#58 「逆転の壱手」
ガラスを破壊することが出来ず、のるんはその場で立ち尽くしてしまう。
時間制限のせいか、フカの「エゴ」は水中でのるんの周りを回遊するだけで、何もしてこない。
(どうすればいい!?何か、この状況を脱する糸口は……!?)
こうしている間にも、のるんの居る水槽も、フカの居る水槽も、刻一刻と水が増え続けている。
段々と増えていく「エゴ」の領域は、彼女の力を増幅させていってしまう。
水中での機動力が、陸上の数倍を誇る彼女を、水中から引き剥がさない限りは、力負けするだろう。
(水中で勝てないなら、水中から引き摺り出せば良い。じゃあ、どうやって……?)
のるんは改めて、自分が立っている戦場を見返してみる。
天井にもガラスが張られており、水槽の水はどんどん増えており、足場になりそうな場所もない。
ガラスを攻撃しても、耐久性が尋常ではなく、「戯装」でも詠唱術でも破壊できる見込みがない。
この状況で、どうやってフカの「エゴ」を水中から引き摺り出せば良いのだろうか。
段々と体温と体力が奪われていく中で、のるんは懸命に考えを巡らせる。
何か一つ閃けば、打開できる可能性があるかも知れない。出来なければ死ぬだけだ。
「どうすれば……あ……」
「うふふっ、ただの人間風情が、水中に居る鮫に勝てる訳がないのですわ!圧倒的実力差で分からせるのも快感ですが、無駄な体力は使わない主義なんですの〜。貴方が死ねば、わたくしは現実世界で推し活に励みますわぁ!」
勝ちを確信しているのか、のるんとフカを殺した後の事を考えながら、心の底から楽しそうにしている。
ただ、のるんは引っ掛かった。何故、フカが死ねば、「エゴ」が現実世界に足を運べるのだろうか。
冥土の見上げという体で、情報を引き出しながら、何とか打開策を考えなければならない。
身体の震えを、隠そうともせずに、のるんは弱々しい態度を装いながら、「エゴ」に視線を向ける。
「どうして、猫鮫先生が死ねば、貴方が現実世界で推し活が出来るの?」
「……?貴方は「エゴ」狩りじゃないんですの?なーんだ、本当にただの生徒なんですの」
のるんの言葉に、「エゴ」の余裕そうな態度が、より強くなった。
「エゴ」狩りという聞き慣れない言葉に、疑問を抱きながら、のるんは言葉を続ける。
刻々と迫る期限がある中で、こんな事をしている暇があるのか、ずっと考えながら、話す。
「仕方ありませんわねぇ。わたくしも「教師」の端くれ。簡潔に「エゴ」狩りについて、教えて差し上げましょう。と言っても、又聞き程度ですけれどね。どうやら、この世界でビジネスとして「エゴ」を狩る集団がいるらしいですわ。大体は徒党を組んで活動しているらしいですけれど、一人だけ恐ろしい人間が居るんですのよ。出会ったら、即消されるって聞きましたわ」
のるんは、悠々と大事な情報を喋っている「エゴ」の情報を、頭の中で整理する。
彼女が言っているのは、「天下布舞」の可能性が高い。単独で恐ろしく強いのは「カレンデュラ」の事だろう。既に知っている情報だと判断して、改めて水槽を見回す。
傷一つついていない水槽に隙は無さそうだ。なら、水槽を破壊するのは無理だろう。
(なら、水槽の水をなんとかするか、地変属性で無理矢理水から隔離させる……?)
地変属性でフカの「エゴ」が居る場所をピンポイントで隆起させ、水中から追い出すのは、かなり難しい。
動きを完全に予測した上で、「エゴ」が居る場所を一気に地変属性で持ち上げるしか無い。
かなりの速度で泳ぐ彼女は、こちらの動きを理解されたら、もう捕まることはないだろう。
一度きりのチャンスを掴める自信はない。この案は無しだ。
「ま、その人間も、若い女と聞いていますし、水の中ではわたくしの敵ではありませんわ!あと、なんでしたっけ。わたくしが「本物」を殺す理由でしたっけ?簡潔に答えを言うのであれば、本物が死ねば、死んだ後の肉体はわたくしのモノになりますの。だから、大半の「エゴ」達は、この世界に「本物」を引きずり込んで殺すんですわ。まぁ……色々ルールがあって、面倒ですけれど。リターンはかなり大きいですもの。多くの産まれ落ちてしまった「エゴ」は、成り代わりを目指しますわよね」
「成り代わり……、この世界で命を落とせば、「エゴ」に身体を乗っ取られるって事ね」
前回の「凪織城」攻略時にも、なしろが似たようなことを言っていたのを思い出す。
「カレンデュラ」の危険性や、この世界──フカが創り出した心象風景を基に作られた処刑場の事を。
『原則として、産み出された「処刑場」を改変することは出来ないと思っていいわ。堕とされた人は往々にして、こういった後ろめたい部分や、表に出せない感情を、こういう風に発露する事が多いの。これが脚色されたものなのか、それとも実際に起きた事をありのまま出力したものなのか。その程度のものよ』
