第19話
滝から上がり、着替えてどのくらい経っただろうか。俺たちはあまりの荒行の後だったためか、しばらくの間無言で山道を歩いていた。最早歩いていること自体が奇跡のような状況なんじゃないだろうか。思考も停止し、ただ道があるから歩いているだけだった。やれトレッキングだ、登山だなんて気持ちは今はない。黙々と歩く。
沈黙を切り裂いたのが、助教だった。
「大丈夫かー、みんなー! 着いてこれてるかー!」
その言葉でハッとした。……いや、着いてこれてねぇって!! 胸の中で大きなツッコミ。助教、ボケるのもいい加減にしてくれ!! あんたはバケモンだ!! ……だが、実際のところなんとか山道に関しては着いて行っている。ん? 山道を歩けているってことは、俺たちもしかして、『着いて行けている』ってことか……?
「俺たち、やればできるんだな?」
本能寺先輩が少し回復したような声を上げると、後ろにいた三蔵も反応する。
「確かに……!」
い、いや、まぁそうなんだけどな!? 荒行だの苦行だの言いながら、今山道をしっかり歩けている。まだガクガク寒さで震えてはいるけど。
「に、人間って結構やろうと思えば頑張れるんだね!?」
後ろのほうで柊の声も聞こえる。なんだ、その宇宙人みたいな視点。でも、その通りだ。俺たちはなんとか頑張れている。
「いやぁ、死ぬ気でやればなんとかなるとはいうが……」
「で、でもこれはやりすぎな気も……」
智里先輩と宇佐美さんもまともな思考をしている。寒さでおかしくなりそうでも、まともな精神を保てているのはすごいな。ふたりの言う通り、漁火助教はやりすぎだ。これはむしろ、ついて行けている俺たちの状況が奇跡なんじゃないだろうか。
「じょきょー、着いて行けるのは俺たちくらいだって認めてくださいよ!」
閂先輩が冗談めかして言うと、みんな苦笑いした。大声を上げる元気は復活してきたらしい。というか、むしろ声を出しているほうが楽な気もしてきた。俺も景気づけに声を上げる。
「助教、あとどのくらいですか? どのくらい山登ったんですか、俺たちは!」
時計を見ると、ようやく8時。先程滝行した滝はすぐそばだが、いつの間にか雨が止み、日も出てきていて虹が架かっている。8時ってことは、3時から歩いているから……7時間くらい経過しているのか。
「今、ちょうど三分の一くらい来たところだ!」
「まだ三分の一〜!?」
柊も声出しをする。これだけ歩いて三分の一……。滝行もしていたからな。でも、ありがたいことに日差しも出てきた。冬の山でもこれから気温が高くなってくるはずだ。冷えた体を日の光で温めたい。
みんな、声出しで活気づくことがわかったのか、今まで無口だったのが急に饒舌になっていく。
「話しながら歩いていると寒さが紛れる気がします!」
とは宇佐美さんの弁。うん、俺もそう思う。
「じゃあ、何か歌でも歌うか? 誰か、歌える人ー!」
閂先輩が大声でたずねると、助教の後ろにいる本能寺先輩が返事をする。
「普段歌ってるのは総だろ! 讃美歌とかあるだろ!」
「讃美歌は数がありすぎてな……オルガンの前奏がないと歌えん!」
「わ、私も……。楽譜を見てなんとか歌っている状態なので……」
「じゃあ、お経でも唱える? 三蔵サン!」
「経……まだ覚えてないんだ! 本能寺先輩も仏門でしょう? 覚えていないんですか!?」
「お、俺もまだまだ未熟なんだよっ……! 流行りの歌でも歌えないのか、1年!」
「は、流行りの歌ですか!?」
俺にそれをきくかぁ〜!? うちも一応教会だけども、讃美歌はトラウマだし……。だからと言って、流行歌とは無縁の生活を送ってきていたからなぁ。
「歌なんて歌えません!」
俺ははっきり答えた。
「はっはっは! 流行歌を知らなかったら、カラオケは行けないな!」
助教が笑う。カラオケか……。確かに遊びに行かないな、そんな場所。
「デートとかで行かないのか?」
本能寺先輩が後ろを向く。俺はざっと答えた。
