(61)群像について ニアヴいわく
森に秘められた奇跡のひと区画――そんな景観だった。
名も知れない草花に感動する心があれば、森は幻想の庭園ともなりえる。そこは豊かに彩られながらも素朴で、ささやかな気品さえ示す自然美の園で、そしてわたしの庭園だった。
庭園には物語があふれていた。ウロの開いた古樹と朽ちた倒木、コケむした石くれと怪しいキノコ、かしましい小鳥とおく病な小動物、それから羽虫にイモ虫に、花々や雑草も――すべてが幻想をはらみ、物語を産んだ。
「人と木……時の流れを異にして交わらないはずのふたりは、ひとつでした」
らんまんと花やぐ常春の庭園で、わたしは物語の紡ぎ手――異界の君だった。
わたしの金髪には、君である証しの花かんむりがいただかれている。シロツメクサのかんむりにあしらわれた花々は、この庭園においては宝石よりも輝いていた。
「彼女と契りの口づけが交わされるとき、常若の奇跡が重ねた歳月を消し去りました。それは青葉が茂るようで、彼は若き日の面影を取り戻しました」
物語の背に腰をかけ、彼は旅をしていた。その瞳は手なぐさみに拾った落ち葉へ向かい、それからわたしへとおもむいたり、所在なさげに行き交っていた。けれどその顔にはほほ笑みがたたえられ、彼は旅のなりゆきに身をゆだねていた。
「彼と契りの口づけが交わされるとき、常若の奇跡が朽ちた自我を補完しました。それは物語にしおりを挟むようで、彼女はかつての記憶を取り戻しました。自我のない意識は、無軌道な夢を見るようで……彼女がひとり、恍惚として森に戯れる姿は、ウォーキー・ドゥーヒキーと呼ばれました」
わたしは歌うように、ろうろうと物語を紡いだ。物語は庭園を外界とへだて、幻想の楽園へと変えた。
「それは身勝手な激情家たちの、愛の結末でした。けれど渇望させたのは……?」
ひとつの物語が幕を下ろし、またひとつの物語が幕を上げる。つらなる物語たちは幻想に仲立ちされ、つながり合ってひとつに。新たな物語が、わたしに新たな地平を見せてくれる。
「その植物に寄生されると、欲望を抑えられなくなるのです。衝動に従って振る舞い、この世に破滅をもたらし、その植物自身の生育に適した環境に変えるのです」
わたしは両の手のひらを天に掲げた。そんなわたしの神々しい姿は、かの大樹に等しかった。
「それは愛をそそのかし、命を偽装し、人を蹂躙するのです。その群像は大樹を形づくり、やがては森羅万象になり代わっていく。その名も高き、ユグドラシル……その木に触れてはなりません。あなたに森の君である覚悟がないのなら」
ユグドラシルを形づくるわたしへ、彼が立ち上がって語りかけてくる。
「やれやれ! ニアヴの妄想には、ついていけないよ!」
その言葉とは裏腹の感情が、その笑顔に感じ取れた。だからこそわたしは、さらに妄想を膨らませる。両手を後ろに組み、少し前傾で上目を作り、からかい顔でわたしは尋ねた。
「ねぇ、オシアン。もしあなたが、そんな植物に寄生されたらどうなってしまうと思う? やっぱり殿方は、美女のお尻を追いかける?」
そんなわたしの言葉にも、負けるものかといった様子でオシアンは返してきた。
「それじゃあぼくは、いずこへとさまよい続けることになるな。その美女は、いつだって物語の中を旅していて、フラフラとどこかへ行ってしまうからね」
わたしは瞳を閉じた。片手で肩を抱き、片手で腰を抱き、自分自身を抱きしめる。
「ひし……ッ」
そんなポーズのまま、うつむき加減でささやいた。
「……いにしえの女神は強引な求愛を嫌い、木に化身してその貞淑を守ったんだって……?」
謎めかすわたしの金髪を、そよ風がとかす。
「……さら……さらら……」
そこに女神の絵図が完成した。なんちゃって。
オシアンの涼しげな微笑には、温かなまなざしが浮かべられている。そんな顔でわたしを見つめながら、彼は穏やかな口調で詩をつづった。
「それならぼくは鳥になって、キミの梢にとまりにいくよ」
「ハイハイ! よくも、よくもッ、恥ずかしげのないことですこと!」
わたしは顔をあさってに向けた。不覚にも紅潮してしまったホオを、ごまかしながら言葉を続ける。
「でも木に化身して、歴史の終わりまで見届けられたらステキだよね!」
わたしの調子に合わせ、オシアンもおどけて返してきた。
「冗談だろ? そんな寂しい思いをするくらいなら、死を選ぶよ!」
そんなことを言う薄情者には――わたしはゆるく握ったこぶしを口元に添え、あざとい声音で返した。
「……鳥になってでも、そばにいてくれるんじゃなかったの……?」
どうしたものかといった表情で、言葉を詰まらせるオシアン。そんな彼に、わたしは思わず吹きだしてしまう。
「くく……ウフフッ」
満面に広がっていく笑みを、わたしは彼に向けた。オシアンはあきれ顔を破顔させ、わたしに視線を返してくる。笑いあい、見つめあうこのときが、いつまでも続きますように。
わたしたちは歩みを始めた。彼方へ視線を向けると、わたしの空想たちが羽ばたいていく。小さな翼を広げ、戯れながら悩み、遠くを目指してキズつき、やがてどこかで愛し愛され、空想たちは新たな地平を創造する。眺めれば、ほら、そこに――
「ねぇ、オシアン。例えば、こんなお話はどう? ティル・ナ・ノーグから帰還した青年が、異界の君である想い人への思慕を断ち切れず、ふたたびティル・ナ・ノーグへとおもむく話」
ティル・ナ・ノーグ。そこへいたる者は、老いも病めるも若き活力を与えられ、常春を謳歌するのだ。誰も侵すことのできない安息の在りかであり、けれどやがてはたどり着く約束の地。
「長く険しい旅の終着点で、青年は異界の君と再会を果たしました。らんまんと花やぐ常春の庭園で、ふたりは永遠の愛を誓いあうのです。もう二度と、離ればなれになるまいと」
それは記憶だった。けれど無数に輝き、銀河のような光粒群の渦を形づくっていた。苦悩するように、切望するように、夢見るように――無数の記憶がまたたき、その群像はふたりの姿を形づくっていた。
「他愛ない語らいに戯れるふたりは、青葉のように輝いていました。同じ時の流れの中で、ひとつであることの喜びを全身にたたえて」
それは物語だった。記憶の群像によって想起された、ふたりの新たな結末だった。再会を描いたささやかなひと幕で、ふたりの記憶につらなるハッピーエンドだった。
「寄り添いあうふたりは、共におもむく新たな地平へ想いを馳せました。庭園の彼方を見やると、挟んだしおりから物語を再開するようで……」
それは群像だった。満天の夜空へ星座が見いだされるように、物語のカケラたちがきらめいていた。




