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『黒鎌のロア:神の盤面を燃やす王』  作者: Akarino−Hiro


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第5話 裏切りのユノ

「神を屠る器、だと?」


その言葉が落ちた瞬間、グリム門を包む夜の静寂が、さらに深く沈んだ。


誰も笑わなかった。


僧ニコでさえ献金箱を抱えたまま口を閉ざし、魔女ヴィヴィは鏡を伏せた。

戦士バンは肉を噛むのを忘れ、剣士ジンは酒瓶の蓋に指をかけたまま動かない。


不敵な笑みを崩さないロアでさえ、一拍だけ双眸を細めた。


降伏を名乗った男、ユノ・ラッドは、両手を上げたまま唇の端に歪んだ笑みを貼りつけている。


泥まみれの外套。

片耳で揺れる銀輪のピアス。

薄く笑う口元。


立ち居振る舞いは軽い。

声も軽い。

命乞いをするには、いささか芝居がかりすぎている。


だが、その眼だけは笑っていなかった。


「神殺しの道具、ねえ」


ロアは黒鎌シオンを無造作に担ぎ直した。


「ずいぶん物騒な手土産を持ってきたじゃねえか、寝返り野郎」


「寝返りだなんて、人聞きが悪いなあ」


ユノは肩をすくめた。


「せめて、新天地を求めた転職と呼んでほしいっすね」


「首を刎ねられなかっただけ、転職活動は成功だと思え」


「ええ、そりゃもう。この首から上の造形には、俺、けっこう自信があるんで。感謝しますよ、陛下」


ユノが深く頭を下げる。


軽薄な態度に、周囲の兵たちが殺気立った。


敵の斥候。

しかも、自分から内通を名乗り出た食わせ者。


信用できる要素など、爪の先ほどもない。


それでも、彼が運んできた「神を殺す道具」という言葉は、グリム門の空気を奇妙に冷やしていた。


「陛下」


ラウルが低く進言する。


「この男、信用するには、あまりに毒が強すぎます」


「誰が信用すると言った」


ロアはユノを見据えた。


獲物を値踏みする獣の眼だった。


「使うんだよ。道具は、使い道さえあれば毒でも構わねえ」


「おっかない王様だ。自覚、あります?」


「売りにしてるんでな」


「なるほど。悪い商売だ」


ラウルのこめかみが引きつった。


「あなたも命が惜しいなら、陛下を挑発するのはやめなさい」


「命は惜しいですよ。だから、こうして両手を上げてる」


「口も閉じれば、もっと長生きできます」


「それは難しいな。俺、口から先に生まれたらしいんで」


ニコが興味深そうに頷く。


「その口、献金の呼びかけに向いていますね」


「聖職者って、敵を勧誘していいんですかい」


「心ある者は誰でも歓迎します。財布があるとなお良い」


「ひどい教会だ」


「実用的な教会です」


この場にそぐわぬ軽口が挟まったことで、張りつめていた兵たちの呼吸がわずかに動いた。


