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月光の師と未完の魔術師 ― 世界はまだ、繋がっている ―  作者: 平子 天陽


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2/18

世界が線になった

 祈るように魔力を流し込んだ瞬間、世界が線になった。

 白い石床いっぱいに描かれた魔法陣が、一斉に輝き始める。


 外周から内周へ。

 内周から中心へ。

 何百本もの導線を、膨大な魔力が駆け抜けていく。


 アルノも補助術式へ魔力を流し込んだ。

 その瞬間だった。


「……っ!」


 息が止まる。

 見えた。


 魔力が流れる。

 速い。

 想定より、ずっと速い。

 一本の線へ負荷が集中していく。


 外周第三式。

 やっぱり、そこだった。


「まずい……!」


 アルノは反射的に一歩踏み出した。


「統制官!」


 叫び声が辺りへ響く。


「外周第三式です!」


 ガルディアは振り返らない。


「補助班は持ち場を維持しろ。」


「違います!」


 アルノは叫んでいた。


「もう逆流が始まっています!」


 中心へ流れるはずだった魔力が、わずかに押し返される。

 その歪みが一本の線へ集中していく。

 目には見えないはずの魔力が、アルノには悲鳴を上げているように見えた。


「このままだと焼けます!」


 ガルディアは杖を高く掲げる。


「第一段階、開始。」


 眩い光が辺り一帯へ広がった。

 術式が一段深く噛み合う。

 魔力はさらに勢いを増し、中心へ雪崩れ込んでいく。

 アルノの顔から血の気が引いた。


「止めてください!」


 誰も止まらない。

 百人を超える魔術師の詠唱が重なり合い、封印地の空気を震わせる。

 鐘の音。

 光。

 魔力。


 すべてが儀式を前へ押し進めていく。


 アルノだけが、その流れに逆らうように一本の線を見つめていた。


 あの一本。

 あの線だけが、限界を迎えようとしている。


「駄目だ……!」


 ぱきり。


 小さな音がした。


 誰にも聞こえないほど小さな音。

 けれどアルノには、それがはっきり聞こえた。

 線が割れる音だった。


「第三式、焼損!」


 叫ぶより早く、外周第三式を走っていた魔力が黒く染まる。


 逆流。

 押し返された魔力が内周へ雪崩れ込み、巨大な魔法陣が内側から軋み始めた。


「なっ……!」


 ロイドが目を見開く。


「制御しろ!」


「魔力が止まりません!」


「逆流しています!」


 怒号が飛び交う。

 補助術式が一つ消え、さらにもう一つ消える。

 精密に組み上げられていた巨大な術式が、少しずつ崩れ始めていた。


 アルノは走っていた。

 考えるより先に体が動く。

 床へ膝をつき、指先で線を追う。

 切れた接続を探す。


 ここだ。

 まだ間に合う。


 一本だけ。

 一本だけ繋げば――。


 指先が床を走る。

 点と点を結ぶ。

 頭の中で何百回も描いた線を、初めて現実へ描いた。


 細い光が生まれる。

 焼けた術式を避けるように、新たな導線が一瞬だけ繋がった。


「……繋がった。」


 逆流が止まる。


 ほんの一瞬。

 本当に、一瞬だけだった。


 アルノは息を呑む。


 いける。

 そう思った次の瞬間だった。


 大地を揺るがす咆哮が響く。

 耳をつんざくような轟音。

 空気そのものが震え、魔力が暴風のように吹き荒れた。


「っ!」


 アルノの作った一本の線が、膨大な魔力へ呑み込まれる。

 音もなく砕け散った。

 続いて、中心の封印術式が弾ける。

 白い光が辺り一帯へ溢れ出した。


「総員、防御!」


 誰かの叫び声が響く。


 魔術師たちが咄嗟に結界を展開する。

 だが、間に合わない。

 眩い光が視界を真っ白に染め上げた。

 誰もが腕で目を覆う。


 その直後だった。


 再び、咆哮。


 大地を揺るがす轟音とともに、封印地全体が激しく震えた。白い石床へ亀裂が走り、周囲を囲んでいた石柱が次々と砕けていく。


「離れろ!」


 誰かが叫んだ。


 次の瞬間、巨大な黒い影が光の中心から躍り出た。


 広げられた翼が崩れかけた石柱を薙ぎ払い、巻き起こった暴風が魔術師たちのローブを激しくはためかせる。


 舞い上がる砂塵の向こうで、巨大な翼が一度だけ陽光を遮る。

 黒い鱗。

 山のような巨体。

 誰もが、その姿を忘れることはできなかった。


「邪竜だ……」


 震える声が、誰かの口から漏れた。

 邪竜は大きく翼を打ち下ろし、そのまま空高く舞い上がる。

 巨大な影はみるみる小さくなり、やがて青空の彼方へ消えていった。


 光の中心。

 そこに、一人の青年が立っていた。


 月の光を集めたような長い銀髪が、水の中を漂うようにゆっくりと揺れる。


 白磁のような肌。

 整い過ぎて現実味すらない横顔。

 ただ立っているだけなのに、その場の空気が変わる。


 誰も動けなかった。


 五百年前の伝説。

 エルディオン・ルクス=アルヴァレス。


 その瞳が、ゆっくりと開く。


 深い蒼だった。

 澄み切った湖のようでもあり、どこまでも続く夜空のようでもある。

 その瞳は真っ先に崩れた魔法陣を見つめた。


「……なるほど。」


 静かな声だった。

 責めるでもなく。

 驚くでもなく。

 事実を受け止めるような声。


「失敗したんだね。」


 誰一人、答えられない。


 エルディオンはゆっくりとしゃがみ込み、床へ手を添えた。

 白い指先が焼け焦げた術式を静かになぞる。


 碧眼は導線を一本ずつ追い、崩れた術式全体を一度見渡した。

 ほんの数秒。

 それだけで十分だった。


「ああ。」


 小さく笑う。


「理論は悪くない。」


 ガルディアが息を呑む。

 王国最高峰の術式。

 その全体を、たった数秒で見抜いた。


「ここまで組めたなら十分だよ。」


 エルディオンは焼けた外周第三式へ指先を置く。


「でも。」


 一本の線を静かになぞる。


「接続が浅い。」


 辺りが静まり返った。


「ここが最初に焼ける。」


 アルノの鼓動が大きく鳴る。


 同じだった。

 自分が見ていたものと。

 何度も頭の中で組み直した答えと。

 まったく同じだった。


 エルディオンは立ち上がる。

 そして、ゆっくりと視線を巡らせる。

 最後に、その瞳が一人の少年で止まった。


「君。」


 突然伝説の魔術師から声を掛けられ、アルノの肩が跳ねる。


 月光を編み込んだような銀髪が、淡い光を受けて揺れていた。

 深い碧眼が、まっすぐアルノを見つめている。


「さっき。」


 エルディオンは少しだけ口元を緩めた。


「結ぼうとしてたね。」


 アルノは目を見開く。


 誰にも見えていないと思っていた。

 あの一瞬。

 誰にも気付かれないまま消えたのだと。

 そう思っていた。


 けれど。

 この人だけは、見ていた。

 エルディオンは穏やかに微笑む。


「君だけ気付いてたね。」


 その一言で、アルノの中に張り詰めていた何かが、音もなくほどけた。

後まで読んでいただき、ありがとうございました!

次回もよろしくお願いいたします!

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