「デートって……。俺、高校がほぼ男子校の工業高校だったんですよ。デートも何もないです。そもそも今は大学に入学してきたばかりですし。そういう先輩方はどうなんですか。御三方で行ったりしないんですか?」
俺が大きな声でたずねると、閂先輩が下方から叫んだ。
「カラオケ!? 俺も流行歌は知らねぇ! 知ってるやついるか!?」
「僕も知らんな。讃美歌を覚えて、カラオケに入っているか今度チェックするか……。1年女子。君も聖職者志望だったな。一緒に覚えるか?」
「え……」
「あーっ、智里先輩、うさみんをデートに誘ってる!? よくないよ!」
柊がたしなめると、智里先輩は照れたのか図星だったのか声が上擦った。
「い、いや、決してそんな不健全なことを考えたわけでは……」
「先輩、学年が上ということを傘に着て後輩を誘うのはいただけませんよ」
俺からも一応苦言を呈しておく。
「総、行くなら俺たちとだぞ! 俺も経文がカラオケに入っているか見るからよぉ!」
「本能寺先輩、多分歌じゃないから入っていないと思いますが?」
三蔵もまともなことを言う。そりゃそうだ。
「だけど……なんかこの山登りって、新歓ハイキングってやつみたいですね!」
天然なのか? 宇佐美さん。あの荒行のあとで出た言葉が『新歓ハイキング』って……。呑気過ぎるワードセンスだ。だけどもそれに便乗したのが漁火助教だった。
「新歓ハイクか。昔は合コンの代わりに『合同ハイキング』なるものもあったのだよ。時代だな」
「助教、これは研究の一環です」
三蔵が言うと、助教は笑った。
「はっはっは、いやはや失敬! でも、お主らは聖職者になりたいと言ってはおるが……恋愛や結婚はしないということか?」
「えっ?」
宇佐美さんが素っ頓狂な声を上げたのが聞こえた。もしかしてーー彼女は特に恋愛とか結婚とかについて何も考えてなかったのか?
「今は少子化とかいう話も聞いている……そんな中、聖職者になるならば、お主らの考えを聞いておきたい」
言われてみれば……。俺は一応牧師の息子ではあるけども、将来跡を継ぐ気はない。だけど、正直な話、恋愛とか結婚観って考えたことがなかったな……。だが、無言が続くということは、俺以外のメンバーーー3ぼーず先輩方も含めてーー考えたことがなかったのだろう。大学時代は遊べる! とか言って、羽目を外す輩が多い中、まともに勉学に励んでいるということか。勉学と言っても『魔法研究』だけども。
「お、おい! 俺たち、天利先輩に気を取られて、恋愛なんぞ考えたこともなかったぞ!」
「天利先輩がどうにか単位を取ってくれないと、話は先に進まん!」
「あの人がまた留年したら……俺たちは結婚についてすら考えることができないのか!」
……3ぼーず先輩たち、ここまで来たらある意味天利先輩をうまくだしに使っているだけな気もするけど、至って本気だとしたらそれはそれでまずい。
「柊は聖職者志望じゃないな? 恋愛とか結婚についてはどう考えてるんだ? 後学のために教えてくれ」
三蔵が言うと、柊は少し調子に乗った。
「ふっふん、ライバルに教えを乞うとは、三蔵サンわかってるね! ボク自身は……とりあえず卒業を目指したいし、学年首席って目標があるからね。恋愛しているうちに三蔵サンに出し抜かれるわけにはいかないよ!」
「それもそうだな」
「私たちは1年生ですし、学生の本分は勉強だよね!」
三蔵も宇佐美さんも、色気より食い気……ではなく、色気より勉学、かぁ。これもまた、新しい形だなのかもしれないな。だけど、それじゃあ少子化はどうなるんだろう?
「……ふむ、新たな研究の題材になりそうだな! はっはっは!」
助教が満足気に笑う。研究の題材ねぇ……。いや、待て。一番考えないといけないのって、年齢的にも漁火助教じゃ……? 豪快に笑っている場合じゃなくて。助教も天然通り越している何かなのだろうか。
だけど、俺自身も考えないといけないかな。すぐ先のことではなく、まだまだ先のことかもしれないけども。そんなことを考えていると、少しずつだけど凍えていた体が温まってきたような気がした。




