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月光の師と未完の魔術師 ― 世界はまだ、繋がっている ―  作者: 平子 天陽


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揺らぐ命脈

 研究所を出たあと、一行は神代都市のさらに奥へ向かった。


 神代都市の中心部を離れるにつれ、周囲の景色は少しずつ変わっていく。

 整然と並んでいた住宅街は途切れ、人々が行き交っていたはずの市場も姿を消した。

 代わりに現れたのは、巨大な施設群だった。


 高い建物が幾つも並んでいる。

 住居や研究所とは異なり、それらは建物というより、何らかの役割を担う巨大な設備に近かった。

 用途の分からない細長い塔。

 施設同士を繋ぐ無数の管。

 複雑に組み合わされた巨大な建造物。

 どれも現代の常識では測れない大きさだった。


 アルノは何度も足を止めそうになった。

 見えるのだ。

 地面の下を流れる線が。

 施設と施設を繋ぎ、都市全体を巡る巨大な術式が。

 この場所まで来ると、神代都市そのものが一つの魔法陣であるという事実を、よりはっきりと感じることができた。


「……考えられません」

 前を歩いていたレグルスが呟いた。

 普段なら滅多に感情を表へ出さない彼が、珍しく本気で呆れたような顔をしている。


「何がです?」


「全部です」


 レグルスは周囲に並ぶ巨大な施設を見回した。


「こんなもの、誰が作るんですか」


 アルノも返事ができなかった。

 気持ちはよく分かる。

 現代の魔術師が百人集まっても再現できない。

 いや、千人を集めたところで、どこから手を付ければよいのかすら分からないだろう。

 それほどまでに、都市を構成する術式は巨大で複雑だった。


 第一星環も、第二星環も、第四星環も見てきた。

 どれも十分に巨大だったはずだ。


 だが、この第七星環はまるで別格だった。


 これまで見てきた星環が一つの施設だとすれば、ここは一つの世界そのものだった。


 ◇


 施設群の中を進んだ一行は、やがて巨大な縦穴の前へ辿り着いた。


 アルノは縁の手前で思わず足を止める。


「うわ……」


 慎重に近付き、暗い穴の中を覗き込む。


 光が届かない。

 内壁に沿って幾つかの灯りが残っているものの、遥か下へ進むほど闇が濃くなり、底がどこにあるのかまったく分からなかった。


 リネも隣から身体を傾け、恐る恐る覗き込む。

 赤茶色のポニーテールが縦穴から吹き上がる微かな風に揺れた。


「気持ち悪いね」


「落ちたくないですね……」


 アルノはすぐに縁から足を引いた。

 深すぎる。

 足元へ広がる闇を見ているだけで、先日の崖から落ちかけた感覚が蘇り、身体の奥が冷たくなる。


 レグルスが近くに落ちていた石を拾い、重さを確かめるように掌の上で転がした。

 そのまま、縦穴へ向かって放り投げる。

 石は暗闇へ吸い込まれていった。


 一秒。

 二秒。

 三秒。


 いつまで待っても、底へ落ちた音は返ってこなかった。


「……底あるのか?」


 誰も答えられなかった。


 ◇


 縦穴の中央には、巨大な昇降機が吊り下げられていた。


 何十人も乗れそうな円形の足場で、床には神代文字と複雑な魔法陣が刻まれている。

 縦穴の上方へ向かって太い支柱が伸び、かつてはこの装置で施設内を移動していたのだろう。


 だが、昇降機は動いていなかった。

 光も灯っておらず、完全に停止している。


 アルノは床へ刻まれた線と、周囲から伸びる接続を確認した。

 装置そのものが壊れているわけではない。

 都市全体と同じだった。

 流れ込む力が足りない。

 出力が低下したことで、巨大な昇降機を動かすための力を確保できなくなっている。


 さらに術式を追うと、第二星環にはなかった神代文字が目に入った。

 認証術式だった。


「使えない?」


 エルディオンが呟く。


 アルノは静かに頷く。


「認証術式があります。」


「魔力を流すだけでは動かないみたいです。」


「残念」


 エルディオンはあっさり言った。


「階段だね」


 ◇


 階段と呼ぶには、あまりにも規模がおかしかった。

 縦穴を囲む岩壁に沿い、石造りの階段が螺旋状に続いている。

 上を見上げても終わりは見えず、遥か高い場所まで何重にも折り重なっていた。


 四人は階段へ足を掛けた。

 一段。

 また一段。

 ひたすら登っていく。


 外の雪山ほど足場は悪くない。

 しかし階段は際限なく続き、一定の高さを登るたびに足へ疲労が蓄積していった。

 途中で何度も振り返る。

 縦穴はどこまでも下へ続いている。

 底は見えず、これまで歩いてきた施設群も、遥か下方へ小さく遠ざかっていた。

 上もまだ遠い。

 まるで、再び山を登っているようだった。


 ◇


 長い階段を登り続け、ようやく終わりが見え始めた。

 階段の先には広い高台があり、その向こう側から冷たい風が吹き込んでいる。

 これまで空気を完全に遮断されていた山の内部では、あり得ない風だった。


 アルノは顔を上げた。

 嫌な予感がしていた。


 螺旋階段を登り切った先で、一行は揃って足を止めた。


 冷たい風が吹いている。

 白い雪まで風に運ばれ、高台の床へ舞い込んでいた。


「どうなってるの……」


 リネが呆然と呟いた。


 神代都市は、幾重もの魔法陣と巨大な施設によって外界から完全に隔てられている。

 本来なら、冷たい風が吹き込むことも、雪が舞い込むこともあるはずがなかった。


