#46 如月邸、記憶にはない面影
零明高校から徒歩拾数分程の立地に、彼女──如月盞華の私邸はあった。
こぢんまりとしたものではなく、文字通りの豪邸。絢爛さは無いが、土地の広さで一目瞭然だ。
和風テイストの昔ながらの平屋だが、規模が異常である。零明学校の半分ぐらいの広さだろうか。
(この辺り……通ることはなかったせいか、こんな豪邸があるなんて、知らなかったな……)
まだまだ星失のことは知らないものだと、無知を悟りながら、盞華のあとに続く。
会話が弾むわけもなく、曇天を眺めながら、のるんは重い足を引き摺りながら歩いている。
やがて私邸の前に辿り着き、のるんは玄関の門を見上げ、口をあんぐりと開けた。
田舎だとは言え、此処までの広さの土地を持っていること自体、只者ではないと言える。
「ひ、広いなぁ……。三樹さんは大分良い所の人なんだね……」
「ただ無駄に家が広いだけです。さ、正門から入りますよ」
のるんの独り言を丁寧に拾った盞華は、慣れた手つきで正門を開き、手招きする。
瓦の屋根に、壁面にもきちんと耐水処理を施された重厚な木を、不断に使用している。
和風の豪邸だからか、平屋ではなく、二階か三階建てに見える。建築技術も最新の物を使っていそうだ。
のるんは、盞華の後に続き、促されるまま敷地内を歩んでいく。
鹿威しに、鯉が泳ぐ池、日本庭園にあるものが、そのまま一式揃っている。
植え込みの一つ一つが丁寧に手入れされており、池の水も清掃されているのか、澄んでいる。
(植え込みとかって、確か年2回位庭師さんがお手入れしてるものなんだっけ……?)
のるんは、見慣れない風景を目に焼き付けながら、これからの話の進め方を考え込む。
如月先生なる存在を、のるんは詳しくは知らない。面識があるのも小さい頃の話だ。
この面識というものが、本当に結代のるんの記憶なのかすら、確信が持てていない。
(最近、知らない記憶がどんどんと流れ込んでくる……この街のせいなのかな)
見覚えなんて無い筈なのに、相手は自分の事など知らない筈なのに。
どうしてか、遠い昔に会っていたような、そんな錯覚が未だに時折襲い掛かる。
なしろだって、凪織だって、鈴や、りあ、今こうして共に歩いている盞華ですら、覚えがある。
だが、どの誰もが、自分の事を知らないのだ。記憶と同じような者も居れば、違う者も居る。
自分じゃない誰かの記憶が、どうして自分に備わっているのかも、いつかは知らねばならない。
「……結代さん?ご気分が悪いのですか?」
盞華の声で、また自分が思考の海に溺れていた事に気づく。これは、のるんの悪い癖だ。
前まではこんな事はなかった筈なのだが、最近はこういった事が増えている。
怪訝な表情をしている盞華を前に、のるんは、精一杯の強がった笑顔を顔に貼り付ける。
「ううん、大丈夫。……っと、此処が?」
のるんの視界の先には、和風の豪邸には似合わない、洋室風の扉が聳え立っていた。
ネームプレートには、盞華の文字が刻まれており、此処が彼女の部屋だと指し示している。
のるんの言葉に、盞華は首を縦に振り、ぱちんと指を鳴らした。
「えぇ。私の私室です。……白椿」
「はっ……。こちらに」
白椿と呼ばれた人物が、天井から振ってきた。立膝で、盞華に傅いている。
片目に青い特徴的なラインメイクを施されている白髮の女性も、見覚えがある。
確か、盞華の側近である白と呼ばれる女性だった筈だ。服装も、盞華と近い和装だった。
今こうして眼の前に居る白椿は、動きやすさと和を折衷した格好をしている。
白椿はこちらを一瞥すると、すぐに盞華へと視線を戻した。
「お呼びでしょうか、我が主」
「人払いをお願いできますか。そうですね、一時間で結構です。白椿も聞かぬように」
盞華は粛々とそう告げると、白椿は頭を下げたまま、はっと言葉を発した瞬間に消え去った。
