すべての始まりへ
翌朝。
山麓の町を出た四人は、西へ続く街道を馬で進んでいた。
空は高く晴れ渡り、冷たい風が頬を撫でていく。
それでも、ラウム山脈を越える風とは違う。雪を巻き上げることもなく、道も固く踏み固められていた。
街道の両脇には針葉樹が続き、その向こうには白く染まった山並みが見える。
第七星環が眠っていた山は、少しずつ遠ざかっていた。
アルノはエルディオンの後ろへ座り、流れていく景色をぼんやり眺める。
山を下りてから一日休んだおかげか、身体の重さはだいぶ薄れていた。
診療所で医師から安静を言い渡されたエルディオンも、馬上では普段と変わらない様子で手綱を握っている。
それでも、アルノは時折その背中へ目を向けてしまった。
「そういえば」
レグルスが顔を上げる。
「落下した時に何があったのですか」
来た。
アルノは心の中で呟いた。
絶対に聞かれると思っていた。
隣では、エルディオンが楽しそうに笑っている。
「長くなると思います」
「構いません」
こういう時だけ返事が早い。
アルノは苦笑し、小さく息を吐いた。
「どこから話そうかな……」
アルノは少し考え、記憶を辿るように視線を落とした。
「落ちた先の研究室の壁に、巨大な絵があったんです」
「絵?」
レグルスの声がわずかに上ずる。
「はい。浮遊都市アウレリア」
その名を口にしただけで、空に浮かぶ神代都市が脳裏へ蘇った。
青い空。
広がる雲海。
その上に、島が浮かんでいる。
巨大な島だった。
島の縁から滝が流れ落ちている。
水は空中へ落ち、途中で霧になり、光を受けて虹を作っていた。
島の中央には、白い建物があった。
「本来は空に浮かんでいた都市だったみたいです。第六星環から供給されるエネルギーで維持されていたんですけど、星環の事故で……」
「待ってください」
レグルスが片手を上げた。
淡い灰紫の瞳が、銀縁眼鏡の奥で大きく見開かれている。
「いま、なんと?」
「アウレリア?」
「その前です」
「浮遊都市?」
「その後です」
アルノは首を傾げる。
「第六星環?」
「さらにその後です」
「星環の事故?」
「そこです」
レグルスは即座に頷いた。
「第六星環で事故が発生した。その結果、浮遊都市アウレリアは空から落下した。そういうことですね」
「うん。記録には、そう残されてた」
その瞬間、レグルスが固まった。
手綱を握ったまま、前を向いて動かない。
「レグルス?」
「……」
「聞こえてる?」
「……私も、あそこへ落ちるべきでした」
「え!?」
アルノの声が街道へ響いた。
少し前を進んでいたリネが吹き出す。
エルディオンも肩を震わせ、楽しそうに笑っていた。
「神代文明最大級の資料ですよ」
レグルスは本気だった。
「浮遊都市、墜落記録、第六星環の事故、星環の暴走、研究施設、そして現地資料」
一つずつ指を折りながら数えていく。
「私も落ちるべきでした」
「落ちちゃ駄目だから!」
「しかし、非常にもったいない」
「命の方が大事だから!」
アルノは思わずエルディオンの外套を掴んだ。
このままでは本当に、次に似たような場所があれば自分から飛び込むかもしれない。
「レグルス、本気で言ってる?」
「当然です」
「当然じゃないよ!」
リネはまだ笑いを堪えきれず、赤茶色の髪を揺らしながら肩を震わせている。
「でも、レグルスなら落ちたあとも資料を読んでそう」
「読みます」
レグルスは真面目な顔で眼鏡を押し上げた。
「実際、皆さんは生還しています」
「結果論だからね」
エルディオンが穏やかに口を挟む。
レグルスは納得した様子もなく、小さく眼鏡を押し上げた。
「……ですが、惜しいですね」
「惜しくないから!」
アルノは思わず声を上げた。
リネはまた吹き出し、肩を震わせて笑っている。
