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Madness Crescent  作者: のるんゆないる
第四章「教師、堕つる刻」
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53/63

#52 解釈なんて


 

 5/12火曜日の放課後。

 試験一週間前を切った今日、のるんには行く場所があった。

 「サメイドの調理室」──名前は頓痴気だが、言ってしまえば、猫鮫フカが自由に使える教室だ。

 此処の高校は、各教師に一部屋ずつ、自由に使える教室が支給されている。

 内装や外装を好き勝手に変えることが許されているせいか、彼女の教室は趣味全開になっている。

 白と黒と青の三色を基調に、彼女が好きであろう鮫を散りばめた中々独創的な外装だ。

 教室の前まで来たのるんは、深い溜息を吐きながら、窓の外から中を覗こうとするが、カーテンのせいで中の様子は伺えない。

 

 「教師の裁量にも限度があるでしょ……、妖しいお店にしか見えないもんここ……」


 鮫を散りばめた外装を、よくよく見てみると、メイド喫茶にも似ている気がする。

 名前の調理室というのも、考えてみれば意味深なものに聞こえてしまう。


 (帰りたくなった。切実に。もうテスト赤点でもいいから帰らせてくれないかな……)


 のるんがどうして今此処に立っているのかと言うと、今日の昼休みのことだった。


 _________________

 

 

 『うーん……難しいなぁ』

 『どしたの?のるんちゃん』


 昼休みに教科書を開いて、唸り声を上げていたのるんを、珍しそうにさなが覗き込んできた。

 普段であれば、屋上でひたなぼっこをしているか、机に突っ伏して寝ているからだろう。

 さなに声を掛けられたのるんは、涙目でさなの手を徐ろに握って、顔を近づける。


 『歴史が、壊滅的にさぱらんなの……。さっぱり分からないの略でさぱらんなの……』

 『それくらいなら分かるって!でもそっかぁ……このクラスで歴史が分からないってなると……』


 さなは怖い怖いと言いながら、自身の肩を擦り、のるんを可哀想な目で見ている。

 彼女の言っていることが分からずに、首を傾げていると、さなとは別方向から肩を叩かれる。

 叩かれた方を見ると、満面の笑みで怒りを隠そうともしない我らが担任のフカが仁王立ちしていた。

 先程までは、平穏な空気が教室に流れていたのに、いきなり周囲の空気が凍りついている。


 『えっ、猫鮫先生……?今昼休みです、よね?』

 『わたくしのクラスに、歴史で赤点取るような子は存在してはいけませんの。放課後に、わたくしの教室においでなさいな。「特別個人レッスン」して差し上げますわ。夜の男子高校生なら、夜も眠れなくなるような濃厚なのをお見舞いしてやりますわ』


 フカの目が笑っていない。こんなにも心根から冷えそうになる個人レッスンなどあって良いのか。

 「反論なんて受け付けませんわ、首洗って待ってなさい!おほほ〜!」と言い残したフカは、教室から出ていき、教室内は元の昼休みの空気に戻った。

 さなの顔を見ると、やっちまいましたなぁ、という表情をしているが、そこまでなのだろうか。


 「え、と。ボクもしかしてなにかやっちゃいました?」

 「一言で言えば……「処刑」かな?」


 さなの言葉に、のるんは目を丸くさせる。聞こえてきた単語が物騒すぎる。


 「処刑!?学校で聞く単語じゃないよ!?ボク何されるの!?」

 「あはは、まぁ頑張って!きっと都会の高校よりかはテスト簡単だろうし……」


 その日の昼休みは、周囲からのるんを憐れむような空気が漂い、非常に居心地が悪かった。

 


______________


 さなの話を聞いてから、午後の授業は気が重くて仕方がなかった。

 逃げてしまいたい気持ちも強かったが、どうせ彼女は担任だ。嫌でも毎朝顔を見てしまう。

 扉の前で深呼吸をし、覚悟を決めたのるんは、扉を三回ノックする。


 『空いてますわ。お入りなさいませ』

 「失礼します」


 横開きのドアを開き、中に入ると、内装は外装よりもより強烈だった。

 至る所に鮫のぬいぐるみと酒瓶が散りばめられ、死屍累々という単語がよく似合う場所になっていた。

 空いた酒瓶以外は、割と理路整然とした配置になっているせいか、余計に酒瓶が目立って見えた。

 奥の方に、フカの執務用の机があるのか、彼女はそこで何かを書いているように見える。

 のるんが中にはいると、学校によくある回転する椅子をくるりと180°回転させたフカは、脚を組み直し、のるんを獲物として見るような視線で見つめている。


 「え、と。昼休みの約束通り来たんですけど……、「個人レッスン」とは」


 のるんの声は震えていただろう。それもそうだ、人間というのは未知に恐怖を覚える。

 前の学校でも、此処までの干渉はされたことがない。まさしく、未知の体験と言えるだろう。


 「あぁ。純粋な試験対策ですわ。本来であれば、生徒同士がするべきなんでしょうけど。歴史で悩んでいるのなら、わたくしが疑問解消に努めたほうが良いでしょうから。ほら、さっさと教科書開きなさいませ?今回の出題範囲を軽くおさらいしますわよ」

