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月光の師と未完の魔術師 ― 世界はまだ、繋がっている ―  作者: 平子 天陽


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アルカ神殿

 アルカ神殿は、丘の上に建っていた。


 長い石段が真っすぐ山肌を駆け上がり、その先には白い石柱が規則正しく並んでいる。

 夕陽を受けた外壁は淡く赤く染まり、長い年月を経てもなお静かな威厳を漂わせていた。

 四人は石段をゆっくりと登っていく。

 近づくにつれ、建物の大きさがはっきりと分かってきた。


「圧倒されますね。」


 アルノが思わず呟く。

 隣を歩くレグルスが静かに頷いた。


「アルカ神殿は王国最古の神殿です。現在の建物は何度も改修されていますが、この場所自体は神代時代から変わってないと言われています。」


 神代時代。

 その言葉だけで胸が少し高鳴る。


 星環。

 神代文字。

 外側領域。

 資料の中でしか知らなかった世界が、この場所には確かに繋がっている。


「すごいねぇ。」


 リネも神殿を見上げる。


「こんなの、よく残ったね。」


「信仰の力でしょう。」


 レグルスは淡々と答えた。


「人は意外と執念深い生き物です。」


「……貶してる?」


「事実です。」


 あまりにも真面目な返事に、思わず笑いが漏れた。

 張り詰めていた空気が少しだけ和らぐ。


 石段を登り切ると、大きく開かれた白い扉が四人を迎えていた。

 中からは静かな話し声が聞こえ、ほのかに香が漂ってくる。


 アルノは一歩、神殿の中へ足を踏み入れた。

 神殿の中は、外の暑さが嘘のようにひんやりとしていた。

 高い天井へ人々の祈り声が静かに溶け、色鮮やかなステンドグラスを通った光が白い石床へ柔らかな彩りを落としている。


 穏やかに漂う香と静かな祈りの声。

 誰一人大声を出す者はなく、その空気だけで、この場所が長い年月、人々の祈りを受け止め続けてきたことが伝わってきた。

 長椅子に腰掛けて祈る老人。

 祭壇へ花を供える女性。

 旅装のまま静かに頭を垂れる巡礼者。

 遺跡とは違う。

 ここは今も、人々の祈りの場として息づいている神殿だった。


「ようこそ、お越しくださいました。」


 穏やかな声が響く。

 白い法衣をまとった男性が、ゆっくりと歩み寄ってきた。


「神官長セルドと申します。」


 柔らかな笑みを浮かべ、一礼する。


「レグルス様より事情は伺っております。どうぞこちらへ。」


 セルドの案内で、一行は神殿の回廊を歩き始めた。

 磨き上げられた石床へ足音が静かに響く。

 壁や柱には古い装飾が施され、その一つ一つが長い歴史を物語っていた。

 その途中だった。


「あれ……。」


 アルノの足が止まる。

 柱の根元。

 長い年月で擦り減った古い文字が刻まれていた。


「神代文字です。」


 セルドが驚いたように振り返る。


「……分かるのですか?」


「少しだけです。」


 アルノは慌てて首を振った。


「全部ではありません。」


 慎重に文字を追う。

 意味だけが、静かに頭へ流れ込んできた。


「祈り……。」


「守護……。」


「灯火……。」


 読み取れたのは、それだけだった。

 セルドはしばらく文字を見つめ、小さく息を吐く。


「長年この神殿におりますが、その文字を読めた方は初めてです。」


 アルノは困ったように笑った。


「僕も、どうして読めるのか分からないんです。」


 セルドは何かを考えるように頷くと、再び歩き始めた。


「まずはこちらをご覧ください。」


 一行は大広間へ案内される。

 アルノは思わず足を止めた。


 天井近くまで伸びる巨大なステンドグラス。

 夕陽が差し込み、赤や青の光が石床へ降り注いでいる。


 その中央に描かれていたのは、一頭の巨大な黒い竜だった。

 世界を覆うように翼を広げ、その正面へ一人の魔術師が立っている。


 長い銀髪。

 白い法衣。

 掲げられた杖の先には、青白い光が輝いていた。


 セルドは静かに見上げる。


「皆様もご存じのとおり、五百年前に邪竜を封印した伝説の魔術師エルディオン様と、邪竜を描いたものです。」


 穏やかな声が大広間へ響く。


「この神殿も五百年以上前からこの地に建っています。現在の建物やステンドグラスは幾度も修復されていますが、当時の姿をできる限り残しているのです。」


 セルドは少し微笑んだ。


「また、伝承ではエルディオン様はたいそう美しい方だったとも伝えられております。」


 アルノ。

 リネ。

 レグルス。


 三人の視線が、自然と一人へ向く。


