境界事変篇 36『融解』
大沢はこれまであったこと、知ったこと、円から送られてきたデータ、それら全てを開示した。
釈然としないながらも三雲の指示を受けて篠原はそれを解析し始める。幸いにもここには使える機材が山のようにあった。長年使われていなかったとしても、当時最新の器材は今でもそこまで型落ちしているわではなかった。
解析を行っている篠原の隣で榊もまた作業に没頭している。同じことをしているように見えて彼女がしているのは大沢から受け取った情報の解析ではなく、別の部屋で眠る二人、そして結晶に覆われて停止したクローズネットの分析だ。
カタカタと二人のキーボードを叩く音だけが響く中、彼らをここに呼んだ大沢は三雲と話をするために別の部屋へと移動していた。一人やることもなく残された進藤は自分も手伝うと申し出たが、先程の戦いの疲労を取るためにも休んでいるようにと命じられていた。
長い沈黙の果て、重ねて聞こえていた作業音がふと止まる。
ギシっと音を立てて椅子の背もたれにもたれ掛かった榊が眉間に皺を寄せて天井を見上げていた。
「何か分かったんですか?」
休憩を切り上げた進藤が手を止めた榊に声を掛ける。
「そうね。彼のことなら少しだけ分かったかもしれないわ」
「彼のこと?」
「あなたがヒイロって呼んでいた彼よ」
二人の視線が奥の部屋へと向けられる。
未だ目を覚ます気配すらない悠斗の基本的な情報は大沢から聞いている。そうでなくとも進藤は直接悠斗と何度も顔を合わしてさえいる。ただその時に抱いた印象とヒイロがいま一つ結び付かないだけだった。
「何? 納得していないって顔ね」
「あ、いえ、そういうわけじゃ」
「言ってみなさい」
「あの…本当に彼がヒイロなんでしょうか?」
「それは間違いないはずよ。状況証拠だけじゃなくて大沢さんから受け取ったデータや停止した本人なんていう立派な証拠が目の前にあるのだから疑いようがないわ」
「それは! ……そうなんですけど」
理屈では、頭では納得しているはずの進藤は榊がいとも簡単に断言して受け入れていることに戸惑いを隠せない。
「ヒイロってのは自分たちがデミを倒せない頃も一人で戦っていたんですよね」
「そうみたいね。大沢さんのデータの中には私たちが知らない事件も含まれているみたいだし。…ああ、そういうこと」
進藤の顔を見て一人納得する榊。
それから一度深く息を吸い込んで進藤の顔を正面から見た。
「あなたはヒイロを聖人君主のヒーローのように考えていたってわけね」
「いえ! そういうわけではないのですが。ただ、曲がりなりにもこの世界を守っていたのは彼だったわけで…」
「守っていた…ね。貴方もデータにあった戦いの様子は見たのよね?」
「はい」
「どう思った?」
「え?」
「彼が戦っていた相手、名前は確かアンヘルだったかしら。そのアンヘルの言葉を額面通りに受け取るのなら、アンヘルもまたこの世界を守ろうとしていたってことになるわ」
「そんなこと! デミのせいで犯罪に手を染めなくてもよかったはずの人や、ただ巻き込まれて傷付いた人だっていたんですよ!?」
結晶に包まれる前、ヒイロとアンヘルが交わした問答は自分も見た。その何処までが真実なのか、判断に困る内容だったが、少なくともアンヘルが言った大義の為にでる止むを得ない犠牲などという言葉では終わらせられない現実が進藤の前にはあった。
だからこそ肯定すべき部分があったのだとしても、進藤は、いや異常課の少なくともこの場にいる人たちは彼を認めることなどできるわけがなかった。
「そうね。もしアンヘルの言っているネットワーククライシスが現実になるのだとしても、それは彼のような手段で止めるべきものじゃないわ」
きっぱりと認められないと言う榊に進藤はどこか安堵した表情を向ける。
「終わりました」
話をする二人の隣で作業を終えて篠原が背伸びをした。
「報告!」
「は、はい!」
休憩する間を与えることなく榊が命じる。
「まず大沢さんから貰ったデータなんですけど、細工された形跡は皆無でした」
「つまり、あれは全てが事実だったってわけね」
「おそらく。ただ、それは彼らがしてきたことを説明するためのもので、敵がどういう存在なのかとか、そもそもアンヘルとかいう奴が言っていたことが本当なのかを証明することにはならないんですけど」
「仕方ないわ。それよりも世界の停止については何か解かったの?」
「それなんですけど、さっぱりわかりません」
お手上げだというように両手を上げる篠原に榊は驚きの視線を向けていた。
なんだかんだ言って榊は篠原を信用している。彼の情報分析の腕もそうだが、下手な誤魔化しをしないこともまた篠原の美点の一つだ。
