番外編⑦ 刻龍のお料理教室 ④|琉龍編
――清龍との一日が終わった翌日。
蘭鈴と琉龍は白虎国・市街地にいた。
「……これ、本当に必要か?」
蘭鈴は眉をひそめながら、自分の顔にかけられた黒い硝子を指で押さえた。
深くかぶった帽子に、大きめの黒い硝子。
さらに、ゆるい服に身を包んだその姿は――
どう見ても、いつもの“黄龍”ではない。
「必要だろ」
隣を歩く男は即答する。
フード付きの外套を纏い、同じく硝子で目元を隠した琉龍。
こちらもまた、普段の威圧感を抑えている――はずだった。
「でも、なんか逆に怪しくないか?」
「そんなことはない」
琉龍は自信満々に言う。
何を隠そう、今の二人の格好は普段の服装とは全く違う。
この日の為に琉龍が用意した、言うなれば『お忍びモード』の服装なのだ。
「この格好が気に入らないとかそういうんじゃなくて……、なんか悪目立ちしそうっていうか……」
蘭鈴は窓硝子に写った自身を見つめる。
「似合ってるぞ」
ふいにかけられた言葉に蘭鈴は心臓が跳ねた。
「……お前、そう言うことあんまり言わないのに珍しいな――」
窓硝子越しに琉龍を見るが、自分と同じ色付きの硝子で目元を隠している琉龍の表情は分からなかった。
「白虎国で流行っている装いだそうだ。だから気にするな」
琉龍は目線を逸らす。
「お前が言うと全然説得力ないんだが……」
蘭鈴は周囲をちらりと見回す。
賑わう市場。
行き交う人々。
色とりどりの店。
(……でも)
少なくとも、“黄龍”としての視線は来ていない。
「……意外とバレないもんだな」
「ああ」
琉龍は短く頷く。
だが、その直後――
「ねえ、あの二人……」
「なんか雰囲気すごくない?」
「近寄りづらいけど、ちょっとかっこいい……」
(いや、めちゃくちゃ見られてる!!)
蘭鈴は思わず帽子のつばをぐっと下げた。
「やっぱり目立つじゃないか」
「そんな事はない」
「そんな事ある!」
二人は小声で言い合いながら歩き出した。
✕✕✕
白虎国の大通りにはたくさんの珍しい物品が行き交っていた。
「……ちょっと見づらいな、これ」
武具店の前で蘭鈴は黒い硝子に指をかける。
「おい、外すな」
「少しだけならいいだろ――?」
「ダメだ!」
即座に手を掴まれた。
「……」
一瞬、空気が止まる。
「……離せよ」
「離したら外すだろう」
「…………」
「だから離さない」
「…………分かった」
蘭鈴の言葉に琉龍はぱっと手を離す。
だが――
そのまま、距離が近いまま歩き出す。
「……はぐれるな」
「はぐれない」
「……念のためだ」
そう言って、琉龍は再び手を差し出した。
「……」
少しだけ迷って、蘭鈴はその手を取った。
「……そういえばちゃんと聞いてなかったな。
それで? 今日はまず何するんだ?」
「決めていない」
「は?」
「お前が決めろ」
一瞬の沈黙。
(そういうのも含めて“楽しませる”なんじゃないのか?)
その時、ふわりと甘い匂いが流れてきた。
「……あれは?」
蘭鈴の視線が吸い寄せられる。
「……菓子屋か」
琉龍は少し考えてから蘭鈴を見る。
「……行くか?」
黒い硝子越しに琉龍の瑠璃色の瞳が覗く。
「……ああ!」
ぐいっと手を引かれ、蘭鈴は焼き菓子の店の前まで連れて行かれる。
「いらっしゃいませ」
店主が声をかける。
「……どれがオススメなんだ?」
蘭鈴は無邪気に店主に話しかけた。
「そうですねー、全部オススメって言いたいところですけど……お客さんたちにはこれかな?」
店主が差し出したのは、少し大きめの焼き菓子だった。
丸みを帯びたそれは、ほんのりと温かく、中から甘い香りが漂っている。
「こちら、“ノビオス・サンド”になります」
「……のびおす?」
蘭鈴は首を傾げた。
「どういう意味だ?」
琉龍も首を傾げる。
「ええと……“対になるもの”とか、“二人で一つ”って意味でして」
店主はにこやかに笑う。
「二人で分けて食べると、より美味しくなるんですよ」
「なるほど」
蘭鈴は素直に頷いた。
「のびおすって、そういう意味なのか?」
「……まあ、そんな感じです」
店主は少しだけ意味深に目を細めた。
「じゃあこれくれ」
「はい、かしこまりました」
店主はどこか楽しそうに笑いながら、菓子を包んだ。
商品を渡される際、店主が琉龍の耳元で囁く。
「可愛い彼女さんですね! 頑張って下さい!」
