二日目。九時三十二分。二日目。十一時五十分。
二日目九時三十二分。
マウリは横になっている。特に何かをする訳でない。ただただ暇だ。
「寝れない」
横になっているのに、異常な倦怠感が身体に襲い掛かっているのに、寝れない。数時間
前の出来事が、マウリの神経を蝕んだのだ。
ただただ怠惰な時間が過ぎていく。
二日目。十一時五十分。
マウリの姿勢は数時間前から横になったままだ。近くに空になったペットボトルが一本
転がっている。少しペットボトルの内側に水滴が残っていた。
「なんだこの刑。これを考えた奴は正気じゃねょ。悪魔だ……」
この刑が非常に重いものだとは覚悟していた部分はあった。しかし、これだけ苦しいと
思っていた以上のものだったと言わざるをえない。二日間。たった二日間だけだと思って
いた部分がマウリの奥底の部分で潜んでいた。だからこそこの目の前で起きている地獄に
晒されている現実に、精神は激しい落差を生んでいた。精神は激しく磨耗、それが影響し
て動く気にもならない。ただただ時間が過ぎてくれることを願っていた。しかし、その願
いを叶えてくれる程、世の中は甘くはない。
突如、折れた木々が真上に宙を舞った。同時に激しい破壊音は複数回まるで和太鼓演奏
の如くリズミカルに響く。
「木が折られてる。何か来る」
双眼鏡を握ったマウリはゆっくり立ち上がり、この二日間で数回目となる壁への接近行
為をする。歩く間にも倒れた木々が空中をトランポリン選手の様に跳ねる。そして、マウ
リの有視範囲に倒木の犯人が姿を見せた。巨大な猿人だ。
「巨人?」
体毛は褐色であり全身のありとあらゆる部分を覆っている。容姿はビッグフットの想像
図と遜色ないと言い切っても過言ではない。二十メートル近くの大きさだ。顔は正に猿と
言った様子で、中でも目が大きく茶色い瞳が非常に特徴的だった。どこか知性を感じる部
分ではあった。
広場に完全に姿を露にした猿人は、首を左右に振りながら何かを探す様子だった。複数
回、左右に首を振ると猿人から見て左手に目的のものを見つけたようだ。視線の先には前
日に二体のモンスターが激突した水辺がだった。今はその時の様子が嘘かの様に静けさが
水辺を覆っていた。
猿人はそのままのっそのっそと歩き続け水辺へと向かっていく。時には横に倒れていた
木を猿人は体重を掛けて真っ二つに折った。数秒宙に浮かぶと地面に叩きつけられた。ど
うやらマウリには全く興味を示してはいないようだ。
「本当にどうなっているんだここは」
マウリは繰り返しではあるがまたも呆然とする。この自然には圧倒され続けるしか許さ
れない。脳が軽く揺れている。双眼鏡を力強く握る。
猿人は水辺に辿り着くと腰をゆっくり落とした。そして、右腕をぐっと伸ばし、右を曲
げて水に浸した。すると、人間レベルでは大量な水が手の平に入り込む。猿人にとって丁
度良い量を掬い上げる。口元まで水を運んだ猿人は、口を開き喉にへと水を流し込む。幾
ばくかの水は、口に収まることができず零れ落ちている。零れ落ちた水が多くの波紋を生
み出している。
その時だった。
突如、水から何かが飛び出し猿人の左腕に巻きついた。
「あいつか」
マウリには前日の様子がフラッシュバックしていた。そう巨大ワニと激突し打ち倒した
クラーケンの姿が。
慟哭する猿人が激しくもがくとそれに影響され水中に隠れていたクラーケンが水面へと
引き釣り出された。やはりクラーケンだ。水飛沫が周囲に撒き散らしていく。
マウリは電源を入れた双眼鏡を目に当て、しっかりと二体に焦点合わせた。
クラーケンは使っていない触手を動かし、猿人の四肢に巻きつけた。
クラーケンの襲撃に猿人は、大きく吼え激しく暴れる。足をジタバタさせ、泥に無数の
足跡が出来ては崩れ、出来ては崩れをくり返し、泥を跳ね飛ばす。猿人の表情は、非常に
険しいものになっており、ストレスが溜り怒りに満ち溢れているのがわかった。
「あんな中には居たくないな」
仮にあの足元にマウリ自身が居たとすれば、容易く潰されることが想像できる。
そんなマウリの視線が送られる状況の中、モンスター二体は綱引きをした状態で互いに
睨み合っていた。緊張の糸は張り続ける。マウリはこの戦いの立会人になる運命しか提示
されていないようだ。
