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月光の師と未完の魔術師 ― 世界はまだ、繋がっている ―  作者: 平子 天陽


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14/19

地図にない島

 湖畔都市の図書館は、街の中心から少し離れた高台に建っていた。


 白い石造りの建物は三階建てで、大きな窓から柔らかな陽光が差し込んでいる。

 重厚な木製の扉を開けると、紙とインクの匂いが静かに漂ってきた。

 高い本棚が規則正しく並び、天井近くまで古い本がぎっしりと収められている。

 外の市場の賑わいが嘘のように静かな空間だった。


「すごい……。」


 アルノは思わず見上げる。

 リネも辺りを見回した。


「思ったより大きいね。」


 レグルスは感心する様子もなく受付へ向かう。


「湖水地方の歴史資料と、伝承、地誌、古地図、それから神代文明に関する記録を閲覧したいのですが。」


 受付の女性は笑顔で顔を上げた。

 そして、その笑顔が止まる。


「……え?」


 レグルスは首を傾げた。


「どうかしましたか。」


 女性は目を丸くしたまま、小さく呟く。


「レグルス・ヴァルハイト先生……?」


 今度はアルノたちが固まった。


「先生?」


 女性は慌てて立ち上がる。


「少々お待ちください!」


 そのまま奥へ駆け込んでいった。


 数分後。

 年配の男性が息を切らしながら現れる。


「本当にレグルス先生だ……。」


 深々と頭を下げた。


「ようこそお越しくださいました。」


 レグルスは少し困ったように眼鏡へ手を添える。


「そこまでしていただかなくても。」


「いえ。」


「神代文明を研究している者なら、一度は先生の論文を目にしています。」


 アルノは小声で尋ねる。


「そんなに有名なんですか?」


 レグルスは少しだけ考えるように間を置き、


「研究者の間だけです。」


 と答えた。

 館長は苦笑する。


「それでも、この辺りでは知らない研究者はいません。」


 館長が職員へ声を掛ける。


「神代文明関連の資料をこちらへ。」


 ほどなくして、職員たちが何冊もの本を抱えて戻ってきた。


 湖水地方の歴史。

 古地図。

 漁業記録。

 土地に伝わる伝承集。

 神代文明調査録。


 あっという間に机は本の山になった。


 リネが思わず呟く。


「全部読むの?」


 レグルスは真顔で頷く。


「もちろんです。」


 その即答に、アルノは苦笑するしかなかった。


 ◇


 レグルスは積み上げられた本を次々と開いていく。

 ページをめくる手は驚くほど速い。

 必要な情報だけを拾い上げるように、灰紫色の瞳が文字の上を滑っていた。


 アルノも手伝うつもりだった。

 本当に、そのつもりだった。

 けれど気が付けば、手に取っていたのは魔法陣理論の専門書だった。


 現代魔法陣の構造。

 魔力制御。

 術式の組み立て方。

 知っている内容も多い。

 それでも面白かった。

 著者によって考え方が違う。

 気付けば夢中でページをめくっていた。


 ふと顔を上げる。


 向かいではレグルスが古い伝承集を読んでいる。

 時折資料へ書き込み、新しい本へ手を伸ばす。

 話しかけても返事が返ってこない。

 完全に集中していた。


 さらに隣を見る。

 エルディオンも静かに本を読んでいる。

 旅の途中ではあまり見ない姿だった。


「エルさん。」


「何読んでるんですか?」


 エルディオンは表紙をこちらへ向ける。

 古い旅行記だった。


「旅行記ですか?」


「うん。」


 穏やかに笑う。


「知らない土地の話って好きなんだ。」


「その土地で暮らしていた人しか知らないことが書いてあったりするからね。」


 アルノは少し感心したように頷く。

 リネは三人を見回し、呆れたように肩をすくめた。


「本当に似た者同士。」


「どこが?」


「興味を持ったら、周りが見えなくなるところ。」


 アルノは思わずレグルスを見る。

 当の本人は、こちらの会話など聞こえていないように本へ没頭していた。

 エルディオンも苦笑する。


