#55 動けるのは自分だけ
その日の夜、約束の時間に制服を着たままだったのるんは、学校前でヤタノを待つ。
あの後も、色んな事を考えていた。きっと、生徒会は救出には向かわないだろう。
なしろも、例え、相手がオカルト研究部の顧問だったとしても、メリットがなければ決して動かない。
(救出に向かえるのは自分だけ……なのかな)
天下布舞のメンバーは怪しすぎるから除外。となると、「ヘルヘイム」に潜れるのはのるんだけだ。
行かなければならない、たった一人で、フカを助けなければならない。
責任も負担も相当なものだが、最初に誓った平穏な日常には、フカだって必要なのだ。
(絶対に助けなきゃ……。ボクだけだったとしても、やれる筈だから)
約束の五分前に校門に辿り着いていたが、ヤタノは時間丁度に校内から外に出てくる。
険しい表情のまま、校門を開けると、のるんを手招きし、誰も居なくなった校舎へと招き入れる。
「ごめん、待ったかなぁ?」
「んーん。大丈夫だよ。それで?なんでこんな遅い時間に学校に?」
のるんの言葉に、ヤタノは小さく息を吐く。
いつもの明るさはそこにはない。あるのは、重々しい空気と、苦々しい表情だけだ。
「生徒会の意向を聞いて、のるのるは黙っていられるの?担任なんだよね?猫鮫先生って」
「そうだけど……、でも。どうしたら良いんだろうって」
嘘だ。本当は分かってる。今すぐにでもフカの安否を確かめ、可能であれば助けたいと思ってる。
でも、分かっている。一人で向かった所で、返り討ちにされる可能性が高いことだって。
凪織の「エゴ」と立ち向かった時だってそうだ。自分一人では絶対に勝てなかった。
「ふふっ、自分一人でも絶対に助けに行くって顔してたじゃん〜さっきは」
「え」
のるんは目を丸くさせて驚く。自分なりに鈴を欺く為に、心を殺したつもりだった。
でも、ヤタノにはバレていたらしい。相変わらず、彼女のじーにあすさには目を見張るものがある。
「だから、今此処に呼んだんだ〜。「ヘルヘイム」、ぼくは一緒には行けないけど。のるのる一人が独断専行するなら、生徒会室……開けてあげる。鍵持ってるからね」
「ボクが一人で行くことは咎めないの?」
ヤタノは首をゆっくりと横に振る。
「まさか。本当は行って欲しくない。だって、あの場所の危険さは、一緒にわんこを助けた時に身に沁みてるから。猫鮫先生が仮に「ヘルヘイム」に居たなら、きっと先生も「エゴ」に苦しめられてると思う。だから、助けに行けるなら、ぼくだって助けに行きたいよ」
「分かってる。その先は無理に言葉にしなくていいよ」
ヤタノは奥歯を噛み締め、拳を震わせながら、小さく頷いた。
ヤタノは生徒会所属の人間だ。生徒会に居る以上、その組織の長である玉兎鈴の意向は絶対だ。
それは、部活に所属していても、会社に所属していても、同じ事。あくまで協力者である自分の立場が、一番動きやすいことは十二分に理解している。
だから、生徒会に正式加入しなかった。凪織の一件で痛感していたのだ。彼女達は、正義の味方ではない。
星失高校という場所を護るための組織であり、失踪者を見殺しにしてでも、体裁を保つ者達なのだ。
「だから、本当に猫鮫先生が居るなら──月が真紅に染まっていたなら、貴方に任せるしか無い。全く、嫌になっちゃうよね。何の為に「戯装」を手に入れて、何の為に戦う術を手に入れたんだろうね、ぼくは」
「……………………」
のるんは、何も言い返せない。何も言葉に出来ない。ヤタノの無力感は痛いほど分かる。
手にした「戯装」を使う機会も、誰かを護ることも出来ない。そんな組織に身を置くことの辛さも、十二分に理解出来る。
暫くの間、二人の間には沈黙の時が流れたが、それを断ち切ったのはヤタノだった。
「それで?どうする?行くなら、部屋の鍵開けて、「ヘルヘイム」まで案内するけど」
「……分かった、行くよ。居なかったらすぐに戻ってくるね。まだ、猫鮫先生が堕とされたと決まった訳じゃないし」
