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握手会は滞りなく進んだ。滞りそうな奴が来たら、「そういうことをすると俺の中での君の好感度が下がるよ」と言えば、滞りなく進んだ。しかれども全員が握手した後はすぐに列に並び直すので、列はまったく減らない。はっきり言って滞りなく進んでいる意味がない。所詮、時間までこの苦行に終わりはないのだ。光輝は時折学校の方へ様子を見に行っては、「お通夜です。まったくお通夜ですよ」と本人はお祭りにでも参加してきたみたいな嬉しそうな表情で言った。
しかし、いくら光輝に現状報告をしてもらっても直接見ることができないので、俺はどれだけこの握手会が効果を上げたのかを実感できない。ただひたすらに立ちっぱなしで握手をして二言三言話して握手して、の繰り返しである。ふざけるなっ。詰まらないではないか。何で俺ばかりがこんな苦しい思いをしなければならないのか。
「おい、さすがに疲れてきたぞ」
「もう三時間は経過してますからね」
光輝の足元の箱は一度満杯になって取り替えたはずなのに、もうすでに半分がた百円玉で埋まっている。ちょっと握手会を催しただけこれだけ儲かるのだ。笑いが止まらなくなってもおかしくないはずなのに、何故か腹が立つばかりである。というのも恐らく、アイドルや芸能人など人気商売を生業とする輩はこうも容易く金を稼いでいるのだということを感じるからで、まあ実際は主人公補正などという力は存在しないので稼ぐまでに営業その他の並々ならぬ努力が必須であろうが、ともかくこんな金の稼ぎ方が気に食わぬ。人気、などという見えない壁を用いて荒稼ぎ、『みんなのおかげです』などと嘯いたあげく、腹の内では、何?金?そんなものはそこらをうろついているATMからいくらでも引き出せるよ。ははは。みたいに世の中を侮り切った態度で往来を闊歩する。そんな輩が存在するために富の偏在、経済格差がこれ爆発的に拡大し、無関係の者が貧窮に喘ぎ、そこから抜け出すチャンスも得られぬまま朽ちていくのである。
いい加減にしろ。斬るぞ。
などと豪語しても金持ち連は『怖っ。貧者の嫉妬はやだねぇ。おお怖っ』と、まるで怖がらずにバカにしてくるばかりなのは必定で、ならばどうしたらいいかというと、奴らが後生大事に抱えている金銭、これを否定するしかない。たとえば、バーか何かで金持ちにサービスを提供し、会計の段になって金持ちは『いやあ、いい店だねぇ。おつりはいらないからこれを取っておきなさい』とほざきながらポンと万札を数枚放る。するとレジスターの従業員が困惑顔で『あの?これは一体?』
『支払いね。おつりはいいから』
『すいません。当店ではこのような紙幣でのお支払いは受け付けておりません』
『いや、受け付けてないって、えええぇぇ?だって日本でしょ、ここ?日本円でしょ、これ?』
『ですから…』
『ええええええぇぇぇぇぇ?万札でしょ?諭吉でしょ?』
『いえ、ですから…』
『ええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇ?日銀発行でしょ?総裁は私でしょ?偉いでしょ?偉いということは君、これは万事私の言う通りにしておけば間違いないということじゃない』
『だから使えねぇっつってんだろうが、こんな和紙の切れ端。てめぇのケツでも拭いてな』
そう言って万札を相手の顔に投げつけ、怯んだところをあらかじめ呼んでおいた荒くれとタコ殴り。その後は、店で強制のタダ働きをしていただき、貧富の格差という問題を、身を持って経験してもらう。
こんな社会を構築するためには急先鋒としてこの俺が貨幣を否定せねばならず、思い立ったが吉日、今まさに目の前にある百円玉を否定してやろう。そうしよう。
「おい、光輝。その百円玉を燃やそうぜ」
「は?嫌ですよ。何ですか、とうとう頭が腐敗しましたか?」
あっさりと却下され、反論する暇もなく、恐らくすでに握手は三回目であろう女がやって来た。握手をして二、三言話すと、手を離してまた最後尾に歩いていく。
「昼飯ウィダーだけじゃ、さすがに腹が減る」
「今日が終わったら、美味いものでも食いに行きましょう。何せ金はありますし。まあ、他人の不幸という最高のスパイスがあるので、きっと何を食っても美味いでしょうが」
「それはお前だけだ」
「またまた。あっ…」光輝は次の客の方を見て言葉を切った。
「やっほー、八代くん」
牧ヶ谷だった。
「お前…」復讐か。と思ったが、どうやらそんな感じではなさそうだ。
「あの時の右ストレートは効いたよ。あはは。後で聞いたけど、私が中心になって海野さんをいじめてたのが分かったから殴ったんだってね」
「ああ、まあ」違うけど。
