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月光の師と未完の魔術師 ― 世界はまだ、繋がっている ―  作者: 平子 天陽


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封印の眠る死の島

 地下書庫を出た頃には、空が赤く染まり始めていた。

 死の島は静まり返り、崩れた建物の間を風だけが吹き抜けていく。

 黒く歪んだ木々は夕焼けを背に不気味な影を落とし、人の気配はどこにもなかった。

 五百年前、ここには人々の暮らしがあった。

 港があり、家が並び、市場には多くの人が集まっていたはずだ。

 けれど今、その面影を残しているのは、風雨に削られた廃墟だけだった。


 アルノは一行とともに島の中央へ向かいながら、地下書庫で読んだ資料の内容を思い返していた。

 裂け目。

 生命反応。

 何かがこちらを見ている。

 そして最後に残された、応援を――という途切れた言葉。

 そこで記録は終わっていた。


 資料に残された断片を繋ぎ合わせるように、アルノの指先が無意識に空中をなぞる。

 見えない点と点を結ぶたび、淡い灰色の瞳は考え込むように揺れていた。


「考え事?」


 横から声がした。

 振り向くと、夕暮れの風に長い銀髪を揺らしながら、エルディオンがアルノを見ていた。


「邪竜です」


 アルノは指先の動きを止めて答えた。


「資料に出てきた生命反応」


「何かがこちらを見ている、は」


 少し迷い、エルディオンの深い碧眼を見上げる。


「邪竜だったんでしょうか」


 エルディオンはすぐには答えず、少しだけ考えるように前方へ視線を戻した。


「たぶんね」


 静かな声だった。


「僕が島へ着いた時にはもういたから」


 アルノは顔を上げる。

 エルディオンは歩調を変えないまま、荒れ果てた島の奥を見つめていた。


「生命反応も」


「何かがこちらを見ている、も」


「たぶん邪竜だったんだと思う」


 辻褄は合う。裂け目が発生し、正体不明の生命反応が観測され、星環の管理者たちは応援を要請した。

 そして、その後に邪竜が出現している。

 資料の断片を繋げれば、一つの流れになった。


「推測だけどね」


 エルディオンは軽く肩を竦める。


「僕も出てくるところ見たわけじゃないし」


 断定はできない。

 それでも、五百年前の死の島を知る唯一の人物の証言だった。

 アルノは静かに頷いた。

 邪竜は裂け目から現れ、エルディオンはそれを追って戦った。


 ◇


 第四星環があると思われる場所は、島の中央にあった。

 森を抜けた先で視界が開けた瞬間、アルノは思わず足を止める。


 そこに立っていたのは、第一星環や第二星環よりもはるかに巨大な石塔だった。

 黒ずんだ塔は空へ向かって伸び、表面には無数の亀裂や侵食の痕が刻まれている。

 五百年もの間、異常の中心にありながら、それでも崩れることなく立ち続けていた。


「……大きい」


 思わず声が漏れる。

 隣ではリネが赤茶のポニーテールを揺らしながら周囲を見回し、足場の崩れた場所を確かめるように、さりげなくアルノの前へ出ていた。


 レグルスは銀縁眼鏡を押し上げ、塔の高さや表面の損傷を観測するように灰紫の瞳を動かしている。

 感嘆するより先に、残された事実を一つずつ拾い上げているようだった。


 塔の入口には、周囲の壁と一体化した巨大な扉があった。

 その前の石床には複雑な魔法陣が刻まれている。

 神代術式ではなく、現代魔法によって構築された大規模な封鎖術式だった。


 アルノは息を呑んだ。

 星環の入口を閉ざすだけなら、これほど巨大な術式は必要ない。

 何物も内側から外へ出さず、同時に外からも近付けさせないという、術者の強い意志が構造そのものに刻まれていた。


 エルディオンが静かに前へ出る。

 けれど、魔法陣の前へ立った途端、その足が止まった。


 エルディオンが何かに見入ることはあっても、言葉を失うことは少ない。

 誰も声をかけられないまま、長い沈黙が流れた。

 やがてエルディオンは白い指先を術式へ触れさせ、その線を確かめるようにゆっくりとなぞった。

 幾重にも重なった魔力流路を追っていた碧眼が、わずかに細められる。


 それから、小さく笑った。


「レオンだ」


 懐かしそうな声だった。

 目の前の術式ではなく、その向こうにある五百年前の光景を見ているようだった。


「あいつらしいな」


 エルディオンはぽつりと呟き、それ以上は何も言わなかった。

 けれど、その一言だけで十分だった。


 幾重にも重ねられた術式は、入口を閉ざすだけのものではない。

 一つの流路を読み解けば、その奥から別の構造が現れ、さらに複雑な封鎖へと繋がっている。


  扉を開くための解析は、想像していた以上に時間が掛かった。

 完全に解除しようとすれば、術式全体を壊しかねない。

 封鎖を保ったまま、人が通れるだけの経路を作らなければならなかった。


  アルノは石床へ膝をつき、魔力の流れを一つずつ追っていく。

 淡い灰色の瞳は魔法陣を映し、複雑な構造を読み解くほどに、次第に明るく輝き始めていた。

  封鎖術式の外側には侵入を拒む結界があり、その内側には扉を固定する術式が組み込まれている。

  一つの術式を外せば、別の術式へ負荷が掛かる。力任せに破壊すれば、五百年間保たれてきた均衡そのものが崩れるかもしれない。


  難しい。


 けれど、その複雑さが分かるほど、アルノの意識は魔法陣へ深く沈んでいった。

  完全に夢中になっていた。

  指先で線を追い、頭の中で構造を組み直す。

 どこまでなら封鎖を緩められるのか。

  気付けば時間を忘れていた。


  「アルノ」


  声がした。

  アルノはようやく顔を上げて振り返る。

 エルディオンが少し笑いながら、こちらを見ていた。


「顔」


「え?」


 何を言われたのか分からず、アルノは目を瞬かせる。

 少し離れた場所で周囲を警戒していたリネが、赤茶のポニーテールを揺らしながら振り向いた。アルノの様子を見ていたらしく、呆れたようでいて、どこか優しい表情を浮かべている。


