#45 拳一本、百発零命中
5月8日、金曜日の放課後。今日は「拳でファイト部」の見学が控えている。
ただ、そんな事はどうだって良い。気になるのは、盞華──「カレンデュラ」の苗字が如月だった事だ。
もし、仮に彼女が如月先生の親族だとしたら、どんな顔をして会えば良い。
実際に聞き込みをしても、誰も先生の行方を知らない。いつから居ないかすら判然としない。
(授業が終わり、放課後のチャイムが鳴る。確か、第三体育館だっけ)
昨日地図を見た時に、第三体育館なる場所が、校舎から少し離れた場所にあるのは調べている。
少し古びてはいるが、ちゃんと手入れがされている昔ながらの木造体育館。
壁面には蔦が伸びていた後が見られ、つい最近手入れされたであろうことが伺える。
足取りは正直言って軽くはない。重いといっても過言ではないだろう。
かつての世界であれば、仲間であり、心強い味方だったが、この世界では異なる。
(明確な敵……、少なくとも友好的ではない。しかも……目的は不明)
第三体育館の入口へと気がついたら到着していた。どうやら考え事をしすぎたらしい。
古めかしい出で立ちは、如何にも田舎のボロ施設といった様子だ。
中からは、男女の気合の入った声が聞こえている。そもそも、「拳でファイト部」とは何なんだろうか。
芥川に言われ、此処まで来たが、今更逃げ出したくなってきた。
(うーん、どうしよ。なんか帰りたくなってきた……)
のるんが入るかどうかを悩んでいると、体育館の大扉が開かれ、中から女の子が出てくる。
赤目のブロンドの髪を簡単に括っている彼女を、のるんは「Rpas.」で出会っている。
ブロンド髪の女子生徒は、道着のようなものを身に纏い、額の汗を手拭いで拭いていた。
目があったのるんは、露骨に嫌そうな顔で、爽やかに見える女子生徒を視界に移す。
「げ……貴方は……確か、「雪雨」……」
「む。誰かと思えば、前に盞華さんとお話していた……えーと、結代さんでしたっけ?あと、此処でその名前で呼ぶのは避けて貰えますか!ちょっと恥ずかしいので!」
ずっとさわやかな「雪雨」を見て、誰かの記憶が、猛烈に大反対してくる。
彼女はこんないい人じゃない。亀甲縛りにされた上で、市中引き回しの刑に合うべき人なのだと。
見たことはないはずなのに、鮮明な映像が頭に浮かんでしまう。
必死に頭の中の映像を否定しつつ、眼の前の「雪雨」に集中する。
「じゃあ、なんて呼べば良いのかな。ボク、まだキミの名前……知らないんだけど」
のるんの言葉を聞いて、「雪雨」はハッとした表情で一礼をする。
「失礼しました!私の名前は東雲ユキです!気軽にユキとお呼び下さい!」
「ユキさんね。あっちではそうじゃないかもだけど、こっちではよろしくしてくれると嬉しいな」
のるんはユキに微笑みかけると、ユキも元気いっぱいといった表情で頷く。
閑話休題、本題を思い出したのるんは、ユキに部活のことについて、尋ねた。
「今日此処で、「拳でファイト部」……?の部活動をしてるって聞いたんだけど、見学って出来る?」
「む?……あぁ!確か中途入部は昨日から受付開始なんでしたっけ!少々お待ちを……」
ユキは、体育館へと戻り、誰かと話しているようだった。恐らくは主将に当たる人だろう。
五分か十分程だろうか、少しの間扉の先で待っていると、小走りでこちらへとユキが走ってくる。
それなりの距離を走っただろうに、息を切らしている様子も見られない彼女は、こちらを見て微笑む。
「見学は可能みたいですが、先に盞華さんがお話したいそうです!こちらにいらして頂けますか?」
「……分かった。如月さんの指示に従うよ」
のるんの言葉に、ユキは身体をビクリと震わせ、その場で足を止めた。
何事かと、先導してくれていたユキの顔を覗き込むと、険しい表情で地面を見つめていた。
そして、暫くわなわなと震えていたユキの身体から震えが収まった後に、ユキは薄く笑う。
「盞華さんの事、可能であれば苗字で呼ばないであげて下さい。呼ぶなら三樹って」
「……分かった。ごめんね」
のるんも深くは事情を聞かずに、ユキの言葉に頷いた後に、二人は歩き始める。
二人が盞華の元へと向かう間に、会話は一切無かった。考える時間が欲しかったのだ。
聞かないのであれば、考えるべきだ。どうして?なんて聞くことは出来ない。
(自分が納得できるだけの理由、仮説を今のうちに立てておかないと……)
きっと彼女とはそういう話になる。そして、のるんについての事もある程度聞かれるだろう。
盞華──「カレンデュラ」が如月と呼ばれることを拒絶している事には、必ず理由があるはずだ。
体育館を突っ切り、ユキはとある部屋の前で立ち止まる。