「なっ!」
顔が真っ赤になった琉龍を見て「どうした!? のびおす・さんど? ってそんなに熱いのか!」と心配する蘭鈴であった。
「一つを二人で分け合うと、縁が深まるって言われているんですよ」
店主が蘭鈴に話しかける。
「縁……?」
「はい! 今まで以上に仲が良くなるってことです!」
「へぇ~、教えてくれてありがとう!」
蘭鈴は店主に手を振ると、興味深そうに琉龍が持つ包みを見つめた。
✕✕✕
「……で?」
店の前を少し離れたところで、近くのベンチに座る二人。
“ノビオス・サンド”の包みを開け再び首を傾げた。
「どうやって食べるんだ、これ」
「半分にするんじゃないか?」
「ふーん、じゃあ琉龍割っていいぞ」
「……いや、お前が食べたいと言ったんだろう」
「……」
しばしの睨み合い。
やがて――
「……仕方ない、一緒にやるか」
「……ああ、そうだな」
二人の手が同時に菓子へと伸び、指先が触れた。
「……っ」
一瞬だけ、動きが止まる。
だが――
パキッ。
二つに分かれたノビオス・サンドの中から、とろりとチョコが溢れる。
「……甘そうだな」
「……ああ」
どちらからともなく、口に運ぶ。
「……!」
口の中でとろける甘さに、蘭鈴の黄金色の瞳が見開かれた。
「……うまい」
「そうだな」
琉龍はどこか満足げに呟く。
「……なあ」
「なんだ」
蘭鈴は黒い硝子越しに瑠璃色の瞳を見つめる。
「これ、確かに一緒に食べると美味い気がする」
「……そうか」
「なんでだろうな」
蘭鈴のあっけらかんとした態度に琉龍は短い返事をする。
「……さあな」
だが、その声はどこか柔らかかった。
「……ほら」
琉龍が、自分の分を少しだけ差し出す。
「一口食べてみるか?」
「……え? 同じ味なんじゃないのか?」
「一緒に食べると美味しくなるんだろ?」
「でも、お前が食べる分が――」
「いらないのか?」
琉龍の瑠璃色の瞳がいたずらっぽく細められる。
「……いる」
少しだけ迷ってから、蘭鈴はそれを口にした。
「……」
「……どうだ」
「……さっきより甘い」
「そうか」
琉龍はわずかに目を細める。
――その時だった。
「ねえ、やっぱりあの二人……」
「さっきの店でも“ノビオス・サンド”買ってたよね?」
「え、じゃあやっぱり――」
「…………」
「…………」
二人の動きが、同時に止まる。
「……そろそろ行くか」
「……ああ」
蘭鈴は帽子のつばを下げ、フードを深く被る。
だが――
繋いだ手だけは、離れなかった。
✕✕✕
白虎国・中央劇場。
「……なんだここは」
蘭鈴は建物を見上げて呟いた。
白い石造りの大きな建物。
入口には人だかりができ、華やかな衣装の人々が出入りしている。
「おそらく劇場だろうな」
琉龍が簡潔に答える。
「……観劇、ってやつか?」
「ああ。白虎国では人気らしい」
「へえ……」
蘭鈴は興味深そうに中を覗き込んだ。
✕✕✕
「いらっしゃいませ。二名様ですか?」
受付の女性が微笑む。
「ああ」
琉龍は短く頷いた。
「それでしたら――」
女性はちらりと二人の手元を見る。
「ちょうど“ペア席”が空いておりますが、いかがなさいますか?」
「……ぺあ?」
蘭鈴が琉龍を見る。
「隣同士で、少しだけ距離が近いお席になります」
「……なるほど。
それでいいんじゃないか?」
「……そうだな」
琉龍は一瞬だけ間を置いてから答えた。
「では、そちらで頼む」
「かしこまりました」
案内された席は、確かに“近かった”。
通常の席よりも幅が狭く、自然と肩が触れそうな距離になる。
「……ちょっと近くないか?」
「……近いな」
二人は同時に呟いた。
「まあ、いっか。
お前の隣、イヤじゃないし」
蘭鈴がニヒヒと笑うが、琉龍は目を泳がせていた。
✕✕✕
やがて、照明が落ち、舞台に光が差し込んだ。
「おお……」
蘭鈴の目が輝く。
「流石にここではサングラス取っていいよな」
「……そうだな」
二人はサングラスをとり、舞台に見入る。
始まったのは、龍を題材にした物語だった。
――力を持ちすぎた孤独な少女。
――その側に仕える一人の男。
――すれ違う想い。
「……」
蘭鈴の表情が、少しだけ変わる。
「……琉龍、これ――」
「……ああ」
琉龍も気づいていた。
どこかで見たような構図。
どこかで聞いたような関係。
「……黄龍のことじゃないよな?」