まるで忍者みたいだ、とのるんが心で思っていると、盞華はこちらを向いて眉を下げる。
「すみません、うちの者が。古臭い風習に囚われたままなんですよ。彼女」
「あの人も、「ヘルヘイム」に行くんですか」
のるんの言葉に、返事は無い。こちらでお待ちくださいと、部屋の中に通されるだけだった。
中は、外見とは大きく異なり、可愛らしさが全面に出された内装だった。
ピンクや、蒼色を貴重とした家具や壁紙に、所々に服や荷物が乱雑に置かれている。
部室の有り様から、概ね見当が付いていたが、あまり片付けが得意ではないらしい。
「お待たせしまし……そういえば、片付けしていませんでしたね。気にせず空いてる所に掛けて下さい」
「え、ええ。わかりました」
この床が埋め尽くされている中で、何処に座れば良いんですか、だなんて聞けなかった。
盞華が中央に置かれていたテーブルに湯呑を二つ置いた辺りで、キョロキョロと周囲を見る。
取り敢えず唯一空いていた場所に正座し、のるんはコホンと咳をし、空気を戻した。
「じゃあお話、再開しませんか?わざわざ場所を移したんですから」
「勿論ですとも。まず最初に、どうして貴方が如月先生の事を知っているのです?」
早速本題を切り出してきた盞華に、のるんは正直に話し始める。
「ボクがこの街に来たのも、如月先生からの手紙を貰ったからなんです。手紙は今、手元にはありませんが、どうやらボクは、如月先生の遠い親戚らしく……」
「彼女の遠縁の親戚……」
盞華は何かを考え込むように、腕を組み、気難しい顔をする。
如月なる人物は未だに謎に包まれている。素性も、性別も、今何処に居るかすら分からないのだ。
この一ヶ月、時間のある時に聞き込みをしても、何一つ情報が入っていない。
今こうして、如月先生が女性だという情報だって、初めて知ったくらいだ。
「そういう三樹さんは……、如月先生とどういった間柄なんですか?」
のるんの問いに、盞華は持ってきた緑茶を一口啜り、小さく息を吐く。
「歳の離れた姉ですよ。残念ながら、今年の1月頃から行方が定かではありませんが……」
「お姉さん、ですか……。もしかして、1月までは喫茶店を?」
盞華は首をゆっくりと横に振った。
「いえ、彼女……、如月奏が経営していた「純喫茶ごーすてら」は去年の秋には店を閉めています。理由までは聞けていませんが、恐らくは教師業との兼任が厳しくなったからでしょう」
「教師、どの教科をしていたとかは分かるんですか?」
のるんの質問に、盞華は訝しげな表情をするが、あまり気にせずに盞華は口を開く。
「倫理でしたね、あと時間がある時は、道徳で心理系の話をしていましたよ」
「倫理……倫理か、確か倫理の教師って」
のるんの認識では、倫理の授業は行われた記憶がない。
そして、その事実を誰も気にしていた様子はなかった。さなや朱雀ですら。
「えぇ、今は不在ですね。実際には奏が担当ですが、それすら認知されていない、というのが正しいでしょうか」
「認知されていない……?倫理教師が不在で、授業が行われていないことに、誰も違和感を抱いていない……って事?」
盞華は湯呑に入った緑茶をずずっと飲み、吐息を湯気が出るほどにまで温める。
「そういう事です。失踪したという事実があるにも関わらず、誰も探さず、誰も気にも留めない。何が起きているんでしょうね。この星失で」
「三樹さんが、「ヘルヘイム」に侵入をしているのは、如月先生と関係があるんです?」
地べたに座り、正座していた盞華は、足を崩し胡座へと組み替える。
目も座っており、既に何やら覚悟を決めたような表情をしている。
「探しているだけです。何処かに行ってしまった姉を」
その後も、雑談を交えた会話をしてから、のるんは盞華の屋敷を後にする。




