#59 「アビス・アクアリウム」攻略戦
水中という圧倒的なアドバンテージが無くなったフカは、手が届く程の強さに下降修正されていた。
勿論、彼女の「エゴ」は非常に強い。ただ、こちらは身動きが取れる上に、相手の動きも並だ。
攻撃を受けることはあるが、全てではない。噛み千切られることもなければ、致命傷を受けることもない。
(この状況下なら、負けないかも知れない)
のるんはちらりとフカを見ながら安堵する。彼女を救う為の時間制限は取っ払われた。
時間を掛けて、彼女を倒せばいいだけだ。その事実があるだけで、のるんの心は随分と穏やかだ。
「戯装」でフカの「エゴ」に鋭い一閃をお見舞いすると、彼女は距離を離して不敵に笑う。
「ふふっ、水中から引き摺り出せば、楽勝とでも思ったでしょう。鮫というのは、陸海空の三つを制する最強の生物なんですわっ!」
「海だけでしょ……。創作上の鮫はそうだけどさ。リアルに空と陸に居たら溜まったもんじゃないよ」
フカの「エゴ」は、鮫の頭が飾られている錫杖の先をこちらに向けている。
見た目は杖だが、槍のように扱う辺り、武術にも長けている可能性だって有り得る。
精神力は最大限温存し、相手の動きを様子見しながら、のるんは相手の出方を伺う。
(また水を出されない限りは、力量差で負けることはない筈……)
様子を見るに、フカは詠唱術メインで戦う強襲者兼支援者といった印象だ。
のるんも強襲者ではあるが、扱える支援系詠唱術の種類はそう多くはない。
だが、フカは支援系をしっかり掛け、時には回復系の物も使用して戦うバランス型だ。
一対一では、どちらが勝るか分からない。だが、決して分の悪い賭けではない。
使用する属性も同じな辺り、属性や職種ではなく、力量差だけで差がついてしまう。
「何をぼーっとしてるんですの。様子見のつもりですこと?」
こちらが動かないことに、苛立ちを覚えているフカの「エゴ」は顔を歪ませながら嘲る。
昔からだったかは覚えていないが、どうにも時折、思考の海に溺れるような感覚に陥る事が多い。
命が懸かっている状況下で、こうなってしまうことは良くない。集中しなければ。
「まさか、貴方の動きを冷静に分析してただけだよ」
「水がなくなっただけで随分と余裕綽々ですわね。一つ言っておきますが、こちらの方が圧倒的に有利なんですのよ?使用する詠唱術の属性も、武器も、戦術もある程度は想像がついていますもの」
自身に満ち溢れた表情を見せながら、「エゴ」は胸を張る。
どうやら、属性二つを見ただけで、それが全てだと錯覚しているらしい。
地変属性の詠唱術は文字通りの切り札にしておいた方が良いだろう。肝心な時に使おう。
のるんは、己が有利だと悟らせぬように、精一杯の苦しげな表情を浮かべ、「戯装」を握り直す。
「それだけで有利になる訳無いじゃない。最後に立ってた方が勝ちなんだから」
「ふふっ、じゃあ試してみましょうか。こういったのは如何ですっ?」
フカは錫杖を持ち、こちらへと走り出している。杖からは氷結系詠唱術の気配。
だが、発動タイミングは分からず、終ぞ、鍔迫り合いの形になるまで、発動はされなかった。
二振りの刃を交差させた所で、「エゴ」の錫杖を受け止める。
膂力の差はあまり無いはずだが、のるんは容易に「エゴ」を押し返せずに居た。
(支援系の詠唱術を使っていた訳じゃないのに……?)