「違う……と思うが……」
「“思うが”ってなんだよ」
✕✕✕
舞台の最後に、孤独な少女は一人の男と結ばれる。
それは、長く支え続けた男ではなく――
別の存在だった。
「……」
「……」
二人の間に、妙な沈黙が落ちた。
「……なあ」
「なんだ」
「……ああいうの、好きか?」
「……どういう意味だ?」
「いや……なんでもない」
「……そうか」
――パチパチパチ……。
劇場内に拍手が響く。
物語は大団円を迎え、観客たちは満足そうに席を立ち始めていた。
二人もほぼ同時に立ち上がり、劇場の外に出る。
夜の空気が少し冷たかった。
「……面白かったな」
「ああ」
「でもなんか……変な話だった」
「……そうだな」
その時だった。
「……見つけたぞ――」
低く、よく通る声。
群衆の中から視線を感じ、二人の足が同時に止まる。
「……気づかれたか?」
「だろうな……」
蘭鈴と琉龍は顔を見合わせた。
「逃げるか?」
「もちろん!」
二人の顔が子どもが悪戯をした時のようなワクワクしたモノになる。
二人は振り向かず、どちらからともなく手を繋いで走り始めた。
「あ! お待ち下さい――黄龍様ーーー!」
白虎兵が追いかけてくる。
蘭鈴と琉龍は白虎国の街を駆け抜ける。
屋根を飛び、路地を抜け、人混みをすり抜ける。
「ははっ……!」
蘭鈴が笑った。
「こういうの、久しぶりだな!」
「遊びじゃないんだがな!」
言いながらも、琉龍の口元もどこか楽しげに歪んでいる。
「捕まったら白虎王に肉のフルコースを食べさせられるぞ!」
「あはは! それは懐かしいけど、今は遠慮したいなー」
軽口を叩きながらも、二人の動きは正確だった。
まるで呼吸を合わせたかのように
跳んで、避けて、翻る。
「右!」
「分かってる!」
同時に方向転換し、狭い路地へ滑り込む。
――だが。
「甘い」
前方から声。
「うわ、ここにもいたのか!」
完全に包囲されかけていた。
「……面倒だな」
琉龍が小さく呟く。
「やるか?」
蘭鈴の黄金色の瞳が輝く。
「――加減はする」
次の瞬間、空気が変わった。
黄龍の魔力が一瞬だけ解放される。
「なっ――!?」
白虎兵たちが動きを止めたほんの一瞬。
だが、それで十分だった。
「今だ!」
二人は同時に駆け抜け、屋根へその上へと跳んだ。
視界が一気に開けた。
✕✕✕
街外れの人気のない場所まで来て、ようやく二人は足を止める。
「……はぁ」
蘭鈴が息を吐いた。
「無事、か」
「ああ」
琉龍は蘭鈴を見つめる。
「せっかくの外出だったのに……」
「蘭鈴――」
「観劇も途中で気まずくなるし、そのあとこれだし」
「……すまない」
「なんでお前が謝るんだよ」
蘭鈴は肩をすくめる。
「まあでも……」
少しだけ間を置いてから、蘭鈴は笑った。
「……楽しかった」
「……そうか」
✕✕✕
再び、静かな通りへと戻る。
人の気配が戻り、日常が戻る。
「……なあ、さっきの劇――」
蘭鈴がぽつりと呟く。
「……なんだ?」
「オレだったら――」
足を止め、琉龍の裾をちょこんと掴む。
「やっぱり、隣にいるやつ選ぶと思う」
「……」
琉龍の呼吸がわずかに止まる。
「……そうか」
「うん」
ただ、じっと蘭鈴を見る。
「だってさ」
蘭鈴は少しだけ困ったように笑った。
「一緒にいて、一番楽しいやつがいいだろ」
「……」
「さっきの“のびおす・さんど”もそうだけどさ」
「……ああ」
「一人より、二人の方が美味しかった」
「……そうだな」
琉龍の瑠璃色の瞳には、蘭鈴だけが写っていた。
✕✕✕
「……帰るか」
琉龍が言う。
「そうだな」
蘭鈴は頷く。
そして――
「……ほら」
自然に手を差し出す。
「……」
一瞬だけ見つめて、琉龍はその手を取った。
夜の街。
人混みの中を、二人は歩く。
「また二人で来よう」
「そうだな……」
二人は再び歩き出す。
繋いだ手は、そのままに。
――今度は、離すつもりなどなかった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
ノビオス・サンドの意味に気づいた方は、きっとニヤニヤしているはず。
気づいていない蘭鈴と、気づいてしまった琉龍。
この温度差も含めて、楽しんでいただけたら嬉しいです。
次回、刻龍編は3月28日投稿予定です。
よろしければ、引き続きお付き合いください!




