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月光の師と未完の魔術師 ― 世界はまだ、繋がっている ―  作者: 平子 天陽


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神代人の遺したもの

 アルノが目を覚ましたのは、三日後の朝だった。


 最初に感じたのは、空腹だった。

 胃の奥がきゅう、と鳴る。

 その感覚に気付いた瞬間、今度は頭の奥が鈍く痛み始めた。

 重い。

 鉛でも詰め込まれたように身体が動かない。

 腕を持ち上げようとしただけで全身から力が抜け、思わず息を吐いた。

 身体の中身を、全部持っていかれたようだった。


「起きた?」


 柔らかな声が聞こえる。

 窓際へ目を向けると、椅子へ腰掛けていたリネがこちらを見ていた。

 朝日が窓から差し込み、赤茶色のポニーテールが淡く照らされている。

 琥珀色の瞳はほっとしたように細められていた。

 アルノはゆっくりと身体を起こそうとした。


「待って。」


 リネがすぐ立ち上がる。


「急に起きない方がいいよ。」


 肩へ手を添えられ、ゆっくり背中を支えられる。

 ようやく上半身を起こすと、世界が少しだけ回った。


「……ありがとう。」


「まだ顔色悪い。」


 リネは苦笑する。


「三日も寝てたんだから。」


「三日……。」


 思ったより長かった。

 最後に覚えているのは、第二星環。

 白く輝く魔法陣。

 閉じていく裂け目。


 そして――。


「……邪竜は。」  


 目を覚まして最初に浮かんだのは、そのことだった。

 リネは呆れたように肩を落とす。


「起きて最初がそれ?」


「あ……。」


「心配したんだから。」


 アルノは申し訳なさそうに苦笑する。


「ごめん。」  


 少し間を置いてから、改めて尋ねた。


「……その後、邪竜はどうなったの?」


 覚えているのは、裂け目が閉じていく光景までだった。

 そのあと何が起きたのかは、何も覚えていない。

 だからこそ、目を覚まして最初に邪竜のことを尋ねた。


「邪竜は逃げました。現在も追跡は継続しています。」


 部屋の隅から声がした。

 アルノが視線を向ける。


 レグルスだった。

 相変わらず銀縁眼鏡を掛けたまま、机いっぱいに積まれた資料へ目を通している。

 部屋へ入ったことすら気付かなかった。


「ですが、現在位置は不明です。」


「そうですか……。」


「飛行能力に決定的な差があります。」


 淡々とした口調だった。


「地上から追跡できる速度ではありません。」


 身も蓋もない。

 けれど、その通りだった。

 邪竜は空を飛ぶ。

 こちらは飛べない。

 見失えば、追い付く方法はない。


「そんな顔しない。」


 リネがアルノの顔を覗き込む。


「今のアルノ、鏡見たらびっくりするよ。」


「そんなにひどい?」


「うん。」


 少し考えてから頷く。


「すごい。」


 アルノは苦笑した。


「身体が全然動かない。」


「当然です。」


 今度はレグルスが答えた。


「第二星環で、あの規模の神代術式を起動しています。」


 資料を閉じる。


「三日で目を覚ましただけでも、想定より早いくらいです。」


 アルノはゆっくり目を閉じた。


 思い出す。

 神代文字へ触れた瞬間。

 流れ始めた光。

 そして、底の見えない穴へ落ちるように魔力を吸い上げられた感覚。

 思い出しただけで、胸の奥が静かに痛んだ。


 穏やかな声がした。

 アルノが顔を向ける。

 開いた窓のそばに、エルディオンが立っていた。

 朝の風が白銀の長い髪を揺らし、陽の光を受けた銀糸が淡く輝く。

 深い蒼の瞳はいつも通り穏やかで、三日前の激戦など嘘だったかのように静かだった。


「エルさん……。」


「おはよう、アルノ。」


 柔らかな笑みが返ってくる。

 その声を聞いた瞬間、張り詰めていたものが少しだけほどけた。


「裂け目は閉じたよ。」


 アルノは思わず息を止める。


「……本当に?」


「うん。」


 エルディオンは静かに頷いた。


「完全に閉じた。」


 短い言葉だった。


 けれど、その一言だけで十分だった。

 胸の奥へ重く残っていた不安が、少しだけ軽くなる。


「君が動かした術式は、ちゃんと役目を果たした。」


 アルノは視線を落とした。

 嬉しい。

 それでも、脳裏へ浮かぶのは別の光景だった。

 身体の中を容赦なく奪っていった魔力。

 手を離せなかった恐怖。

 あと少し遅ければ、自分はどうなっていたのだろう。


「……僕、魔力全然足りなかった。」


 ぽつりと漏らす。

 エルディオンは少しだけ目を細めた。


「そんなことないよ。」


 穏やかな声だった。


「君の魔力で動かさなければ、裂け目は閉じなかった。」


 言葉を切り、小さく笑う。


