114「花下曬褌」
冷たい地面に寝かされ、目の前には年相応の笑顔を浮かべる少女。
可愛らしい笑顔を見つめながら、リーカスは早くここから逃げたいと強く思った。
今ある状況はリーカスの美学に反するものばかりで溢れている。
まず一つ目。四肢を縛る生温かくてぬめりけのある物体。すぐ傍に控えている継ぎ接ぎだらけの魔物が伸ばす触手である。同じ縛られるのであれば、縄の方がよかったと不快な感覚の中で考える。
次に二つ目。リーカスが監禁されている建物の周囲を醜悪な見た目の魔物が犇めいている。逃げる算段がつけにくいのもそうだが、可愛さとは程遠い生物に囲まれている不快がもっとも強くリーカスの胸を撫でる。
最後に三つ目。年相応、子供らしい表情を浮かべる見た目だけは可愛い少女。
情報収集のため会話をし始めたときはよかった。リーカス好みの恋する乙女の顔をしていて、話をしているのも少しだけ楽しくはあった。が、それを覆すだけの価値観の違いがその先にあった。
「本当にかわいいよねえ。ネリスちゃんを拘束してる子もね、海の子と陸の子を混ぜて作ったの。長ぁい触手がぷるぷるしてて、すっごくかわいいでしょ?」
「そ、そうですわね」
嬉々として醜悪な魔物を褒めるロウラになんとか笑顔を貫けているが、リーカスの精一杯だ。
返事する声は引き攣っている。あのような生物を可愛いなんて口にするのはリーカスの美学に大きく反する行為である。
しかし、今のリーカスは愛しい主の姿をしていて、目の前の少女に監禁されている状態だ。
ロウラの怒りを買うわけにはいかず、主のためを思って肯定を口にした。
それでも、リーカスの中では激しい葛藤があり、それが引き攣った声になって零れた。
「あ、でもネリスちゃんからは触手はよく見えないか」
「そう、ですわね……。残念ですわ」
「じゃあ、触手を外して……はダメか。逃げられちゃ困るもんね。先生に怒られちゃう」
気付けば、随分と気安い関係を築けているが、肝心なところではやはり先生とやらの指示を優先さっれてしまう。
逆らうことにならないと示しながら、どうにか一つ目の不快だけでも取り除くことはできないか。
真剣に考えるロウラの表情を窺いながら、リーカスは口を開く。
「逃げるつもりはありませんわ。ロウラさんとのお話はとても楽しいんですもの。すぐに終わらせるなんて勿体ないですわ」
今すぐに逃げたい本音を押しやって、激しい葛藤を宥めて嘘を全身に纏う。
演技することは割と得意だ。というか、「ツェル」の名を貰った者は総じて演技は得意である。
何せ、王族の影を纏って影武者となるのが役目だ。完璧に王族の言動を再現しなければならない。
声も表情も平坦なティリオも、おどおどしてばかりのソフィヤも、自分の主の真似くらいは容易くできる。
なんなら、リーカスは今まさにネリスとして振る舞っている最中なのだ。
嘘を纏って、ロウラに好意があるふりをするくらい容易いことだ。
「んー、そこまで言われたら仕方ないなあ。私もネリスちゃんとはちゃんとお話ししたいし……いいよ。外したげる」
幼い印象そのままの少女は疑うことを知らない。
彼女の立場を思えば、少し心配になるくらいだ。裏にいる人物の立場になれば、これくらい騙されやすい方が扱いやすいのだろう。
ロウラが暮らしていた孤児院には彼女のような子供が何人もいるのだと思うと複雑な感情が疼く。魔族よりも人族の方が余程恐ろしい。
幼い子供を騙して使い捨ての工作員として利用なんて性根が腐っている。
それが分かっていて、さらに利用しようとしているリーカスも人のことを言えないが。
ロウラは楽しげな様子で傍に控える継ぎ接ぎ魔物に指示を出している。
ぬめりけを帯びたものに撫でられる感覚を味わっているうちにリーカスの拘束が解ける。
まだ四肢にはぬめりけのある液体がついたままだが、今はいい。とても、すごく、かなり気持ちが悪いし、早く洗い流したい気持ちでいっぱいではあるが今はいい。
気にしていないふりを貫いて体を起こす。
「これで話しやすくなりましたわ」
「よかったあ。じゃあ、じゃあ、たっくさんお話しようねー」
頷きながら、さり気なく視線を巡らせて、リーカスは建物の中を確認する。
座ったことで先程よりも広く場所の状況を目にすることができるようになった。
影の位置と光源の位置を確認することは忘れない。
「ええ、たくさんお話ししましょう?」