「すごく嬉しそうな顔してる。」


 アルノは固まった。


「そんな顔してた?」


「してる。」


 即答だった。

 リネは腰へ手を当て、小さく肩を竦める。


「魔法陣の本を読んでる時と、まったく同じ。」


「……。」


「絶対周り見えてないやつ。」


 反論できなかった。

 実際、声を掛けられるまで、どれほど時間が経ったのかも分かっていなかった。

  レグルスは二人のやり取りには加わらず、銀縁眼鏡を押し上げながら、術式の変化を追い、封鎖に異常が起きていないことを冷静に確かめていた。


  ◇


  扉が開いたのは、それから数時間後だった。

  封鎖術式の完全解除はできない。

 無理に外せば、内部を押さえ込んでいる他の術式まで崩れる危険があった。

  アルノが作れたのは、最低限の通路だけだった。

 封鎖の大部分を残したまま、四人が一人ずつ通れるほどの隙間を作る。

 それでも、内部へ入るには十分だった。


  低く重い音が辺りへ響き、巨大な石扉がゆっくりと動き始める。

 五百年もの間閉ざされていた隙間から、冷たい風が一気に吹き出した。

  湿った土や古い石の匂いに混じり、肌を刺すような濃い魔力が流れ込んでくる。


 アルノは思わずローブの袖を握り、暗闇の奥へ目を凝らした。

  エルディオンが先に内部を確かめる。

 その長い銀髪が冷たい風に揺れ、暗い通路の中へ淡く溶けていった。

 危険がないことを確認すると、一行は第四星環の内部へ足を踏み入れた。


  入口の先には、光の届かない暗い通路が続いていた。

 壁や床は黒く変色し、ところどころに細い亀裂が走っている。

 足音が石壁へ反響し、誰もいない空間の奥へ吸い込まれていった。

  やがて通路は、地下へ続く長い階段へと変わった。

 階段の先は闇に沈み、どこまで続いているのか見通せない。

  アルノたちは慎重に足を進める。


  一段。

  また一段。

  下へ。

  さらに下へ。


  進むたび、周囲の空気が変わっていった。

 魔力濃度は下りるほど高くなり、肌へまとわりつくような圧迫感が強まっていく。

  息苦しい。胸の奥へ重いものを押し込まれているようで、呼吸をするたびに身体が沈んでいく。

  細い肩を強張らせたアルノの前へ、リネがさりげなく半歩出た。

 足場を確かめながら進み、何かあればすぐに動けるよう周囲へ琥珀色の瞳を配っている。

  身体は本能的に、この先へ進むことを拒絶していた。それでも、誰も足を止めなかった。

  やがて長い階段が終わり、一行は最下層へ辿り着いた。


  そこで、全員が足を止めた。

  目の前には、第四星環の中枢と思われる巨大な地下空間が広がっていた。

 白い石床には幾重もの同心円が刻まれ、床一面を覆う神代魔法陣を形作っている。

  円環を囲むように、無数の石柱が立ち並んでいた。

 一本一本の表面には神代文字が隙間なく彫り込まれ、それぞれの文字から伸びる流路が、床の魔法陣へと繋がっている。

  遥か頭上は暗闇に閉ざされ、天井の高ささえ分からない。

 時折、どこか遠くから石の軋む音が響き、巨大な空間の中へ不気味な余韻を残した。

  祭壇の中心には、巨大な透明結晶が据えられていた。

 光を失った結晶は沈黙したまま、周囲の神代術式と繋がっている。

  そして、その上には巨大な裂け目が開いていた。

  第一星環で見たものとは比べものにならない。空間そのものが大きく引き裂かれ、黒い亀裂の向こうには、光の届かない暗闇がどこまでも広がっている。

  深い。

 底が見えない。

  それはまるで、世界そのものへ刻まれた巨大な傷口のようだった。


