第1話:守り神「白狐六儫」
1934年3月末 東京の下町。
大通りには商店や人力車、自転車が行き交っている。だが、一本裏へ入ると、細い路地に長屋が並ぶ空間へと様変わりする。夕日が沈み、空が真っ暗となった町。だが、長屋から溢れた光が、真っ暗な町を照らしている。長屋からは様々な家庭の生活音が聞こえており、人気のなく静かな町に音を響かせている。
そんな長屋の1つの天井に、虹色の光が現れた。
その光は天井で凝縮されていき、人のような形になっていく。
光が収まった時、そこには全身を黒く覆った何かが現れた。
◇◇◇
軍人になって、この国の人々を守る。それが、幼い頃からの夢だった。
地元の士官学校を受験するも結果は不合格。
それでも諦めきれなかった僕は、上京して帝都の士官学校を受けることにした。母さんは心配していたが、女手一つで育ててくれた母さんにこれ以上負担をかけさせたくない。僕一人で頑張らなければ。
日が昇る前に起床し、配達員の制服を着て担当地区へ新聞を届ける。3時間ほど走り回ってようやく帰宅。部屋着に着替えて朝食をとり、勉強。正午近くになったら、昼食をとって、勉強。日が沈んだら、夕食をとって、勉強。眠気が来たら、就寝。
こんな生活を東京に来てからずっと送っている。
不思議と苦痛は感じていない。むしろ、受かるためにみんなやってきたことだと思っている。…いや、そう言い聞かせているのかもしれない。そうでも思わなければ、こんな生活に耐えられないから。
気づけば日はすっかり沈んでいた。
部屋の隅にある食い物置き場を見てみるが、すっからかんになっていた。
「こりゃあ今日は外食になりそうやなぁ恒一。」
六儫は布団に寝転がりながら楽しそうに話しかけてきた。
六儫:自称世輪家の守り神。狩衣を着た白い狐の姿をし、流暢に人の言葉を喋る。僕が物心ついた時からずっと近くにいてくれる不思議な存在だ。守り神だからなのかわからないけど、僕と母さん以外の人には見えないし、食事をとることはない。
「あーあ、節約しなきゃいけないのに。」
「だから昨日の朝、しつこく買っといた方がいいぞって言ったのに。」
「うるさい。」
僕は机に乱雑に置かれた参考書をどかし、財布と鍵を手に取った。
六儫は布団から起き上がり、身体を床から離す。そのまま天井に足をつけ、僕の目の前へやってきた。「俺も一緒に行く。」
「はいはいお好きに。」
僕は玄関に行き、傷んだ草履を履いて外へ出た。
◇◇◇
細い路地を向けて、そこそこ広い道へ出た。
真っ暗な空間を両端の建物から漏れた光が照らしてくれている。
閑散とした道の右端を黙々と進んでいく。
「今日はやけに静かだなぁ。」
後ろから六儫が話しかけてきた。
「まぁ、今日は平日だしこんなもんでしょ。」
「いいや。こんなに人がいないのはこっちに来て初めてだ。」
普段は外にいる六儫がそう言うってことはよっぽどってことなのだろう。と言っても、自分にはあまり関係ないことだ。特に気にすることはない。
「まぁ、こんな日もあってもいいんじゃないか?」
「あぁ…そうだな。」
六儫の声は、懐疑的だった。
少し気になりはしたが、僕は変わらず物静かな道を進んでいった。
ここを右折すれば、普段行く商店街へ出る。
その入り口当たりに、平日はおでんの屋台があるはずだ。
「悪い。ちょっと離れる。」
六儫はそう言うと、勢いよく地面をけり、左側の建物の屋根に飛び乗った。そのまま六儫は僕の向かって行った方向へ屋根を人飛びで超えながら進んでいった。
「まぁ、いつものことか。」
六儫はよく、急に僕の元から離れることがある。行先も伝えずに飛び立ち、しばらくすれば帰ってくる。何があったと聞いても、「大したことじゃない。」としか言わない。
たぶん外敵から僕を守ってくれていることはおおむね察しが付く。
普段は嫌味を言ったり、ちょっと鼻に着く感じのことを言ってきたりするが、一応最低限感謝はしている。
「ありがとな。」
僕は飛び去っていく六儫に対して小声で言った。
その直後だった。
後ろから何かがこっちに迫って来ているのを感じた。
僕はすぐさま背後の状況を確認した。
百数メートル先に、全身を黒く覆った何かがこっちを見ている。頭と思われる上部にある細長い球状の部分をよく見てみる。何かを被っているのか、それとも真っ黒の仮面を被っているのか、全くわからない。
遠くを見すぎたため、目が疲れてきた。僕は何気なく瞬きをして、もう一度そこへ視線を向ける。
だがそこには、黒い何かはいなかった。
!!??
