#53 警告
試験前日の夜くらいだった気がする。
ふと目を覚ますと、見覚えのある光景が目の前に広がっている。
黒と白が入り混じった図書館のような、バーのような、何処か懐かしい気がする場所に座っていた。
(此処に居るってことは、ボクは眠ってるのかな。一体何の用だろう)
月が赤く輝き、凪織を救出してからそれなりに月日は経った。それ以来、それなりに平穏だった。
強いて言うなら、試験対策に追われて、此処数日はヘルヘイムの事をすっかり忘れていたくらいだ。
夢の中のはずなのに、なぜか重い瞼を擦りながら、奥から姿を表そうとしている影を凝視する。
「やぁやぁ、良い夜だね。充実した日々を過ごせてる〜?」
「キミが此処に呼び出さなきゃそうだったかも。試験前日に一体何なのさ?」
若干不機嫌そうなのるんを、気にかけることもなく、この部屋の主──ニュクスはケラケラと笑っている。
こちらの事情を一切気にしていない様子のニュクスに若干の苛立ちを覚えながら、のるんは彼女を睨む。
「用件は?無いなら明日の試験に向けて、もう寝たいんだけど」
「若い子はせっかちだっていうけど、本当なんだねぇ。もうちょいボクとお話しようよぉ」
灰色の髪をたなびかせながら、ニュクスは呆れたと言わんばかりの表情でカウンターに手を置く。
見た感じだと、自分のほうが幾分か大人に見えないこともないのだが、彼女は幾つなのだろうか。
少し気にはなったが、話が長くなりそうなので、一旦疑問は飲み込んで、話の舵を修正させる。
「学生の試験前の時間は大事なんだよ。それこそ、お肌のハリを犠牲にしてでも、赤点は阻止しなきゃ」
「……普段から勉強してれば良いんじゃないの……?」
ぐうの音も出ない正論を言われたが、こっちだってやることはやってこれなのだ。
星失高校の試験は、教師の裁量があまりに大き過ぎるのだ。歴史で般若心経についての問題を出すな。
他にも、黄金数を幾つか答えろだったり、1000文字近い作文を求める教師だって居る。
はっきり言って、ただ座学をこなしていれば点を取れる訳では無い。お陰様で、対策に時間が掛かったのだ。
(生徒会の協力者として活動する可能性もある以上、成績も必要だもんね……)
試験の点なんて気にしないですと、鈴から言われはしたが、隣りにいたりあからは、とてもそういった言葉は貰えそうになかった。
赤点でも取ってみろ、今すぐ追い出してやるからな、と言われてもおかしくないレベルの威嚇だった。
一週間ほど前の話だったが、今でも彼女の睨んでいる顔を時折思い出す。かなり怖かったのだ。
血に飢えた獣が、一ヶ月ぶりに肉を見たような表情は、きっと最後まで忘れることはないだろう。
思い出し身震いをしながら、のるんは呆れ顔のニュクスを見ながら、肩を擦る。
「それが出来れば苦労しないって。遊びにヘルヘイム、勉学にお出掛け。やることは無限大だもん」
「あぁそう……。まぁ、充実してるようなら何よりだけどさ。一個言っておかなきゃって」
勿体ぶりながら、何も入れていない筈のシェイカーを振っているニュクスは、不気味に笑う。
「もう時期、また事件が起きるよ。きっと試験が終わってから息つく間もない頃に」
「え」
もう終わりではなかったのか。彼女を救ってからは、本当に平穏だった。
それがどうしてまた事件が起きるのか。そして、それを何故ニュクスが告げるのか。
アレ以来、定期的にヘルヘイムを覗いてはいたが、月が真紅に染まることは一日たりともなかった。
(それがどうして……?そして、彼女の言葉は……)
何故か当たるのだ。どうにもこの世界の異物に見える彼女は、きっとこの世界の人間じゃない。
誰かがまた攫われる。その可能性があると分かっただけで、出来ることはあるかも知れない。
だが、残念ながら明日から試験なのだ。全校生徒を見守るのは無理がある。そもそも、余裕もない。