だが、セナだけは笑わなかった。


白銀の鎧をまとった騎士、セナ・リュクス・アークライトが一歩前へ出る。


月光を受けた鎧は冷たい銀色に輝いていた。

肩当てに刻まれた無数の古傷は、彼女が潜り抜けてきた戦場の数であり、彼女という人間の矜持そのものだった。


「ロア王。その男はクロム元帥の飼い犬です。門の中へ入れるべきではありません」


「もう入ってる」


「ならば、即刻捕縛を」


「それも後だ。お前は重く見すぎなんだよ、セナ」


ロアは薄く笑った。


「こいつは軽い。だからこそ、使い勝手がいい」


セナはユノへ鋭い視線を向けた。


「なぜ来た。斥候なら、戦況を見て独りで逃げることもできたはずです」


「逃げ足には自信がありますよ」


ユノは笑った。


けれど、その笑みはすぐに消えた。


彼は肩越しに、漆黒の東街道を振り返る。


闇の向こうには、黒旗を掲げるクロム軍の松明が揺れている。

規律正しく、迷いなく、こちらへ迫ってくる光の列。


その闇の中に、ユノが置いてきたものがある。


「俺の小隊が、まだ向こうにいるんだ」


その一言で、場の空気が変わった。


バンの手が止まる。

ジンの目が、ほんのわずかに鋭さを増す。


セナが問う。


「部下を救うために、軍機を売ったというのですか」


「売ったんじゃない。持ってきたのさ」


ユノは両手を下ろさず、薄い笑みを戻した。


「俺の命と、あいつらの命。まとめて買い取ってくれる王様を探しにな」


「それを裏切りと言うのです」


「そうかもね」


ユノはあっさり認めた。


「けど、部下を捨てる上官に忠義を立てるくらいなら、俺は裏切り者でいい」


その声だけは、軽くなかった。


セナは口を閉ざした。


ラウルも、即座には言葉を挟めなかった。


ロアは、ユノの言葉を舌の上で転がすように吟味していた。


「いいな」


王が笑う。


「汚辱にまみれているが、芯だけは腐ってねえ」


「褒められてるんですかね、これ」


「褒めてる。不安な顔でいろ、ユノ。その臆病さが、お前を長生きさせる」


「臆病さを評価してくれる職場は初めてだなあ」


「うちは人材難でな」


「でしょうね。見渡す限り、まともな人がいない」


ラウルが即座に咳払いした。


「私はまともです」


「宰相殿だけは、まともすぎてかわいそうです」


「今のは慰めですか」


「哀悼です」


「まだ死んでいません!」


ロアが笑う。


その笑いが、次の瞬間には戦場の冷たさへ変わった。


「で、ユノ。持ってきた軍機を言え」


ユノの表情から軽薄さが一枚剥がれた。


「クロム軍の本隊が来る。数は七千」


ラウルの顔から血の気が引いた。


「七千…」


「先遣隊みたいな探りじゃない。門を奪還するための本命だ。重装歩兵、弩兵、騎兵、工兵。攻城槌も火壺もある。門を砕くための道具一式を、きっちり揃えてる。後詰として、虎の子の魔道隊も向かっている」