腹に今まで味わったことのない激痛が走る。腹の中にある液体が、一気に口内まで逆流してくる。思わず僕は、口の中に溜まった液体を吐き出しながら倒れてしまった。
ぼやけた視界の中央部は真っ黒に染まっている。そこで僕は、そいつに腹を殴られたことを認識した。
黒い何かは倒れ込んでいる僕を見ながら足を振り上げた。
生憎六儫はどっかに行ったまま。いや、六儫がいない今を狙ったのだろうか。
どの道、僕はここまでのようだ。
夢半ばで死ぬのか。死ぬなら、戦場が良かったな。
僕はゆっくり目を閉じた。
「…ーい。生きてんだろ分かってるぞ。」
目をゆっくり開けると、真っ白な毛皮の狐が視界内に入ってきた。
「六…儫?」
「悪かったな。肝心な時にいなくて。」
寝転がろうとするが、背後に壁らしきものがあるのか後ろに倒れることが出来ない。
「そこでゆっくりしてろ。」
六儫はそう言うと、右手を向いた。僕も六儫を追って左手を見る。
黒い何かはゆっくりと僕との距離を詰めて来ていた。
「ここからは…、俺の仕事だ。」
六儫は黒い何かの方へゆっくりと向かって行った。
◇◇◇
六儫は黒い何かの方へ歩きながら左手を前に出し、左手の人差しを立たせる。
その後、黒い何かは右手を前に出し、親指以外を立たせる。
「了解。」
六儫はそう呟くと、黒い何かとの距離を一気に詰めた。
「火炎術。」
六儫の右腕を紫色の炎が包む。
「火魔之拳!」
六儫の右拳が黒い何かの胸に直撃した。
かに思われたが、黒い何かは寸前で右手で受け止めていた。
六儫は黒い何かの右手を振り払い、左腕に紫炎を纏わせる。
黒い何かは何かを感じ、すぐさま六儫の腹に蹴りを入れた。
蹴られた六儫は後方に飛ばされたが、すぐに体勢を整える。
黒い何かは六儫との距離を詰めていく。
六儫はそれを視界に捉えると、懐から茶色く色あせたお札ほどの大きさの紙切れを取り出した。その紙切れには、墨で何らかの言葉が書かれている。
「式能発動。」
六儫の取り出した紙切れが光り出した。その光は肥大化しながら六儫の両腕を包んでいき、輝きが収まった時には黒い籠手となっていた。
六儫は籠手を交差させる。その中央部に黒い何かの突き蹴りがさく裂した。
黒い何かの蹴りは六儫の守りを崩せず、籠手の前で止まる。
「火炎術。」
黒い何かはすぐに六儫との距離をとった。
六儫の両手から紫炎が溢れていく。
「八岐炎。」
紫炎は八つの龍の首となり、一気に黒い何かに向かって行く。
黒い何かは飛び、かがみ、逸らしながら次々と避けていく。
最後の龍の首を避けた瞬間、龍の中から六儫が現れ、黒い何かの背後を捉える。
「火炎術。」
左籠手を紫炎が包む。
「火魔之拳!」
六儫の拳が黒い何かの背後に直撃した。
黒い何かは前に押し出され、地面に手をついた。
六儫は間髪入れずに黒い何かの頭上へ飛んだ。そして、懐からまた色あせた紙切れを取り出す。
「式能発動!」
(これであと2枚…。)
紙切れは光り出し、やがてそれは刀と化した。
六儫はそれを右手で持ち、左首あたりまで持って行く。
「火炎術。」
刀の上身に紫炎が灯る。
黒い何かは立ちあがり、上を向いた。
「降龍一閃!」
六儫は刀を一気に右に振った。
龍を模した紫炎が雨のように黒い何かへ降り注ぐ。
黒い何かはそれを見るやすぐにその場を後にした。
何もない地面に無数の龍が降り注ぎ、轟音と土煙を何度もあげる。
土煙は周囲を包み込み、この場にいるもの全ての視界を狭める。
遠くで見ていた恒一は咄嗟に目を覆った。
土煙は車を超える速度で恒一の方へ迫り、彼を覆った。
(目がっ!)
