りもない。
手のひらへ載せると、金属とは思えないほど柔らかな温もりが伝わってきた。
「これを、侯爵様へ渡せばいいんですね」
「ああ。あの部屋には、王家が代々守ってきたものが残されている」
「何があるんですか?」
「私にも、よく分からん」
王はきっぱりと答えた。
「分からないんですか?」
「初代国王よりも前、この地を治めていた一族から受け継がれた石板と記録だ。文字を読めた者はおらず、何のためのものかも分からなかった」
意味も用途も不明なまま、それでも決して失ってはならないものとして、王家に受け継がれてきた。国がなくなったあとも子孫へ残すため、鍵と術式によって部屋ごと封じたのだという。
「私が鍵を渡し損ねたせいで、三百年も閉じたままになってしまったがな」
王の視線を受け、近衛騎士団長がまた俯いた。
アルノは銀色の鍵を握る。
王墓は神代文明の遺跡ではなかった。
けれど、その鍵が開く部屋には、誰にも読むことのできなかった石板が残されている。
その事実だけで、胸の奥が熱を帯びた。
「必ず届けます」
アルノが告げると、王は満足そうに頷いた。
「それから、もう一つ伝えてほしい」
王は墓所の中央へ戻り、家族の肖像画の前に立った。
先ほどまでの気さくな表情が消え、子孫へ言葉を遺す王の顔になる。
「家族を愛しなさい」
墓所へ、穏やかな声が響いた。
「領民を愛しなさい」
王は自らが置いた王冠ではなく、肖像画の中で笑う妻と子供たちを見つめている。
「共に歩む者を大切にしなさい」
その言葉に、アルノは傍らに立つ三人へ目を向けた。
幼い頃から何度も外へ連れ出し、今も隣を歩いてくれるリネ。
事実を重んじながらも、アルノがやると言った時には信じて任せてくれたレグルス。
憧れた人を迎えに行くため、騎士団で築いた地位まで置いて旅へ加わったアレクシス。
そして、ここにはいない一人。
月光を編み込んだような銀髪と、深い碧眼。アルノを助手として選び、未知の世界を見せてくれた人。
離れていても、失われたとは思えなかった。
「人は一人では生きられない」
王の声は、魔法よりも深く胸へ届いた。
「王冠も、剣も、国も、形あるものはいずれ変わる。だが、変わっても失ってはならないものがある」
王はアルノを見つめる。
「それを、子孫へ伝えておくれ」
「はい」
アルノは鍵を胸の前で握り、はっきりと頷いた。
「必ず伝えます」
王の表情に、安堵が広がった。
「ありがとう」
その身体が、足元から淡く透け始める。
近衛騎士団長が王の隣へ進み、剣を胸の前に立てた。
今度は迷いのない動きで、王へ深く頭を垂れる。
墓所の入口には、ほかの近衛騎士たちの姿も現れていた。
長い間、王の眠りを守り続けた者たちが、生前の姿で主君を見つめている。
「長い間、よく守ってくれた」
王の言葉に、騎士たちが一斉に頭を下げた。
淡い光が墓所を満たす。
王と近衛騎士たちの姿は光の粒へほどけ、家族の肖像画の前でゆっくりと消えていった。
墓所には、再び静寂が戻る。
けれど、初めに足を踏み入れた時とは違い、その静けさに寂しさはなかった。
三百年もの間ここへ留まり続けた者たちが、ようやく役目を終えたのだと分かった。
アルノは石棺の前へ進み、そっと手を添える。
「勝手に入って、ごめんなさい」
返事はない。
「鍵は、ちゃんと届けます」
家族の肖像画に描かれた王は、変わらない笑みを浮かべている。
「ゆっくり眠ってください」
アルノは石棺から手を離し、三人とともに墓所をあとにした。
◇
四人が地上へ戻った時には、森の向こうへ陽が沈みかけていた。
入口で待っていた侯爵家の兵士たちは、姿を見つけると安堵の声を上げた。