 アルノはゆっくりと顔を上げる。

 そして、言葉を失った。


 空洞の遥か上方にある岩盤が、巨大に抉られている。


「まさか……」


 アルノの喉が鳴った。

 これほど巨大な岩盤を打ち砕ける存在を、彼は一つしか知らない。


 ◇


 高台の中央には、巨大な施設が存在していた。


 床一面を埋め尽くす神代魔法陣。

 幾重にも重ねられた術式と、無数の導管が広大な空間を覆っている。


 透明な導管は蜘蛛の巣のように四方へ伸び、床や壁の奥を通って都市全体へ繋がっていた。


 レグルスは足を止めた。


 銀縁眼鏡の奥の灰紫の瞳が、設備の一つひとつを追っていく。


「……そういうことでしたか」


「え?」


「街灯も、噴水も、宿の空調も。」


 レグルスは導管を目で追う。


「すべて、この設備と接続されています。」


 アルノも息を呑んだ。


 ここまで近づくと、都市全体を巡る力の流れが、はっきりと見える。


 無数の導管を通って送り出された力は、街灯を灯し、噴水を動かし、宿へ温もりを届けていた。


 都市中へ張り巡らされた巨大な術式は、そのすべてがこの施設を起点としている。


 この施設こそが、神代都市そのものを生かしている心臓だった。


 そして、異常はすぐに見つかった。


 施設の奥には、巨大な透明のタンクが据えられていた。

 本来は澄み切った素材だったのだろう。

 残された破片だけがわずかに光を返している。

 しかし、その大半は無残に砕け散っていた。


 周囲の床は広い範囲にわたって黒く変色し、導管も壁も、崩れた天井までもが同じ黒に侵されている。

 ただ焼け焦げた色ではない。

 見つめているだけで胸の奥がざわつくような、不自然な黒だった。


 アルノは知っている。

 第一星環で見たもの。

 そして死の島で、裂け目の周囲を覆っていた侵食痕。

 あの黒と、まったく同じだった。


「これ……」


 リネも気づいたらしく、表情を険しくする。


「同じですね」


 レグルスが静かに呟いた。


 誰も否定しなかった。


 アルノは慎重にタンクへ近づく。

 砕けた破片を避けながら術式へ目を向けると、力の流れがはっきりと見えた。


 本来なら、このタンクへ蓄えられた膨大な力が導管を通って都市全体へ送り出されるはずだった。


 だが、今は違う。


 流れは途切れ、内部はほとんど空になっている。


「……そうか」


 アルノは小さく呟いた。


 街灯の光が弱かった理由。

 噴水の勢いが落ちていた理由。

 宿の暖房が十分に機能していなかった理由。


 すべて、このタンクの機能停止が原因だった。


 そのときだった。

 先を歩いていたリネが、不意に足を止めた。


「……あれ」


 声が震えていた。

 アルノは顔を上げる。


 砕けたタンクの向こう側。

 黒く汚染された床の上に、巨大な影が横たわっていた。


 最初は、崩れ落ちた岩塊かと思った。

 だが、その表面を覆っていたのは黒い鱗だった。

 折り畳まれた巨大な翼。

 山のように盛り上がる巨体。

 施設の中へ横たわっているだけで、周囲の建造物が玩具のように小さく見える。


 その背中が、ゆっくりと上下していた。

 呼吸している。


 邪竜だった。


 誰も動けなかった。

 邪竜は砕けたタンクの傍らで身を丸め、静かな寝息を繰り返している。

 まるで眠っているだけだった。

 それでも、その巨体が視界を埋め尽くすだけで空間そのものが支配されてしまう。


 やがて、邪竜の瞼がゆっくりと開いた。

 金色の瞳。

 縦に裂けた巨大な瞳孔が、静かにこちらへ向く。


 ぞくりと、アルノの背筋を冷たいものが走った。

 見られた。

 そう思った。

 だが、その視線はアルノたちの上を何事もないように通り過ぎる。

 人間など、最初から視界に入っていない。

 興味すら向ける価値のない存在として。


 邪竜がゆっくりと身体を起こした。

 それだけで、施設全体が大きく軋んだ。

 床が震え、頭上を巡る導管が激しく揺れる。

 亀裂の入っていた管が悲鳴のような音を立て、砕けたタンクの破片が次々と床へ崩れ落ちた。


「まずい!」


 レグルスが叫ぶ。


 その瞬間、邪竜が翼を広げた。

 轟音が施設内を貫いた。

 巨大な翼が空気を押し退け、凄まじい暴風が吹き荒れる。

 全員が反射的に身を伏せ、飛んでくる石片や導管の破片から顔を庇った。

 透明な管が次々と砕け、舞い込んだ雪と埃によって視界が白く染まる。


「待っ――!」


 リネの声だった。


 邪竜が、天井に開いた巨大な穴から飛び立とうとしている。

 リネが反射的に踏み出した足元で、床が崩れた。


「リネ!」


 アルノは飛び出していた。

 考えるよりも先に身体が動いた。

 伸ばした手が、落下しようとしていたリネの腕を掴む。


 引く。

 思い切り。


 リネの身体が床の上へ倒れ込む。


 助かった。


 そう思った瞬間だった。

 自分の足元がない。


 リネを引き寄せた勢いで、自分の重心はすでに崩れた床の外へ出ていた。

 身体が宙へ浮いた。


「アルノ!」


 リネの悲鳴が響く。

 落ちる。

 暗闇の中へ。


 縦穴を吹き抜ける風が耳元で唸り、身体は落ちていく。


 そのときだった。


 涼やかな甘い匂いが、アルノを包んだ。

 安心できる香りだった。

後まで読んでいただき、ありがとうございました!

次回もよろしくお願いいたします!

更新は19時半です( ᴗ ᴗ)⁾⁾

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