「あの結晶のこともよく分かっていないんですけど、結晶に覆われたことが凍結って意味を持っているのだとしても、なんかおかしくないですか?」
意味が分からないと首を傾げる篠原は「だって」と言葉を続ける。
「彼…ヒイロがこの世界を破壊しようとしてアンヘルが止めた、ってのは何となく理解できるんです。だって破壊してどんな影響が出るのかなんて誰も分からないんですから」
「そうね」
「でも、ヒイロに破壊されて世界に封じられているナニカがそこから出てくることになった。そこまではいいんです。でもおかしいのはこの結晶を発生させたのも世界を止めたのも封じられていた存在だってことです」
映像の最後。世界がヒイロをも巻き込んで結晶に飲み込まれているその起点は世界に封じられている存在。鳥のようであり、トカゲのようで、巨人のような奇妙な存在。耳障りな鳴き声を上げて世界を飲み込んでいくそれは自分を傷付ける相手に対する防衛手段のようであり、見方を変えれば世界の崩壊を止めたようにも見えるのだ。
「アンヘルが言っていたように、世界に封じられていた存在は世界を危機に及ぼす存在ではない?」
どういうことだと唸る進藤に篠原はすぐ「いいえ」と否定した。
「この現象は確実に他のクローズネットに影響を与えているんです」
「影響ですか?」
「進藤さんだって当事者なんですよ」
「え?」
「進藤さんが戦っていた大量のデミモール、それが突然完全に停止したの覚えてますか?」
そう問いかけられて進藤はただ頷くことしかできないでいた。
あの時、GM07を纏って戦っていた進藤はまさに多勢に無勢の状況に置かれていた。
倒しても倒しても次から次へと現れるデミモールの軍勢。装備を一新し倒すための武器を手に入れたとはいえ、延々と繰り返される出現にいよいよ進藤の方が限界を迎えていたのだ。それでも戦えるのは自分だけだと意思だけで立ち上がり戦い続けていたのだが、遂に倒しきれなかったデミモールが自身に迫ってきた。それを合図にダムが決壊したかのように雪崩れ込んでくる大量のデミモール。このままでは圧殺されると覚悟したそのギリギリの一瞬、自分に目掛けて手を伸ばしてくるデミモールが一斉に動きを止めた。
理由も分からないまま助かったと胸を撫で下ろす進藤はそのまま戻ってくるように言われて現実へと帰ってくるとそのままここに直行することになったのだ。
「あれはここで世界の凍結が起きたことで連鎖的に起きた事象だったみたいなんです」
では自分が助かったのは偶然にもあの存在のお陰というわけかと進藤は結晶に覆われた世界の映像に視線を送る。
「本来クローズネットというのは全てが独立しています。だから他の所で起きた事件の影響が別のクローズネットに出ることはなかったのですが」
「これはその原則すら超越してきたってわけね」
「はい」
じっと三人の視線が映像へと集まる。
「この現象の影響はまだ確認されていませんけど、おそらくは」
「全てのクローズネットに何らかの影響が出ているとみるべきでしょうね」
とはいえそこを進言するのは自分たちの役目じゃない。今は別室で大沢と話し合っている三雲の仕事だ。
「凍結を解除する方法は?」
榊の問いに篠原は首を横に振った。
「…そう。篠原君はそのまま解析を続けて。それと同時に凍結の解除方法も探して」
「わかりました。ってか、榊さんも何か分かったって言ってませんでした?」
早速作業に取り掛かろうとして篠原は思い出したように聞いていた。
「そうです! 彼のことについて何か分かったって」
前のめりになって聞いてくる進藤と篠原に榊はどこか言葉を選ぶように口を開く。
「ヒイロって呼ばれている彼の力。それは私たちが使っているものよりもデミに近いと言えるかもしれないわ」
「ええっ!?」
篠原にとっては衝撃の告白だったが、目の前で対峙したことのある進藤にとってはやはりといったものでしかない。それでも似ているようで違うほんの僅かな違いが決定的な違いであることも直感的に感じ取っていた。
「って、あ、そっか。ヒイロとデミってどことなく似てますもんね」
「そんな単純なことでもないわよ」
驚いたのも一瞬、すぐに納得できたと手を叩く篠原に榊は自分が言ったことにも関わらず窘める言葉を投げかけた。
「細かなことは置いておくことにして、GM07との一番の違いは彼らは元から相手を崩壊させるための力を持っているってことね」
「それって」
「ええ。GM05の攻撃が通用していなかった理由よ。毒を持つ生物が自身の毒で死んでしまわないように抗体を持つように、彼らも自身の力で自分を傷付けることはない」
「でも、それだとヒイロがデミを倒すのも無理なんじゃ」
