境界事変篇 34『崩壊のチカラ』
鉄の柱が並ぶ部屋にある仮想空間。それはクローズネットであり、制御プログラムはその最奥に隠されていた。
『いいか。道はこちらからガイドする。悠斗は多少の障害物は無視して一気にそこに向かうんだ』
「はい!」
椅子の代わりに壁に寄りかかるようにしてクローズネットにダイブした悠斗の現実の肉体は大沢と円によって守られている。
仮想の世界から二人を、そして自分自身を救い出すことこそ悠斗に与えられた役割。
足元に浮かぶ一筋の光に導かれて悠斗は全力で走っていた。
当然、素の状態ではなくヘンシンした姿で。
このクローズネットだが、アンヘルが枝葉と称した他の空間とは何かが違う。中の広さは使っているサーバ次第で変化するし、中の様相もまた使う人によって異なる。だが、この時に悠斗が感じている違いはそんな差異とはまた別の何かだった。
『そこを右、その次を左に曲がった先にある部屋だ』
三つに分かれている道の中、正しい進路を円の声と足元の光が示す。
迷うことなく駆け抜けて辿り着いたのは部屋の中央に巨大な石碑が収められた部屋だった。
『その石碑がここのコントロールパネルだ。使い方はこちらから指示を出す』
「わかりました」
アラームが鳴り続けている現実とは異なりここは静かなものだ。
まっすぐ石碑へと近付いていく悠斗は突然足を止めた。
自分と石碑の間の床が盛り上がり、そこから一体の巨人が姿を現したからだ。
「…セキュリティ」
アンヘルが言っていた言葉を思い出す。
それがデミと呼ぶ存在であるのだとしたら、目の前の巨人はまさしく侵入者である自分を阻むセキュリティそのものではないか。
『あれを倒さなければシステムを操作することはできないみたいだ』
「みたいですね」
『急いだほうがいい。ここに辿り着くまでに既に五分も使ってしまっている』
「はい!」
罠が仕掛けられていないかと慎重にならざるを得なかった悠斗は万全を期すために時間を使った。
その先で巨人の妨害が待っていると知っているのならもっと急いだかもしれないが、事実慎重に進んだおかげで回避できた罠も一つや二つじゃない。
ぐっと拳を握り、巨人に叩き込む。
時間がないと焦る悠斗は開始早々にラッシュを仕掛けたのだ。
右左、また右と繰り返し叩き込まれていく拳を受けて巨人は堪らず後退した。
逃がすものかと巨人の腹を思い切り掴み掛かる。
鋭く尖った爪を持つ左手が深く喰い込まれていく。
流れない血の幻影が悠斗の左手を濡らし構うものかと強引に巨人の体を引き寄せた。
「凄いな。悠斗こんな戦い方もできるかよ」
戦う悠斗の様子を見守っていた大沢が関心したというように呟く。
「私の言葉のせいでもあるのだろうが、悠斗も焦っているらしい」
普段の悠斗のファイトスタイルを知る円もその苛烈を極める悠斗の戦いぶりに驚くのと同時に微かな焦燥感を抱いていた。
このままの調子で攻撃を加えて行けば巨人は程なく倒されるだろう。それでこちらから操作すれば爆発は止められる。
根拠はなかったが当初に悠斗に指示を出した後、円は既存のシステムを使ってざっと建物の中をスキャンして爆発物を探していた。しかし爆発物らしきものは見当たらない。であればここを消し飛ばすのに使えるのは何か。そう考えて思いついたのは数か月前に起きたショッピングモールの爆発事故。あれは結局爆発物が仕掛けられていたのだが、それを起動させるのは送電システムのオーバーロードだった。一般的なショッピングモールよりも高い電圧と送電量を必要とするサーバセンターならば過剰放電させれば自爆してしまう恐れはある。
いつもは何重にも施された防止措置で防がれているそれも、今はアンヘルの手によって取り除かれている可能性が高い。
悠斗がクローズネットに向かった後、大沢にそう説明した円は悠斗のガイドをする傍らアンヘルによって細工が施されているであろう場所を探し続けていた。
悠斗のことを信じていないわけではないが、念のため。もし外部からでもそれを切断することができれば爆発の危険はぐっと減る。
「見つけた。大沢さん、頼むぞ」
「ああ。任せろ」
悠斗の戦う様子を余所に建物のスキャンを繰り返して異常部位を探し出した円が大沢に位置を伝えると、目を瞑っている悠斗をそっと寝かせて大沢が駆け出した。
『ハアッ』
巨人を掴み引き寄せてそのまま思い切り殴り付ける。