原則として、堕とされた者の思考や、心理背景を汲み取って、「エゴ」が本物を殺す為の処刑場が作られる。
誰が作っているのかは不明だが、フカの物も凪織のも、どちらの処刑場も、本当に悪趣味だ。
精巧に描写された、水族館の生物達も、「エゴ」に塗り潰され、本来の美しさを失っていた。
フカは、授業中にも全国各地の水族館巡りをするのが好きだと言っていた。そんな彼女が、どうして此処まで歪な水族館を産み出したのかも気になる。
(けど、今は……)
のるんは、未だに目を覚まさないフカをちらりと見る。
今は彼女を何とかして、救い出さなければならない。例え、死を望んだとしても、絶対に許さない。
自分の平穏な日常に、フカの死は必要無い。フカの笑っている顔が見たい、理由はそれだけだ。
「さてさて、メイドの土産はこれくらいにしましょうか。もう直、あちらの水槽も、こちらの水槽も人間一人くらいなら立てない水量に近づいて参りましたわ。直接手を下すのは趣味じゃありませんし、勝手に死んでくださいませ?」
「くっ……。何か、打開出来る手段は……」
少しでも良い。この状況の違和感を、探り当てなければ、本当に死んでしまう。
(……あ、そう言えば。水槽の水が、何処から増えてるか……だっけ)
水嵩は刻一刻と増えているが、水槽には、穴一つ存在しない。
つまりは、何処かから転送されているか、詠唱術で水を産み出しているかの二択になる。
だが、転送された真水の可能性はない。
のるんの傷口から出た血が、即座に薄まったのを見ると、詠唱術で生成された水と見て間違いない。
フカの「エゴ」は水中での戦闘が、非常に強力なのを鑑みると、氷結属性を扱える可能性は高い。
(じゃあ……、フカの詠唱術を強制的に止めてしまえば……)
水槽から水を出せない以上、何かしらの手段で水の供給を止める必要がある。
生成された水も、これ以上はフカの命に関わる為、すぐに行動をしなければならない。
のるんは徐ろに、詠唱術を詠唱し、水中で悠々と泳いでいるフカに狙いを定める。
「んん?今更詠唱術ですの?無駄ですわ、水中にいるわたくしは無敵。攻撃は絶対に当たりませんの」
「大丈夫、別に貴方を狙ってる訳じゃないから。ただ、絶対に当たるけどね」
詠唱が完了し、後は発動させるだけだが、のるんは唇に人指し指を添え、ニコリと笑う。
呼吸も困難な程に、水嵩が増し、足もつかなくなっているが、それでも余裕の表情を見せる。
「じゃあ、悪いけど……一線越えさせて貰うね」
のるんは弱々しい吐息を、水槽の水に吹き掛ける。
崩壊属性を付与した息は、瞬く間に水槽内の水を一気に消滅させる。
悠々自適に泳いでいたフカは、そのまま地面に叩き付けられ、前身を勢い良く打ち付けた。
「いったぁ!?何してくれてるんで……な、なんで水が……!?」
「さっきまで溜まってた水って、貴方が生成した水、だよね?血が一瞬で薄まる水なんて、有り得ないし。……崩壊属性の詠唱術ってね、色々勉強したんだけど、壊す方法とか、壊す物を変えるとすごい便利なんだ。例えば、精神力を消費して詠唱術で産み出された水って、維持されている詠唱術式を壊しちゃえば、水としての形を保てなくなっちゃうんだよ」
鼻を真っ赤にさせたフカの「エゴ」は、恨めしそうにのるんを睨みつける。
そして、ハッとした表情で、フカが居る水槽に視線を動かせた。
のるん達の居る水槽の水が消えた途端、フカの居る水槽の水も消失していた。
「ちっ……。溺死させて、あの身体をわたくしのモノにするつもりだったのに……」
「同期させてたんでしょ。だって、大きさが全然違うのに、こっちの水槽も、あっちの水槽も水量の増えた方一緒だったもんね。変だなぁとは思ってたんだよ」
フカが仕掛けたギミックに気付くのが大分遅くなった。
水槽に穴が空いていない時点で、フカが詠唱術で水を産み出している事を推測しておくべきだった。
いくら、気が動転しており、時間制限があるからといって、焦りは本当に禁物だということだ。
のるんは改めて、「戯装」を展開する。水中でのアドバンテージが無いとしても、彼女は強敵だろう。
(此処からが本当の勝負。相手も本気で、ボクを殺しに来るだろうから)
のるんが「戯装」を展開したのを確認すると、フカの「エゴ」も何処からか武器を取り出す。
鮫の頭が付いている杖のような武器。槍のようにも見えるが、どちらかは分からない。
分かるのは、彼女が、怒り心頭で我を忘れている様に見えることだけだ。
「絶対に許しませんわ。貴様を血祭りにあげて、その後にじっくり「本物」も嬲り殺しにしてくれてやりますわ!」




