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 俺が適宜空気を壊したが、文化祭の準備は着々と進んだ。めっきり文化祭が嫌になった男たちの中でも部活で出店する者たちは、これ幸いとものすごい勢いでそちらへ逃げて行った。残った男たちのやる気は限りなくゼロに近いというかゼロそのもので、しかし何もしなければ俺がここぞとばかりに正論ぶった言葉で詰るので仕方なく協力している有様だった。

 その嫌々の協力さえも妨害すると、次第にそいつらが席を外す回数と時間が増えだした。どうも他のクラスの友人の所へ行っているようだったので、連れ戻しがてらそのクラスの雰囲気も徹底的に破壊したりしていると、他のクラスに行くこともなくなった。きっと「もう来ないで」的なことを言われたか、無言の圧力を受けたかしたのだろう。ははは、哀れな奴らだよ。見えない壁に迎合することに慣れ切ってしまっているから、そういうことになるのだ。文化祭楽しいですか?楽しくないなら、とっとと俺にかかってきて文化祭をぶち壊せばいいのに。などと思っていると、男どもは最後の逃げ場としてトイレを使いはじめた。普段は学校行事などでは中心的なポジションを占めていそうな奴らがそうしている様は、一層悲惨だった。

 だが、悲惨だからと言って、俺は容赦しなかった。

 あんまり長いトイレは追って行って連れ戻した。大量の仕事を割り振って従事させた。出来上がったものを、理不尽な理由で作り直させた。それを繰り返したりした。

 すると、段々男どもは学校に来なくなった。

 俺は再び失望した。

 なにゆえ抵抗しないのか。俺だけだったら徹底して叩き潰すくせに、俺と女子が大勢で理不尽な空気を作り出すと、それに抵抗もしないで逃げるばかり。なぜ戦わないのか。なぜこの空気を壊してやろうと思わないのか。俺に殴りかかるという直接的な手段を取らなくても、媚びへつらう振りをして、隙を見せたら殴りかかる。あるいはこっそり衣装や小道具に罠を仕込む。あるいは使いものにならないものを作り続けて進行を妨害する。とにかく無数に手段があるはずなのに、何でそれをしないのか。

 そんなに空気に、雰囲気に、見えない壁に挑むのが怖いのか。

 確かに空気や雰囲気、あるいは見えない壁というのは大勢の人間が作り出すものであり、それに挑むというのは、そのまま単対多である。しかし、それを恐れて長いものに巻かれろ、あるいは少数派は目立たないように慎ましく、を続けていたら全ては多数派の思いのままになってしまう。それでいいんですか?むしろ今現在そうやって多数派に屈している人が少なからずいるとしたら、それは多数派だって一枚岩ではない証拠ではないですか。何でそこを攻めようと思わないのか。放っておけば多数派の中の一部の思いのままになってしまう。そんなことでいいんですか?

 などという演説もしてみたが、男どもは見事に無視を決め込んだ。

 そしてついに文化祭当日がやってきた。


「八代正の握手会会場はこちらでーす」

「真っすぐ詰めてお並びくださーい」

 大原高校の真横のイチョウ並木にはすでに長蛇の列ができていた。着いてすぐに学校を抜け出し、待っていたほのかと落ち合って看板を片手に呼び込みを始めると、予想を上回る勢いで人が殺到してきたのだ。文化祭に来たわけでもない人たちも並び、その様子を見ていた大原校生までもが自分たちの仕事を放り出して並び始めた。それでもまだまだ後から後から人が押し寄せており、恐らく電子空間で飛び交う情報をキャッチした者たちが加わっているのだろう。どう考えても出勤前と思しきワーカーも見える。しかし、俺と握手するために仕事まで放り出して来るとはなんと健気なんだろうか、と俺が感心すると思ったら大間違いで、こんなことのために馘首のリスクを冒してまで仕事を放擲するのは、はっきり言ってばか者である。というのも当たり前の話で、そんなばか者を肯定してしまうと、いずれ世間はそんなばか者だらけになり、すると一人の超絶イケメンが突如、まったくもうゲリラ的に都心で『握手会やりまーす』とか言っただけで企業の仕事は滞り、交通は停止、物流もストップしてしまい、日本経済がたちまちのうちにして崩壊してしまうからである。

