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月光の師と未完の魔術師 ― 世界はまだ、繋がっている ―  作者: 平子 天陽


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18/19

繋がる記録

 しばらく休息を取った後、研究室には静かな空気が戻っていた。


 真鍮のランプは変わらず乳白色の光を灯し、机の上に広げられた羊皮紙や革張りの本を柔らかく照らしている。古い紙と革、乾いた木の匂いが混ざり合い、湖底の施設とは思えないほど落ち着いた空気を作っていた。


 レグルスが一冊の分厚いファイルを机へ置いた。


「こちらです」


 アルノは首を傾げる。


「何?」


「第一星環調査記録です」


 思ったより厚い。

 アルノは目を丸くした。


「こんなに?」


「現地で確認した情報をまとめました」


 レグルスは当然のように答えた。

 淡い金髪は少し乱れていて、銀縁眼鏡の奥の灰紫の瞳には、休息明けとは思えない熱が残っている。


 リネが呆れたように息を吐いた。

 赤茶色のポニーテールが肩の上で揺れる。


「いつの間にやったの?」


「休息中です」


「それ、休んでないよ」


 リネは腰へ手を当て、困ったようにレグルスを見た。


「ちゃんと寝ないと、いざって時に動けないよ」


「少しは休みました」


 リネは怪しんだが何も言わなかった。

 ただ、仕方ないな、という顔で机の横へ立つ。

 文句は言うけれど、ちゃんと見ている。

 アルノはそんな幼なじみの横顔を見て、少しだけ安心した。


 机の上には資料が並べられている。


 星環運転日誌。

 異常報告書。

 星環管理記録。

 そして、第一星環調査記録。


 どれも千年以上前の神代文明へ繋がる手がかりだった。

 けれど、机の上に並べられている様子だけを見れば、王都の魔術塔で行われる調査会議とそう変わらない。


 遠い神代の記録が、今こうして自分たちの目の前にある。

 そのことが、不思議だった。

 レグルスが銀縁眼鏡を押し上げる。


「現時点で分かっていることを整理します」


 研究者の時間が始まった。


「まず、星環です」


 レグルスは星環管理記録を開いた。

 細い指が、綴じ込まれた書類の端を慎重に押さえる。


「少なくとも神代末期には、七つの星環が存在していました」


 アルノも資料へ目を落とす。


 第一星環、正常稼働。


 第二星環、正常稼働。


 第三星環、停止。


 第四星環、異常発生。


 第五星環、正常稼働。


 第六星環、応答なし。


 第七星環、正常稼働。


 文字そのものは、もう読んでいる。

 意味も分かっている。


「第六だけ変だね」


 リネが静かに言った。


「停止じゃない」


「応答なし、ですね」


 レグルスも頷く。


「私も気になっています」


「意味が違うの?」


 アルノが尋ねる。


「分かりません」


 レグルスは一息ついて、


「ただ、わざわざ表現を変えている以上、同じ状態とは考えにくいですね。停止は機能が止まっている状態。応答なしは、連絡に対して返答がない状態、と読むべきでしょう」


 事実から可能性を積み上げていく。

 レグルスらしい考え方だった。

 アルノはもう一度、管理記録へ視線を落とした。


 第一星環と第二星環。


 自分たちが実際に足を踏み入れたのは、その二つだけだ。

 けれど、記録には七つの星環が記されている。

 世界は、自分が思っていたよりずっと広い。

 その広さが、文字の並びだけで胸の奥へ迫ってくる。


 第一。

 第二。

 まだ知らない星環。


 空中で点と点を結ぶように、細い線をなぞる。

 自分でそれに気付き、アルノは慌てて手を止めた。


 それを見ていたエルディオンが、少しだけ笑う。

 長い銀髪が肩からさらりと流れ、真鍮のランプの光を受けて淡く輝いた。

 深い碧眼は資料ではなく、アルノの手元を静かに見ている。


「気になる?」


「……はい」


 アルノは小さく頷いた。


「繋がってる気がして」


「うん」


 エルディオンは穏やかに頷くだけだった。

 説明を求めることも、答えを急がせることもない。

 その静かな待ち方が、不思議とアルノの肩から力を抜いてくれた。


「次に第四星環です」


 レグルスが異常報告書へ視線を移した。

 空気がわずかに変わる。

 アルノも昨日読んだ記録を思い返した。


 第四星環より異常報告。


 外側接続異常。

 封鎖処理開始。

 封鎖処理、一部失敗。


 部屋が静まり返る。

 真鍮のランプの光だけが、机の上でかすかに揺れていた。


「一部失敗って、嫌な言葉だね」


 リネが顔をしかめる。琥珀色の瞳が細くなった。

 難しい理屈は得意ではなくても、それが良くない知らせだということは分かっている。