「僕だけじゃ、あれはどうにもならなかった。」


 アルノは驚いて顔を上げる。


「エルさんでも?」


「うん。」


 あっさり頷いた。


「発音だけなら真似できると思う。」


「え?」


「神代スペル。」


 アルノは目を瞬かせた。


「でも、それじゃ動かない。」


「動かない……?」


「試したことがあるから。」


 部屋が静まり返る。

 リネが呆れたように額へ手を当てた。


「試したんだ。」


「面白そうだったからね。」


 悪びれる様子はまったくない。

 レグルスだけが興味深そうに身を乗り出した。


「結果は?」


「何も起きなかった。」


 エルディオンは肩をすくめる。


「発音はできても、神代文字は読めない。」


 白い指先で机の資料を軽く叩く。


「たぶん、その違いなんだろうね。」


 アルノは机の上へ積まれた資料へ視線を向けた。

 確かに、自分も全部読めるわけではない。

 意味が流れ込んでくる文字もあれば、まったく反応しない文字もある。


「僕も、全部は読めません。」


「読めない文字の方が、まだずっと多いです。」


「それで十分だよ。」


 エルディオンは迷いなく答えた。


「少なくとも今は、君しか読めない。」


 その言葉に、アルノは苦笑する。

 誇らしいとは思えなかった。

 むしろ、自分しかできないことが増えてしまったようで、胸の奥が少しだけ重くなる。

 その沈黙を破ったのは、紙をめくる乾いた音だった。

 レグルスが机の上へ新しい資料を並べていく。


「休息は終わりです。」


 眼鏡の奥の灰紫の瞳が、静かにアルノを見る。


「第二星環から持ち帰った資料の整理を始めましょう。」


 積み上げられた羊皮紙は、机いっぱいでは収まりきらず、隣の棚へまで広がっていた。

 リネが思わず顔をしかめる。


「……全部読むの?」


「全部です。」


「うわぁ……。」


 心底嫌そうな声だった。

 エルディオンが小さく笑う。


「頑張って。」


「他人事だと思って。」


「他人事だからね。」


「言い切った。」


 思わず四人の間へ笑いが広がる。

 ほんの短い時間だった。

 けれど、張り詰めていた空気は少しだけ和らいでいた。


 アルノは机の前へ腰を下ろした。

 積み上げられた羊皮紙へ、ゆっくりと手を伸ばく。

 第二星環から持ち帰った資料は想像以上に多かった。

 古びた紙束は机いっぱいへ積まれ、それでも収まりきらず、隣の棚にまで広がっている。


 神代文明が残した、千年以上前の記録。

 誰にも読まれないまま、長い時を眠ってきた資料だった。


 アルノは一番上の羊皮紙を静かに開く。

 流れるような神代文字が、隙間なく並んでいた。

 以前なら、ただの模様にしか見えなかっただろう。

 けれど今は違う。

 文字を目で追うたび、意味だけが静かに頭へ流れ込んでくる。

 不思議な感覚だった。

 読んでいるというより、思い出している。

 そんな感覚に近い。

 アルノはゆっくりと文字列を追っていく。


 その時、不意に指先が止まった。


「外側領域観測記録。」


 アルノは静かに読み上げた。

 その言葉に、部屋の空気がわずかに変わる。

 リネが不思議そうに首を傾げた。


「観測記録?」


「うん。」


 アルノは小さく頷く。


「何を観測していたのかまでは、まだ読めない。でも……。」


 再び文字を追う。


 接続状態安定。

 観測継続。

 異常なし。


 短い記録が、一定の間隔で何枚も続いていた。

 日誌ではない。

 報告書とも違う。

 決められた仕事を、淡々と記録した業務記録だった。


「同じ内容ばかり……。」


 アルノは小さく呟く。


 異常なし。

 異常なし。

 異常なし。

 それだけが何度も繰り返されている。


 だからこそ分かる。

 星環は一度きりの施設ではなかった。


 毎日。

 毎月。

 何年も。

 何百年も。

 誰かが同じ作業を繰り返していた。


「点検記録みたいですね。」


 レグルスが静かに言った。


「点検?」


 リネが聞き返す。


「施設が正常に動いているか確認する定期業務です。」


 アルノも頷く。


「そんな感じがする。」


 第二星環で見た光景が脳裏へ浮かぶ。


 床いっぱいの魔法陣。

 白い石柱。

 中央の透明結晶。

 あれは遺跡ではない。

 千年以上経った今も動き続ける施設だった。


 だから毎日、状態を確認していたのだろう。

 アルノは次の資料を開く。

 神代文字を追う。

 数行読んだところで、思わず息を止めた。


「……これ。」


 静かな声だった。

 レグルスが身を乗り出す。


「何かありましたか。」


 アルノはゆっくりと読み上げる。


「外側エネルギー抽出試験。」


 部屋の空気が変わる。


 アルノはそのまま続きを読む。

 試験成功。

 安定化継続。

 供給量確保。

 短い記録ばかりだった。