 イケメンで、女にモテて、さらに握手会一つで容易に日本経済を操ることまでできます、とかいう人間がいたら、ははは、はっきり言おうか。この俺が即座に殺してやるよ。殺害してやるよ。イケメン風情が、ただ顔の皮一枚がいいからって調子に乗るなっ。

 などと吠えたてまつっても、今は主人公補正によって自分がそのイケメンに該当しているので仕方ない。というより、むしろ怖い。よく考えればいつ上記のような気違い染みた嫉妬を抱いた輩が出刃包丁片手に襲撃してくるやもしれず、その場合、刃傷沙汰のあげく死亡ということになってもおかしくないのだ。やってられぬ。何が握手会だ。暴漢が現れたらお前らを盾にしてこますぞ。

 そうやって胸中で悶々と思い悩んでいると、光輝が満足そうな表情でぬらぬらと寄ってくる。

「ぐふふ、順調ですね。さっき僕のクラスを見てきましたがメイド喫茶なのにメイドが一人残らずいなくなっていて、クラスの男どもが発狂寸前でした。ああ、あの教室でご飯食べたらさぞかし美味しいだろうなぁ」

 例によって光輝の恍惚とした表情は普段の五割増しで気持ち悪い。

「客の方はどうだ?」

「ほぼ百パーセント男ですね。まあ、おばさんはちらほらいましたが。とにかくあんな陰気な文化祭は見たことないですよ。ぐふ、ぐふふふふ」

「取りあえず成功か。しかし、これは一体何人いるんだ?」

 目の前にはイチョウ並木の果てまで行き、そこから折り返してこちらまで戻ってきて、そこからまた折り返してという蛇行が何往復も重なっている。最後尾の看板を持って案内をしているはずのほのかは、人ごみで見えない。

「分かりませんね。まったくすごいモテっぷりだ」

「お前の持ってるその箱、何だよ」

 光輝はゴミ箱のような直方体の箱を抱えている。

「これですか?もちろん、握手料を入れる箱ですよ」

「有料なのか、これ」

「そうです。八代さんの作戦に結構経費もかかってますからね。でも、あまり高いと何回も来てくれないかもなので一回百円です。文化祭をどん底に叩き落としながら、こちらだけ大儲けするんです。笑いが止まりませんよ、ぐふふ」

「お前…楽しそうだな」

「当たり前です。八代さんは楽しくないんですか?」

「俺のは戦いだからな」

「何ですか、それ。また訳の分からないこと言って」

 しかし、本当に俺は楽しんでいないのだろうか?

 ウンコを漏らして以来、使命感に燃えてやってきた見えない壁への攻撃。それはまあ、傍から見れば単なる嫌がらせにしか映らないだろう。それを楽しんでやってきたのだとすれば、俺はもうマジで頭がイカれていると言っていいかもしれない。だが、心のどこかに充足感が無かったと言えば嘘になる気がする。周りに流されず、その場その場で自分のしたいことをしている確かな実感はあった。その代わりかなり多くのものを失ったけどね。そして、代わりに得たものと言えば、はっきり言って皆無だけどね。でも、それでも続けてきた。

「…さん」

 それが良いことか悪いことかは分からないが、いや、良いことか悪いことかで言ったら、決して良いことではないと分かっておきながら、(俺にとっては)見せかけの協調や雰囲気をぶち壊してきた。

「…代さん」

 それは俺にとってそうしなければならなかったからそうしてきたと今まで考えていたが、ひょっとすると、俺はそれなりに楽しんでいたのではないだろうか?だから、他の連中にも見えない壁を壊してほしいんじゃないだろうか?まあ、他の連中が見えない壁を壊し始めたとして、面白いのは俺一人だけかもしれないが…

