境界事変篇 35『崩壊の刹那』
悠斗の拳が当たる瞬間、その拳から炎が一気に噴き出した。
周囲を巻き込む炎の中で二人は攻撃し続けている。
振り下ろされるアンヘルの大剣を悠斗が殴り飛ばし、突き出される悠斗の拳をアンヘルの大剣が打ち払う。
互いにクリーンヒットすることなく繰り返される攻撃の嵐にタイミングを見計らい助力するつもりだった円は手を出すことができずにいた。
苛烈を極める攻防が続く最中、ホログラムモニターに映し出されている映像の中のGM07の戦いも佳境を迎えていた。
纏う装甲が傷付き、砕かれ追い詰められていくGM07から進藤新の顔が覗く。
異常課の人たちの的確なサポートが行われている。傷付いた装甲は瞬時に修復が行われ、弾切れを起こした武装を投げ捨てては瞬時に送られてくる新しい武器のおかげでどうにか戦えているがどんなに倒しても数の減らないデミモールに押し切られてしまうのも時間の問題だった。
その時、大沢が見ているモニターの内半分。暗転していた画面に悠斗とアンヘルの戦いが映し出された。
至近距離に立ち打ち合っている二人の様子に大沢は一人戦慄を覚えた。彼が知る悠斗の様子とは明らかに画面の中の悠斗は違っていたからだ。
「何が起きてやがる?」
思わずたじろいだ大沢はここに爆発の危険が無くなったことを知り一度は安心していたものの、一向に戻ってくる気配のない二人にまた別の心配をしていたのだ。
映像の中。戦う悠斗の奥に円がいる。
僅かに見切れただけというのに見逃さなかったことで一応の安心は得られたものの、それだけで事態が好転するわけでもないと今自分にできることを考えた。
円や悠斗が正体を隠していることから応援を呼ぶわけにはいかない。
この場から彼らを手助けするような技術を持っていない。
浮かぶのはできないことばかりで、大沢は悔しさから唇を噛み爪が喰い込んでしまうほど強く拳を握っていた。
ドンっと一際大きな衝突音が響く。
強く突き出した悠斗の拳が振り下ろされるアンヘルの大剣に当たり、両者を吹き飛ばすほどの衝撃を発生させたのだ。
「ぐぅぅ」
悠斗が吹き飛ばされた瞬間に体を倒し両手で地面を掴み急ブレーキを掛けながら苦悶の声を漏らしていた。
変化して拡大された上腕の装甲。元々そこに入っている無数の亀裂から炎が噴き出しているだけではなく、内部に走った衝撃を外へと逃すためなのか上腕だけではなく全身の装甲にさらに多くの亀裂が駆け巡ったのだ。
痛覚が拡張されるクローズネットという場所で全身に広がる亀裂はまさに全身が切り刻まれるも同然。形容し難いほど強烈が痛みが全身に走り、またヘンシンしている自分の体がそれを瞬時に癒してしまっていた。
「ぬぅ!」
アンヘルは大剣を床に強く突き刺して止まろうとしているが、衝撃のあまりの強さにその刀身が耐えられなかった。剣半ば程で真っ二つに折れてしまい役目を果たせなくなったそれを急停止したアンヘルは乱暴に投げ捨てた。そして体に付いている装飾の一つを引き千切りぐっと握り込むと次の瞬間、ただの飾りだったそれが先程折れた大剣と同じものへと変貌していたのだ。
武器を持たず無手で前傾姿勢になって構える悠斗。
一振りの大剣では倒せないと更にもう一つの飾りを引き千切って大剣へと変えるアンヘル。
衝突と衝撃によって中断されていた戦闘が合図もなく再開された。
再度激突する両者だが、その打ち合いは先程までとは比べ物にならないほど激しくなった。
二振りの大剣は見た目通りに攻撃回数が倍以上に増えており、全身に増えた亀裂から炎を吹き出しながら殴り付けている悠斗は体を駆け巡る痛みを感じないほど目の前のアンヘルに集中している。
そう。悠斗のヘンシンが変化したことで変わったもの。それは彼の視野。これまでは不測の事態に備えるためにもある程度余裕のある立ち居振る舞いを心掛けており、実際攻撃も無理に仕掛けるのではなく一瞬の隙を突くような攻撃が主体だった。
それが今では自分の性能を盾に多少強引な攻撃であっても厭わず攻め続けている。