顔から床に叩き付けられた巨人が起き上がろうとしたその瞬間に腰の入った回し蹴りを叩き込んだ。
ドンっと大きな音を立てて巨人が床に沈む。
動かなくなったそれを一瞥し悠斗は石碑の元へと急ぐと突如天井に穴が開いた。
「まさか、これほどの速さであの巨人を倒してしまうとは。やはり想像以上でね、君は」
一振りの大剣が床に突き刺さり、その上にアンヘルが舞い降りてきた。
「いいのか? ここにいるとアンタも無事じゃすまないんじゃないか?」
「心配には及びませんとも。私はいつでも現実に戻ることができますからね」
「だったら、現実で大人しくしてろよ。俺たちには時間がないんだ!」
「つれませんね。少しくらい付き合ってくれても良いじゃないですか」
「冗談を言っている暇はない!」
剣銃を抜いて斬りかかる悠斗をアンヘルは平然とその大剣で受け止める。
「冗談ではありませんよ。言ったでしょう。ここで貴方たちには退場して頂くと」
アンヘルのいう退場は単純にクローズネットから手を引かせるという意味ではのないだろう。言葉通り、あるいは死んでも構わないというようなニュアンスで告げられたものだった。
「驚いたよ。まさかそんな直接的な手段に出るだなんて」
「私としても遺憾なのですが、仕方ありません。そうするだけの価値があなた方にはあるのですから」
「そんな評価されても嬉しくはないな!」
大剣と剣銃が打ち合い、互いに一歩も引かない格闘戦が繰り広げられている。
しかしこの二人の勝利条件は異なっている。ただ時間が過ぎればいいだけのアンヘルに比べて悠斗はここでアンヘルを制して且つこの場所から施設の爆発を止めなければならないのだ。
「くっ」
気が急いて攻撃が荒くなった分、悠斗はこれまでにもないくらい苛烈にアンヘルに攻め立てている。
斬って、殴って、蹴り飛ばす。
自分ができる攻撃の全てを使いアンヘルを倒そうと悠斗が集中することで、それを受けるアンヘルの隠された顔からは余裕が無くなっていた。
「ハアッ」
渾身の拳を剣銃で大剣を斬り上げることで生み出した隙間に叩き込む。
見事なボディーブローが突き刺さり、クローズネットという痛覚が現実以上にトレースされた世界で受ける強い痛みと衝撃にアンヘルは呼吸を止めて後ずさった。
「邪魔をするなっ!」
時間がない。
優勢であるにも追い詰められているのは間違いなく悠斗の方となっていた。
「お前がそれを言うのか!」
「何?」
強く拳を撃ち込んだ体勢で悠斗が叫ぶとアンヘルが意外な反応をみせた。
感情の爆発とでもいうような憤りが全身から吹き出している。
「言っているでしょう。私はこの世界を救いたい…守りたいのだと。それを邪魔しているのはあなたたちの方だ!」
怒りなどという言葉では足りないくらいの激昂を見せてアンヘルは自身の大剣を床に強く叩き付けた。
「ネットワーククライシス。このままクローズネットが形成されればそれが起きることは確実だと何故分からない! そうなった場合、被害は誰にも想定できないほどに大きいと何故理解しない!」
「聞き捨てならない話だな」
激昂に任せて告げるアンヘルの前に突然、円がクローズネット用の体で現れた。
「どうしてこのクローズネットの完成がネットワークの崩壊に繋がると言える?」
「何故ですって? 妙なことを言いますね。あなたたちにはあれが見えていないのですか?」
アンヘルのいう”これ”の意味が分からずに悠斗と円はただ無言を返すことしかできない。
「は、はは、ははは。なるほど。傑作だ。まさかあなたたちはこの世界に足を踏み入れていながらあれを見ていないというのですか」
「どういう意味だ?」
「だとしたらこれは必要が無かったみたいですね」
「なっ!?」
嘲笑を堪えきれないと笑みを零すアンヘルが突然部屋にある石碑、正確には石碑の形をしたコントロールパネルを叩き切った。
直後、現実でけたたましく鳴っていたアラームが止まり、ドアのロックが外された。
「見せてあげますよ」
アンヘルがそう言った瞬間、悠斗や円までも飲み込んでしまうほど巨大な大穴が床に出現した。
「ついて来てください」
仮想世界の重力に従い二人は穴に吸い込まれていく。
そんな二人を偶然にも爆発に繋がりそうな配線を断って戻って来た大沢が目撃していた。
「何が起こってんだ?」
目の前のモニターには大穴が空いたまま誰もいなくなったクローズネットと無数のデミモールと戦っているGM07という二つの映像だけが映し出されていた。
