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魔王に花束を  作者: 猫宮めめ
第5章

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112「二つの予兆」

 エルフレイムの王宮、緑青宮に残されたネリスは落ち着かない心を宥めるようにカップに口をつける。

 馴染みのない独特の香りと味は妙に心を落ち着けている。


 エルフレイムでは主流のハーブティーと呼ばれるものらしい。香りが強く、健康や美容に効果のある植物を使ったお茶だという。


 舌先に広がる風味はなかなか悪くない。頼めば、少量でも持ち帰らせてもらえないだろうか。

 リリィと不定期で行っているお茶会で使いたいと現実逃避するように考える。

 不安で落ち着かないときは好きなものについて考えるに限る。



「ネリス様はすごい」


 向かいに座るエマリの言葉に目を瞬かせる。


「落ち着いててすごいです。不安じゃないですか?」


 拙い敬語で続けられた言葉で合点がいき、口元に笑みを乗せた。

 今のネリスは影であるリーカスの姿をしている。それでも王女という矜持を胸に表情を着飾る。


「ずっと気を揉んでいても疲れるだけですわ。今は非常事態、いざと言うときのために体力も、気力も温存しておく必要があります」


「おんぞん……?」


「力をためておくのです。神殿に向かった方々には様々な苦難が待ち受けているでしょう。疲弊して帰ってくる方々を笑顔で温かく迎えるという役割がありますもの」


 紡ぐ言葉は自分自身に語りかけるものである。

 兄姉の安否が、長年連れ添った影の安否が気にかかって揺れる心に言い聞かせる。


 ネリスは王女だ。生まれながら多くの上に立つことを義務づけられたこの身は常に美しく気高くなければならない。

 こちらが不安そうな姿を見せれば、この小さな従者をもっと不安にさせてしまう。


「シフィ兄様がお帰りになったら、エマリも笑顔で迎えてあげなさいな。きっとシフィ兄様もお喜びになりますわ」


「ん、がんばりますっ」


 力強く頷くエマリの口角は仄かに上がっている。

 不器用ながら、ネリスの教えを実践する姿はいじらしく、思わず抱きしめたくなるほど愛おしい。


 シラーフェのために努力しようとするエマリの姿は何度見ても心が擽られる。身分差なんてものは捨て去って、二人が結ばれるよう手伝ってあげたくなる。

 双方がそんなことを望んでいないことを知っているので思うだけだ。今ある立場をすべて捨てて結ばれたところで、きっと幸せになれない。今は恋する乙女へ疼く感情は表情だけに留める。