「それは否定できないかな。」


 アルノも苦笑した。

 魔法陣のことになると、時間を忘れて没頭してしまう。

 それは自分でも自覚していた。


「……否定できないです。」


 その時だった。


「……ありませんね。」


 レグルスがぽつりと呟いた。

 三人が振り向く。

 レグルスは静かに本棚を見上げている。


「神代遺跡調査報告について書かれた本が、一冊もありません。」


 アルノも周囲を見回した。


 歴史書。

 魔法書。

 地理。

 植物。

 魔獣。


 世界について書かれた本は、数え切れないほど並んでいる。


 それなのに。

 神代文明について書かれた本だけは見当たらなかった。


「残っていないんですか?」


 アルノが尋ねる。

 レグルスは静かに頷く。


「ほとんど失われています。」


「現在残されているのは、遺跡や出土品ばかりです。」


「だから私たちは、遺跡を調査し、一つずつ積み重ねているのです。」


 アルノはもう一度、本棚を見上げた。


 もし神代文字がすべて読めるようになれば。

 失われた歴史も。

 文化も。

 魔法も。

 全部分かるのだろうか。


 ◇


 レグルスは一冊の古い伝承集を開いた。

 茶色く変色した羊皮紙には、この地方へ古くから伝わる言い伝えが書き留められている。

 ゆっくりと頁をめくる。


「……ありました。」


 静かな声だった。

 三人は自然と机の周りへ集まる。


「何があったんですか?」


 アルノが尋ねる。

 レグルスは最初の頁を指差した。


「湖にまつわる古い伝承です。」


 アルノも覗き込む。

 昔話だった。

 レグルスは読み上げる。


「『霧の深い朝、湖の中央へ白い島が現れる。』」


 頁をめくる。


「『漁へ出た男が見知らぬ島へ流れ着いた。帰る頃には島は消えていた。』」


 さらに別の本を開く。


「『夜更け、湖の中央から鐘の音が聞こえる。』」


 もう一冊。


「『地図にない島がある。』」


 リネが眉をひそめた。


「全部違う話じゃん。」


 レグルスは静かに頷く。


「ええ。」


「内容は一致していません。」


 アルノも首を傾げる。


「じゃあ、ただの昔話じゃ……。」


 レグルスは首を横へ振った。


「そうとも言い切れません。」


 四冊の本を横へ並べる。


「書かれた年代は違います。」


「記録した人物も違います。」


「残された村も違います。」


 そう言って、それぞれの頁を指先で示した。


「ですが。」


 一本ずつ文章を追っていく。


「共通している点があります。」


 三人の視線が集まる。

 レグルスは地図を広げ、その中央を指差した。


「すべて。」


「湖の中央を指しています。」


 部屋が静まり返った。

 アルノは地図と伝承を見比べる。


 白い島。

 鐘の音。

 地図にない島。

 話は全部違う。


 それでも場所だけは一致していた。


 エルディオンも資料へ目を落とし、小さく頷く。

 否定はしない。

 その反応だけで、レグルスの考えを認めていることが伝わった。

 リネが腕を組む。


「偶然……って感じじゃないね。」


「私もそう思います。」


 レグルスは静かに眼鏡を押し上げた。


「伝承は形を変えます。」


「話す人によって内容も変わる。」


「ですが。」


「場所だけは変わりません。」


 アルノは思わず呟く。


「第二星環……。」


 レグルスはゆっくり頷いた。


「可能性は十分あります。」


 そして館長へ向き直る。


「一つ、お聞きしたいことがあります。」


「はい。」


「この街で一番長く湖へ出ている漁師をご存じありませんか。」


 館長は少し考え、


「ああ。」


「それならガルド老人ですね。」


「子どもの頃から、この湖一本で生きてきた人です。」


 レグルスは静かに本を閉じた。


「資料だけでは限界があります。」


「次は現地の話を聞きましょう。」


 アルノたちも頷いた。


 四人は図書館をあとにし、湖から吹く風を受けながら港へ向かった。


 港は昼を過ぎても活気にあふれていた。

 岸壁には大小さまざまな漁船が並び、漁師たちが網を繕っている。

 湖から吹く風が頬を撫で、木造の船が波に合わせてゆっくり揺れていた。