 「え?わ、分かりました」


 てっきり、身体に文字でも刻み込まれるんじゃないかと考えていたのるんは、面食らいながらも、教科書とノートを鞄から取り出して、フカの隣の席に座る。

 それからは、大体一時間程度だろうか、教科書にも書いていないようなことを、フカの経験談などを混じえながらおさらいしてくれた。

 非常に分かりやすい部分と、分かりにくい部分があったが、恐らくは試験に出る出ないで、話の濃度を調整しているのだろうと、のるんなりに解釈しながら、話を黙々と聞いた。


 「試験範囲は……まぁ、さっき言った内容をちゃんと頭に叩き込んでおけば、平均点くらいは取れるでしょう。っとそうだ、結代さんに聞いておきたいことがあるんですけれど」

 「……?なんでしょうか?」


 徐ろにこちらを向いて神妙な表情を見せる彼女の瞳には、何故か哀愁が漂っているように見えた。


 「貴方は、明確な答えのある問題と、無い問題。どちらがお好きかしら?最後に少しだけ特別講義をして差し上げようと思いまして」

 「え、うーん。そうだなぁ。答えがない問題の方が好きかな。だって、答えがあるなら、過程なんて求められないだろうし」


 この答えはすぐには出さなかった、いや出せなかった。

 彼女が出したこの問題こそが、明確な答えのない問題だからだ。

 高校の定期試験には必要の無い問いであり、求められない物。


 (でも、どうしてそんな事を聞くんだろう?何か意味でもあるのかな)


 のるんの問を聞いたフカは、何かを理解したような表情で一度だけ、首を縦に振る。


 「じゃあそんな貴方には、少しだけ般若心経について聞かせてやりますわ。試験範囲ですから、勿論知ってますわよね?」

 「え、えっと……三蔵法師玄奘がインドから持ち帰った有り難いお言葉を翻訳したもの……ですよね?」


 この高校の試験の範囲は、前の高校とは違って、各教師が好き勝手に決めることが出来る。

 お陰で、以前学んだことがあまり役に立たないことがちょくちょくある。

 数学に至っては、調べたら大学でも習うかどうか怪しい部分まで、試験に出るというのだ。

 フカの試験に出るというのも、普通の範囲ではあるのだが、時折授業をちゃんと聞いていないと、分からないような問題が多いのだと、さなから聞いていた。


 (時折、寝てた時にチョークが飛んできてたけど、これからは起きた方が良いかもなぁ)


 でも、何故いきなり般若心経についての話をし始めたのだろうか。

 疑問には思ったままだが、一先ず気にせずに、のるんはフカが用意したホワイトボードの方を向く。

 フカは、こちらに構うこと無く、サラサラと何かを書き続けている。


 「般若心経──正式な名称で言うと、般若波羅蜜多心経《はんにゃはらみたしんぎょう》という物ですけれど、これは先程、結代さんが言っていたように、「西遊記」で有名な、玄奘三蔵(げんしょうさんぞう)という実在の高僧が持ち帰った物とされていますわ。ちなみに、その玄奘三蔵は、その後、持ち帰ったサンスクリット語──古代インド語を翻訳することに、一生を費やしたと言われていますわね」


 歴史に興味のない自分でも少しは知っているような内容を、フカは分かりやすく深堀りしている。

 だが、今の話と、答えのある無いがどう関係しているのかは、未だ分からない。

 黙って聞けば、何か分かるのだろうかと、疑問を口には出さずに、のるんは黙って講義を聞き続ける。


 「その持ち帰った般若心経に、有名な一節がありますの。「色即是空(しきそくぜくう) 空即是色(くうそくぜしき)」……そうですわね、敢えて日本語で噛み砕いて言うのであれば、目に見えるものは全て色であり、色は不変に非ず、常に非ず、色は個に非ず。それ即ち……空の側面也。此処まで聞いて、結代さんは、「色即是空 空即是色」の意味が分かりますこと?勿論、過去の経験や、齧った知識でも構いませんわ」