「反省したよ。やっぱり、理由はどうあれいじめは良くないよね。海野さんにも謝って、もうそういうことはしないことにしたから」
牧ヶ谷は手を差し出した。
「そうか。それは良かった」
俺はその手を握った。あんな理不尽なグーパンでいじめを撲滅できるとは、やはりモテるというのは恐ろしいことである。それならいっそ、この世の女だけでも全て、私利私欲を捨てた聖人のような人間に更生させたらどうよ?と、思う人があるかもしれないが、見えない壁を破壊しようとしている俺が見えない壁を作ってどうするんだ。また壊すのか?そんなことをしていたら、傍から見た時完全に阿呆であり、よしんばそれを気にしないにしてもそんな無意味な繰り返しは虚無的な気持ちになるから嫌だ。俺は世の悪などどうでもいい。自分にさえ火の粉が降りかからなければ。
「うん。それで、あの時のことなんだけど、私のことが好きだって…」
「ああ、あれは嘘。お前を油断させるため」
「うう…そっか…」
光輝は横で体を震わせながら笑いを堪えている。
「まあ、好感度で言ったら、普通の人並み?だから、これからの努力次第じゃね?俺と付き合えるかどうかは」
「絶対振り向かせるからね」
「おお。頑張れ」
牧ヶ谷は手を離して再び列の最後尾へと戻っていった。
「ぐふ、ぐふ、ぐふふふふ。あれだけ言われてまだ八代さんのこと好きとか。もう、一周回って傑作です。コントでもやってるのかって疑うレベルですよ」
「当人にとっては真剣なんだろ。てか、そろそろ終了だな。俺のクラスの劇が始まる」
「結局、八代さんの姉と妹は来ませんでしたね」
「当たり前だろ。来るなって、釘を刺しといたからな」
「作戦に巻き込まないためですか?相変わらずシスコンだなぁ」
「いいからお前はさっさと終了のアナウンスをしてこい」
「はいはい」
光輝が握手会終了をアナウンスすると、不平不満があちこちから漏れたが、俺が出演する劇の告知で何とか抑え込んだ。すぐに握手会に参加していた俺のクラスの女子たちも列から抜け出して俺のところへ来たので、先に行くように言うと準備をしに体育館へと走り去っていった。後から歩いて校内へ入ると、学校の中はまだ準備中なのかと思うほど閑散としている。
「雰囲気が暗すぎてせっかく来た男の客もすぐに帰ったみたいですね」光輝は満面の笑みである。
「ちょっと、教室のほうを見てくるか」
俺は大挙して真っすぐに体育館に向かう女の行列から抜け出して、教室棟の方へ足を踏み入れた。
そこはやはり準備中であるかのように、見事なまでに客がいなかった。いや、活気が無い分準備中よりもひどい。それぞれの教室を覗いていくと、まるで仕事のない男どもが『俺たちがここにいる意味は何だろう』といった表情でたたずんでいる。
「どうですか、八代さん。いかにも楽しげに、かつ充実してますといった雰囲気でわいわい準備を進めたら、当日はこのザマ。ぐふふふふ、ふふ、ぐふふふ、ぐふふふふふふふふふ。ダメだ、本当にもう笑いが止まりませんよ。あいつらは何でこんなところで休みを棒に振ってるんですか。ぐふふ。バカなんですか?ぐふふふふふふ」
「確かに大成功だな」だけど、何故誰もやけくそにならない?これだけ自分たちのやったことを無に帰されて、へこんでいるだけとは情けない奴らだ。
一通り回ってみたが、どこもかしこもまるで人がいず、学校全体が装飾だけほどこされている割に全然盛り上がっていない。何だか一人で道化ているピエロみたいな雰囲気である。
「いやあ、大成功ですね。作戦の方も楽しみだ。ぐふふ」
「じゃあ俺は体育館へ行くからな」
「はい。期待してます」
光輝と別れて体育館へ行ってみると、すでに超満員である。そして見事なまでに女しかいない。なんとか端を通り抜けて控室にたどり着くと、二年五組の連中はすでに準備を整えて待っていた。しかしこちらにも男どもは一人としていない。
「あ、八代くん、はいこれ衣装。着替えて」箕畑が衣装を差し出す。
「おお」
「すごいお客さんだ。予想以上」
「まあ、俺の握手会で勧誘した甲斐があっただろ?」
「え?そのための握手会だったの?」
「そうそう」
へーとか、なるほどーとか、感心した声が上がる。
「じゃあ、失敗できないな。皆、緊張するかもだけど、ベストを尽くそう」
箕畑の呼びかけに全員が各々相槌を打つ。全員随分と気合が入っているようだ。
「八代くんも」清々しいほどやる気に満ち溢れた箕畑の顔がこちらへ向く。
「おう、もちろんだ」
といっても、ははは、台本通りやるつもりは微塵も無いけどね。気合が入っているところ申し訳ないけど、この劇は見えない壁へ攻撃を加える一つの手段に過ぎないのだから。しかし、これまでに無い規模の攻撃になるだろう。攻撃は単発でも成立するが、できれば燃え広がるのが望ましい。それができるかどうかは運次第だ。
俺が衣装に着替えると、いよいよ開演のアナウンスが流れた。