まだ逃げるには早い。影を移動して建物の外に出られたとしても、周囲は大量の魔物に囲まれている。
戦闘が得意とは言えないリーカスにはあの中を逃げることはできない。
今は会話をして情報をして情報を引き出しつつ、逃げる方法を考えるのが無難だろう。
「あ、そうそう。今、横にいるのがネリスちゃんを捕まえてた子だよ。ね、かわいいでしょ?」
何度目か分からない葛藤の中で横にいる魔物にへ目を向けた。
複数の生物を雑に繋ぎ合わせた上半身と、リーカスを拘束していたと思われる触手がいくつもいた下半身。
ぱっと見の印象は水洋都市リントスで目にしたタコと飛ばれる生き物に似ている。
あれはあれであまり歓迎できない見た目をしていたが、目の前にいるこれに比べたら遥かにマシだ。しかしながらそれを表に出すわけにはいかない。
情報を引き出すという役目を思い出し、愛しい主を模した顔に笑みを浮かべる。
「ええ、素晴らしいと思いますわ」
リーカスの譲れない誇りで絶対に「可愛い」とは口にしなかった。
言わなくても褒めていることが伝わればいい。あまり賢くはないロウラが微妙な言い回しに隠された本音に気付くことはないだろう。
「あまり見たことのないお姿ですけれど、この触手はどちらから持ってきたものですの?」
「これはねー、近くの海にいる魔獣のヤツなんだって。先生が言ってた」
「この近く、というと……?」
「ほら、エルフレイムって海に面してるでしょ。そこの海の魔獣だって。なんて言ったかな……んーと、タコ? て言う生き物が元になってるんだって」
リーカスが抱いた印象は間違いではない。正解を引き当てたことはさておき、何気なく口にされあ言葉に含まれていた重要情報に思考を割く。
エルフレイムは確かに海に面した国だ。ただユッグイグル神の加護を受け、森の恵みの恩恵を受けているエルフ族にとって海は近くにある大きな水の塊程度のものでしかない。
海は水精の女王シャトリーネの領域ということもあって、エルフレイムの民がそこに意識を向けることはに。目を盗んで侵入するには格好の場所だ。
「ロウラさんは海の方からいらしたんですか?」
ロウラは恐らくルーケサの人間。それを踏まえても、船で海を渡り、世界樹の森への侵入を果たしたと考えた方が妥当だ。
「うん、そうだよ。先生が特別な船を用意してくれてね、この森まで来れたんだあ」
「特別な船ですか……。どんなものなんですの? とても興味があります」
「えっとねえ、水の魔石がたくさん使われた船なの。私も仕組みはわかんないんけど、自動で動くようになってるの。あと気付かれにくくなってるんだって」
魔石の扱いについてルーケサはかなりの技術を持っている。独自の開発したものと考えていいだろう。
その詳細はカザードの協力を仰ぎ、アンフェルディアの技術者と合わせて相談する必要があるのでいったん保留だ。
リーカスにはその手の知識はないので考えても仕方がない。
この場ではルーケサは潜入のための船を有していること、ロウラがそれに乗ってきたことが認識できれば問題ない。その上でさらに踏み込んだ質問をするべきか、逡巡する。
まだロウラという人物を読み切れない中で、彼女を与えられた任務や置かれている状況をどこまで詮索していいものか分からない。
今のところ、怪しまれてはいないようだし、むしろ好意を向けられている状況だ。意を決してリーカスは口を開く。
「一度乗ってみたいものですわね。海を渡った経験はまだありませんから、船というだけで興味を惹かれます」
「そこまで言われたら、乗せてあげたくなっちゃうなー。でも、今船はこっちにないんだよ。国に帰っちゃってるんだー」
「あら、それだとロウラさんが帰れなくなってしまうのではなくて?」
「そこは大丈夫だよ。帰る頃にはまた船を送ってくれるって。先生が言ってたの」
無垢に先生を信じるロウラに敢えて指摘する必要はないだろう。それこそ今まで築き上げてきた関係を崩してしまいかねない。
そもそも散々利用しているリーカスが指摘できるはずがない。
件の先生とやらは、帰りの船を用意する気はないのではないかなんて。
「それなら安心ですわ。機会があれば、是非、わたくしにも船を見せてくださいな」
非情な事実を指摘するよりも、実現し得ない望みを音に乗せた。
恋する乙女がこんなところで使い捨てられる事実に覚える痛みはある。だが、それだけだ。
胸に抱く感情のみを優先する生き方はリーカスにはできない。