「円さん、こっちへ!」
「ああ!」
大穴に落ちる最中、悠斗は必死に体勢を変えて円を掴み自分の元へと引き寄せた。
純粋な防御力ならば自分の方が上。もし地面に叩き付けられるとしても自分の体をクッションにしでどうにか円を助けようと強くその体を掴む。
しかしそんな悠斗の心配は無意味だというように、二人はふわりと減速して着地することができていた。
二人の前にはアンヘル。
ここは先程までの空間ではなく、夜の闇に包まれているかのような場所。空には自分たちが落ちてきた穴があり、その周りには無数の星々。足元は微かに水が張り巡らされているようで少し動くだけでも波紋が広がっている。
「ここは?」
見慣れない、というよりかは初めて目にする空間に悠斗は戸惑い立ち上がり周辺を見回した。
全てが闇に包まれているせいだろうか。果てがなくどこまででも続いているかのようにさえ見える。
「クローズネットを形成する根幹となる場所。とある男が作り出した原初のプライベート空間でありブラックボックスを抱いた仮想の世界。アンダースペース。私はそう呼んでいます」
歩く度に波紋を広げつつアンヘルが悠斗の呟きに答えていた。
「そして、この世界には…」
ダンっと足元に大剣を突き立てる。
すると歩く時よりも広く大きく広がった波紋が足元の水を退かしてその下にあるものを浮かび上がらせた。
「”あれ”がいる」
「何だ…これは」
「この存在に名前はまだありません。ただ、いうならこの存在こそがブラックボックスそのものでしょうか」
それぞれが自分の足元を見下ろした瞬間、二人の顔が驚愕に包まれる。
そこに居たのは見たこともないほど巨大な何かの雛。鳥やトカゲと似ているようで似ていない形容し難い不気味な姿をしたそれは目を閉じて眠るように丸まっている。
生きているのは間違いないのか、微かな脈動の音がこの部屋に反響していた。
「クローズネットが成長した果てにあれは外の世界へと放たれるでしょう」
「そうなるとどうなる?」
「単純なこと。一つの世界の崩壊の後に待っているのは更なる世界の崩壊」
悠斗と円にはアンヘルの言葉を間違いだと言い切ることができない。
初めて見る世界に初めて見る存在。それらは悠斗にとって全くの未知であり、謎でしかないのだから。
「どうしてそんなことをアンタが知っているんだ?」
「私がこの世界を見つけた時にシミュレーションしただけのことです。もしあれがこの世界から放たれた時にどうなるのかをね」
「だから、どうしてアンタがそんなことをしたのかって聞いてるんだよ!」
「最初は単なる好奇心でした。仕事柄こういうものを調べるのは得意でしてね。この世界を見つけ出すことも私の仕事だったというだけですよ。まあ、報告には上げませんでしたけどね」
「どうしてだ? この世界を見つけたとなればアンタの手柄になるんだろう?」
「報告した所で意味がないと判断しただけですよ。仮にクローズネットを作っている人がこの世界のことを知ったとて何ができるというのです? 彼らにはそんな知恵も能力もないというのに」
バッサリと言い切るアンヘル。
「事実彼らは自分たちが作り上げたと言ってクローズネットの模造品を世に出した」
「それが、アンタが壊したクローズネットだって言うのか?」
「半分は正解です。枝葉だと言ったでしょう。模造品であってもこの世界はあれらを飲み込んでしまった。当然です、似せて作られている別物といってもそれらには切っても切れない類似性というものがあるのですから」
「なるほどな」
静かにアンヘルの話を聞いていた円が納得できたと頷いた。
「貴方はこの世界に封じられているものが外に出てしまわないように世界の拡張を防いでいたというわけか」
「ええ。どうです? 多少強引だったのは認めますが、正しい行いでしょう? 寧ろ世界を危機に晒しているのは私ではなく、何を知らずこの世界を広げようとしている人の方だと理解してくれますか?」
「ああ。そうなのかもしれないな。だけど、今も懸命に戦っている人、この事態を収拾しようと頑張っている人がいる。それだけは間違いない。何よりも、アンタはあのデミの軍勢を作るために大勢の関係ない人を傷付けた!」
「大義の為の犠牲ですよ」
「ふざけるな!」
「私がしていることを認知している人だっています。それこそ彼らの中にもね」