「ええ」


 レグルスも静かに頷く。


「問題は、この後の記録が残っていないことです」


「失敗した後、どうなったか分からないってこと?」


「そうです」


 アルノは資料へ視線を落とした。

 分からないことばかりだった。


 外側。

 封鎖。

 星環。


 神代時代の人たちは、何をしていたのだろう。

 何を閉じようとしていたのだろう。


 その時、別の資料に目が止まった。

 同じ単語が、何度も出てくる。


「あれ……」


「どうしました?」


 レグルスが身を乗り出す。

 アルノは指先でその文字を示した。


「これ……何度も出てる」


 資料には同じ神代文字が繰り返し記されていた。


 Nodus適用。

 Nodus再接続完了。

 Nodus維持継続。


「読めますか?」


 レグルスが静かに尋ねる。

 アルノは目を閉じた。

 文字の形を見る。

 線の流れを追う。

 意味が、ゆっくりと頭の中でほどけていく。


「結節点……」


 唇から言葉がこぼれた。


「接続点。繋ぎ目。そんな意味だと思う」


 けれど、それ以上は分からない。

 何を繋ぐのか。

 どんな役割を持つのか。

 そこまでは読み取れなかった。


 レグルスが第一星環調査記録を開く。


「こちらをご覧ください」


 書き写された神代文字を見た瞬間、アルノは目を見開いた。


「……この文字」


 第一星環調査記録に記された神代文字。

 そして運転日誌に繰り返し現れる神代文字。

 二つは、同じだった。


「同じです」


 アルノは資料を見比べながら呟いた。

 レグルスも小さく頷く。


「確かに一致しています」


 第一星環で確認された文字。

 第二星環で見つかった運転日誌。

 別々だった記録が、少しずつ繋がり始めていた。

 アルノは資料を見つめる。


 読める。

 けれど、まだ理解できない。


「結局、星環って何なんだろうね」


 リネがぽつりと言った。

 誰もすぐには答えられなかった。


 星環は、ただの遺跡ではない。

 神殿でもない。

 研究施設だけでもない。


 七つ存在し、互いに連絡し、状態を管理し、何かを維持していた。

 そこまでは分かった。


 けれど、それが何なのか。

 神代の人々は、何を管理していたのか。

 失われた記録の先には、何が待っているのか。

 答えはまだ、霧の向こうにある。


 アルノは資料の上に置いた自分の手を見る。


 さっきまで空中で点と点を結んでいた指先が、今は止まっている。

 繋がりそうで、繋がらない。

 そんな感覚だけが残っていた。


 その時だった。


 ゴォン――


 低い音が、研究室の壁を震わせた。

 机の上のインク瓶がかすかに揺れ、積み上げられた資料の端が震える。

 誰も動かなかった。


 もう一度。


 ゴォン――


 今度は床そのものが揺れた。

 本棚が軋み、古い羊皮紙が一枚、ひらりと床へ落ちる。


「地震?」


 赤茶色のポニーテールを揺らし、リネが辺りを見回す。

 第三の衝撃は、それまでとは比べものにならなかった。


 ゴォォン――


 研究室全体が震える。

 真鍮のランプが大きく揺れ、壁際の棚から細かな埃が舞い落ちた。

 アルノはそこで初めて気付く。

 いつの間にか、エルディオンが立ち上がっていた。

 長い銀髪が肩を滑り落ちる。

 穏やかな笑みは消え、その碧眼だけが静かに通路の先を見据えていた。


「エルさん?」


「来た」


 短い一言だった。


「何がですか?」


 エルディオンは通路の先を見据えたまま、ほんの少しだけ間を置いた。


「邪竜だ」


 部屋の空気が止まった。


「……は?」


 リネが思わず聞き返す。

 けれど、エルディオンはもう歩き始めていた。


「急ごう」


 その声に迷いはなかった。

 四人は研究室を飛び出す。


 白い石造りの通路には、古い神代文字が静かに刻まれていた。

 壁に埋め込まれた光石が淡い光を落とし、足音だけが硬く響く。


 再び振動が走った。

 石壁が低く唸り、天井から細かな砂粒がぱらぱらと降ってくる。


「本当に邪竜なんですか!?」


 アルノが叫ぶ。


「たぶんね」


「たぶん!?」


「見れば分かるよ」


 まったく安心できなかった。

 その時、後ろから慌ただしい足音が近付いてくる。

 振り返ると、レグルスだった。

 灰色の外套を翻し、両腕いっぱいに資料を抱えて走っている。

 落とさないよう抱え込みながら、それでも足は止めない。


「何してるんですか!?」


「回収です!」


「今ですか!?」


「今しかありません」


 銀縁眼鏡の奥の灰紫の瞳は、妙に真剣だった。

 リネが苦笑する。


「落としたら置いていくからね」


「落としません」


 迷いのない即答だった。

 四人は白い石造りの通路を駆け抜けた。