まるで自分の体に振り回されているとでもいうべきか。最低限これ以上は踏み込んではならないと本能的な境界はあるみたいだが、見る人が見れば一歩どころか二歩三歩と深く踏み込み過ぎている状態だった。
それでも素の威力が高いおかげがアンヘルの大剣は数度悠斗の拳を受けただけで砕け散る。
使い物にならなくなったそれを捨てて体の装飾から別の大剣を作り出すことを繰り返している結果、次第に体にある装飾が枯渇してきたのもまた事実だった。
「ハアアッ」
「フンっ」
再度二人の一撃がぶつかり合う。
殴りつけた悠斗の腕から血のように炎が噴き出し、アンヘルの振るう大剣が粉々に砕け散った。
持ち手だけとなった大剣には構わずアンヘルは反対側の手で持つ大剣で悠斗を斬り付ける。その刃が悠斗の首元に触れて引き裂かれるまでの一瞬、悠斗は左の手でアンヘルの胸を強く殴りつけた。
偶然なのか、必然か。
両者の攻撃はタイミングを合わせたようにお互いの体を傷付けた。
悠斗の体から吹き出す炎。
アンヘルを打ち付けた強烈な拳。
思わず後退する二人は息も絶え絶えに目の前の存在を睨みつけていた。
「何で…」
この一連のやり取りで僅かながら冷静さを取り戻していた悠斗が堪らず呟いた。
「アンタはここを破壊したかったんだよな。なんで俺の邪魔をするんだ?」
「この世界を消すことは決定事項。ですが、あなたのやり方は危険過ぎます」
呼吸を整えながら投げかけられた問いにアンヘルは再度二本の大剣を握りながら答えた。
「この世界の破壊。それは他の世界に影響を出さないように慎重を期して行われるべきこと。ただがむしゃらに成していいことではありません!」
この時、悠斗が普段のような冷静さがあればアンヘルの言い分も理解できただろう。後ろで何か叫んでいる円の言葉も届いていただろう。
しかし、今の悠斗にはアンヘルの言葉がただ自分を妨害するための方言であるように聞こえ、円の答えは微塵も聞こえていなかった。
「はぁ、はあぁぁ」
頭を振り、呼吸を荒く、全身に力を漲らせていく。
抑えきれない破壊衝動が沸き起こり悠斗の意識は目の前のアンヘルのみに研ぎ澄まされていた。
「話を聞くつもりはないということですか」
呆れたようなアンヘルの呟きも悠斗には届かない。
自らに向けられた敵意と暴力を払うためにアンヘルもまた戦意を漲らせていた。
これまでの均衡からアンヘルは悠斗を御することができる。そのような思惑は容易く裏切られてしまう。
思い切り振り下ろされた拳がアンヘルの大剣はおろかその体まで砕く勢いで突き刺さり、アンヘルは呼吸もできないほどの衝撃を受けて殴り飛ばされてしまったのだ。
一度崩れた均衡は二度と元には戻らない。
拳を受けて後退を強いられたアンヘルに悠斗は畳みかけるように拳を撃ち込んでいく。
右、左、右と繰り返し突き刺さる拳はその都度アンヘルの体を砕いていく。
それはもう圧倒的な光景だった。
炎を吹き出し撒き散らしながら打ち込まれる拳によってアンヘルは二振りの大剣を失い、体を覆う装甲が砕かれ、仕舞いには床に強く叩き付けられてしまった。
苦悶の声を漏らし倒れるアンヘルは体を起こすことすら叶わない。
このまま止めを刺すかと思われた悠斗はふと立ち止まり眼下を見下ろした。
「や…めろ……」
仮面の奥で拡張された痛覚によって息をするのも困難なほど苦痛に顔を歪ませているアンヘルを無視して悠斗は無言のまま全身に力を溜めていく。
「あああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!」
体から吹き出す赤い炎。
それはまるで悠斗の体に流れる血が燃えているかのよう。
凄まじいまでの痛みが全身を駆け巡り、堪え切れずに叫び声を上げた。
ごうっと炎が強く燃え上がり悠斗は両の手を固く握りしめた。
「壊れろ…」
強く地面に固く握った拳を叩き付ける。
両の拳から炎が噴き出し、叩き付けた地面に亀裂が広がる。
「なっ」
蜘蛛の巣状に広がった亀裂から光の靄が一気に噴き出した。
まるで自分を傷付ける相手に対する防衛行動のように光が悠斗を押し返す。