「猿人が圧されてる」
やはりクラーケンは水中に居る為、クラーケンに分があると言っていい。猿人の足元が
水分を含み泥濘がある為、踏み込みが甘くなることもクラーケン有利の要因の一つとして
考えられる。マウリには過去の黄金鳥や巨大ワニが餌食になった映像が脳裏を通過してい
った。あの猿人も同様の運命を辿るのかとの思いが浮かぶ。
事態は急変する。あれだけクラーケンの触手に縛られ動き拘束されたはずの猿人が、強
力を働かせ無理矢理両腕を動かす。クラーケンも獲物を狩ろうと最大限に力を解放してい
る為に猿人が動かそうとする両腕が激しく揺さぶられる。それでも猿人はクラーケンに抗
い、なんとか動く両手で絡みつく触手を纏め始めた。それまではバラバラだった触手を幾
つも掴み、パスタの束如く一本にした。そして、綱引きのようにクラーケンの触手を掴ん
み、猿人の雄叫びをあげた。それはまるで雷鳴のような音が周囲に響いた。その咆哮がま
るで合図かのように猿人は両腕の力を入れ始めた。身体の大半を体毛で覆われている猿人
だったが、筋肉に力が入り隆起する。
「あいつ本気出し始めたか」
マウリから見ても、猿人が力を徐々に出し始めたのは視認できた。
歯を喰いしばる猿人は、最大パワーを全開にし野球のバットを振る要領で、クラーケン
を全力で投げた。クラーケンは姿勢を”く”の字にしながら水中から勢いよく引き出され
て宙を舞った。クラーケンが宙を舞うと同時に多くの水滴が散った。クラーケンは数秒の
間、空中を飛んだ。
「うわっ!」
マウリの居るこの独房寸前の地面に叩き付けられた。クラーケンが地面に衝突した瞬間
に、地面を揺らす衝撃波と大音量に変わる。独房にも振動が伝染し、中に居たマウリはあ
まりにも激しかったが為に立った状態を維持できず、足から崩れ倒れてしまった。
「イテテ」
倒れたマウリは瞬間的に目を閉じてしまったが、またゆっくりと目を開きクラーケンに
視線を送ろうとした。すると、空中に両手と両足を後方へと折り曲げ、横からその姿勢を
見ると”C”の字に姿勢を維持したシルエットが空にあった。
「まさか!?」
シルエットの正体はあの猿人だ。猿人はそのままクラーケンの胴体に飛び乗りマウント
ポジションを確保する。驚異的な跳躍力で投げ飛ばされたクラーケンとの差をぐっと縮め
てきたのだった。先程まで、水中のクラーケンが優勢であったのだが、地上に引き摺りだ
されて一気に逆転する。猿人はクラーケンに猛攻をしかけた。右ストレート、左ストレー
ト、右ハンマーパンチ、左ハンマーパンチ、両手交互にクラーケンのボディへと殴りつけ
る。何度も。何度も。回数が増えるつれクラーケンの穴から血が噴出し始めた。猿人は全
く周囲を気しない。それはマウリに対しても同じだ。
「怖いわ」
クラーケンに本能全開で襲いかかる。目の前で繰り広げられている現象は、ホラー映画
と大差ないといってもいい。ただ違うのは現実ということだ。
殴られ続けられたクラーケンはもう弱りきっている。既に目は光を失っており、多少触
手が揺れている程だった。命の灯火は後僅かといって過言ではない。
馬乗りになっていた猿人は、弱っているクラーケンに向けてトドメを決めようとしてい
る。指を交差し組み両手を握り、長い腕を頭上に掲げる。太陽光が猿人を染める。数秒間
を空けて、猿人全体重を掛けて下方のクラーケンへとダブルスレッジハンマーを叩き付け
た。クラーケンのボディがぐっと一つ凹んだ。クラーケンはまるで黒板を引っかくような
不快音を奏でた。それは、クラーケン最期の絶叫なのだろう。触手も完全に動きを止めて
しまった。クラーケンは絶命したようだ。
何もない青一色の大空に向けて、まるで自分が勝者であるかを誇る様に何とも言えない
けたたましい咆哮を挙げた。
「強い」
マウリが静かに言葉を呟き終えると同時に、咆哮を終えた猿人に釣り糸が切れた操り人
形と化したクラーケンの触手を掴み、引き摺っていく。マイクが地面を引き摺る音が拾わ
れ、独房内に響き渡る。時として変な音が混ざる。それは地面が歪であるが為に、クラー
ケンの体が、岩や倒れた木々に接触し音がしているようだ。
マウリは、クラーケンを引き摺る猿人の姿を見送った。
またマウリは一人になった。
続く