リーカスがもっとも優先すべきは十年以上前から決まっている。世界一可愛い主を守るためならば非道な選択に躊躇いはない。
「うん、もちろんだよ。楽しみにしててね」
疑うことを知らない無垢な笑顔を向けられる。それだけなら本当にただ普通に可愛い女の子なのだが。
「外にもいっぱいかわいい子がいるから見て! ほらここから見えるよ」
まどから 外を覗き込むロウラに手招きされ、淡々歩み寄る。
中にいる一帯だけでもぎりぎりなのに、外で犇めいている魔物まで目にしたくない。
とはいえ、ロウラからの好感度を保つために断るわけにもいかず、微笑みを崩さないまま、窓の外を覗き込んだ。
「……っ…」
咄嗟に出かかった声を呑み込んだ。
外にいる魔物を見ることに夢中なロウラはリーカスの反応に気付いていないようだ。
内心のみで安堵を零し、リーカスはすぐに表情を取り繕う。
「素晴らしいですわ」
素晴らしく不快な景色が外には広がっている。周囲の木々をいくつか薙ぎ倒し、広さを確保した空間に醜悪な見た目の魔物が何体も犇めいている。
その姿も大きさも様々で、共通するのは複数の史枝物を継ぎ接ぎにされているところのみだ。
気持ち悪い光景をこれ以上見ていたくない、とリーカスはそっと視線を外す。
魔物を見ない代わりに、外にある影の位置を確認する。やはりリーカスでは影を伝って逃げることは難しい。
どうしたって影から影へ移動する際に何度か魔物と接触することになる。
「あれれ、おかしいな……」
「どうかしましたの?」
「外にいる子たちの数が足りなくて……」
「どこかへ行っているのではありませんの?」
「ううん、それはないよ。ちゃんとあそこで待機してってお願いしてあるから。あの子たちは私の言う通りに動いてくれるの。これは絶対」
「それは……気になりますわね」
最早どの立ち位置か分からない言葉を返しながら、リーカスは考える。
誰かがリーカスを助けに来てくれたのだろうか。どう動くべきか判断するために外の状況を注視する。
「私、ちょっと様子を見て来るよ。ネリスちゃんはここで待っててね」
「分かりましたわ。気をつけていってらっしゃいまし」
ここは一先ずロウラを見送って、リーカスは状況を把握するに徹する。
ロウラはいなくなった。四肢の拘束はすでに解かれている。建物内にいる魔物一体くらいならば、リーカスにも倒すことはできる。
ここは逃げるべきか。
「――――っ!」
「今の声は……魔物のものですか?」
聞こえたのは何かの叫び声だ。反射的にそちらに目を向ける。
「まずい…っ」
赤目が捉えたのは人の頭ほどの火の玉だ。それが複数こちらに向かって来ている。
真っ赤に照らし出される景色を前に一先ず窓から離れる。
同時に影の位置を確認する。火の球という光源が新たに生み出されたことで、先程よりも大きく影の場所が変わっている。
それどころか、強い光に照らされ、影が極端に減っている。その事実に迷っているうちに建物のすぐ傍まで迫っていた火の玉が突然爆ぜた。
「っ……あ」
放たれた火の玉すべてが一斉に弾け、建物の壁を吹き飛ばした。
その衝撃は凄まじく、男にしては小柄な体は荒れ狂う暴風にもみくちゃにされる。
目を開けることのできない状況では影の中に逃げることもできない。リーカスは為すすべもなく、扉に叩きつけられる。
鍵のかけられていない扉はリーカスがぶつかった衝撃で開かれ、リーカスはそのまま地面を転がる。
全身に走る痛みが思考を乱し、集中力を途切れさせ、リーカスの体がぶれる。
ネリスの姿とリーカスの姿が重なり、揺れる。
「っ……はは、まずいまずい」
痛苦の中で渇いた笑いを零す。
痛いし、訳が分からない。服が汚れて最悪だし、顔に傷がついて最悪。
次から次へと湧いてくる文句を呑み込んで、リーカスは影を纏い直す。
影を纏うには元になる人物の影を使う必要があるが、今回は少し解けた程度のものなので途切れた集中力を継ぐだけでどうにかなる。
「気付いてないといいけど……」
一瞬でも纏う影が消えたと気付けば、あの可愛い主を不安にさせてしまう。
痛む体よりも、その事実の方がリーカスにとっては重大だ。世界で一番可愛い主は不安な顔をしていても当然可愛いけど、陰った表情をさせたくない。
「なんて、人のことを気にしてる状況じゃないけどさ」
目の前で犇めく魔物たちにリーカスは苦笑を浮かべる。