限りなく低い可能性に縋るつもりはないが、有り得ない話ではない。
気まぐれで趣味の釣りをしていたり、職務を放棄して、何処かにふらっと行っているかも知れない。
他にも、メイド服が破けてしまって、人間の姿を保てなくなったとかも、あるかも知れない。
(なんて、流石に人間ではあるよね。尻尾生えているけど)
のるんが意を決すると、ヤタノは校舎内をスタスタと進み、生徒会室へと足を運ぶ。
校門付近で長話をしすぎたせいか、少しだけ体が冷えてしまったらしい。
「くしゅんっ!」
「え〜これから、感動的な救出劇を繰り広げる勇者様が、風邪〜?」
ジト目でこちらを見るヤタノの視線が物凄く痛い。
今は5月だからとは言え、夜の時間は少し肌寒い。そんな冷たい視線を浴びせなくたって良いではないか。
ブルリと身震いをしながら、解錠された生徒会室に入り、ヤタノは「ヘルヘイム」への扉を、覚束ない手付きで開く。
「はい、じゃあぼくが出来るのは此処まで。のるのるが帰ってくるまでは此処に居るけど、流石に徹夜は勘弁してよ〜?」
「大丈夫でしょ。危なくなったら逃げ帰るし、それに、「中」の時間と「こっち側」の時間はかなりズレてるから、「中」で三日三晩戦わない限りは、夜が明けることも無い筈!」
以前、四人で模擬戦をした際も、「ヘルヘイム」へと侵入してから二時間は滞在していたが、現実では三十分そこらしか時間が進んでいなかった。
体力の保つ限り、侵入していても、現実世界では数時間程度しか経たないということになる。
のるんは、制服を正すと、ヤタノが開いた扉の前に立つ。
「じゃ、行ってくる。大丈夫、死なない程度に頑張るだけだから」
「分かってるって〜。のるのるが死んだら、絶対承知しないんだから〜」
そのまま、のるんは振り返ることもなく「ヘルヘイム」へと侵入していった。
ヤタノがどんな表情で自分を見送ったのか、その表情を見てしまうと、判断が鈍る気がしたから。
「行っちゃった。……ほんと、ぼくってば何してるんだろうね。のるのるをあそこに送ったことだって重大なインシデントだっていうのにさ」
ニヒルな表情を浮かべ、ヤタノは開かれた扉を撫でながら、そのまま地面へとへたり込む。
「ぼくだって、一緒に行きたかった。一人で行くより、絶対二人の方が良いに決まってる」
でも、行けなかった。人を助けたいという思いよりも、自己保身が僅かに勝ってしまった。
どうすれば、のるんのように、無条件の自己犠牲が出来たんだろうかと、考えてしまう。
「でも、きっとのるのるは一緒に行くって行っても、断ってただろうなぁ」
何となく、そんな気がしている。長い付き合いではない。精々一月程度のものだが、分かるのだ。
ぶっきらぼうで、無気力に見えていても、いざという時は、躊躇うこと無く、戦火に身を投じる。
だから、嫌いになれないのだ。自分には出来ない事を、さらっとやってのける。
「ま、後は祈ることしか出来ないけど。頑張って、のるのる」
近くにあるソファに深々と腰掛け、ヤタノはのるんの帰りを、夜の校舎で待つ事にした。
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「ヘルヘイム」内──校庭付近
侵入して最初にすることは、月の色と大きさの確認だ。
どういう道理かは分からないが、「戯装」を持たない人間が堕とされると、普段は三日月で、白く輝いている月が真紅に染まり、満月へと変貌するのだ。
校舎内では良く見えなかった為、のるんは校内の「エゴ」を躱しながら、校庭に出て、空を見上げる。
「……そっか。やっぱりそうなんだ。猫鮫先生……」
のるんは、肩を落とすも、すぐに気持ちを切り替えて辺りを見回す。
──月は真紅に染まり、不気味な程大きく光り輝いている。
今すぐにでも、フカを殺してやると言わんばかりの月が、とても醜く見えた。