石球に追われ、近衛騎士たちと戦ったため、四人の服には砂埃が付き、アルノの腕にもリネを引き上げた時の痛みが残っている。
それでも、全員が自分の足で戻ってきた。
一行は兵士たちが用意した灯りを頼りに森を抜け、夜が深まる頃に侯爵の城へ帰り着いた。
知らせを受けた侯爵は、時間も構わず四人を応接室へ迎え入れた。アルノが王墓で起きたことを話し、銀色の鍵を差し出すと、その顔から驚きが消えなくなった。
「これは……」
侯爵は震える手で鍵を受け取った。
「幼い頃、父から聞かされた形と同じです。王家に伝わる、開かずの部屋の鍵……」
「第十二代国王から、預かりました」
アルノの言葉に、侯爵が顔を上げる。
王の姿と、家族の肖像画。
近衛騎士たちが守り続けていた墓所と、子孫へ託された願い。アルノは余計な言葉を加えず、そこで聞いたことを一つずつ伝えた。
「家族を愛しなさい。領民を愛しなさい。共に歩む者を大切にしなさい。そう伝えてほしいと」
侯爵は鍵を両手で包み込み、長い間、何も言わなかった。
やがて深く息を吐き、目元を手で覆う。
「三百年も……」
掠れた声が、掌の奥から漏れた。
「三百年も、我々のことを気に掛けてくださっていたのですね」
侯爵はしばらく俯いたあと、顔を上げた。目元は赤くなっていたが、その表情には迷いがなかった。
「開かずの部屋へ、ご案内します」
◇
部屋は、城の最も古い区画にあった。
使われなくなった回廊の奥に、王家の紋章を刻んだ石扉が立っている
。扉の周囲には複雑な術式が残され、鍵穴を中心に幾重もの導線が重なっていた。
侯爵は銀色の鍵を差し込み、ゆっくりと回した。
内部で何かが噛み合う音が響く。
鍵に刻まれた導線から淡い光が広がり、扉の術式へ次々と接続していった。
長い間閉ざされていた封印が解け、重い石扉が低い音を立てながら開いていく。
部屋の中には、乾いた空気が満ちていた。
左右の壁には古い書棚が並び、革で綴じられた記録や木箱が整然と収められている。
奥の台座にはルーゼン王国の王冠と王印が置かれ、その傍らには王家の系譜を記した長い巻物が残されていた。
いずれも、失われた王国の歴史を覆すほどの資料だった。
レグルスが次々と現れる記録へ目を奪われる一方、アルノは部屋の中央に置かれた台座を見つめていた。
その上には、濃紺の布に覆われた長方形の何かが置かれている。
王冠や王印とは離れた場所に、それだけが大切に安置されていた。
「これは……」
侯爵が布の端を掴み、慎重に取り払った。
姿を現したのは、黒灰色の石板だった。
その表面の中央に、ルーゼン王国文字とは明らかに異なる文字列が、一語だけ刻まれている。
アルノは息を呑んだ。幾度となく遺跡で目にしてきた、神代文明の文字だった。
「神代文字です」
レグルスも石板へ歩み寄り、刻まれた文字を慎重に確認する。
「これだけは、ルーゼン王国のものではありません。遥かに古い時代の遺物です」
アルノは引き寄せられるように石板へ近付いた。
初めて見る文字列だった。
それでも目にした瞬間、言葉の持つ意味が自然に流れ込み、灰銀色の瞳が淡い銀色へ変わる。
「……Vinculum」
言葉を音にしても、魔力は乗せていない。
神代スペルは発動せず、その静かな響きだけが部屋に広がった。
「意味は?」
隣へ立ったレグルスが尋ねる。
アルノは石板から目を離さないまま、自分の中へ流れ込んできた意味を確かめた。
「絆」
それだけではない。
「結びつき。繋がり」
人と人の間に生まれ、距離が離れても失われずに残るもの。
目に見えなくても、二つの存在を結び続けるもの。
