15. 霧の谷
最近少し、いや、大いに気になる噂が村に広がっている。
それというのが、村から山を越えた先にある霧の谷にドラゴンが棲みついたというものだ。
ドラゴンだよ! 異世界なら定番のあのドラゴン! ファンタジー最強の生物ドラゴン!
異世界でありながら、魔物も魔獣もいないこの世界では幻でしかないと思っていたあの存在が、すぐ近くにいるというのだ。これは確認しないわけにはいかないだろう。
俺は早速ヴィーに連絡を取って一緒に行く約束を取ろうとした。だって、一人で行ってドラゴンに襲われたら逃げきれないかもしれないが、ヴィーが一緒なら転送で確実に逃げられるから。それなのに、腕輪にタッチする直前に招かざる来訪者があった。
「アッシュ! いるんでしょう。出てきなさいよ!」
この声はイザベラだな。無視してもよかったが、奴の場合、いつまでも大声で呼び続けるから家族の迷惑になりかねない。俺は仕方なく玄関から外に出た。
「なんだイザベラ、わざわざ泣かされに来たのか?」
「なっ!」
「ほらイザベラちゃん、アッシュくんは本気だよ。だから、わざわざ泣かされに行くのはよそうと言ったのに」
言葉に詰まって震えるイザベラの影からルルが現れて、イザベラの服の裾を引っ張った。
「泣かされたりなんかしないわ。こっちがまた、泣かしてやるんだから」
イザベラはルルの手を振り払い、俺に向けて啖呵を切った。
「ほー。どうやって俺を泣かすというんだ。この前のように魔法のことを言われても、今は痛くも痒くもないぞ」
「ドラゴンよ! あなたのことだから、どうせドラゴンの噂を聞いて浮かれていたんでしょう」
うっ! 痛いところを突かれた。そのとおりだ。今も浮かれてヴィーに連絡を取ろうとしていたところだった。
「ふん! その顔は正に的中ね。ドラゴンなんかどうせ、コウモリに捕まえられたトカゲを見間違えただけよ」
「確かに、その要素が揃えばドラゴンぽく見えるだろうが、大きさが違いすぎるだろう。大きさが!」
「あくまでドラゴンはいると言い張るのね。それならいいでしょう。今から私たち三人で霧の谷に確かめにいきましょう」
「えー! 今から霧の谷に行くのか?」
ヴィーと一緒に行こうと思っていたんだが、これだと、いざという時転送で逃げられないぞ。
「えー! 三人って、あたしも行くの?」
「当たり前でしょ! アッシュと二人きりになったら、あんなことやそんなことされちゃうじゃない」
「え、お外でするの? イザベラちゃんって大胆!」
「私がするんじゃないわよ。無理やりされちゃうの!」
「流石にアッシュくんも最初からお外ではやらないんじゃない?」
「最初からって、そのうち外でもやるってこと!」
なにやら女の子二人で盛り上がっているが、あんなことやそんなことってなんのことだ?
「そんなことより、霧の谷に行って襲われたらどうするんだ」
「キャー! アッシュくん大胆!」
「や、やっぱり襲う気なのね!」
こいつら!
「ドラゴンだよ! ドラゴン! ドラゴンに襲われたらどうする気なんだ」
「ドラゴン何ていないからその心配はないわよ」
「あたしは二人を置いてでも逃げるから」
「イザベラ、泣いても助けてやらないからな」
「ドラゴンがいなくて泣くのはあなたよ」
ということで、俺たち三人は山道を登っている。
「はあー。疲れたわ」
「行こうと言い出したのはイザベラ、お前だぞ」
ヴィーと一緒なら転送で行けたから、山を登る必要もなかったのに、無駄な苦労をする羽目になったもんだ。
「こんなにきついとは思わなかったのよ。アッシュおんぶ」
「馬鹿か! 俺だって疲れてるんだよ」
俺が大人ならともかく、歳が一つしか違わない子どもだぞ。山道をおぶって登るなんてとても無理だ。
「使えないわね」
「この野郎! ここで泣かしてやろうか?!」
「え! ルルもいるのに、こんな所で?!」
こいつ、震えながら、なんで期待に満ちた表情をしているんだ?
