第8話 襲撃
数日後の朝。
それは配給の最中に起きた。
南通りの角を曲がったところで、悲鳴が上がった。
一度ではない。連続して。複数の声が重なり、灰底の路地に反響している。
配給の列が崩れた。人々が悲鳴の方を見て、次の瞬間には逆方向に走り出す。椀が落ちて割れる音。スープがこぼれて石畳に広がる。
「何だ?」
ヨウが鍋の前から顔を上げた。
また悲鳴。今度は近い。路地の向こうから、何かが弾ける音が聞こえた。壁がひび割れるような重い衝撃音。
力がぶつかり合っている。
エコの体が、反射的に強張った。
「エコ、動くな」
ヨウの声。鋭い。普段のだるそうな声とは別物だった。元軍人の声。
「中に入れ。子供たちを——」
「ヨウさん、あの子たちが」
エコは通りの向こうを見ていた。配給に来ていた子供たちの何人かが、悲鳴の方角に取り残されている。逃げ遅れたのだ。路地の角で座り込んで泣いている子がいる。
その向こうに——黒い影が見えた。
三人。灰底の住民ではない。動きが違う。統制が取れている。一人が手を振ると、路地の壁にひびが走った。
彼らが狙っているのは、通りの反対側にいる若い男だった。男は腕から光を放ちながら後退している。抵抗しているが、三対一では分が悪い。壁際に追い詰められていく。
その戦いの余波が——座り込んでいる子供たちのすぐ近くまで飛んでいる。
「エコ!」
ヨウの声が背中に当たった。
でも、足はもう動いていた。
走る。
路地を駆け抜ける。フードを被り、ゴーグルを目元に下ろす。鉄面が顎を覆う。
「エコ、3メイ。ゼンイン カラ チカラ、カンジル。エコ と ドウトウ カ、スコシ シタ」
ソラがジャケットの中から報告する。声が硬い。
自分と同じくらいか、少し下。だが三人。
まず子供たちだ。
座り込んで泣いている二人の子供に駆け寄った。一人は配給で見覚えのある男の子。もう一人は——昨日、鉄の花を渡した女の子だった。
小さな手が、まだ鉄の花を握りしめていた。
「来て。こっち」
二人の手を掴んで、路地の奥に引っ張った。壁の陰に押し込む。
「ここから動かないで。絶対に」
女の子が泣きながら頷いた。鉄の花を胸に抱いている。
エコは振り返った。
三人の黒い影が、若い男を壁に叩きつけていた。男が崩れ落ちる。動かない。気を失ったのか、それとも——。
三人がこちらを向いた。
「もう一人いるぞ」
「ガキか。チップは……ない。未登録だ」
「連れていけ。使えるかもしれない」
連れていく。エコの中で、何かが冷たくなった。
こいつらは——宙憑きを狩っている。
三日月と炎の紋章は見えない。だが空気が、あの夜と同じ匂いをしている。同じ種類の悪意。
「…………」
足元に転がっている金属を探した。排水管のボルト。壁の留め具。捨てられた工具。灰底の路地には、金属がいくらでもある。
指先に意識を伸ばす。
ボルトが一本、足元から浮き上がった。
次の瞬間、周囲の金属が一斉に応えた。
壁から剥がれた鉄片。割れた配管の破片。錆びた鉄筋。捨てられたボルト。鈍色の屑が地を這い、宙に舞い上がり、エコの体の周りにゆっくりと漂い始める。
大小不揃いの金属が、足元から肩の高さまで、塵のように浮いていた。風がないのに揺らめき、互いに位置を入れ替え、エコの輪郭を灰色にぼかしていく。
灰かぶり。
灰底でそう呼ばれる姿が、そこに立っていた。
ゴーグルの奥で、目が冷たく光っている。
「なんだ……あのガキ」
三人の動きが止まった。一瞬。だがすぐに構え直す。
「転質か。金属を動かしてる。——大した出力じゃない。やれ」
一人目が踏み込んできた。拳に光が集中している。体そのものを武器にするタイプ。速い。
エコは浮遊させた鉄屑を右腕に集めた。鈍色がぐるりと前腕に巻きつき、薄い装甲を形作る。その腕で拳を受けた。
衝撃が腕を通じて全身に走る。重い。自分の全力と同じくらいの打撃。受けた瞬間、装甲の表面に亀裂が走った。一発でもう罅が入る。長くは保たない。
受けながら、足元のボルトを飛ばした。相手の足を狙う。当たらない。相手は既にステップで避けている。戦い慣れている。
二人目が横から来た。手のひらから何かを放つ——衝撃波。腕の装甲を削るように吹き付けてくる。
「っ——」
エコは後退した。前腕の装甲が砕け、鈍色の破片が散る。すぐに浮遊している鉄屑を引き寄せて巻き直すが、組み上がる前に次の一撃が来る。直す端から壊される。装甲を一箇所維持するだけで精一杯だった。
三人目はまだ動いていない。後ろで腕を組んで、こちらを観察している。