アルノは深く息を吐いた。
本当に、この人は研究のことになると周りが見えなくなる。
「第六星環は、浮遊都市へエネルギーを送るための施設だったみたいです」
レグルスはすでに手帳を開いている。
馬上にもかかわらず、器用に文字を書き込んでいた。
「事故の原因は分かったんですか」
「第六星環で異常が起きて、制御不能になったことまでは分かった。でも、どうしてそうなったのかは分からなかった」
「肝心なところが欠けていますか」
心の底から残念そうな声だった。
アルノは横目でレグルスを見る。
眼鏡の奥の視線は、まだどこか名残惜しそうだった。
「それで、Leは?」
今度はリネが聞いた。
アルノは少しだけ考えてから答えた。
「必要な場所へ必要なだけ魔力を届けるために、途中で失われる分をできるだけなくす為のスペルだった。」
「つまり、魔力の損失を抑えるための術式ですか」
「そうだと思う」
「だから都市全体を維持できた可能性がある、と」
「うん」
レグルスは何かを考え込むように手帳へ視線を落とし、忙しなく筆を走らせている。
その様子を見たエルディオンが、小さく笑った。
「しばらく質問攻めにされそうだね、アルノ」
「エルさんも笑ってないで止めてください」
エルディオンは楽しそうに笑い、再び前へ向き直った。
長い銀髪が風に流れ、アルノの頬へ軽く触れる。
道は穏やかだった。
雪のない街道を馬の蹄が規則正しく叩き、乾いた音が静かに続いていく。
背後では、白い山脈が少しずつ遠ざかっていた。
◇
三日後。
ラウスへ到着した。
山麓の町とは比べものにならないほど大きな町だった。
街道は広く整えられ、荷馬車や旅人が絶えず行き交っている。
石畳の両側には商店が軒を連ね、市場からは威勢のいい呼び声が響いていた。
厚手の外套を羽織った旅人。
荷物を抱えて足早に歩く商人。
そして、杖やローブを身につけた魔術師たち。
人の多さも、町の活気も、これまで立ち寄った町とは明らかに違っていた。
「あれじゃない?」
リネが前方を指さす。
町の中央には、一際高い石造りの塔がそびえ立っていた。
塔の壁面には魔法陣を模した紋章が刻まれ、入口の上には大きな青い旗が風を受けてはためいている。
「魔術ギルドです」
レグルスは迷うことなく馬を進めた。
四人は馬を預けると、そのまま建物の中へ入る。
広いロビーには、依頼書を手にした冒険者や魔術師たちが行き交っていた。
受付には何人もの職員が並び、絶えず訪れる来客へ対応している。
アルノは思わず辺りを見回した。
「大きい……」
「地方では有数の規模でしょう」
レグルスは周囲の様子を一瞥しただけで受付へ向かう。
受付にいた若い女性が顔を上げ、営業用の柔らかな笑みを浮かべた。
「ようこそ、ラウス魔術ギルドへ。本日はどのようなご用件でしょうか」
「邪竜についてです」
レグルスが迷いなく答える。
受付の女性の笑みが消え、表情が引き締まった。
「目撃情報の照会でしょうか」
「はい。直近の報告を確認させてください」
「承知いたしました。本部からの通達に基づき、当ギルドで保管している目撃情報は提供できるようになっております。担当の者を呼んでまいりますので、少々お待ちください」
女性は落ち着いた口調で告げると、すぐに受付の奥へ向かった。
その背中を見送りながら、アルノは小さく息を吐く。
「話が早くて助かりますね」
「それだけ、本部も事態を重く見ているんだろうね」
隣でエルディオンが穏やかに答えた。
ほどなくして、受付の奥から年配の職員が姿を現した。四人の姿を順に見回すと、穏やかな口調で言う。
「お待たせしました。資料を確認していただくため、こちらへどうぞ」
案内された先は、ギルド奥の会議室だった。