前の部屋の扉には「拳でファイト部!」という手書きのネームプレートが掛けられている。
「この先に盞華さんが待っています。私は此処で御暇しますので、お一人でどうぞ」
「うん、ありがとう。ユキさん」
ユキを見送り、のるんは部屋の扉を三度叩く。中から、どうぞという声が聞こえる。
聞き間違えもしない、盞華の声だ。のるんは意を決し、薄い鉄製の扉を開き、中へと入る。
「こんにちは。こんな狭い場所ですが、ようこそ」
眼の前の女性は間違いなく盞華だ。道着のようなものを着込み、口調は以前より少し硬い。
中は熱気で若干ムワッとしている。いくら女性と言えども、汗の匂いが変わることはない。
制汗剤と汗の匂いが混じり、運動部らしい匂いが部屋に満たされている。
のるんがちらりと周囲を見ると、部屋の中は割と整理されているように見えたが、所々に急いで片付けたような跡が見える。
(その辺は、あの時と同じなんだ。……あの時、ね)
誰かの記憶が、自分の記憶を蝕んでいる。ほぼ初見の彼女を旧知の仲に感じてしまう。
のるんはゆっくりと、中央に座っている盞華に視線を移す。目を瞑り、正座をしている彼女に。
彼女が座る場所には畳が敷かれ、近くには茶道用なのか、囲炉裏のようなものもある。
のるんは立ったまま、彼女の動きをじっと見つめる。先に動くと斬られるような感覚を抱いている。
暫しの間、二人は何もアクションを起こさなかったが、火蓋を切ったのは盞華だった。
「ようこそ、お越しくださいましたね。結代さん。どうぞ、好きな所にお掛け下さい」
「失礼します」
のるんは、盞華の座る場所から少し離れたベンチに腰を掛ける。
この距離であっても、会話は十分可能だ。無駄に近づく必要は一切ない。
緊張感が走る中、のるんは心の中で深呼吸をし、此処に来た目的を再確認する。
(目的は、彼女が如月先生の関係者なのか、そしてあの世界でどう動いているのかを探る)
自分の考えが濁っていないことを再確認すると、のるんはじっと盞華を見つめる。
こちらから話は絶対に切り出さない。弱者には弱者なりの話の進め方があるのだ。
のるんが話題を切り出さないことを悟ると、盞華は渋々と言った様子で、口を開く。
「で?見学したいとの事ですが、本当は何用です?とても武道の心得があるようには思えない」
「その前に、お名前。お伺いしてもいいですか?ボク、貴方は「カレンデュラ」としか知らないので」
のるんの問いに、盞華の顔が一瞬だけ強張る。直ぐに戻す辺り、場馴れしていそうだ。
ユキの言葉が真実だと分かる。やはり彼女は如月という姓が嫌な可能性が高い。
「申し遅れました、如月盞華です。ですが、可能であれば三樹と呼んで頂きたい」
「失礼を承知でお聞きしますが、如月という姓は、この学校に居るはずの如月先生と何かご関係が?」
最後まで言い切ることもなく、のるんは盞華に胸倉を掴み上げられ、壁へと打ち付けられる。
あまりに一瞬のことだったせいで、防御体勢にすら移行できず、身体への衝撃を回避できなかった。
体内の酸素が一気に、体外へと放出され、情けない声と共に逃げ出してしまった。
「どうして、彼女のことを知っている?ここに来て一ヶ月の分際が……!」
鬼気迫る表情で、盞華はのるんの胸倉を力強く握り締め、徐々に空中へと身体を持ち上げ始める。
首が絞まり、酸素をどんどんと奪っていく中、のるんはそれでも諦めていない表情で答える。
「ぼ、ボクが如月先生に呼ばれて、この街に来たからだ……!だから、ボクは彼女を知っている」
嘘だ。本当は如月先生と呼ばれる人物が女性だったことすら、初めて知った。
渡された手紙も、筆跡は中性的で、誰に尋ねても性別すら判然としなかった。
それなりに通っていたであろう、さなですら、どうだったかなと首を傾げていたのだ。
(でも、彼女は知っている。ここでブラフを言っているようにも見えない)
頭に血が昇り切っている現状で、ブラフを言えるのであれば、大したものだ。
前までであれば、胸倉を掴みあげられ、鬼のような形相で迫られた時には、縮こまっていた。
だが、今は度胸が鍛え上げられたお陰か、臆さずに盞華を前に話すことが出来ている。
のるんの言葉に、思うところがあったのか、盞華は掴みあげた手を徐ろに離した。
「詳しく聞きましょうか。結代さんも、私に聞きたいことがあるでしょうし。取引と行きましょう」
「えぇ。元より、そのつもりでしたから」
のるんは、盞華と一時別れ、「拳でファイト部」の部室から足早に出て行った。
詳しい話は、盞華の自宅でしましょうとなった。聞かれたくないこともあるのだろう。
教室に置いてきた荷物を回収し、校門で待ち合わせた盞華と共に学校を後にした。