セナが低く言う。


「堅実な布陣です」


「堅い男だな、クロムってのは」


ロアがつぶやくと、セナが即座に訂正した。


「強い男です」


その声には、敵対する者への隠しきれない敬意が混じっていた。


ロアは面白そうに横目で見る。


「惚れてるのか?」


「騎士としての敬意です」


「俺様には?」


「最大級の警戒を」


「愛に育てろよ」


「断る。一生」


「頑固な女だ」


「あなたにだけは言われたくありません」


ほんの一瞬、戦場に似つかわしくない軽さが戻る。


だが、黒旗の列は近づいている。


七千軍勢。後詰の存在。

奪ったばかりのグリム門。

味方は疲弊し、負傷者と捕虜を抱え、城門の機構も完全ではない。


常識で考えれば、守り切れる状況ではない。


ロアは、黒鎌シオンを肩に乗せたまま言った。


「ラウル」


「はい」


「門は守らねえ」


ラウルのまぶたが痙攣した。


「……また、そのお言葉ですか」


「今度はさらにひどいぞ」


ロアは楽しそうに笑った。


「この門を、捨てる」


ラウルは絶句した。


セナの視線が鋭くなる。

ユノでさえ、笑みを薄めた。


「奪ったばかりのグリム門を、捨てると?」


セナの声には、怒りと困惑が混ざっていた。


「砦としてはな」


ロアは地面に落ちていた槍を拾い、石畳へ鋭い線を引く。


線が地図になった。


グリム門。

東街道。

中庭。

排水路。

湿地。

高台。


それは、これから起きる地獄の設計図だった。


「クロムは夜明け前にここを通過し、翌朝には全軍を入城させるつもりだ。正しい。実に堅実だ。だから、あえて中庭を明け渡す」


ラウルの目が細くなる。


「敵を中へ引き込むのですか」


「そうだ。勝ったと確信した瞬間が、一番脆い」


ロアは槍の穂先で、門の地下を示した。


「奴らがこの中庭を埋めた瞬間、水を流す」


沈黙。


セナの脳裏で、戦場の形が組み上がっていく。


開かれた門。

勝利を確信して進む大軍。

中庭へ流れ込む重装歩兵。

そして、突如として噴き出す濁流。


「グリム門の地下には、湿地の水を逃がす地下水道がある。さっきバンが通った道だ。あの水門を開け、中庭を一瞬で泥濘に変える」


「門を砦としてではなく、巨大な罠として使うのか」


セナの声に、わずかな戦慄が混じった。


重装歩兵は沈む。

騎兵は足を取られる。

整った隊列は、泥に呑まれて無様な塊になる。


そこへ、バンが突っ込む。

ジンが指揮官を斬る。

ヴィヴィが幻影で恐怖心を煽り、ラウル、ニコらが強襲する。


殺すためではない。


動けなくするための戦場だ。


「泥まみれの戦場か。いいな」


バンが獰猛に笑った。


「転んでも痛くねえ」


ラウルが頭を抱える。


「痛い痛くないの問題ではありません」


ジンが影からぼそりとつぶやく。


「泥なら、血が目立たないな」


「あなたも物騒なことを言わない!」


ニコがにこやかに献金箱を抱えた。


「泥拭き布も売れそうですね」


「配りなさい」


「ただ、という言葉は、宗教的試練ですね」


「あなたの宗教観が本当に心配です」


ロアは槍を投げ捨て、ユノへ視線を向けた。


「ユノ」


「はいはい。嫌な予感がしますね」


「クロムの元へ戻れ」


その場の全員が、ユノを見た。


ユノだけは、なぜか笑っていた。


「戻れば、たぶん殺されますよ」


「たぶんなら上出来だ」


「ひどい上司だなあ」


「逃げ出したふりをして戻れ。門内は混乱している。ロアは疲弊している。中庭は空だ。そう伝えろ」


「俺の言葉を、クロムが信じると?」


「信じるんじゃねえ。疑いながら利用する」


ロアは笑った。


「堅い男は、裏切り者を嫌う。だが、使える情報まで捨てるほど愚かじゃない」


ユノの目が細くなる。


「俺は、あんたにもクロムにも道具扱いってわけだ」


「嫌か?」


「いいえ」


ユノは軽く肩をすくめた。


「道具ってのは、壊れるまでは使い道がある。捨てられるよりずっといい」


セナが静かに言った。


「あなたは、本当にそれでいいのですか」


ユノは少しだけ目を伏せた。


その横顔から、いつもの薄笑いが消える。


「俺の小隊には、まだ十六人いる」


彼は指を折るように、ひとりひとりを思い出しているようだった。


「逃げ癖のある槍兵。手癖の悪い弩兵。泣き虫の新兵。飯を食うのが遅いやつ。字が読めないけど地図だけは覚えるやつ。俺の命令を聞くには、全員ちょっと馬鹿で、全員ちょっと人がいい」