「八代さん!」

「お、おお、何だ?」

「何だ、じゃないですよ。そろそろ始めますよ、握手会」

「ああ、分かった」

「それではただいまより八代正の握手会を始めます。先頭の方、どうぞ」

光輝が箱を置き、首から下げたメガホンで列の方へ呼びかけると、先頭に並んでいた女子が浮足立った歩きで寄って来る。

「はい、料金はここにお願いします」

「はい」女は足元の箱に百円を投げ入れた。

 俺が手を差し出すと、女は両手ギュッとその手を掴む。

「私、八代くんの大ファンです。いえ、ファンというより恋してます。大好きです。付き合いたいです」

「そうか。今すぐは無理だけど、俺の中での好感度が上がればそれも可能だよ。ちなみにこの握手会に来てくれた時点で好感度は少し上がってるけどね。まあ、まだ全然付き合うとか、そんなレベルじゃないけど、この握手会は回数制限ないから何度も握手すれば好感度もそれだけ上がるかもね」

「本当ですか?」

「うん」

「やったぁ。頑張っちゃお」

 女は手を離すと、さっそく最後尾の方へと走っていった。

「まるで教祖と面会した信者ですね」

「文句あるか?」

「いえ、僕は儲かるからいいですけど」

 二人目の女が来た。

「あの、その、私を罵ってください」女は俺の手を握りながら、鼻息荒く言った。

「汚い面しやがって、とっとと手を離して失せろ、メス豚」

「ああぁん」

 恍惚としながらその女も再び最後尾の方へと向かっていった。

「慣れてますね、八代さん」

「手がぬるぬるしてたから、半分くらい本音だった」

「でも、最後は『とっとと手を離してもう一度並びやがれ』でお願いしますよ。そっちのが確実にリピーターをゲットできます」

「何それ、微妙にデレとるやんけ」

 三人目の女が来た。

「八代くん、何でアドレス変えたの教えてくれないの!」握手するなり女は非難がましい声を上げた。

 その発言で改めて女の顔を見たが、見覚えがない。

「駅ビルの事件で八代くんの無実を警察に訴えた佐久原静香よ」ポカンとしている俺の顔に苛立ちながら、女は言葉を継ぐ。

「あ、ああー」全然覚えていない。まあ、あの時は百人近い女の対応をしたから、覚えているはずもない。「思い出した、思い出した」

「何でアド変メール送ってくれなかったの?せっかくこっちからメール送ろうとしたら、届かないし」

 そういうメールを未然に防ぐために黙って変更したんだよ。愚か者。と、正直に言おうと思ったが、ここで何かがこじれて絶賛ぶっ壊し中の文化祭の方へ人が流れても面白くない。

「ああ、それはあそこでアドレスを大勢に教えたら、急に迷惑メールがやばくなったから、誰かが漏えいしてるんじゃないかと思ってね。でも、俺的にはメールを送りたくても送れなくて悶々としているあなたの方が好感度高いんだけどな」

「え?そ、そう?」

「うん」

「わ、分かった。じゃあ、アドレスの件はいいや」

 女は鼻歌を歌いながら最後尾の方へ去っていった。

「好感度高いって、今の今まで忘れられていたことを忘れたんですか、あの人は?」

「きっと非常にポジティブな人なのだろう」

「バカですね。間違いなく」光輝はにべもなく言った。

 その時、光輝の携帯が鳴った。

「はい?え、もう無くなるんですか?分かりました、今持って行きます」

「誰だ?」

「海野さんです。もうアレがなくなりそうだって。ちょっと行ってきます」

「分かった」

 光輝はイチョウ並木にある部室の入口の方へ走っていった。

 どうやら作戦は順調らしい。

 俺は期待に胸を膨らませながら四人目の女に手を差し出した。

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