赤点を取れないという一点で、この一週間はフカや、さな達に勉学を見て貰っている。
いわば、この試験は絶対に赤点が取れない大事な試験になっている。のるんは頭を抱える。
(試験中にこういう事言うのは反則だよぉ……)
次第に視界がどんどんとボヤケてくる。この感覚が何なのかは既に体験しているから分かる。
夢の世界から現実へと引き戻されているのだ。恐らく、現実世界はもう時期朝が来てしまうのだろう。
「ちょ、ちょっと!せめて誰が攫われるかくらい教えてよ!!無責任でしょ!?」
「……普通予言してくれた人に無責任って言う……?ばーかばーか!」
目の下を指で引っ張り、舌をいたずらっぽく出しているニュクスに手を差し伸ばすも、目が醒めた。
本当にその場に蹲っているのるんは、そのまま、夢の世界から追い出されてしまったようだった。
「はぁ……、本当にどうするのさ。ただでさえ、試験で気が気じゃないのに、誘拐されるの確定なのかよぉ……。でも、今は試験を受けながら、学校内を見て回るしか無いか……。そんな余裕無いよぉ、ひぃん」
ベッドの上で蹲っているのるんは、ベッドにおいてある目覚まし時計が止まっていることに気づいていない。
もうすぐ、家を出なければ遅刻してしまうことに気づいたのは、一階に降りた時だった。
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一日目──試験内容「数学」
眠たげな表情で教室内にいる生徒を見守っているのは、保健室の教諭であるセトだった。
不思議な一人称とオーラを漂わせている彼女は、寝不足なのか、鼻提灯を浮かべて居眠りしている。
だが、教室内の生徒は真面目なのか、誰一人としてカンニングをしている様子はなかった。
(みんな、真面目なんだなぁ)
必死に頭に叩き込んだ公式を使って、試験問題を解いていく。
勿論、難題や、少し頭を使わないと解けないようなものは、解けていないが、基礎の基礎や、単語を覚えているだけで答えられる問題はある程度は取れた気がする。
もう少しちゃんと勉強をしていれば、より良い点を取ることが出来たのだろうか。
今となっては、もう後の祭りだ。次の期末試験はもう少し勉強しておこう。
(そうじゃないと、猫鮫先生に何言われるのか分かったもんじゃない……)
あの先生を怒らせると怖いという話は、方々から聞いている。
特に、歴史で赤点を取った日には、次の試験で赤点を回避するまで家に帰れないらしい。
拉致監禁だとしたら、犯罪街道まっしぐらなのだが、教師としてどうやっているのだろうか。
そんな事を考えていると、うたた寝をしていたセトがいきなり目をかっぴらいて立ち上がる。
「後十分だ。者共、精々最後の確認をし、己の点数をきちんと確保しておくんだな」
「セトセンセー、机に脚乗っけちゃダメですよ〜。際どい下着丸見えですよ〜」
さながケラケラと笑いながらそう指摘すると、顔を羞恥心で真っ赤にしたセトは、さなの頭を何処からか取り出してきたハリセンで引っ叩いてから、ケホンと咳込んで、ずり上がってしまったスカートを元の位置まで戻した。
「人の下着を見ている暇があるのなら、貴様らはさぞ良い点を取るのであろうな?貴様らの担任は……猫鮫だったな……。あとで、あやつは血祭りにあげねばなるまいな……」
此処までその人に責任の無い濡れ衣は、久々に見た気がする。流石に少しだけ同情してしまった。
前に一度、喫茶店で会った時はもっと余裕があって格好良かった気がするのだが、どうやらアレは幻影だったらしい。
セトに机を踏まれた生徒は、鼻血を出してそのままセトの居る保健室に運ばれていき、初日の試験は終了した。
試験は残り二日、帰りに簡単な見回りはしてみたが、この学校の生徒は約100名は居る。
流石に、一人くらい居なくなっても、分かる自信などあるわけがなかった。