「おそらく彼らは攻撃の一瞬に自身の与える影響の範囲を相手の抗体の持つ抵抗力の範囲からずらしているんじゃないかしら」
「そんな面倒なことをしてたんですか?」
「いいえ。無意識でそうしていた、というよりもそうなっていると言った方が正しいはずよ。元々備わっている能力を再現するしかない私たちと違って彼らはさしずめ天然の能力者ってことかしら」
「天然の能力者…」
榊の言葉を繰り返す進藤。その胸には自分の目の前で戦っているヒイロの姿が思い浮かんでいた。
「駄目よ」
「え?」
「あなたのことだから自分も同じ力があれば、みたいなことを考えているのでしょうけど、多分この力は危険なものよ」
ヒイロの解析を行っていた榊の言葉を受けて進藤はぐっと押し黙ってしまう。
「危険ってのはどういう意味だ!?」
三雲との話を終えて戻ってきた大沢がいきなり榊に詰め寄っていく。椅子の背を掴んで回すことで自身の方へと向ける。
一瞬戸惑いを見せる榊だったが、大沢の真剣な眼差しを受けて自身の見解を解析をしていた時のデータを表示させながら説明することにした。
「肉体を変化させることになる性質上からなのか、肉体の変化に精神も影響を受けるみたいね」
「精神にもって…大丈夫なのか?」
「普段の状態であれば問題ないのか、彼が特別なのかは分からないけれど、これまでは無事だったはずよ」
「これまではって…」
「大沢さんも見ていたのでしょう? 彼が世界を破壊する前に見せていた変化を。この時の彼はあきらかに常軌を逸しているように見える」
切り替わった映像には上半身の装甲が肥大化したヒイロが映し出されている。そのまま再生されるヒイロとアンヘルの戦いの様子。荒々しく拳を振るうその様は常に冷静に戦っていた進藤の知るヒイロとは異なる知らないヒイロがそこにいた。
ただその中でも会話をしていることから意識が混濁しているようなわけではない。ただいつもよりの攻撃的になり、内なる破壊衝動が強くなっているようだ。
「皆さん。悪いお報せです」
と今度は三雲が奥の部屋から戻って声を掛けてきた。
四人の視線が三雲に集まる。
「他のクローズネットでここと同様の凍結現象が確認されました」
この一言を切っ掛けに榊たち異常課の面々はクローズネットの凍結を解除する方法、そして同時に事前に防止する方法を模索し始める。
が、結果は芳しくなく、解決の糸口すら見つけられないまま、およそ三日が経過してもなお凍結現象は拡大してしまっていた。
悠斗、円の両名の体は研究室の機器に接続された状態を維持して専用医療機関の手を借りることになる。
その後一週間ほどの時間を使い、確認されているクローズネットの大半は結晶に包まれて使用不可な状態へと陥ってしまう。当初の新規ネットワーク計画はものの見事に頓挫してしまい、これ以上の実証実験は行われないことが決まったが時すでに遅し。クローズネットを飲み込んでしまった凍結現象は着実にその毒牙を異なる既存ネットワークへと伸ばし始めていた。
対応に追われた政府専門機関は被害をクローズネットにのみ抑え込むことを命題とし、物理的にネットワークの破壊を試みる。
専用のサーバの破壊を以って解決すると思われた事件も、専門家たちの予想を軽々と裏切り消失したのは物理サーバのみ。ネットワーク上に存在しているそれぞれのクローズネットは健在という結果に終わっていた。
「だから言ったんですよ。そんなことじゃ解決しないって」
異常課の研究室で篠原が憤りを隠すことなく内々に知らされた情報を前に言っていた。
「そんなことより、結晶を破壊する方法を考えなさい。時間はあまり残されていないのよ」
「わかってますけどぉ」
サーバの破壊を以って解決を図った段階で異常課に与えられている仕事は今もクローズネットに捕らわれたままである悠斗と円の救出だけとなっていた。医療機関で肉体の維持は行われているものの担当医からは明白に衰弱の傾向が見られると報告を受けていたのだ。
他から切り離された世界は異常課で管理されている。その中にいるであろう二人、そしてアンヘル。さらには結晶化を行った謎の存在まで閉じ込められれいる現状を打破するべく実験と検証が繰り返し行われていた。
不幸中の幸いとでも言うべきか、破壊する結晶のサンプルはクローズネットに大量に残されている。
サーバ破壊の失敗の一報は度重なる実験の果て光明らしきものが見えてきた矢先のこと。既存のネットワークへ影響を出さないことを必死に試みている状況ながら、そちらは全くと言っていいほど停滞してしまっていた。
さらに日が進み、悠斗たちの肉体に影響が出るまでギリギリとされていた頃。昼夜もなく検証を繰り返していた異常課の努力が実を結ぶ。
実験で結晶の破壊が叶ったのだ。