 幾つもの分岐を曲がり、神代文字の刻まれた隔壁を抜ける。

 振動は奥へ進むほど大きくなり、足元から伝わる低い響きが心臓の鼓動と重なっていく。


 やがて通路の突き当たりに、円形の広間が現れた。

 床いっぱいに神代魔法陣が刻まれている。

 その中央には、白い石で造られた円盤が静かに据えられていた。


「これ……」


 アルノが息を呑む。


「たぶん昇降機だね」


 エルディオンは円盤へ歩み寄った。

 しゃがみ込み、白い石へそっと指先を触れる。

 少しだけ目を細める。


「……やっぱり」


 指先から淡い魔力が流れ込む。

 すると、床に刻まれていた神代文字が一つ、また一つと淡く輝き始めた。

 低い振動が足元から伝わる。

 円盤がゆっくりと沈み始めた。


「動いた……」


 アルノが思わず呟く。


「魔力には反応するみたい」


 エルディオンは立ち上がった。


「乗って」


 四人は円盤へ乗る。

 音もなく、昇降機は下降を始めた。


 地下深くへ降りるにつれ、さっきまで感じていた振動はさらに大きくなっていく。

 白い壁を流れる光石の明かりが、ゆっくりと上へ遠ざかっていった。


 やがて昇降機が静かに止まる。

 正面の通路が淡く光り、奥に巨大な白い扉が見えた。

 研究室の扉とは比べものにならない。

 神殿の門を思わせるほど大きな石扉だった。


 エルディオンは歩みを緩めない。

 白い指先が扉へ触れる。

 重々しい音を響かせながら、巨大な門がゆっくりと開いた。

 レグルスは資料を抱えたまま、息を忘れたようにその先を見上げていた。

 アルノも、思わず息を呑む。


 目の前には、広大な地下空間が広がっていた。

 見上げても天井は見えない。

 遥か頭上では光石が淡く輝き、地下とは思えない柔らかな光が降り注いでいる。

 その中央に、白い石で造られた巨大な円形施設があった。

 祭壇の中心には、人の背丈をはるかに超える巨大な透明結晶が静かに佇んでいる。

 澄み切ったその表面には傷一つ見当たらず、淡い光を湛えながら地下空間を静かに見守っていた。


 これが――星環。


 神代の記録の中で何度も目にした名前が、ようやく一つの形になった。


 床いっぱいに神代魔法陣が刻まれている。

 幾重にも重なる円環。

 無数の神代文字。

 それらは一つの巨大な術式として組み上げられ、星環全体を支えているようだった。


「これが……」


 アルノは言葉を失った。

 第一星環にも巨大な祭壇はあった。


 けれど、床を汚す黒い侵食と、透明結晶の上に刻まれた細い裂け目が、その光景を異質なものへ変えていた。


 だが、ここは違う。


 白い石は美しく保たれ、術式も途切れていない。

 まるで千年前の姿が、そのまま残されているようだった。

 怖いほどに、美しかった。


 その時。


 低い咆哮が、地下空間を震わせた。

 空気そのものが揺れる。

 アルノは顔を上げた。


 星環の向こう側に、その影はいた。


 巨大な竜。

 長い首。

 空を覆うほど大きな翼。


 黒ではない。

 光さえ飲み込むような、深い色。

 頭から伸びる角は刃のように鋭く、金色の瞳だけが静かに輝いている。

 見ているだけで距離感がおかしくなる。


 そこにいる。

 なのに、どこか現実感がない。


 邪竜。


 リネが小さく息を呑んだ。

 次の瞬間、彼女は無言でアルノの前へ半歩出る。

 小柄な背中が、こちらを守るように構えられていた。


「……あれ?」


 アルノは眉を寄せた。

 違和感があった。

 邪竜はこちらを見ない。

 人間へ興味を示さない。

 ゆっくりと歩き、真っ直ぐ星環だけを見つめている。


「なんで……」


 邪竜は星環の前で静かに立ち止まった。

 長い首を持ち上げる。

 何かを探しているようだった。


 次の瞬間。


 鋭い爪が空間を薙いだ。


 ギィィィィ――


 耳障りな音が、地下空間へ響き渡る。


 空間そのものが軋んだ。


 床いっぱいに刻まれた神代魔法陣が淡く輝き始める。

 星環も応えるように、白い表面へ光を走らせた。


 邪竜はもう一度、爪を振るう。


 空間がゆっくりと歪む。

 閉じられていた何かが、少しずつ開いていく。


 細い裂け目が現れた。


 その向こう側は暗い。

 ただの闇ではない。

 見たことのない闇が、静かに脈打っていた。


 その時。


 黒い雫のようなものが一滴、床へ落ちる。

 濁った黒が白い石の上へゆっくりと広がり、床に刻まれた神代魔法陣の一部を静かに汚していく。


 アルノは息を呑んだ。


 第一星環で見た光景と、まったく同じだった。

後まで読んでいただき、ありがとうございました!

次回もよろしくお願いいたします!

更新は19時半です( ᴗ ᴗ)⁾⁾

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