 館長に教えられた場所へ向かうと、一人の老人が網を修理していた。


 日に焼けた肌。

 白くなった髪。

 太い指は歳を重ねても力強く、慣れた手つきで網を編み続けている。


「ガルドさんですか?」


 アルノが声を掛ける。

 老人はゆっくり顔を上げた。


「ん?」


「誰だい。」


 レグルスが一歩前へ出る。


「少し、お話を伺いたくて。」


「湖に伝わる昔話をご存じありませんか。」


 老人は少し目を細める。


「昔話ぃ?」


 網を置き、小さく笑った。


「そんなもん、漁師なら子どもの頃から聞かされるさ。」


 リネが身を乗り出す。


「例えば?」


 老人は湖の中央へ目を向けた。


「霧の日は湖の真ん中へ近付くな。」


「昔からそう言われてきた。」


「どうしてですか?」


 アルノが尋ねる。

 老人は肩をすくめる。


「さあな。」


「島が現れるとも。」


「帰ってこられなくなるとも。」


「鐘の音が聞こえるとも言う。」


 少し笑う。


「まぁ、子どもを脅かすための話だと思ってたよ。」


 レグルスが静かに尋ねた。


「実際に見た方はいらっしゃるんですか。」


 老人は少し考え込んだ。

 やがて静かに頷く。


「……昔、一人だけいた。」


 四人の空気が変わる。


「親父の代の漁師だ。」


「霧の中で白い島を見たって騒いでた。」


 老人は湖を見つめる。


「あまりにも必死だったからな。」


「嘘をついてるようには見えなかったらしい。」


「その島は?」


 アルノが思わず聞く。

 老人は首を横へ振る。


「誰も見つけられなかった。」


「何もなかったってよ。」


 静かな沈黙が流れる。

 湖面は何事もないように陽光を反射していた。

 エルディオンも湖へ視線を向け、小さく目を細める。

 レグルスは手帳へ静かに書き留める。


「伝承だけではなかった……。」


 小さく呟く。

 老人はもう一度網を手に取った。


「まあ。」


「本当にあるかどうかは知らん。」


「だが、この湖は昔から、不思議なことが起こる場所だ。」


 風が吹き抜ける。


 アルノは静かな湖を見つめた。

 穏やかに見えるその水面の下へ。

 自分たちが探しているものが眠っているのかもしれない。


 港を離れた四人は、湖を見下ろす堤防で足を止めた。

 穏やかな波が岸へ寄せては返している。

 つい先ほどまで聞いていた漁師の話が、誰の頭にも残っていた。

 アルノが静かに口を開く。


「どう思いますか?」


 レグルスは手帳を開き、今日集めた情報を見返した。


「伝承。」


「漁師の証言。」


 ページを一枚めくる。


「どれも単独では決め手になりません。」


 三人は黙って続きを待つ。


「ですが。」


 レグルスはゆっくり顔を上げた。


「全部を重ねると、一つの場所を指しています。」


 湖の中央。

 その一言だけで十分だった。

 リネが腕を組む。


「つまり。」


「行ってみる価値はあるってこと?」


 レグルスは静かに頷く。


「私は、そう考えます。」


 アルノは湖を見つめた。

 昼の湖は穏やかだった。

 あの下に、本当に第二星環が眠っているのだろうか。


「行こう。」


 エルディオンが静かに言った。


 三人が振り向く。

 深い碧眼は、まっすぐ湖の中央を見据えていた。


「何もなければ、それでいい。」


「でも。」


 一度だけ言葉を切る。


「もし何かあるなら。」


「僕たちが確かめないとね。」


 穏やかな口調だった。

 けれど、その一言には迷いがなかった。

 アルノも頷く。


「はい。」


 リネは笑う。


「じゃあ決まり。」


 レグルスは手帳を閉じた。


「では、船を手配しましょう。」


 四人は再び港へ向かって歩き始める。


 夕暮れの湖は茜色に染まり、静かな波が岸を叩いていた。

 その水面のはるか下で、千年以上眠り続ける第二星環は、まだ誰にも気付かれていなかった。

後まで読んでいただき、ありがとうございました!

次回もよろしくお願いいたします!

更新は19時半です( ᴗ ᴗ)⁾⁾

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