 窓辺へ立つ銀髪の魔術師。

 エルディオンだった。

 本人だけが不思議そうに首を傾げる。


「……何?」


「いえ。」


 リネが肩をすくめる。


「別に。」


 セルドだけが意味が分からず、小さく首を傾げていた。


 セルドは大広間を後にすると、一行を神殿のさらに奥へ案内した。

 礼拝堂の賑わいは次第に遠ざかり、人の気配も少なくなっていく。


 やがて、一枚の大きな石扉の前で足を止めた。

 扉は灰白色の石で造られ、その表面には無数の神代文字が刻まれている。

 長い年月で文字の輪郭は擦り減っていた。

 それでもアルノには、それが神代文字だとすぐに分かった。


「地下区画です。」


 セルドは静かに扉へ手を添える。


「普段は立ち入りを禁じています。保存のためでもありますし、奥には調査が終わっていない場所も残っています。」


 ゆっくりと力を込める。

 重い音を立てながら石扉が開き、冷えた空気が外へ流れ出した。

 石と土が混じった、長い眠りを思わせる匂いだった。


「こちらへ。」


 セルドを先頭に、一行は地下へ続く石階段を降り始める。

 階段を一段降りるたび、地上の物音が少しずつ遠ざかっていく。

 代わりに聞こえてくるのは、自分たちの足音だけだった。


 何百年、何千年と誰かが歩いてきた石段は中央だけがわずかに擦り減り、神殿が長い時を生きてきたことを静かに物語っていた。

 階段は想像していた以上に長かった。

 下へ行くほど光は届かなくなり、周囲は闇へ溶け込んでいく。


 エルディオンが軽く指先を動かす。

 淡い光球がふわりと現れ、一行の頭上へ浮かび上がった。

 柔らかな光が石壁を照らし、暗闇がゆっくりと後ろへ下がっていく。


「ありがとうございます。」


 セルドが小さく頭を下げた。


 やがて階段が終わる。

 一行は地下通路へ足を踏み入れた。


 アルノは思わず息を呑む。

 地下とは思えなかった。

 壁も床も天井も、長い年月を経たとは思えないほど美しい姿を保っている。

 細かな傷や欠けは見える。

 だが、それだけだった。

 数千年前の施設とは、とても信じられない。


「すごい……。」


 思わず漏れた声に、セルドが静かに頷く。


「私も初めてここへ入った時は、同じことを思いました。」


「この区画だけは、不思議なほど傷みが少ないのです。」


 アルノは壁へ近づく。

 そこには細く流れるような神代文字が刻まれていた。

 目で追うたび、意味だけが静かに頭へ流れ込んでくる。

 アルノは壁の神代文字へ視線を向けた。

 意味は少しずつ頭へ流れ込んでくる。

 地上よりも鮮明だった。


「……読める。」


 ぽつりと呟く。

 セルドは驚いたようにアルノを見つめたが、今度は何も言わなかった。

 やがて通路の先で視界が大きく開ける。

 そこは広い空間になっていた。

 壁一面へ、巨大な壁画が描かれている。


「……。」


 アルノは思わず立ち止まる。


 壁画いっぱいに広がる空。

 その中には、巨大な都市らしきものが描かれていた。

 都市の下には幾重もの雲が広がっている。

 長い年月でところどころ風化し、細かな部分までは判別できない。

 それでも、その都市が空へ浮かんでいることだけははっきりと伝わってきた。


「本当に……空に都市があったんだ。」


 思わず漏れた声が静かな地下へ響く。

 第二星環で読んだ供給記録。

 そこに記されていた『浮遊都市』という言葉が脳裏をよぎった。

 文字で知るのと、こうして目で見るのとでは、その重みはまるで違う。

 セルドも壁画を見上げる。


「神殿でも、この壁画の意味は完全には解明されておりません。」


「古くから『天上の都』を描いたものだと伝えられています。」


 アルノは静かに頷いた。

 少なくとも一つだけ、確かなことがある。

 神代文明は、伝説ではなかった。

 実在した文明だったのだ。


 壁画を後にした一行は、さらに奥へ進む。

 そこには石板や古い記録が整然と並ぶ部屋があった。

 まるで書庫だった。

 アルノは最も手前に置かれた石板へ目を向ける。

 刻まれているのは、やはり神代文字。

 慎重に読み進めていく。


「祭礼記録……。」


「奉納記録。」


「神殿運営……。」


 さらに別の石板へ視線を移す。


 歴史。


 祈祷。


 修復記録。


 どれも神殿の日常を記した文章ばかりだった。

 アルノは小さく首を横へ振る。


「……違う。」


 レグルスが顔を上げる。


「何かありましたか。」


「神代スペルじゃありません。」


 期待していた術式は見つからない。

 神代文字ではある。

 だが、どれも普通の文章だった。


 書庫を抜けると、通路は再び静けさを取り戻した。