「ほら、エマリもお茶をお飲みなさいな。落ち着きますわよ」


「ん……ふしぎな味です」


「ハーブティーと言うものらしいですわ」


「なれない、けど、あったかくておちつきます」


 幾分か和らいだエマリの表情に満足して、ネリスもまたカップに口をつける。

 慣れないお茶を少しずつ味わっているエマリを見つめながら、ほっと息を吐く。震える指には気付かれていないようだ。

 どれだけ取り繕っても消せない弱さがエマリの目に留まらないように隠す。


「ネリス様?」


 エマリが驚いた顔でこちらを見ている。手の震えに気付かれたのかと思ってネリスは息を詰める。

 しかし、エマリの表情は単に震えに気付いたというものではなかった。

 元々表情が乏しいエマリがはっきり分かる形で驚きを表に出すことは珍しい。


「どうかしましたか?」


「ん……さっき、ちょっとだけネリス様の姿が戻ったからびっくりしました」


「私の姿が戻って……?」


 エマリの答えを聞いて、隠しきれない動揺が震えとなって零れた。

 ネリスは今、リーカスの姿をしている。リーカスがネリスを守るために影人の力を行使した結果であり、この状態を維持しているのはリーカスの力だ。


 それが一瞬でも解けたということはリーカスの身に何かあったのかもしれない。

 ネリスの代わりに敵の手に落ちたリーカスが無事でいられるなんて楽観視していたわけではない。ただこうも目の前に出されると不安な心が湧き立つ。


「ユニス、貴方も見ましたか?」


「はい。確かに一瞬、ベルゼビア様のお姿が戻ったように見えました」


 二人共見たというのなら間違いないだろう。綻びが一瞬だけのものならば、致命的な何かが起きたわけではない、と思う。


 他者に影を纏わせる力は、かなりの集中力が必要だとリーカスが言っていた。少なくともまだ集中力を維持できる状態にはあるはずだ。

 リーカスはまだ大丈夫。心中で自分に言い聞かせ、早鐘を打つ心臓を落ち着ける。


「ネリス様……大丈夫ですか?」


 心配そうにこちらを覗き込むエマリの瞳にネリスは己の失態を自覚する。弱い姿を見せないようにと思っていたのに。

 深く息を吐き出し、ネリスは口角をあげた。笑顔を貼り付け、心配いらないと示す。


「心配をかけてしまって申し訳ありません。少し驚いてしまっただけです。大丈夫ですわ」


「ん……ネリス様、無理しなくていいです。リカがしんぱいなの、私も一緒です」


「……っ…ふふ、年下の子に慰められるなんて情けないですわね」


「そんなことないです。弱いとこを見せるのは悪いことじゃない。って、おかあさんが言っていました。それにネリス様はりっぱです」


 真っ直ぐにこちらを見つめる瞳は年下と思えないくらい頼もしい。

 兄は本当に良い子は従者にしたものだ。できるならば、ネリスの従者にしたいところだが、エマリのためを想って我慢する。


「エマリ、ありがとうございます。元気が出てきましたわ」


 言いながら、ネリスは張り付いていた強がりを剥がしてエマリを見る。

 きっと情けない表情をしているだろう。幼い頃から傍にいる従者と離れ、頼りがないことに震える心がネリスの表情が弱々しく彩る。

 今までリーカスが傍にいないことはあったけれど、仕事でいないいままでと、攫われた今回では心持ちも違う。


「リカが傍にいないのは不安ですわ。今も手の震えが止まりませんわ」


 弱さを見せる羞恥を誤魔化すように笑みを浮かべる。

 同じ笑みでも、先程まで貼り付けていたものとは別種のものだ。


「それでもわたくしは王女です。どれだけ不安でも前を向くと決めていますの」


 無理に弱さを隠す必要はないと理解しても、ネリスは王女としての矜持を貫く。

 指を震わせながらも、背筋を伸ばし、前を見据える。絶対に下は向かない。


「念のため、リカの術が一瞬解けたことを報告しに行きましょう。敵が新たな動きを見せた可能性もあります。この非常事態、情報は多い方がいいでしょうから」


 残りのハーブティーを喉に流し、ネリスは立ち上がる。

 エルフレイムを取り巻く異常事態は未だ掴めぬまま。


 敵の思惑も読めない今は少しでも情報が欲しい段階だ。リーカスの力が一瞬解けたことが敵の動きの予兆である可能性を見て、ストラトフの執務室へ向かう。

 余所者という立場ではあるが、王の計らいで緑青宮を自由に動き回る許可を与えられている。


 部屋の前に待機していた護衛に声をかけ、歩を進める。

 白で統一された建物は所々に植物が置かれている。エルフレイムで生える植物はすべてユッグイグル神の一部と言われている。

 こんな状況でなければ、ゆっくり見て回りたいそれを横目に歩を進める。


「…っ……ベルゼビア様、お止まりください」


 突然ユニスに制止を求められた。

 無意味にそんなことを言う人物ではないと知っているので、驚きはあっても不満はない。


 ユニスは口数が少ない人物というのがネリスの印象だ。従者として振る舞いに徹し、話が振られない限り、話に加わることはない人物がネリスの足さえ止めさせる。

 異常事態を察し、表情も身も引き締めてユニスを見る。


「影に妙な気配があります。影の中に何かが大量に潜んでいるようです」


 影人として多くの才を取り零したユニスではあるが、影の中に気配を読むことに長けている。

 一年程前、イゾルテが起こした謀反の際にも活躍した力だと聞いている。


「何故、影の中に……いえ、それよりも今はストラトフ王への報告が先です。急ぎましょう」


 ユニスの報告が何を意味するものなのか、考えるよりも先に歩みを再開させる。

 先程よりも歩みを速めて、ストラトフの執務室へ向かう。


「ユニス、気配を感じたのは先程が初めてという認識で構いませんね?」


「はい。それ以前は気配を感じませんでした。ただエルフレイムで影に異常を感じることはないと認識していましたので、周囲に気を配ることもしておりませんでした。影に意識を向けていれば、もっと早くに気付けていた可能性はあります」


「影に干渉する術を持っているのはアンフェルディアくらいですもの。怠惰だとは思いませんわ。謝罪は不要です」


 足早に執務室に向かいながら、器用に頭を下げるユニスに言葉を投げかけた。

 影を干渉する技術はかなり希少なものだ。一年前の一件のように影人が敵に回ることもめったにないことであり、それも他国ではそこまで意識を割けなくても仕方ない。ネリスにそのことを責める意思がない。