「やっぱりガキだな。力はあるが、動きが素人だ」
素人。その通りだった。エコは独学で戦ってきた。戦い方を教わったことはない。力の使い方は知っているが、「戦闘」の仕方は知らない。
拳の男が再び踏み込む。今度は右。エコは左腕に鉄屑を巻いて受けようとした——フェイントだった。本命は左からの蹴り。脇腹に入る。
息が詰まった。装甲のない脇腹に、衝撃が直接響く。
「エコ!」
ソラの声が聞こえた。
よろめきながら壁に手をついた。壁の金属を引き剥がし、槍のように伸ばして相手を牽制する。三人が一瞬下がった。
でも——一瞬だけだ。
三人はすぐに散開した。連携が取れている。一人が正面から押し、一人が横から削り、一人が後ろで見ている。ローテーション。訓練された動き。
エコは一人で、三方向を同時に守ることはできない。腕の装甲は一つしか保てない。残りの全身は、剥き出しだ。
「シンパクスウ 170。ソウコウ イチ、イジ デキテイナイ。エコ——」
ソラの報告が途切れた。
「テッタイ シテ」
「……できない」
背中の向こうに、子供たちがいる。
「できないよ」
拳の男がまた来る。今度は全力の踏み込み。地面が砕ける勢い。
エコは浮遊させた金属を全て前方に放った。ボルト、釘、金具、パイプの破片。十数個の鉄屑が空中に散る。
全部を同時にぶつけた。弾幕。無差別の散弾。
拳の男が腕で顔を庇い、後退する。何発かは当たった。だが致命傷には程遠い。
しかも——撒き散らした分、エコの周りの鉄屑が減った。装甲を巻く材料が、その分だけ失われる。
その隙に、二人目が衝撃波を放った。
横からだった。避けられなかった。
エコの体が吹き飛んだ。壁にぶつかり、残っていた腕の装甲も砕け落ちる。鈍色の破片が地面に散らばった。
「ぐ……っ」
立て。立たないと。背中の向こうに——。
膝をついた。立ち上がろうとした。足が震えている。
三人目が、ようやく動いた。腕を組んだまま、ゆっくりとこちらに歩いてくる。
「もういいだろう。能力を使う力も、もう残っちゃいない」
静かな声だった。感情がない。事実を述べているだけ。
「大人しくしろ。痛い目に遭いたくなければ」
エコは膝をついたまま、三人を見上げた。
体中が痛い。周りに浮かんでいた鉄屑は、ほとんど地に落ちてしまった。組み直す材料が、もうない。
——一人じゃ、無理だ。
分かっていた。分かっていたのに。
女の子の泣き声が、背中の向こうから聞こえている。鉄の花を、まだ握りしめている。
立て。
立たないと、あの子たちが連れていかれる。
エコは自分の中の鋼の心臓に意識を集中した。
その奥に、まだ使い切っていない何かがある。普段は触れない領域。触れれば、代償が大きすぎて、いつも寸前で引き返してきた場所。
でも、今は。
心臓に、力を込めた。
脈が、速くなった。
速く——もっと速く。
限界を超えて、もっと。
機械の心臓が無理やり高速で回り始める。鼓動に合わせて、体の奥から金属的な脈動音が漏れ出した。とくん、とくん、ではない。鋼が高速で打ち合う、鋭く硬い音。それがエコの全身から、路地に低く響いていく。
——敏く、疾く。
視界が、冴えた。
世界の動きが、ほんの少しだけ、遅くなる。
次の瞬間、エコの体が消えた。
三人の前から、フッと。
拳の男が一瞬、目を見開いた。
「——っ!?」
残像のような速度で、エコは横に回り込んでいた。視界の外側から、地面に散らばっていた鈍色の破片を、一気に手元に集める。
残った鉄屑が、エコの右の拳に巻きついた。装甲でも、刃でもない。ただ、硬く、重く。
胸の奥で心臓が悲鳴のように脈打っている。一拍ごとに、体の奥で何かが焼け焦げるように熱い。
壊れる。このままじゃ、心臓が壊れる。
でも、もう一発だけ。
エコは拳を、衝撃波の男に叩き込んだ。
ガキッ、と硬い音。
男が大きく後ろに吹き飛んで、壁に叩きつけられた。鉄屑を纏った拳の、全体重を乗せた一撃。
「——馬鹿な」
三人目の男が、初めて表情を変えた。腕を組んだまま、目を細める。
「……感応・フェーズⅢあたりか。それも、共鳴の片鱗を持っているな」
エコの息が乱れた。心臓が悲鳴を上げている。視界が滲む。今の一発で、もう限界が近い。脈動音が不規則に乱れ始めていた。
——でも、もう一人くらいなら。
エコは地に落ちた金属の破片を再び浮かせ、構え直した。
その時だった。
頭上から、声が降ってきた。
「おー、やってるやってる。遅くなっちまったな」
屋根の上に、影が立っていた。
つづく