 やがて一行は、地下区画の最奥と思われる部屋の前で足を止めた。灰白色の大きな石扉は、半ば開いたままになっている。

 セルドは静かに振り返った。


「この先が、地下区画の最奥です」


 穏やかな口調だったが、その表情にはわずかな緊張が浮かんでいた。


「神殿でも何度か内部を調査していますが、この部屋が何のために造られたものなのかは分かっておりません。祭壇や壁の文字についても、記録には何も残されていないのです」


「危険なことはなかったんですか?」


 アルノの問いに、セルドは小さく首を横へ振った。


「これまでは、何も起こりませんでした」


 その言葉に、レグルスが半ば開いた扉の奥へ目を向ける。


「これまでは、ですか」


「はい。ただ……」


 セルドは石扉の向こうへ視線を移した。


「この部屋へ入るたび、誰かに見られているような感覚だけはありました。そのため、必要以上に立ち入ることは避けていたのです」


 そう告げると、セルドはゆっくりと部屋の中へ足を踏み入れた。

 その瞬間、空気が変わった。

 それまで通ってきた通路とは違う。

 物音が吸い込まれていくような、不思議な静けさが部屋全体を満たしていた。


 長い年月を経ているにもかかわらず、荒れた印象はない。

 まるで今も誰かが、この部屋を守り続けているようだった。

 高い天井の下には巨大な石造りの祭壇が据えられ、その周囲には幾重にも重なる円形の魔法陣が床いっぱいに刻まれている。壁一面には神代文字が整然と並び、天井にも巨大な紋様が描かれていた。

 どれも長い年月を経ているはずなのに、不思議なほど鮮明な形を保っている。


「……。」


 アルノは自然と祭壇へ歩み寄った。

 壁へ刻まれた神代文字へ視線を向ける。

 一文字ずつ目で追うたび、意味だけが静かに頭へ流れ込んできた。

 だが、その途中で足が止まる。


「あれ……?」


 今まで読んできた神代文字とは明らかに違っていた。


 祭礼でもない。

 管理記録でもない。

 報告書でもない。

 一文一文が驚くほど短く、文章というより、一つの意味だけを切り出したような構造になっている。

 まるで、術式そのものを構成するためだけに刻まれた文字列だった。


「どうしました?」


 レグルスが静かに尋ねる。

 アルノは首を傾げたまま祭壇を見つめる。


「文章じゃありません。」


 少し考え込み、小さく首を振った。


「命令文とも違います。でも……。」


 言葉が見つからない。

 それでも、一つだけ確かなことがあった。


「読むための文字じゃない。」


 アルノはゆっくりと呟く。


「何かを動かすために刻まれた文字……そんな気がします。」


 無意識のうちに祭壇へ一歩近づく。

 右手が静かに持ち上がった。


「アルノ。」


 リネが声を掛ける。

 だが、その声は届かなかった。

 アルノの意識は神代文字へ引き寄せられていた。

 意味が流れ込む。

 その瞬間だった。


 ゴゥン――。


 低く重い振動が地下全体を揺らした。


「っ!」


 全員が一斉に顔を上げる。


 祭壇を囲む魔法陣へ、一本、また一本と白い光が走り始めた。

 床いっぱいへ刻まれた線が順番に輝き、淡い光は瞬く間に部屋全体へ広がっていく。


「何が起きてる!」


 リネが咄嗟にアルノの前へ飛び出し、拳を構えた。

 レグルスも素早く数歩後退し、光り始めた術式を食い入るように見つめる。


「術式が起動しています!」


 灰紫の瞳が目まぐるしく魔法陣を追う。


「ですが、魔力供給源が確認できません!」


 セルドは呆然と祭壇を見つめていた。


「こんなことは……。」


 震える声が漏れる。


「神殿へ伝わる記録にもありません……。」


 集まった光は渦を巻くように祭壇の中央へ凝縮していく。

 白い粒子が空中を漂い、一つひとつが獣の輪郭を描き始めた。


 四本の脚。

 長い尾。

 風に揺れるたてがみ。

 やがて最後の光が蒼い瞳へ宿る。


 その瞬間、地下神殿の空気が一変した。


「魔獣……?」


 リネが身構える。

 だが、違う。


 その姿は狼によく似ていた。

 全身は白い光で形作られ、揺らめく毛並みは実体と幻影の境界を曖昧にしている。


 やがて閉じられていた蒼い瞳が、ゆっくりと開いた。

 その鋭い視線が、一行を真っ直ぐ射抜く。

 地下神殿は静まり返っていた。


 次の瞬間。

 狼は音もなく地面を蹴る。


「来る!」


 リネの叫びと同時に、轟音が地下神殿へ響き渡った――。

後まで読んでいただき、ありがとうございました!

次回もよろしくお願いいたします!

更新は19時半です( ᴗ ᴗ)⁾⁾

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