「ぐっ、邪魔を…するな!」
光を吹き飛ばし再度悠斗が歩を進める。
狙うは亀裂の中心。
「壊れろ!」
メキメキと拳が砕けるほど強く握り、思い切りそこに叩き付ける。
拳から炎が巻き上がり、亀裂がこの世界全体へと広がっていく。
それまでよりも強い光が世界に入った亀裂から一斉に噴き出した。
空からは光の雨。
地面からは光の噴出。
キラキラと輝く星々をぎゅっと集めたような瞬きが世界を飲み込んでいく。
次の瞬間、世界に声が轟いた。
夕暮れに聞く鳥の鳴き声。
巨大な海洋生物のような声。
そして、人間の赤ちゃんのような声。
様々な声がごちゃ混ぜになったかのような不快な”声”がまるで世界の崩壊を嘆くように、あるいは歓喜しているかのように鳴り響く。
「う…あぁっ」
突然悠斗が苦しみ出した。
それまで自分を燃やすことのなかった炎が自分の体を傷付け始めたのだ。
緊急避難のように解かれるヘンシン。
「悠斗!」
素顔を晒した悠斗が苦痛に呻いているとそれを心配した円が駆け寄ってくる。
「これは……私の望んだ崩壊ではない!」
怒りを悠斗に向けてアンヘルが立ち上がる。
しかしそれ以上アンヘルは動くことができなかった。世界に触れている足先から透明な結晶がアンヘルの体へと広がっていたのだ。
「やはり、こちらもかっ!?」
驚愕する円もまたアンヘルと同様の症状が起きていた。
世界に触れている足から上半身に向けて結晶が広がり円の体を飲み込んでいく。
この異変は何も悠斗やアンヘルたちだけではなかった。果てなく亀裂が広がった世界もまた同様に降り注ぐ光が変容した結晶に覆われ始めたのだ。
倒れている悠斗は誰よりも早く結晶に飲み込まれてしまう。
目を閉じて苦痛を耐える表情のまま停止した悠斗を前に円は一つの決断を強いられていた。
今現実に戻ったとして無事である保証はない。それは忌々し気に凍てつくように結晶に飲み込まれようとしている世界を見ているアンヘルも同じなのだろう。それならばと、円は多少強引な方法で自分の見聞きした情報を残すべく、あるいは伝えるべく自身の胸に手を置いた。
「ああっ」
自分の心臓を鷲掴みにするように指先に力を込めて体の内側から無理矢理に取り出す。
手の中で赤々と輝いている何かを強引に握りしめて円は結晶に覆われていく空を見上げた。
「頼む。届いてくれ」
まだ完全には覆い尽くされていないこの瞬間が唯一のチャンスとばかりに円はそれを転送する。
地上から空に向かって放たれる流星の如くそれが送られた直後、円やアンヘルをも巻き込んでこの世界は結晶に包まれた。
いや、この世界だけじゃない。
悠斗たちが居るクローズネットに繋がっている全てがこの瞬間を以って謎の凍結症状に襲われたのだ。
「これが私の元に送られてきたデータの全てです」
本来秘匿されている研究施設。十数時間前、自分たちが呼び出されたこの場所で大沢は真剣な面持ちで通算三度目となる映像を見ていた。
「まさか、そんなことが起きていたなんて」
停止した映像を見て榊が驚いたように呟く。その視線は奥の部屋へと向けられている。そこには未だ目を覚まさない悠斗と円が運び込まれたベッドに寝かされていた。
このベッドの搬入は三雲の息が掛かった人によって行われた。何故ここで人が倒れていたのか、どうしてそれを事件として報告しないのか、それらのことを追求しないようにと言われている人たちだ。
「あの人が…彼が……ヒイロ?」
「え? えっ? なんで? どういうことなんです?」
進藤が曇り硝子の向こう側にいる悠斗を呆然と立ち尽くして見ている。その隣にいる篠原はまだ現実が飲み込めていないのかみっともなく取り乱している。
「三雲さんは知っていたんですか?」
「いいえ。彼が独断で動いていたことは報告を受けていましたが…」
正直ここまでだとは思っていなかったと言う三雲に榊はどこか納得できないという顔を浮かべていた。
「おれが持つ情報は全て渡す。だから……」
大沢が未だ状況を享受しきれていない四人に向けて告げる。
「こいつらを助けてくれ」




