#34 「拍子抜け」
重い空気が部屋中に広がっていく中、なしろは窓の外をぼんやりと眺めている。
徐々に赤みが増している月は、妖艶さを増しており、凪織の時間が減っていく事を示している。
のるんは、凪織の話を聞いて、少なからずショックを受けている。まさか、彼女が殺人鬼だったとは思っても見なかった。
信じられないと言う気持ちを抱きながらも、ヤタノやなしろが反論しない辺り、真実なのだろう。
(だからか……、たまに那雲さんの謂れのない噂が聞こえてきたのは……)
聞き流していたが、凪織が脂ぎったおっさんと二人で出掛けていた、とか。
婚約者が居るのに、他の人との相瀬を選んだとか、そんな話はのるんの耳にも届いていた。
話を聞いている感じだと、それもまた是なのだろう。彼女の言葉はそれほどまでに重かった。
誰もが、沈黙を貫いている中、口火を切ったのは凪織の「エゴ」だった。
深々と礼儀正しく、90度まで身体を折るようなお辞儀は、凪織がする仕草そのものだ。
「だから、お願いです。彼女を死なせてやって下さい。あの子は死にたがっているんです」
「本人がそういうのなら、わたしは止めないわ。でも、那雲さんに会わせなさい。話はそれからよ」
なしろは、冷静さを保ったまま、凪織の「エゴ」にそう言い話すと、「エゴ」は深く息を吐く。
「あのゴミの話を聞いて、何になるんです?意味無くないですか?それに、死に行く者の言葉に、価値なんてきっとありませんよ」
「価値を決めるのは、他人である貴方ではなく、那雲さん本人よ。偽物である貴方に決める資格はないわ」
眼光鋭く凪織の「エゴ」を睨みつけるなしろの視線は、非常に冷たいものだった。
だが、凪織も怯むこと無く、なしろに食って掛かる。本来の彼女からは伺え知れないモノだ。
「ボクはあいつ、あいつはボクなんです。あいつのことはボクが一番知ってる」
「どうかしらね。だって、本当に死にたがってたら、既に貴方は凪織さんと入れ替わってるでしょう?」
なしろの言葉に、「エゴ」は口を固く結んで言い淀む。
苦虫を噛み潰したような表情で、握った拳は、わなわなと震えている。
「…………」
「大方、那雲さんが拒んで、殺さざるを得ないから、今の状況になってるんでしょう?」
なしろはサラサラととんでもないことを言っているが、のるんは状況が飲み込めずに居る。
何がどうなったら、凪織が殺されなければならないのか。だが、聞ける状況ではない。
ヤタノに目配せしては見たものの、ヤタノも肩を竦め、両手の平を空に向けている。
(死ぬのを拒むと……「エゴ」に殺される……?ってこと?)
必死に理解しようとしているのるんを置いていくかのように、なしろは話を続ける。
「貴方はまだ「融合」していないみたいだし、何処かに那雲さんは居るんでしょう。何処かしら」
「行かせませんよ?あの子の命を喰らって、ボクは赦しを乞うんですから」
なしろは、「エゴ」を見て、見下したような表情で嘲笑う。
「面白い冗談ね。生を受けた「エゴ」が宿主の身体を奪えなければ、ただ死ぬだけでしょう」
「ちっ……、どうしてお前様は、そんなに詳しいんですか!ただの人間風情がっ!」
凪織の「エゴ」はどこからか、槍のような物を取り出し、なしろの方へと向ける。
きっと、あれは、凪織が本来出すべき「戯装」ではないのだろう。
黒く禍々しい重厚感のある邪槍のような姿は、「エゴ」が持つに相応しい邪悪さを孕んでいる。
自身よりも長い体躯の邪槍は、黒いオーラのようなものを纏っており、見る者を圧倒する。
凪織の「エゴ」の言葉に、なしろは目を細め、邪槍を見ながら、鼻で笑った。
「ただの人間、ね。人格を得ただけの「エゴ」風情がよく吠える」
少し離れた場所で二人のやり取りを見守っているヤタノとのるんは、半ば疎外感を覚える。
のるんはヤタノの方を見て、なしろ達に聞こえないようにそっと耳打ちをする。
「なんか……怖いね」
「そう〜?女子の喧嘩って、大体あんな感じじゃない〜?ま!ボクはしないけど!」
ヤタノとそんな会話をしながら、のるんは、二人を見守る。
隙があれば、何処かに居るはずの凪織を探したい所だが、彼女の「戯装」に貫かれる可能性を鑑みれば、動かないほうが得策だろう。
なしろに指示が出せない以上、こちらも下手に動けない。
(どうするべきかな……。漆原さんにも協力して貰って抜け出すべきかな……?)