 けれど、その一文だけで十分だった。


 神代人は、外側領域から何かを取り出していた。

 アルノは無意識に第二星環を思い出す。

 透明結晶の上へ開いていた黒い裂け目。

 そこから漏れ出していた異質な力。

 そして、その力を吸収していた邪竜。

 偶然とは思えなかった。


 アルノは静かに次の羊皮紙をめくった。

 乾いた紙の擦れる音だけが、部屋へ小さく響く。

 流れるような神代文字を一文字ずつ追っていく。

 第二星環で目にした時よりも、文字はずっと素直に意味を返してくれるようになっていた。

 すべてが読めるわけではない。

 それでも、以前なら途切れ途切れだった意味の流れが、今はゆっくりと一本の文章になり始めている。

 そのまま数行読み進めたところで、アルノの指先が止まった。


「……外側エネルギー変換試験。」


 思わず漏れた声に、レグルスが顔を上げる。


「変換、ですか。」


「うん。」


 アルノは視線を文字から離さないまま頷いた。


「さっきの資料は『抽出試験』だった。でも、これは『変換試験』になってる。」


 もう一度文字を追う。


 試験成功。

 出力安定。

 供給経路正常。

 短い報告が続いている。


 どれも研究成果を誇るような文章ではない。

 ただ決められた項目へ結果を書き込んだだけの、事務的な記録だった。

 アルノは静かに息を吐く。


「……取り出しただけじゃなかったんだ。」


 第二星環で見た裂け目が頭へ浮かぶ。

 そこから溢れていた異質な力。

 邪竜が吸収していた黒い何か。

 神代人は、それをそのまま使っていたわけではない。

 取り出し、扱える形へ変え、施設全体へ送り出していた。

 そう考えると、これまで読んできた資料が一本の線で繋がっていく。

 レグルスは腕を組み、机の上へ視線を落とした。


「抽出、変換、供給……。」


 ゆっくりと言葉を並べる。


「神代文明では、それが一つの技術体系として確立されていたのでしょう。」


 リネは難しそうな顔で三人を見比べた。


「つまり……外側領域から力を取ってきて、使いやすくしてたってこと?」


「おそらく。」


 レグルスは短く頷く。


「少なくとも、この資料はそう読めます。」


 アルノは次の羊皮紙へ手を伸ばした。

 似たような記録が何枚も続く。

 保守、点検、供給。

 どれも施設の日常業務を書き留めた報告だった。

  特別な発見があったわけでも、大きな事故が起きたわけでもない。

 ただ、その日に行った仕事を淡々と記録しているだけだ。

 だからこそ分かる。

 読み進めるほどに、星環が特別な施設だったとは思えなくなっていく。

 人々の暮らしを支える、ごく当たり前の設備だったのだ。


 さらに何枚か読み進めたところで、アルノの指先が止まった。

 一枚だけ、紙質の違う資料が混ざっていた。

 他の記録より厚く、丁寧に保管されていたらしい。

 アルノは慎重に羊皮紙を開き、流れるような神代文字を静かに追っていく。

 その瞬間、指先が止まった。


「……第三浮遊都市供給記録。」


 アルノは神代文字を読み上げ、そのまま続きを追っていく。


「供給開始。北方居住区安定。転送路正常。居住区保守完了。」


 部屋は静まり返っていた。


「浮遊都市……?」


 リネが小さく呟く。


「空に浮かぶ都市ってこと?」


「そう書いてある。」


 アルノはもう一度資料へ目を落とした。

 そこに並ぶのは、ごく普通の業務報告だった。

 浮遊都市について説明する文章はどこにもない。

 どんな場所なのかも書かれていない。

 ただ、その存在を前提とした記録だけが、淡々と続いていた。


「神代文明には、浮遊都市の伝承があります。」


 レグルスは静かに口を開いた。


  「ですが、それを裏付ける記録は確認されていませんでした。」


 そこで言葉を切り、静かに資料へ視線を落とす。

 誰も、その先を口にしなかった。

 資料へ記されていたのは、浮遊都市の存在を説明する文章ではない。

 その存在を疑うことなく書かれた、ただの日常業務の記録だった。


 羊皮紙をめくる音だけが、小さく響く。

 やがてアルノは次の資料へ手を伸ばいた。

 数行読み進めたところで、再び指先が止まる。

 今度は、それまでとは明らかに違う内容だった。


「……外側エネルギー取扱指針。」


 アルノはゆっくりと、その題名を読み上げた。

 これまでの資料は、業務記録だった。

 けれど、この一枚だけは違う。

 誰かへ手順を伝えるために書かれた、運用規程だった。


 アルノは無意識に息を呑み、静かに最初の一行へ視線を落とした。

 流れるような神代文字を、一文字ずつ丁寧に追っていく。

 読み進めるにつれ、部屋の空気が少しずつ重くなっていくのを感じた。

 これまで目を通してきた資料は、施設の運用記録や点検報告がほとんどだった。そこには神代文明の日常が淡々と綴られているだけで、危険を感じさせるような内容はほとんどない。