ユノは笑った。


今度の笑みは、やけに弱かった。


「あいつらを、俺みたいな男の部下にしたまま死なせたくない」


誰も、すぐには言葉を返せなかった。


セナの表情が、わずかに揺れる。


ロアはユノを見据えた。


「戻れ。そして連れてこい」


「命令ですか」


「契約だ」


ロアは黒鎌の柄で、石床を軽く叩いた。


「お前は嘘を売る。俺様はお前の部下を買う。値段は、お前の命だ」


ユノは一瞬だけ黙った。


そして、いつもの薄笑いを貼り直す。


「高いなあ」


「部下の命だ。安く見積もるな」


ユノの喉が、小さく動いた。


「了解。転職初日から危険業務とは、なかなか景気がいい職場だ」


「失敗したら死ぬぞ」


「それ、どこの職場でも同じですよ」


ユノは背を向け、闇へ歩き出した。


その背中に、セナが声をかける。


「ユノ・ラッド」


「なんです、白銀の騎士様」


「もし本当に部下を救うために戻るのなら」


セナはほんの少しだけ、声を柔らかくした。


「死ぬな」


ユノは振り返らず、片手をひらひら振った。


「死ぬのは嫌いです。痛いし、退屈そうなんで」


そう言って、裏切り者は夜へ消えた。


     *


夜明け前。


グリム門の中庭は、不気味なほど静まり返っていた。


負傷者は高台へ。

捕虜は倉庫へ。

兵糧は北側の塔へ。

弩兵は城壁の陰へ。


中庭には、あえて隙を見せるための空白が作られている。


広すぎる空白。

誘うような空白。

勝者が慢心して踏み込みたくなる空白。


ラウルは城壁の上からそれを見下ろし、疲れ切った目でつぶやいた。


「これは防衛戦ではありませんね」


「そうだな」


隣のロアは遠くを見つめていた。


その時、東街道の闇の底から、地鳴りのような足音が響いた。


黒旗の軍勢。


クロム軍本隊。


重装歩兵の靴音が、石畳を叩く。

弩兵が列を整える。

攻城槌が軋む。

騎兵が槍を伏せる。


その先頭に、ユノがいた。


泥まみれのまま、肩で息をしながら、クロム軍の指揮官リオット・ベルンへ何かを報告している。


リオットは眉をひそめた。


疑っている。


だが、開いた門と空の中庭が、ユノの嘘に形を与えていた。


やがてリオットが剣を上げる。


「先鋒、前進。中庭を確保せよ。警戒を怠るな」


百。


四百。


八百。


重装歩兵が、開いた門をくぐる。

その足音が中庭を満たしていく。


さらに後続が続く。


千ニ百。


千六百。


ニ千。


ユノの小隊が左列へ入る。

その瞬間、ユノが何気ない仕草で耳の銀輪を弾いた。


ちり、と小さな音。


それが合図だった。


ロアが黒鎌を掲げる。


「ジン」


水門の影で、一本の鎖が断たれた。


次の瞬間、グリム門の地下が唸った。


地の底で眠っていた獣が目を覚ましたような、低く、重い響き。


石畳の隙間から濁った水が噴き上がる。


「足元を警戒しろ! 隊列を崩すな!」


リオットの叫びは、水の轟音に呑まれた。


一瞬で、中庭は泥濘へ変わった。


整っていた隊列が歪む。

重装歩兵の足が沈む。

盾が傾く。

槍が味方の肩にぶつかる。

騎兵の馬がいななき、泥を跳ね上げる。


そこへ、泥を蹴り立ててバンが突っ込んだ。


「うおおおおおっ!」


泥の中を、巨漢が笑いながら走る。


普通なら足を取られるはずのぬかるみを、バンは力任せに踏み砕いて進んだ。

盾兵が一人、宙を舞う。

次に二人。

三人目は水たまりに尻から落ちた。


「ほらよ! ぶん投げられても泥なら痛くねえだろ!」


「痛いです! 絶対に痛いです!」


どこかでラウルの悲鳴が聞こえた。


城壁の上では、ヴィヴィが指輪を鳴らした。


泥水の表面に、紫の炎が映り込む。


本物の火ではない。

水面にしか存在しない幻の炎。

しかし熱さは感じる。

高度な幻術は人の感覚を狂わせる。


兵たちは炎を避けようとして、さらに隊列を乱した。


「炎は燃えるから怖いんじゃないの」


ヴィヴィは紅い唇を歪める。


「燃えると思うから怖いのよ」


一方、ユノは左列へ滑り込んでいた。


「こっちだ! 馬鹿ども、右へ行くな! 右は沈む!」


「隊長、なんで分かるんですか!」


「俺が裏切り者だからだよ!」


「最悪だ!」


「生きてるだろ!」


ユノの小隊十六人は、泥の浅い石筋を伝って高台側へ走る。