「遠く隔てられても、途切れずに残る繋がりです」
王が残した言葉が、アルノの胸の中で蘇る。
家族を愛しなさい。
領民を愛しなさい。
共に歩む者を大切にしなさい。
王自身は、この神代スペルの意味を知らなかった。
それでも、王家が守り続けてきたものと、王が子孫へ遺したかった願いは、不思議なほど同じ場所へ繋がっていた。
「Vinculum……」
侯爵がその響きを繰り返す。
「これが、我が家の守ってきたものだったのですね」
リネは石板を見つめていた。大きな琥珀色の瞳には、先ほど王墓で見た家族の肖像画が残っているようだった。
「王様は、意味を知らなくても分かってたのかもね」
「そうかもしれない」
アルノは石板へ指先を触れた。
三年間、四次元魔法陣へ辿り着くために、いくつもの神代スペルを集めてきた。
接続、距離、空間、固定、通過、遷移、観測。そして、グランベルで手に入れたLimes。
いずれも、異空間へ渡る魔法陣と結びつけて考えられる概念だった。
けれど、Vinculumは違う。
絆。結びつき。遠く隔てられても、失われずに残る繋がり。
あまりにも柔らかく、人の心に近い言葉だった。
空間や境界を扱う精密な魔法陣へ組み込むものというより、誰かへ向けて贈る言葉のように思える。
少なくとも、エルディオンを迎えに行くための魔法とは関係がなさそうだった。
「……Vinculum」
アルノはもう一度、その響きを口にした。
声に魔力は乗せていない。
神代スペルが発動したわけでも、石板に変化が起きたわけでもなかった。
それでも、言葉の意味を胸の内でなぞると、三年間ずっと張り詰めていたものが、ほんの少しだけ緩んだ気がした。
「アルノ」
レグルスの声に、アルノは顔を上げた。
「四次元魔法陣との関連はありそうですか」
「たぶん、ないと思う」
アルノは石板を見つめたまま答えた。
「これまで集めたスペルとは、意味の種類が違うから。魔法陣のどこに入れればいいのかも分からない」
「現時点では、関連を示す根拠がありませんね」
レグルスも事実を確認するように頷いた。
「記録はしますか?」
「うん」
「研究資料として?」
「それもあるけど……」
アルノは、もう一度Vinculumの文字を指先でなぞった。
「忘れたくないから」
王が子孫へ遺した言葉と、三百年もの間守られてきた石板。
迎えに行くための研究には役立たないとしても、ここへ置いて忘れてしまうには惜しいと思った。
侯爵の許可を得て、石板と関連する記録は王都へ持ち帰ることになった。
王家が三百年守り続けたものを預かる責任は重い。それでも、侯爵に迷いはなかった。
「先祖が守り続けたものの意味を、あなた方が明らかにしてくださいました。どうか研究にお役立てください」
アルノは侯爵へ深く頭を下げた。
「必ず、お返しします」
「ええ。いつの日か、よい知らせとともに戻ってくることをお待ちしております」
アルノはもう一度、石板へ目を向けた。
Vinculum。
この神代スペルが、何のために存在するのかは分からない。
エルディオンを迎えに行くための魔法には、おそらく使えないだろう。
それでも、その言葉を見つめていると、月光を編み込んだような銀髪と、深い碧眼が浮かんだ。
胸の奥に残る痛みが、消えたわけではない。
けれど、Vinculumと呟いた時だけは、その痛みのそばに温かなものがあるように思えた。
アルノは石板に刻まれた一語を、そっと胸へ刻んだ。
今は、それだけでよかった。
後まで読んでいただき、ありがとうございました!
次回もよろしくお願いいたします!
更新は21時です( ᴗ ᴗ)⁾⁾