「戯装」を展開しているヤタノも、臨戦態勢には入っている。
二丁の拳銃は、弾丸も装填されており、いつだって狙撃が可能な状態だ。
どうしようか悩んでいた際に、ふと頭上に飾られているシャンデリアが目に入る。
(あれを「エゴ」にぶつければ……抜け出すチャンスが生まれるかも)
のるんは、ヤタノに指示を出し、「戯装」を再展開する。
タイミングはヤタノに任せ、のるんは二人の口喧嘩に耳を傾け、周囲を最大限警戒する。
『なにをぉ!ボクの何を知って、そんな事を言うんですか!?』
『貴方のことなんて、顔を見たら大体分かるわよ。顔に全部書いてあるもの』
『なぁん……、そんな事無いもん。ボク、ポーカーフェイス位出来るもん』
『出来るなら、少しは悲しげな表情を止めるべきね。哀愁漂いまくりよ』
段々と幼稚になっているような気がしながらも、のるんは様子を窺う。
狙うのは、躍起になってなしろの言葉に噛みついたタイミングだ。それはすぐに来るはず。
『うるさいうるさいうるさい!じゃあ、顔を隠せば……。あるまじろの……』
何故か、凪織の「エゴ」がその場で蹲り始めた隙に、のるんはヤタノに指示を出す。
「漆原さん!」
「おっけい〜!堕ちろっ!特大シャンデリアッ!」
ヤタノは、シャンデリアの留め金を器用に撃ち抜き、凪織の「エゴ」の頭上に落とす。
銃声が聞こえ、何事かと凪織の「エゴ」が上を見た時には、時既に遅し。
「え?……あ」
ガシャン!と轟音が響き、蹲っていた凪織の「エゴ」はシャンデリアの下敷きになる。
実体があるはずなのに、人間が潰れた時に聞こえる音は一切聞こえず、血も滴っていない。
完全に沈静化したと判断したなしろ達は、一先ずは「戯装」を解除し、ふぅと息を吐いた。
すると、外からぽてぽて、と可愛らしい走る音が、聞こえてくる。
「ボ、ボクの為に争うのはやめてくださぁい!……へへ、これ言ってみたかった……アレ?」
ドヤ顔で決め台詞を言ったつもりの凪織(本物)は、眼前の惨状を見て顔を真っ青にする。
「な、な、な、どういう事ですか〜!?ボクの折角の決め台詞がぁ〜……なぁん」
落ち込むトコそこなんだ、と心の中でツッコミを入れながら、のるんは呆れ顔になる。
勿論、なしろやヤタノも目が点になっている。そりゃそうだろう。
心底心配していた人物が、呑気にドラマの名台詞をドヤ顔で言ったと思えば、いきなり落ち込んでいるのだ。
なんとなく、拍子抜けになってしまう気持ちも分かる。だから何も言わずに、ただ黙る。
沈黙を破るのは、いつだって空気を読まないなしろだ。
「……貴方が無事で良かったわ。那雲さん」
「え、と……もしかして姫宮さんです?どうして貴方がボクの元へ……」
不思議そうな顔で、凪織はのるんとヤタノの顔を交互に見合わせる。
「わたしの意思じゃないわ。二人が貴方を助けたいって言うから、協力しただけ。決して、生徒会の手助けをした訳じゃない」
「そうだねえ。結局の所、生徒会は動かなかったからねえ。わんこの事、助ける気、無かったんじゃないかなぁ〜」
此処までの道程の間、生徒会の二人は姿を表していない。
月が紅くなれば、人が死ぬということを知っているはずなのに、堕ちたのが身内の筈なのに。
高頻度で「ヘルヘイム」に侵入している彼女達を、今日一日見掛けていない。
(確かに妙だよね、なんで那雲さんを助けなかったんだろう……)
仮に、彼女が親殺しの犯人であろうと、過去にどんな事が起きようとも。
命を無碍にしていい理由にはならないはずなのに。