その道を残しておくようロアに要求したのは、ユノだった。


部下を救うため。

その一点だけは、彼は最後まで譲らなかった。


リオット・ベルンは、泥の中で怒号を上げた。


「ユノ! 貴様、裏切ったな!」


ユノは息を切らしながら振り返る。


「ええ、まあ!」


彼は笑った。


軽く、薄く、いつものように。


けれど、その声は震えていた。


「でも、隊長ってのは、部下を死なせないためなら、多少は評判を落とすもんでしょう!」


リオットの顔が怒りに歪む。


その背後に、ロアがいた。


泥に沈まない安全な道だけを正確に選び、黒鎌を担いで歩いてくる。


最初から、どこが泥になり、どこが石のまま残るかを知っていたように。


「リオット・ベルン」


ロアは泥に足を取られた指揮官の襟首を掴み上げた。


リオットは剣を抜こうとする。


だが、黒鎌の刃がその首筋に冷たく触れた。


動けば終わる。


その事実だけで、リオットの体が硬直した。


「クロムに伝えろ」


ロアの声は低かった。


「門は渡さねえ。が、兵は解放する」


リオットの目に、屈辱と困惑が浮かぶ。


「殺さぬ、というのか」


「殺したら俺様の語り部が減るだろうが」


ロアは嗤った。


「次は、本人が来い」


夜明けの光が、泥にまみれたグリム門を照らし出した。


黒旗の軍勢は瓦解していた。

重装歩兵は泥濘に沈み、将校はジンに無力化され、ラウラ、ニコらには側面を強襲された。


だが、死体の山はない。

泥に沈み、武器を失い、戦意を折られた兵たちの山だ。


彼らは生きている。

だからこそ、屈辱も、恐怖も、黒鎌の王の名も持ち帰ることになる。


東の丘の上に、一頭の黒馬が立っていた。


灰色の軍装。

無駄のない姿勢。

感情を削り落としたような横顔。


レオ・ヴィクト・クロム。


帝国を二つに割った男。


彼は丘の上から、泥に沈んだ自軍と、黒鎌を担ぐロアを静かに見下ろしていた。


怒りはない。

焦りもない。


ただ、見ている。


ロアはその視線に気づき、不敵に黒鎌を掲げた。


クロムはしばらく動かなかった。


やがて、ゆっくりと右手を挙げる。


撤退の合図。


「退いた、のか……?」


ラウルの呟きを、ロアが笑って遮った。


「違う」


ロアは泥の上で、獰猛に笑う。


「あいつは退いたんじゃねえ。見に来たんだよ」


「何をです」


「俺様という獲物をな」


セナは丘の上のクロムを見つめていた。


その横顔には、かつての同僚への敬意と、今や敵となった男への痛みが混じっている。


ユノは泥まみれの小隊を背に、力が抜けたように座り込んだ。


「隊長」


泣き虫の新兵が、震えながら言った。


「俺たち、生きてます」


ユノは笑おうとした。


けれど、うまく笑えなかった。


「だろ」


声が少しだけ掠れていた。


「俺の裏切りも、たまには役に立つ」


ロアはその横を通り過ぎながら言った。


「よくやった、裏切り者」


「褒め言葉として受け取っていいんですかね」


「勝手にしろ」


「じゃあ、給金は高めでお願いします」


「働いてから言え」


「もう死にかけたんですけど」


「うちは死にかけただけでは払わねえ」


「ひどい国に転職しちゃったなあ」


ラウルが疲れ切った声で言う。


「私も時々そう思います」


朝焼けが、泥にまみれた門を赤く染めていく。


その光の中で、黒鎌シオンが妖しく輝いた。


青白い文字が、刃の奥に浮かぶ。


『異常値、拡大』


ロアは空を見上げる。


すると、黒鎌の内側から、死んだはずの皇帝の声がかすかに響いた。


「ロア・ヴェル・レヴェン」


全員には聞こえない。


だが、ロアには聞こえる。


冷たい刃の奥で、死者の声が告げた。


「クロムは敵ではない。ノアが動かした駒だ」


ロアの笑みが、ゆっくりと深くなる。


丘の上では、クロムの背後に白い影が一瞬だけ立っていた。


人ではない。

霧でもない。

月光を人の形に削り出したような、無音の影。


次の瞬間には、もう消えている。


ロアは黒鎌を肩に担ぎ直した。


「面白え」


朝焼けの中、狂王は神がいるはずの空へ牙を剥いた。


「じゃあ次は、盤面の外から殴ってやるぜ」

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