恒一は風圧に耐えきれず、地面へ倒れてしまった。
強風が収まったので、恒一はゆっくりと目を開ける。
目の前で六儫と黒い何かがいるのがわかるが、視界がぼやけてよくわからない。
恒一は腹を抑えながら立ち上がり、目をこすった。
その後、もう一度同じ場所を見つめる。
「六儫!」
そこには、口が赤く染まった六儫の姿があった。
六儫の腹には、降龍一閃を使った際の刀が突き刺さっていた。
黒い何かは、その刀の柄を握っていた。
◇◇◇
腹が痛い。歩くたびに痛みが全身に伝わってくる。
それでも、行かなければ。あいつの元に。
「あっ!!」
足元が急になくなった。僕はとっさに腹を抑えていない方の手で頭を押さえた。
四方八方からの衝撃を受けながら、僕は地面に寝転がってしまった。
必死に身体を起こし、周りを見渡す。
どうやら僕は、浅く広いくぼみに落っこちてしまったようだ。
「あの…時か。」
六儫が最後にあいつに使った技。あれがこれを作ったのだろう。
(行かなきゃ!)
僕が立ち上がろうとした時だった。僕の左隣に、何かが落ちてきた。
「六儫!」
六儫の顔には、ひびのようなものが入っていた。腹には穴が開いており、その周りにもひびが入っている。普段とは違い、息絶える直前のような弱弱しい顔だった。
「すまねぇ…。しくじった。」
顔に入っているひびが、喋るたびに広がっていく。
「守ってくれてありがとう!だからもう喋らなくていい!だから…もっとそばにいてくれよ。」
呼吸が上手くできない。目が潤んで守り神の姿がしっかり見えない。
僕は腕で潤んだ目を乱雑に拭き、六儫の顔をしっかり見た。
それを見た六儫は、僕を見てゆっくり微笑んだ。
守り神はひびが入った手を懐に入れ、2枚の紙切れを取り出した。それを、ひび割れていく腕でゆっくり僕の胸に当てた。
「式能…発動…。」
紙切れは淡く光始めた。紫と白に輝いている光は、ゆっくりと僕の胸へ吸い込まれていった。
「なぁ恒一。」
守り神は柔らかい口調で話しかけてきた。
「何?」
「恒一の夢って…何だっけ?」
「軍人になって…この国の人々を守ること!」
僕は震えながらも精一杯声を張った。
「そうか…。じゃあ、恒一が…人々を…守る…ように…、俺も…お前を…守っ…。」
守り神様はゆっくりと、僕の傍で砕けていった。
その顔は、とても満足気だった。
僕は守り神様がいた場所に腕と頭を付けた。
その直後だった。
首元に腹の時以上の衝撃が走った。
僕はそのまま、地面に倒れ込んでしまった。