 だが、この資料は違った。

 書き出しからして、誰かへ注意を促すために記された文書であることが伝わってくる。


「どうした?」


 リネがアルノの表情を見て尋ねた。

 アルノはすぐには答えず、もう一度同じ行へ目を落とした。

 慎重に意味を確かめる。

 間違いない。


「……注意書きです。」


 静かな声だった。


「外側エネルギーを扱うときの手順が書かれています。」


 レグルスが資料を抱えたまま近づいてくる。

 アルノは読み進めた。


「流出発生時、周辺環境の変質を確認。」


 その一文を読み上げた瞬間、部屋の空気が止まった。

 アルノは無意識に続きを追う。


「長期接触を禁止。」


「汚染区域は速やかに封鎖。」


 一文ごとに胸の奥が重くなる。

 そこへ書かれているのは仮説ではない。

 実際に起きた現象を前提とした運用規程だった。

 つまり神代文明の時代にも、外側エネルギーが漏れ出す事故は存在していたのである。


 アルノはゆっくりと資料から顔を上げた。

 脳裏へ浮かんだのは、第一星環で見た光景だった。

 黒い裂け目。

 そこから滴り落ちる黒い雫。

 雫が落ちるたび、白い床はゆっくりと黒く侵されていった。

 あの時は理由が分からなかった。

 けれど今なら、その景色と資料の内容が一本の線で繋がっていく。


「第一星環……。」


 思わず漏れた呟きに、リネが顔を向ける。


「やっぱり、あそこ?」


「この資料に書かれていることと、第一星環で見た景色がよく似てる。」  


 レグルスは静かに腕を組み、机へ広げられた資料を見つめた。


  「第二星環では裂け目が閉じたことで流出が止まりました。」


 落ち着いた口調だった。  

 だが、その言葉には確かな重みがあった。


「逆に言えば、第一星環では今も流出が続いている可能性があります。」


 アルノはゆっくりと息を呑む。

 第二星環の裂け目は閉じた。  

 裂け目から流れ込んでいた黒い力も止まった。

 そして邪竜は、その場を離れた。


 しかし第一星環は違う。

 あの時、自分たちは裂け目を閉じていない。

 もし今も同じように外側エネルギーが漏れ続けているのなら、汚染は止まることなく広がり続けているはずだった。


 アルノは机の上へ置かれた資料へ視線を落とした。

 紙の上へ並ぶ神代文字は静かなままだった。

 けれど、その一文字一文字が千年以上の時を越え、今の世界へ警告を送り続けているように思えた。


「……閉じないと。」


 自然と口をついて出た言葉だった。

 誰へ向けたものでもない。

 それでも部屋にいた三人には、その意味が十分に伝わっていた。

 しばらく誰も口を開かなかった。


 窓から吹き込む風が、机いっぱいに積まれた羊皮紙をわずかに揺らす。

 その乾いた音だけが、静まり返った部屋へ小さく響いていた。

 レグルスは資料を一枚手に取り、静かに視線を落とす。


「少なくとも、一つだけ確かなことがあります。」


 眼鏡の奥の灰紫の瞳が、ゆっくりとアルノを見た。


「第一星環で起きている現象は、偶然ではありません。」


 淡々とした口調だった。

 それでも、その言葉には確信があった。


「外側エネルギーの流出によって周辺環境が変質することは、この資料にも明確に記されています。私たちが第一星環で見た光景は、その記録と一致しています。」