 そして、その周囲を覆うように、無数の魔法陣が広がっていた。

 幾重にも重なり合う術式が、巨大な裂け目を包み込むように刻まれている。

 アルノは思わず息を呑んだ。

 今まで見たどんな魔法陣とも違う。

 近付けば近付くほど、その異常さがはっきりと伝わってきた。


 封鎖術式。

 補強術式。

 維持術式。

 安定化術式。


 複数の系統が複雑に絡み合い、一つの巨大な術式として組み上げられている。


 しかも、それだけでは終わらない。

 術式の構造は途中で変化し、さらに先でも別の構造へ切り替わっていた。


 普通ならあり得ない。

 一度完成した術式は固定される。

 途中で何度も組み替えたり、書き換えたりすることはない。


 だが、この術式は違った。

 まるで生き物のように壊れかけた箇所を補い、その上からさらに補強を重ね、長い年月をかけて裂け目を支え続けている。

 複雑で巨大なその術式は、ただ異様だった。


 アルノは吸い寄せられるように歩み寄る。


 淡い灰色の瞳が術式を映し、指先は無意識のうちに空中で線と線を結び始めていた。

 線を追う。

 構造を追う。

 意味を追う。


 理解するたび、胸の奥が熱くなる。


 凄い。


 理解できる。

 構造も読める。

 理論も分かる。


 なのに。

 どうしてこんな発想になるのか分からない。

 どうしてこんな組み方ができるのか分からない。

 どうして五百年もの間、封印を維持し続けられるのか分からない。

 理解できるのに。

 理解できない。


「……天才だ」


 ぽろりと零れた。

 無意識だった。


 レグルスが銀縁眼鏡の奥の灰紫色の瞳をわずかに見開く。


 どれほどの知識を積み重ねれば、この術式へ辿り着けるのだろう。

 どれほどの時間を費やせば、この発想へ至れるのだろう。

 想像すらできない。


 もっと見たい。

 もっと知りたい。

 もっと理解したい。


 アルノの視線は、裂け目を封じ続ける術式から離れなかった。


 五百年前。

 こんな絶望を前にしてもなお諦めず、この魔法陣を組み上げた人間がいた。

 その事実だけで胸が震えた。


 その時だった。


 裂け目の向こう。

 暗闇の奥で、何かが動いた。


 アルノの身体がぴたりと止まる。


 目だった。

 一つじゃない。

 二つでもない。

 無数だった。


 闇の中に、数え切れないほどの目が浮かんでいる。


 じっと。

 こちらを見ている。


 資料に記されていた一文が脳裏をよぎる。

 何かがこちらを見ている。


 五百年前の記録。

 あれは比喩でも思い込みでもなかった。


 アルノはようやく、その意味を理解した。

 背筋を冷たいものが駆け抜ける。


 星環全体が大きく揺れた。


 轟音が地下空間を震わせ、天井の亀裂から細かな石片が降り注ぐ。

 続いて響いたのは、聞き覚えのある咆哮だった。


 アルノは反射的に顔を上げる。

 その隣では、長い銀髪を静かに揺らしたエルディオンが裂け目を見据えていた。

 深い碧眼は鋭く細められ、いつもの穏やかな笑みは消えている。


「帰ってきた」


 低く漏れた一言だけで、その場の空気が張り詰めた。

 アルノは息を呑み、裂けた天井の向こうを見上げる。


 夕焼け空を覆うように、巨大な黒い影がゆっくりと横切っていく。


 邪竜だった。

後まで読んでいただき、ありがとうございました!

次回もよろしくお願いいたします!

更新は19時半です( ᴗ ᴗ)⁾⁾

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