使われたのは榊が作り出した特別なプログラム。結晶の破壊ではなく融解を促すそれをGM07の武装に搭載。実際に進藤がGM07として異常課の実験場ではなく使われることなく破棄されたクローズネットに立ち使用実験を行う目処が立った。
しかし実験を行う間も与えられないのか、この時を同じくして残存しているクローズネットが全て結晶の中に沈んだという報告が来た。
「こうなったら今すぐにでも彼らの救出に行きましょう」
道具はある、準備はできたはずだと進藤が進言するも榊や三雲は首を縦に振らない。彼らからすれば唯一の対抗手段であるGM07を扱える人間が悠斗たちのように結晶に捉えられるわけにはいかないのだ。
「もう少し待って。それなら――」
「待てません! 上は今もクローズネットの破壊を考えているんでしょう。施策の失敗による汚名の挽回と世に名前も知られていない二人の人間。どっちを優先するのかなんて明らかじゃないですか!」
榊もここら辺が限界だろうとは考えていた。
しかし万全を期すためにも準備不足は避けるべき。そう考えて榊は寝る間も惜しんで様々な手段を講じていたのだが。
「では残りは私が」
「三雲さん」
「もう一つの計画はあなたの手を離れても問題ない段階にあるはずです。今は、彼らの救出と根本となる原因の排除を優先させてください」
「わかりました」
榊が立ち上がり進藤を見る。
「進藤君、準備はいい?」
「はい!」
例の研究室にあるクローズネットはそのまま異常課へと移されている。悠斗と円と繋がったままのそれはいつでも侵入することが可能な状態が維持されていた。
素早くいつもの手順で進藤は準備を進める。
サポート要員は榊と篠原。
他の異常課のメンバーは三雲の指揮下に入りもう一つの計画を最終段階へと進めていた。
「行くわよ?」
意識を仮想の世界へと送る進藤は次の瞬間GM07を纏い暗い闇の中へと舞い降りた。
「封鎖されたクローズネットと接続します」
「進藤君が侵入してすぐに切断。こちらへの影響を最低限に抑えて」
「任せてください!」
闇の中、光の道が現れる。
「進藤さん、行ってください。その先が例のクローズネットとなってます」
『了解!』
光の道を走る。
終着点には光輝く穴。
進藤が頭から飛び込んだ瞬間、それは一瞬にして消失した。
「GM07はスタンドアローン状態になる。私たちの声は届かない」
「大丈夫です。進藤さんならやり遂げてくれますよ」
「そうね。このクローズネットの状態を観察。何かあればこちらと繋いで」
「はい」
二重の防護策として進藤が使っている機器と榊たちが使っているネットワークは既存のそれらから断絶されている。一応GM07と繋いだままでも異常課へは影響はないはずだが、それでも念のためと全てを進藤に任せる作戦になっていた。
映像すら見えない異常課で榊と篠原は必死にその無事を祈っている。
進藤は一人光を抜けて目的の場所へと足を踏み入れた。
「これが結晶に覆われた世界…」
迂闊にも目の前に広がる幻想的な景色に綺麗だと心を奪われてしまった。
事前の準備の一つとして体の至る所に装着した武装の数々。それらには全て結晶を溶かすためのプログラムがインストールされていた。
「とはいえ弾は有限か」
仮想世界ではプログラムが実体を持つ。雨のようにそれを降り注げればいいのだが、そんなことはできないと制約の中、過剰に用意している重火器を使い二人が捕らえられている場所を重点的に溶かし救出することこそが進藤の使命。
歩き二人を探す。
手掛かりはヒイロが戦っていた時の映像。
広大なクローズネットでは大体の辺りを付けていたとはいえこうも似たような景色が続けば二人を探すことさえも困難を極めた。
より大きな手掛かりは何か。そう考えつつ歩いているとふと進藤はそれを思い出した。ヒイロが作り出した地面の亀裂。そこから吹き出した結晶化の光。であれば、広がっているであろうこの現象の起点にこそ二人はいるはず。
似たり寄ったりの景色の中微妙な違いを手掛かりに進藤はその中心部へと向かう。
透明度の高い結晶に覆われた地面の下に見えてくる亀裂の端。
ついに見つけたと下を向いたまま進んでいると遂に二人が封じ込められている結晶を見つけた。
「近いのは彼か」
プログラムが搭載された弾丸が装填されているGM07SSを構えて中にいる悠斗に当たらないように、それでいて効果が全体に及びように狙い引き金を引く。
放たれた弾丸が結晶に当たり、亀裂が広がるとその僅かな隙間に沿ってドロドロと解け始めた。
「次は…」
悠斗が解放されるのを待たず進藤はさらに円の救出を試みる。
二度目の銃声の後、二人は結晶の中から解き放たれた。