部屋の中央には大きな机が置かれ、その上には周辺一帯の地図が広げられている。窓から差し込む午後の光が、地図の上へ長く伸びていた。
やがて数人の職員が、紐でまとめられた報告書の束を抱えて入ってきた。
机の上へ置かれた書類は、どれも新しいものではない。端が擦れ、何度も確認された跡が残っている。
「本部から通達が出されて以降、この地域で確認された情報に加え、周辺の支部から寄せられた報告も保管しております。こちらが、現在までに集まっている分です」
年配の職員はそう説明しながら、まとめられた書類をレグルスへ差し出した。
「ありがとうございます」
レグルスは書類を受け取り、すぐに内容を確認し始める。
アルノは机へ並べられた資料へ視線を落とした。
邪竜。
その二文字を見ただけで、胸の奥がわずかに重くなる。
第七星環での出来事があまりにも濃く、ここ数日は星環と神代文明のことに意識を奪われていた。
けれど、邪竜の脅威が消えたわけではない。
自分たちが遺跡を巡っている間にも、各地の魔術塔はその動きを追い続けていた。
それほど危険な存在なのだ。
「何か分かりそう?」
アルノが尋ねると、レグルスは書類へ目を落としたまま答えた。
「すぐに結論を出すのは難しいでしょう。ですが、目撃された時刻と場所を整理すれば、ある程度の移動経路は推測できます」
「そう」
アルノは小さく息を吐いた。
今は、レグルスの分析を待つしかない。
それが終われば、次に進むべき場所が見えてくるはずだった。
◇
翌日。
朝からギルド奥の会議室には、保管庫から探し出された報告書が次々と運び込まれていた。
これまで周辺の支部から寄せられていた記録を、職員たちが目撃された日時と場所ごとに選り分け、地図へ印を書き込んでいく。
レグルスも机へ身を乗り出し、一枚ずつ丁寧に目を通していた。
「西部街道上空、目撃あり」
「南西山岳地帯」
「汚染あり……」
短く呟きながら、地図へ印を付けていく。
丸印が一つ。
また一つ。
さらにもう一つ。
やがて、それらを結ぶように一本の線が引かれた。
部屋の空気が静まり返る。
レグルスはしばらく地図を見つめたまま考え込み、やがて静かに手を止めた。
「……ここです」
その一言で、全員が机へ視線を向ける。
細い指先が示していた場所を見た瞬間、アルノは息を呑んだ。
「ここ……」
見覚えがあった。
忘れるはずがない。
第五星環。
邪竜の封印が解かれた場所。
エルディオンが眠りから目覚めた場所。
自分が見習いとして封印解除へ立ち会った場所。
そして、エルディオンと初めて会った場所。
すべての始まりだった。
「戻るんですね」
アルノは静かに呟いた。
隣では、エルディオンも地図を見つめている。深い碧の瞳が、どこか懐かしそうに細められた。
「そうだね」
穏やかな声だった。
「まだ数か月しか経ってないんですよね」
「うん」
エルディオンは小さく笑う。
「もっと前のことみたいだ」
アルノも頷いた。
本当に、そうだった。数か月しか経っていない。
それなのに、邪竜と出会い、第七星環へ辿り着き、神代文明の遺跡を巡った日々は、何年もの旅を続けてきたように思える。
あの頃の自分とは、もう少しだけ違う気がしていた。
◇
翌朝。
支度を終えた四人は、町の門をあとにする。
朝日が街道を明るく照らし、穏やかな風が草原を渡っていく。
第五星環へ。
旅の始まりの場所へ。
すべてが始まった場所へ。
エルディオンが振り返り、小さく微笑んだ。
「行こうか」
アルノは静かに頷く。
「はい」
馬がゆっくりと歩き始めた。
四人は再び街道を進む。
南へ――第五星環を目指して。
後まで読んでいただき、ありがとうございました!
次回もよろしくお願いいたします!
更新は19時半です( ᴗ ᴗ)⁾⁾