嫌な予感がしたのるんは、不敵に笑う「エゴ」の表情を見て、刃を無理矢理上に振り上げ、距離を取った。
後方へ距離を取ったのるんは、「エゴ」の錫杖を見て、その予感が正しかったことに気づいた。
「あら、バレちゃってましたの?」
「……詠唱術を使用しないなぁとは思ってたけど、そういう使い方もあるんだって驚いたよ」
「エゴ」の錫杖の杖先に、氷で出来た鎌の様な曲線を描いた刃が生成されていた。
もし仮に、あのまま鍔迫り合いをしていたなら、今頃、刃で脳天から貫かれていただろう。
そう考えるとゾッとする。勘で逃げて居なければ、きっと、今頃死んでいたに違いない。
「ふふふ、詠唱術は奥が深いんですのよ。氷結属性一つとっても色んな使い方がありますもの。精々、わたくしを楽しませてくださいませ?」
「余裕ぶってるのも今のうちじゃないかなぁ〜」
のるんも、詠唱術を唱え、「エゴ」のように武器に属性を纏わせる準備をする。
「戯装」の先端に氷を纏わせて、状況に応じて射出したり、武器のリーチを伸ばせるように発動はせずに留めておく。
「エゴ」はのるんが同じ事をしたことに気付くと、興味深そうに「戯装」をまじまじと見る。
「あら、貴方も使えたんですのね。普通は、見ただけでそんな簡単に使えませんわよ?」
「さぁ。ボクは初めて使ったけど、案外簡単な詠唱術なのかもよ?」
のるんが挑発をすると、「エゴ」は不敵に笑って、錫杖を構え直す。
今はのるんが距離を取っているので、超近接戦闘は難しいだろう。
比較的軽かった錫杖とは違い、今の「エゴ」が持っているのは氷結の刃を纏った鎌だ。
さぞ、動きが鈍って、軽い武器を扱うのるんに、速度で大幅に負ける可能性が高い。
(速度で圧倒して、奇襲で氷結とか崩壊の詠唱術で削り切るしか無いかな)
彼女は、錫杖の攻撃、氷結属性の詠唱術、尻尾を絡めた体術で戦う傾向があるようだ。
至近距離も、中距離も、遠距離も満遍なくカバーしている。苦手な距離感もなさそうに見える。
隙が無い強襲者程、一人で相手していて手強い者は居ない。自分もそうなりたいものだ。
「そんな訳無いでしょう……。大体、一つの詠唱術を編み出すのにも、それなりに時間や労力を要するものですわよ?それを見様見真似で出来るなんて溜まったもんじゃありませんわ」
「そうなんだ?じゃあ、腕前を見て貰ってもいいかなっ!?」
のるんは、「戯装」を握り締めて、離れていた距離を一気に詰める。
尻尾の薙ぎ払いを瞬時に躱して、「エゴ」の喉元目掛けて右の刃を横薙ぎに振るう。
「そんな見え見えの攻撃なんて当たりませんわよ」
「それはどうかな」
「エゴ」が後ろに距離を取り、躱そうとしたのに気づいた瞬間に、のるんは詠唱術を展開する。
躱しきったと思った矢先に、氷刃でリーチを無理矢理伸ばして「エゴ」の喉元に刃を届かせた。
「かはっ……ちぃ……。まさか本当に成功させるとは……貴方何者なんですの」
「ただの高校生だよ。平穏を望んで戦火に身を投じた馬鹿で愚かな……」
その先は言い淀んだ。決して言った所で意味なんて無い。その程度のものだったからだ。
展開した氷刃を解除し、のるんは再び、刃に詠唱術で再展開の準備だけ整えておく。
「ただのしがない高校生だよ。多分ね」
「ただの高校生風情が……わたくしを押してる訳無いでしょうが……!」
喉元からだらりと垂れている血を、指で乱雑に拭ったフカの「エゴ」は怒りで顔を歪めている。
余裕な表情など、とうに失われている。あるのは、眼の前の獲物を噛み殺すという殺意だけだ。
折角のメイド服も、白かった部分が徐々に血の色に染まっていく。誇りも何もあったものではない。
「こうなりゃ、ヤケですわ。生徒だかなんだか知りませんが、絶対に殺してやりますの」
「それさっきも聞いたしぃ〜?教師が生徒を殺すなんて怖ぁい〜」
安い挑発だと知りながらも、のるんは全力でフカの「エゴ」を煽る。
こう見えて、フカ本体は煽りに非常に弱い。同じ存在だと言い張るなら、きっと彼女も。
「てっめぇ……絶対奥歯ガタガタ言わせてやるから、覚悟しやがれですわ!!」
「きゃぁ♡水が無くて泳げない魚類様が何か言ってる〜〜!」
可愛らしい会話に聞こえなくもないが、その実、殺意だけが水槽内に満たされていた。




