#18 「調整」
放課後、なしろの待つ部室へと向かおうとしたのるんは、ふと気づく。
オカルト研究部室なんて、この学校にはないのだ。厳密には、何処にあるのか分からない。
文化部棟にあるのは、みんな知っているのに、具体的に何処にあるのかは、誰も知らない。
(部室の存在そのものが学校の七不思議って、意味が分からない……)
でも、あの時はすんなり行けたのだ。今の自分ではいけないのだろうか。
ひとまずは、適当にうろついてみる。記憶の限りでは、何処かの階の一番奥だったはず。
一階を見て回り、二階を見て回り、三階を見て回るも、オカルト研究部室は無い。
自分の記憶の限りでは、三階の一番奥だったはずだ。隣の部室が「囲碁将棋部」だったのも憶えている。
しかし、そこには扉すら無く、ただの壁になっている。オカルト研究部室のプレートすら無い。
(うーん……。おっかしいなぁ。確かに此処だったような)
何も無い壁をのるんは、なんとなく触れる。すると、突如凄まじい目眩に襲われる。
世界が急にぐにゃりと捻じ曲がったような、そんな錯覚に陥り、強烈な頭痛が身を蝕む。
立つことすら困難になり、その場で膝立ちになり、頭を抱える。
「な、なに……突然、うっ」
意識が遠のいていくのを感じ、のるんは自分の意識を手放した。
最後に見た光景は、誰かがこちらを見下ろし、口角を三日月状に吊り上げている歪な顔面だった。
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「あら。目が醒めたかしら」
「……此処は?」
のるんは、普通の部室には早々ない、キングサイズのベッドから身体を起こすと、そこになしろが居た。
窓際で、難しそうな言葉が表紙に書かれている本を読んでいたなしろは、どうにも様になっている。
状況が理解できない。どうして自分が眠っていたのかも、此処が何処なのかも。
こちらが目覚めたことに気づいたなしろは、こちらへとゆっくりと近寄り、微笑んだ。
「オカルト研究部室よ。貴方が、わたしと待ち合わせをしていた場所。随分と待たされたわ」
「ボク、いつの間に……?」
未だにじんじんと痛む頭を抑えながら、自分の記憶を遡るが、辿り着いた記憶が無い。
最後に憶えているのは、文化部棟の三階で強烈な目眩がして倒れた所までだ。
(一体、何が……?それにどうして、辿り着いたんだろう……)
どうやら、此処が件のオカルト研究部室らしい。でも、以前と内装がガラリと変わっている。
以前までは、本当に普通の内装に、殺風景な机と椅子があっただけの部屋だった。
ただ、今はどうだろうか。ぼんやりとした頭と瞳に鞭を打ちながら、再度見渡す。
ゴシック調の紫と黒で統一された壁紙、床、家具は、人が住んでいてもおかしくないレベルだ。
「オカルト研究部室って……、こんなに綺麗な場所だったっけ……?」
「えぇ。少なくとも、此処はそうね。此処は前からそうよ」
なしろの言葉に、引っ掛かりは憶えたが、どちらにせよ、此処がそうである根拠は持ち合わせていない。
少なくとも、以前彼女が居た場所とは違う。それすらも、真偽が分からない。
考えても、ぼんやりと頭痛が襲ってくるので、のるんはひとまず、考えるのを止めた。
「貴方、「ヘルヘイム」に行きたいんでしょう?自衛手段はあるのかしら」
ベッドの縁に座るなしろの言葉が、やけにすんなりと耳に入ってくる。
先程まで、ぼんやりとしか聞こえなかったものが、随分とクリアに聞こえることに違和感を覚える。
ただ、今は考えても仕方ない。のるんは、頭の中で「双小剣」をイメージし、「戯装」を展開する。
黒い剣をベースに、紅い筋のようなものが蠢く、不気味な二振りの刃。
片方は長く、片方は短い、非対称の二振りは、相手の生命を奪い取ることに特化している。
「これが、ボクの「戯装」──身を守るには充分でしょ?」
のるんが出した「戯装」に、なしろはへぇ、と興味深そうに笑う。
その瞳には、少しの驚きと凄まじい怒りが孕んでいることに、のるんは気づく由もない。
「持っているのなら良いわ。それで?行ってどうするの?どうせ、生徒会共と行ったんでしょう?」
「あの世界に何があるのか。「エゴ」とは何なのかを知りたくて」
まるっきりの嘘ではない。平穏な日常を求めるのるんとしては関わる必要のない場所だ。
ただ、この力に目覚めた以上、避けては通れない場所になってしまった。
今の学校生活を、平穏を過ごすためには力がいる。もう見て見ぬ振りは出来ない。
折角出来た友達が、「ヘルヘイム」に堕ちる可能性だってある。その時に助けられないなんて嫌だ。
(もう、何も失いたくないんだ)
何も失いたくない、と自分で言ったことに、疑問を覚えた。自分は一体何を失ったんだ?