 「いえ……そもそも色と空が分からないので、さっぱりです」


 のるんは、正直に言ってのけた。

 それと同時に、今の言葉には、一体何の意味があって言っているのだ、という意味も含めている。

 のるんの表情を伺ったフカは、薄く笑い、「色即是空 空即是色」の隣に言葉を足していく。


 色→形のあるもの全て Ex:人間、植物、動物、教室、机、椅子

 

 空→万物は単体で永遠に存在しているわけではないという考え。

 Ex:机は、木を削り加工した結果であり、何もせずに机として存在はしていないということ。

   結論、誰かが木に手を加えた結果であり、誰かが何もしなければ、机は存在していない。


 書かれた文字を、のるんは理由も分からず、ひとまずはメモを取ることにした。

 言っていることはさっぱり分からない。その意図も何もかも。でも、目は逸らさない。

 質問は、彼女の言葉を全て聞いた後に、それでも分からなかった時に聞けば良い。


 「つまり、「色即是空」は直訳すると、「色とは空である」となりますわ。例えばですけれど……机や椅子は、誰かが干渉した結果──生えていた木を切り、大工さん達がそれを加工することで、木から机や椅子に変わりましたが、永遠には机や椅子としては存在できない。まぁ、当前ですわよね。経年劣化だったり、誰かが壊してしまえば、机や椅子だって、木屑になってしまいますもの。要は、不変の存在なんてこの世界には存在しない。と言いたいのですわ」

 「なるほど……。色即是空の意味は少しだけ分かったかも」


 のるんの表情を見て、フカは少しだけ頬を綻ばせる。


 「次に、「空即是色」ですけれど、これは先程とは逆のことを言っていますわね。直訳すると「空とは色である」となりますが、これは……そうですわね。形のないものも、ちゃんと存在しているという意味なんですけれど、例えば……人は笑ったり、怒ったり、仕事をしたりしますわよね?でも、感情や仕事は形には顕せない。実体はないけれど、現象としては表現できる、つまり「空」として存在している。と言うことですわ。存在しているものは「色」である考えなので、「空は色である」とも言えるわけですわね。ややこしいですけれど、「空即是色」についてもざっくりは理解出来まして?」

 「む、む〜……一旦飲み込めたから続きを……」


 頭が爆発しそうではあるが、一旦は要点だけを抑えて聞いた内容をノートに書き記す。

 今まで使ったことのない部分の脳を使っているような感覚に陥り、脳が糖分を欲している気がする。


 「先程の「色即是空」と「空即是色」を組み合わせると、「万物には固定の形など無い、だからこそ、様々な形で存在することが出来る」となるのですわ。これも噛み砕いて言えば、岩や木も、時が経てば風化したり、腐ったりする。人間も、様々な出会いや経験で、少しずつ変わっていく。時折、自分は一切変わらない、と宣う馬鹿者を見掛けますが、そんな事は有り得ないということになりますわ」

 「…………」


 のるんは、フカが言葉にした内容まで、ノートに書き記している。

 噛み砕いていってくれたお陰で、難しかった言葉も、すっと頭に染み込んできた気がしたのだ。

 いつの間にか、真っ黒になったホワイトボードをクリーナーで片付けながら、フカはこちらを一切見ずに話の続きを話し始める。


 「貴方が此処に来て、初めての試験。勿論、勉強をするもしないも自由ですわ。良い点を取るも、取らないも自由。ですが、こういった知識があれば、考え方も、行動も変わってきますわ。出会った人も、環境も、何もかもが変われば、きっと結代さんや周りの人にも、少なからず変化があるでしょう。それこそが「色即是空 空即是色」と言うものですわ」


 すっかり綺麗になったホワイトボードを前に、額の汗を長いメイド服の袖で拭ったフカは、改めてのるんの表情をじぃっと見つめる。

 自分では実感がないが、自分もこの講義を聞いて、何か変わったのだろうか。


 「ま、先程の「空」を悲観的に囚われすぎて「いくら自分が頑張っても、自分の人生を他人によって無茶苦茶にされる事もある。だから無理に頑張り過ぎるな」なんていう生徒も、居ましたけれどね……」


 言ってることは間違ってませんけどね、とフカは思い出し怒りで、鮫の尾びれをビタンビタンと地面に叩きつけている。

 彼女の尾びれについて深く気にしたことはなかったが、どういう仕組なのだろうか。

 その後も、ノートに纏めていて気になった部分を幾つか質問し、個人レッスンは終了した。


 

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