 アルノは静かに頷いた。

 第一星環も、第二星環と同じように裂け目を閉じなければならない。

 放置すれば、汚染は今も広がり続ける。

 その事実だけは、もう疑いようがなかった。


「ですが。」


 レグルスはそこで言葉を切った。

 机へ置いた資料へ指先を添え、静かに続ける。


「現在のアルノさんでは、それは困難です。」


 部屋の空気が少しだけ重くなる。

 アルノは反論しなかった。

 第二星環で何が起きたのかは、自分が一番よく分かっている。

 神代スペルを発動した瞬間、星環は際限なく魔力を求めた。

 あと少しリネが引き離すのが遅ければ、自分はあの場で魔力を失い尽くしていたかもしれない。


「第二星環を閉じるだけで、三日間意識を失いました。」


 レグルスは事実だけを並べる。


「同規模の術式を、現時点で再現するのは危険です。」


 アルノは膝の上で拳を握った。


 悔しかった。

 裂け目を閉じる方法は見つけた。

 神代文字も少しずつ読めるようになってきた。

 それなのに、一番大切なところで力が足りない。

 知っているだけでは、世界は救えない。


「神代スペルが原因なんでしょうか。」


 静かな問いだった。

 レグルスはゆっくり首を横へ振る。


「現時点では断定できません。」


 資料を閉じる。


「神代スペルそのものが膨大な魔力を必要とするのか。」


「あるいは、星環という施設自体が莫大な魔力を要求するのか。」


「もしくは、その両方か。」


 そこまで言って、小さく息を吐いた。


「判断材料が足りません。」


 部屋は再び静かになる。

 答えは、まだどこにもなかった。

 アルノは机いっぱいへ広がる資料へ視線を落とす。


 千年以上前の文字。

 神代人が残した記録。

 その一枚一枚は、自分たちの知らない世界を少しずつ教えてくれる。


 けれど、まだ足りない。

 第一星環も。

 邪竜も。

 神代文明の真実も。

 すべては、まだ始まったばかりだった。


 そんな静かな空気の中、不意にエルディオンが小さく笑った。


「落ち込むのは、まだ早いよ。」


 アルノが顔を上げる。

 窓辺に立つ銀髪の魔術師は、いつもと変わらない穏やかな表情を浮かべていた。


「君は、第二星環を閉じた。」


 エルディオンは静かに続けた。


「それは誰にもできなかったことだ。」


 アルノは思わず言葉を失う。

 エルディオンは窓の外へ目を向ける。

 夏の風が白銀の髪を揺らし、その横顔へ柔らかな光を落としていた。


「足りないものが見えたなら、それは前へ進んだってことだからね。」


 穏やかな声だった。


 励まそうとしているわけではない。

 事実を、そのまま口にしているだけだった。


 アルノは静かに息を吐く。


 邪竜は逃げた。


 第一星環の裂け目も、まだ残っている。


 自分には、まだ足りないものが多すぎる。


 それでも。


 次に向かう場所だけは、もう決まっていた。

 第一星環。


 あの裂け目を閉じるために。

 もっと強くならなければならない。

後まで読んでいただき、ありがとうございました!

次回もよろしくお願いいたします!

更新は19時半です( ᴗ ᴗ)⁾⁾

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