「何だって!?」
「やはり、そうなんだな」
宙に浮かぶホログラムモニターに映し出されるGM07が戦っている様子。それを見つめてアンヘルが言った彼らというのは聞くまでもない。無数のデミモールの中の誰かではなく、GM07を運用している人たちの中という意味だ。
「どの組織も一枚岩というわけじゃないということですよ」
一体誰が、そう考えて悠斗は異常課の人たちの顔を思い出していた。あの中の誰がなどと考えたくもない。そもそもアンヘルが言っている言葉が真実だという証拠はないと固く口を閉ざしてただ目の前を見つめ続けた。
「クローズネットを是とする人。クローズネットを間違いだとする人。さて、真の意味でこの世界を危険に晒しているのはどちらなのでしょう」
悠斗たちをこの世界に招き真実を告げる。それがアンヘルの目的なのだとしたら、それはやり遂げられた。
だというのに二人はまだこの世界にいる。
悠斗は足元に居る存在を見て、目の前にいるアンヘルを見た。そして隣にいる円へと視線を向けると彼女は静かに隙にすればいいと告げるかのように深く頷いた。
「アンタの理屈はわかった」
「それは良かった」
「だったら俺が壊してやるよ」
「何?」
一歩前に出て強く宣言する。
円は反対に一歩後ろに下がりその手には彼女の短銃が握られた。
「俺が…アンタも、この世界にいるあれも! 全部! 全部壊して、この馬鹿げた戦いを…終わらせてやる!」
正義も悪も関係ない。
ただ悠斗はデミモールと懸命に戦っている人がいることを知っている。
アンヘルが大勢の人を傷付けていること。
円を危険に晒したことも。
この世界が間違っているとか、危険なのかなんて事は後から考えればいい。今はただ、目の前のアンヘルを止めるだけ。
アンヘルがこの事態を引き起こしているのは間違いようのない事実なのだから。
「がっ」
そう強く思った悠斗の体を激しい熱が駆け巡る。
「あぁ…!」
胸の結晶体から指の先まで伝う全身の熱が体から吹き出しそうなほど暴れ回り、悠斗の体をさらに変化させていく。
特に上半身にその変化は強く表れていた。
肩から指先までを覆う強固な装甲。それには内側からのエネルギーが溢れているかのように赤く光る亀裂が無数に生じている。
新たに生成された両腕の装甲はそのまま背中へと延び、胸、首と広がっていく。
下半身はそこまで強固に装甲が追加されたわけではないが、元よりある足の装甲にも同様の赤い亀裂が刻まれていた。
「…ふぅ、ふぅ、ふぅ」
悠斗が深く息を吐き出すと一瞬、炎が亀裂から吹き出した。
この悠斗の変化を目の当たりにしてアンヘルは再度床に突き立てていた大剣を掴む。
「あなたは危険だ」
荒々しく息を吐く悠斗にアンヘルが大剣の切っ先を向けた。
「意外だな。あなたはこの世界も護るのか」
戦う意思を向けるアンヘルに円が言った。
「この世界を護るのではありません。全ての世界における危険因子を排除するだけです」
「御託はいい。俺はアンタを倒して、あれも壊す!」
「無理です。いや、仮にそれができたとして、それがどのような影響があるのか。それが分かっているのですか?」
「今よりも悪くはならないはずだ」
「どうでしょう」
「試してみればわかるさ」
「させるとでも?」
「円さんを、あの人を助けるにはこうするしかない!」
悠斗が一瞥したリアルタイムの映像。そこにはデミモールとGM07の戦いはその均衡が崩れ始めた様子が映し出されている。
これまでの戦闘で蓄積されていた疲労が出てしまったのだろう。徐々に進藤の技量によってカバーされていた攻撃の合間に生まれる隙が増えてゆき、遂には圧倒的な物量に圧されてGM07が追い詰められてしまっていた。
「一人の人間と大勢の人間。どちらを護るべきかなど、分かり切っていることでしょう」
「ああ。かもな。でも、俺はその一人を切り捨てなければ守れないものなんて、俺は認めたりしない!」
「あなたに認めてもらう必要などありません」
ゆっくりと歩を進めていく悠斗。
それに合わせて大剣を携えたまま前進していくアンヘル。
「独りよがりな正義なんて!」
「何も理解していない愚者の戯言など!」
二人が叫びながら一気に駆け出した。
「「否定する!!!」」
奇しくも同じ言葉が重なった瞬間、思い切り突き出された悠斗の拳とアンヘルの大剣の刃が強く激突した。




