表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役物語《ヴィランズストーリー》〜灰かぶりの少年〜  作者: Mao.
第1章 灰色の日常

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
11/12

第10話 旅立ち

 翌朝、南通りの路地には罅割れた壁と散乱した鉄くずが残っていた。


 配給はいつも通りだった。ヨウは鍋の前に立ち、柄杓を振るっている。何事もなかったかのように。


 でも列に並ぶ人の数が、少し減っていた。


「昨日のアレ、何だったんだ」


「宙憑き同士の喧嘩だろ。巻き込まれたらたまんないよ」


「もうこの辺来たくないな……」


 声が聞こえる。エコはパンを配りながら黙って聞いていた。


 鉄の花の女の子は今日も来ていた。母親に手を引かれて列の真ん中に並んでいる。エコと目が合うと、小さく手を振った。もう片方の手で、鉄の花をまだ握りしめていた。


 エコは笑顔を返した。


 返せた。——今日は、返せた。




 配給が終わってから、エコは教会の裏の空き地に座っていた。


 ソラが膝の上にいる。


「エコ」


「……なに」


「キノウの こと、カンガエテル?」


「…………」


 考えている。ずっと。


 昨日見たもの。三人の連携。風が子供たちを運び、幻影が敵を惑わせ、その間に傷ついた人を助けに行く。全部が同時に動いていた。


 自分は一人で全部やろうとして、何一つ間に合わなかった。


 ——次は一人でやるな。死ぬぞ。


 ギンジの言葉。冗談みたいな口調だったのに、目だけは本気だった。


「ソラ」


「ナニ」


「僕、行こうと思う」


「……あの バショ?」


「うん」


 ソラは何も言わなかった。数秒、沈黙があった。


「ソウ」


 短い返事だった。賛成でも反対でもない。ただ——エコが決めたことを受け取った、という音だった。


「情報のためだよ。あの紋章の連中を追うには一人じゃ限界がある。それだけだから」


「ソウ」


 同じ返事。同じ音。


 嘘をついているのは、エコ自身が一番分かっていた。情報だけじゃない。あの三人の連携を見た時に感じたもの。壁を作れと言われてすぐに動けた時の感覚。自分の力が、誰かの力と噛み合った瞬間の——。


 でも、それを認めたら。仲間が欲しいなんて認めたら。


 また失う時に、耐えられなくなる。


「……情報のためだから」


 三度目はソラには言わなかった。自分に言い聞かせた。




 夕食の後。


 ヨウが台所で洗い物をしている。エコはテーブルに座ったまま、その背中を見ていた。


 言わなければならない。


「ヨウさん」


「あ?」


「少しの間、ここを離れるよ」


 水の音が止まった。


 ヨウは振り返らなかった。蛇口から水が滴る音だけが、台所に落ちていた。


「……どこに行く」


「中層で、仕事をしようと思ってる」


「仕事、ね」


 ヨウが蛇口を閉めた。タオルで手を拭きながら振り返った。


 鋭い目がエコを見ていた。問い詰める目ではなかった。もっと——静かな目だった。


「昨日の騒ぎと関係あるか」


「……少しだけ」


「少しだけ、ね」


 ヨウが鼻で笑った。信じていないのは明らかだった。でも、それ以上は聞かなかった。


 椅子を引いて、エコの向かいに座った。テーブルの上に大きな手を置いた。


「エコ」


「……うん」


「お前が決めたことだ。何をするか、何をしたいのかは聞かない。ただ——一人で無茶はするな」


「……うん」


「通えないのか」


「……任務がいつ来るか分からないから、向こうにいた方がいいって」


 嘘ではない。でも全部でもない。


 本当の理由は——ここと向こうを行き来したら、この教会の場所があの連中にバレるかもしれない。ヨウや、配給に来る人たちを巻き込むかもしれない。


 だから離れる。守るために、離れる。


 ヨウは、しばらくエコの目を見ていた。


「……そうか」


 それだけ言って立ち上がった。


 台所の棚から何かを取り出して、テーブルに置いた。古い布に包まれた、小さな包み。


「持っていけ」


 エコが布を開くと、中には小さな工具セットが入っていた。精密ドライバー、ピンセット、極細のワイヤー。古いが、手入れの行き届いた道具。


「……これ」


「あのポンコツの関節、錆びてたぞ。お前以外に面倒見てやれる奴はいないだろ」


 ソラがテーブルの端で反応した。


「サビテ ナイ。ケイネン レッカ」


「同じだろ」


「チガウ」


 ヨウが鼻を鳴らした。


 エコの指が工具に触れた。金属の冷たい感触。使い込まれた道具特有の、手に馴染む重さ。柄の部分が、長年握られてきた形にわずかに摩耗している。


 ヨウがこの道具で、何をしてきたか。誰を繋ぎとめてきたか。


「……ありがとう」


「礼はいらん。——飯は向こうでもちゃんと食えよ。痩せて帰ってきたら承知しないからな」


 いつもの夜だった。


 でも、最後の夜だった。しばらくは。




 朝。


 荷物は少なかった。着替え。ゴーグル。ヨウにもらった工具。ソラ。それだけだ。


 教会の入り口に立った。振り返ると、ヨウが廊下の奥に立っていた。法衣の袖をまくり上げたまま、壁にもたれている。


「いつでも帰ってこい」


 短い言葉だった。笑ってもいないし、泣いてもいない。ただ、まっすぐにこちらを見ていた。


 一瞬、間があった。


「体を、大事にしろよ」


 エコの視界が、少しだけ滲んだ。


「……行ってきます」


 それだけ言って背を向けた。それ以上ヨウの顔を見ていたら、足が動かなくなりそうだった。


 教会の扉を押し開けて、灰底の通りに出た。朝の空気が冷たかった。


 ソラが肩の上で小さく身じろぎした。


「エコ」


「……なに」


「カエッテコヨウ」


 エコは立ち止まった。


 帰ってこよう。一緒に行って、一緒に帰ろう。そう言っている。


「……うん」


 歩き出した。


 検問を迂回する裏道に入る前に、一度だけ振り返った。


 灰聖堂の屋根が、朝の薄い光の中に見えていた。


 ——必ず帰る。


 声には出さなかった。胸の奥で、鋼の心臓が静かに鳴っていた。




   第1章「灰色の日常」——了。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