「二人とも、じゃれあってないで、もうすぐ頂上だよ」
「「じゃれあってない」わよ」
ルルの言うとおり、それからさほどかからず、俺たちは山の頂上に着いた。見下ろす先には雲海のように霧で閉ざされた谷が見える。
「あれがドラゴンが棲みついたという霧の谷か……」
「ここからは下りね。楽ができるわ」
「帰りはその分登らなくちゃならないけどな」
「今それを言わなくてもいいじゃない。本当、いい性格してるわよ」
「ねえ、二人とも何か変な音が聞こえない?」
ルルに言われて耳を澄ますと、確かに何か引っ掻くような音が聞こえる。
「谷の方からか?」
「きっと谷を風か抜ける音よ」
「霧が出てるのにか?」
「そんなこともたまにはあるのよ!」
「行ってみるしかないか」
どのみち、ドラゴンを確認するには行くしかない。もしかすると、ドラゴンの寝息かもしれない。それなら襲われる心配がないからラッキーなのだが。
「慎重に行きましょう」
ドラゴンのことを全く信じていないイザベラも気を引き締め直したようだ。
俺たちは周囲に気を配りながら谷へと降りた。
谷へと降りると謎の音は更に大きくなり、霧で見えないが、何か大きなものが蠢いているのを感じ取れた。
「何かいるみたい?」
「きっと、気のせいよ!」
「もう、ドラゴンがいると認めてしまった方が楽になれるぞイザベラ」
「そんなわけないでしょ!!」
イザベラが大声を上げた途端、谷に響いていた音が止んだ。
「何かヤバくない?」
「イザベラが大声をあげるから」
「私のせいだというの!」
「あたし逃げる」
「あ、ルル!」
言うが早いか、ルルが一目散に逃げ去った。
俺も逃げるか迷ったが、ここまできたらドラゴンの姿を確認したい。もう少し踏み込んでみるか。俺が歩き出そうとすると後ろから震える声がした。
「アッシュー。置いてかないでー」
声のする方をみると、そこにはイザベラが、ルルに先逃げされ、一人では逃げられずに半べそをかいて震えて立っていた。
仕方がない、引き返すか。
その時である。風が吹き、霧が晴れた。
そこには巨大なドラゴンが。
「でかい!」
「あわわわわ!」
ドラゴンは、広げた翼に光を纏わすと、羽ばたくことなく大空に舞い上がった。全長は五百メートル位あるだろうか? とにかくでかい!
あの巨体が宙に浮いているのだ、絶対に浮遊魔法だろう。
そして、ドラゴンはそのまま空の彼方に飛び去ってしまった。一瞬の出来事に現実か幻か判断に困るほどだ。だが、霧の晴れた谷の壁面の岩肌には、ドラゴンが付けたと思われる爪痕が無数に残されていた。
「イザベラ、大丈夫か?」
しばらく呆然としていた俺は、イザベラもいたことを思い出し、彼女に声をかけた。
「大丈夫じゃないわよ!」
彼女は腰を抜かして、地べたにへたれこんでいた。そして、その下には大きな水溜まり。
「これは、あれよ。ドラゴンが美味しそうな私を食べようとして涎を垂らしたのよ」
「確かに、俺たち三人の中では、イザベラが一番美味しそうだな」
さすが権力者金持ち村長の娘である。日頃から食べている物が違うのだろう。程よく肉が付いて美味しそうに見える。
「まさか、あなたも私を食べる気なのね!」
「ふふふふふ」
俺は彼女ににじり寄った。
「くっ! やるなら一思いにやりなさいよ!」
彼女は大の字になって寝転がった。
「いや、本当に食べるわけないだろ」
「え? なんで食べないのよ? 私ってそんなに魅力がない? 据え膳食わねばと言うでしょ」
え? 何言ってんだ、こいつ?
「おおーい! 二人とも大丈夫?」
さっさと逃げていたルルが、ドラゴンが飛び去って、安全になったと思い戻ってきたようだ。ナイスタイミングだ。
「ああ、俺は無事だが、イザベラが腰を抜かしたようだ」
「そうなんだ。大きかったものねドラゴン。無理もないよね……、お漏らししちゃっても」
ああ、ルル、言ってやるなって。
「う、う、う、お漏らしじゃないわよ! ドラゴンの涎よ!」
イザベラはドラゴンの涎で押しとおす気のようだ。
「ふーん。まあ、何でもいいけど、臭いから、あそこの小川で綺麗にして来れば?」
ルルも容赦がないな。
「連れてって!」
ああ、まだ、一人で立てないのか。
「連れていってってば!」
「はいはい」
俺とルルでイザベラの両脇を抱えて小川まで連れて行き、小川の清流で不浄を清めさせた。
お姫様抱っこ? 無理、無理、俺はまだ子どもだから。
そして俺たちは、やっと歩けるようになったイザベラの尻を叩きながら、なんとか無事に村に戻ったのだった。