無くしたものは確かに沢山ある。小さい頃には家の鍵だったり、玩具は沢山無くしている。
でも、それが、今の言葉を発した理由とはとても考えにくい。じゃあ、ボクは何を恐れているんだ。
(この気持ちって、ボクの気持ちなのかな)
最近、よく夢を見る。物凄くリアルで、物凄く冷たく、悲しい夢物語だ。
最期の最期に、愛する人に己を殺させ、自分に関する記憶を全て奪ったお話だ。
ハッピーエンドだったのだろう。それを彼女は望んだのだろう。現に、あの子は幸せそうだった。
どうしてか、自分と同じ名前というだけなのに、自分と重ねてしまう。
所詮、現実味のない夢なのに。所詮、誰かが考えた創作でしか無いのに。
(時折、彼女が自分なんじゃないかって、思う時がある)
違うのに、あんなに勇敢じゃないのに、あんな選択を自分はできないのに。
だから、疑ってしまう。自分はそんな事を考えない。じゃあ、あの子の考えなんじゃかと。
夢の中の彼女、姫宮のるんの癖が出てしまったのか、自分も、思考の海に溺れていたらしい。
現実のなしろがこちらに顔を近づけ、心配そうな表情でこちらを見ている。
「……どうかした?随分と顔色が悪いけれど」
「え?あ、ううん。ちょっと心配になっただけだよ」
のるんは嘘をつき、頭を掻きながら、心配しないで、となしろに微笑みかける。
その行いが、更に彼女を不安にさせることになど、気づきもしないで。
「……心配って?「それ」で誰かを殺すことを憂いているのかしら?」
「んーん。実はね」
のるんはなしろに、「過剰使用による精神的副作用」について簡単に話す。
ヤタノが数多くの「エゴ」を殺し、「戯装」を使用した際に引き起こした精神錯乱の症状。
今日のお昼に一緒に話して思ったのだ。本来のヤタノは、そこまでおかしい子ではない。
きっと、「戯装」を使い過ぎたせいで、何らかの副作用が起きて、豹変したのだと。
「あははっ、そう。そうなのね、ふふふ、あはははっ!」
こちらが生徒会の面々と過ごして起きた出来事を話すと、なしろは心底おかしそうに笑い始める。
目尻に溜まった涙を指で拭い、ごめんなさい、つい。と言葉だけの謝罪を、のるんに浴びせた。
「玉兎鈴は、漆原ヤタノの豹変を、「精神的副作用」だって、言ったのよね?」
「う、うん。……違うの?」
のるんが恐る恐る尋ねると、なしろは足りなくなった酸素を補給するべく、ゆっくりと呼吸する。
「わたしは漆原ヤタノとの直接的な面識はない。だから、どの程度豹変したかは知らないわ」
なしろは言葉を続ける。ようやく身体に酸素が行き渡ったらしい。
肩で息をしていたのも収まり、涙も拭い終えたなしろは、困ったような表情を向けた。
「「未調整」のを使っても、そこまでの豹変はしないわ。きっと、素が出ただけよ」
「……えっ」
言葉を失った。相反する意見が頭の中でぶつかり、混乱する。
ヤタノが見せた二面性が、「戯装」の物ではない可能性が高いと言われたことに、考えがぐらつく。
いい人だと思っていたのに。昼に見せた彼女が、本来の彼女だと信じたかったのに。
(どっちが正しいのかな。じゃあ、玉兎生徒会長が言ったことが……嘘?)
のるんは自身の心がぐらついたのを感じたが、それよりも気になる文言があった。
なしろは「未調整」の「戯装」を使っても、と言った。「調整」が出来るのだろうか。
「じゃあ、「戯装」って調整が出来るもの、なの?」
「あぁ。そこまでは話していないのね。良いわ、少しだけ散策してから、行きましょうか」
なしろはオカルト研究部室の扉を開くと、先は真っ赤に染まった廊下が伸びていた。
どう見ても、扉の先に拡がっているのは、「ヘルヘイム」だ。あちこちから呻き声が聞こえてくる。
足が竦み、逃げ出したい気持ちを押し殺し、なしろの言葉に疑問をぶつける。
「行くって、何処に」
「調整するための材料を此処で拾ってから、貴方の「戯装」を調整しに行くのよ」
そう言ったなしろは、のるんを置いて先へと進んでいってしまった。
慌ててのるんは追いかけ、二人で周辺の「エゴ」を蹴散らしてから、学校を後にする。
滞在期間が短かったのか、まだ放課後になってから時間はそこまで経っていないらしい。
なしろに連れられて向かったのは、近くの商店街のとある場所だった。