 それでもユニスは己の失態と認識するのだろう。自分に厳しい影人の在り方はネリスもよく知るところで、この反骨心だけで充分だと思っている。


「問題はユニスがそれと分かる形で、影に異変を感じたのがついさっきということですわね……」


「ん……悪い人がちかくにいるんですか?」


「その可能性もあるという話ですわ。いづれにせよ、詳しい話はその先でいたしましょう」


 ストラトフ王の執務室の前で立ち止まり、ノックをする。

 突然の訪問ではあるが、ストラトフは快く迎え入れてくれた。


 リリィから何か言われているのか、成人前の小娘も対等な存在として扱ってくれている。

 兄姉の威光に守られているとうでネリスとしては複雑な気持ちだ。


「突然の訪問、謝罪致します。急ぎ、お伝えしたい件があり、参りました」


 リーカスの件といい、ユニスの報告の件といい、急く心はるが、礼儀作法は忘れない。

 こういうときの振る舞いでも価値を見定められてしまうのが貴族という身分だ。


 アンフェルディアの価値を落とすことのないよう、ネリスは王族として仮面を貼り付ける。

 もっとも尊敬している存在、リリィの立ち振る舞いを意識して。


「報告は二つあります」


 頷き、向けられるストラトフの視線が続きを促していると認識し、話を続ける。


「一つはわたくしにかけられているリカ――影人の魔法が一時的に解けました。敵が新たな動きを見せた影響、その可能性が考えられます」


 感情はできる限り排除して、客観的な視点を意識しながら言葉を紡ぐ。向けられるのはネリスの何倍もの時間を刻んだ瞳。

 老成した瞳に見透かされている気分の中、緊張を押して真っ直ぐ相殺する。


「もう一つは、うちの従者から説明を。ユニス」


「はい。先程、影の中に不審な気配を感じ取りました。敵が緑青宮に侵入している可能性があります」


 内容を吟味しているのか、ストラトフ王は黙したままだ。

 ネリスが持ってきた情報はどちらも敵の動きの示唆としては弱い。

 影人の存在に馴染のない土地では、リーカスことも、ユニスの報告も、根拠よしては弱い者として認識されてしまう。


 ここにいるのがリリィだったら、弱い情報を上手く着飾って相手を説得することもできるだろう。ネリスができるのは情報を持ってくることまで。


 ここはアンフェルディアではない。この先の判断はストラトフがするべきことだと思案する翡翠の瞳を見守る。

 と、翡翠の瞳が逸れた。ネリスのさらに奥、扉前で控えている護衛に視線を遣ったらしい。


「すぐに警備の強化を。戦士たちに緑青宮周辺を探らせろ」


 ストラトフはネリスの持ってきた情報の価値を認めてくれたようだ。

 瞳が再度こちらに向けられるのを持って一礼する。


「不審な気配というのは敵のもので間違いないのか?」


「私が分かるのは気配の有無とそれが既知のものであるか、どうかだけです。期待に応えられず、申し訳ありません」


「よい。我々では分かり得ぬ情報の提供を感謝したいところだ」


 馴染みのないものを受け入れ、吟味すべき情報と認識する姿は為政者として尊敬できる。

 長く生きるほど考えが固まってしまうこともあるが、ストラトフは柔軟性を忘れていないらしい。


「私はあまり詳しくないのだが、影の中に潜むと言うのは影人以外にも可能なのか?」


「わたくしの把握している限りでは不可能かと。少なくともアンフェルディアでは確認されていません」


 正直ネリスもその手の知識は持ち合わせていない。魔族の中で影に干渉する力に特化した者が一族として確立したのが影人だ。

 アンフェルディアにおいては、影人以外に影に干渉できる者はいないという認識だ。


 魔法においても、魔術においても、影に干渉する術は他に存在しないと聞いてはいる。

 把握している情報がどこまで信用できるか、判断できるほど、ネリスは世界を知らない。


「ヤナさんがいたら、より詳しいことを聞かせていただけるのですけれど」


 魔導国で研究員をしているヤナならば、その手の知識を豊富に持っている。新たに開発された魔法はもちろん、理論上可能かという話もしてくれるかもしれない。


「もう一つ質問だ」


 鋭くこちらを見る翡翠に思わず身を固くする。


「影人が今回の件の関わっている可能性はあるか?」


「……っ…わかりません。影人はわたくしたち王族に忠誠を誓っています。けれど、それは絶対ではありません」


 一年程前、影人は謀反を起こした。正確には、影人に対する謀反ではあったが、その過程、先王が討たれたのは事実だ。

 影人が手放しに信用できる存在ではないことを知ってしまったネリスはストラトフの警戒を否定できない。できるのは、アンフェルディア王族が指示したとは限らないと示すことだけだ。



「一先ず、それで納得しておこう」


 視線を外されたことに小さく息を吐く。体を弛緩させた。

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