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群像について ユグドラシルいわく  作者: まいち
第2幕 第2場 赤いずきんの男
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(19)鬼神について ドンジュいわく

 オレたち三人は夢中だった。そりゃあ、そうだろ。目前には無防備に沐浴をする、すっぱだかのニンフだ。ジリジリと歩みを進める、この瞬間がたかぶらせるぜ。

 そんなオレたちの近くでは、さっきからずっと何かが鳴いていた。鳥か、ケモノか。とにかくけたたましい鳴き声で、オレたちの耳を占領し、音という音を排除した。


「ビイイイイィイィィィィィィィィィィプ!……ビイイィィ……」


 そのときのオレたちの耳に、頭上の枝のきしむ音など届くわけがなかった。ましてや、その枝から舞い降りる死神になんて、次の「異音」がとどろくまで、気づく者などいるわけがなかった。


「……ぐぢぁあんッ!」


 オレたちの背後に鳴った「その音」を、どんな言葉で表せばいいのか。ただ鈍く響いて神経を戦りつさせ、有無を言わさずにオレとアトロゥを振り向かせた。

 目をそむけたくなるような光景に、オレは目を見張った。背後にいたタッパールの兄貴の姿が、その凄惨な音の正体を示していた。

 細身ながら筋肉質な身体つきのノッポ。それから黒髪を逆立てるおもながの頭。あぁ、あれは間違いなくタッパールの兄貴だ。兄貴とは付き合いが長いから、オレになら分かるんだ。たとえ兄貴の顔面が、潰れちまっているとしても――


「あぁ……あ、兄貴ぃ……」


 タッパールの兄貴は、あお向けでビクビクとケイレンしていた。胴と四肢は無事なままで、それにつらなる頭部は亀裂から体液が漏れだして――


「……うっぷッ」


 肉汁したたるハンバーグを連想しちまった。そんな光景を眺めるオレの脳裏では、先ほどの「ぐぢぁあんッ」が反響していた。堅牢なズガイコツが脳髄液を吹き、一撃のもとに潰される「ぐぢぁあんッ」が。すっころんだくらいで鳴るようなヤワな音色じゃなく、演奏者がいるのは必然だ。ピアノにはピアニスト。トランペットにはトランぺッター。横たわる兄貴のシカバネのかたわらには、それを見下ろすひとりの男――


「あぁ……コ、コイツは……」


 その男の特徴を挙げれば、ほとんどニンフと同じだった。尖った耳、反り返った鼻、土色の肌、そして草色の髪――ただしその見かけは、まったくの別物だった。

 緑髪の男は筋肉で隆起する薄地の上着を着て、ボタン留めの前をはだけさせていた。さらされた腹も、胸も、ゼイ肉のひとカケラとて見当たらず、見惚れるほどに美しい彫りの陰影を見せつけていた。七分丈のズボンから突きだされた素足も、フクラハギが破裂せんばかりで――


「コイツは……コ、コ……コイツは……」


 緑髪の男の右手には巨大なこん棒が支えられ、地面をへこませていた。そのイビツな丸太ん棒を、男は軽々と片手で振り上げて肩に担いだ。鈍器を支える身体が前方へ傾き、ジロリと視線が持ち上がる。眉間へ深くシワが寄せられ、口の端が引き上がると、刈りこんだ緑髪が逆立った。

 犬歯を見せつけるその様は、肉に飢えた野獣であり、血を求める暴力の権化であり、コイツは――このバケモノじみた生き物は――


「オ……オーガだ……」


 自分の口から漏れて出た言葉が、オレをさらにおじけづかせた。ゾワゾワと増していく威圧感にこらえきれず、思わず後ずさりをしてしまう。

 そのとき、オレは自分が冷や汗にまみれていたことに気づかされた。なぜならそれを拭うように、誰かの指がオレの顔を撫でたからだ。指の感触は繊細で、その動きはエロティックで、オレは思わず生ツバを飲んだ。

 そんな場合じゃないことは百も承知だが、その考えを改めるためのわずかな時間も、オレには与えてもらえなかった。

 オレの首の前部――ちょうどノドボトケの辺りでヒヤリとした感触がした。その「ヒヤリ」が、間髪置かずに首の奥へと滑りこむ。


「……ザクリ!」


 横一文字に走る悪寒と激痛。それと同時に息が詰まった。


「かはッ、あ……ぁ……ッ……」


 そして視界に入る鮮血のしぶき。


「プシィィィ……」


 もたげた両手の震えが止まらない。眺める手のひらに、小さな血だまりが作られていく。

 かすり傷なワケがないだろ。ノド笛までイッちまってるんじゃないのか。とにかく――とにかく逃げなければいけない。

 慌てて四つん這いになったが、オレの身体は思うように進んでくれない。それどころか、身体を支えていられない。それよりも、身体が異常に重い。いや、力が入らないのか。

 うつぶせでもがいていると、ニンフが横を通り過ぎていく。立ち止まって半身だけ振り返り、妖艶な笑みをたたえてオレを見下ろした。ニンフは水をしたたらせ、逆手に持った大ぶりのナイフは刀身を血に濡らしていた。

 このニンフがオレを襲ったことは、火を見るよりも明らかだった。しかしこのニンフ、仏心でも湧いたのか、トドメを刺しにこねぇ。

 しめたぞ。まだ助かるチャンスはあるのかもしれない。オレの身体よ、頼むから動いてくれ。動けッ。


「ビクビク……ピク……」


 薄れゆく意識の中、オレが予感したのはニンフとオーガによるアトロゥの処刑だった。それでも生き延びる余地を見いだそうと、オレは懸命に観察を続けた。

 滝へと続く谷あいの小道には、その切り立った大地に逃げ道を求め、赤いずきんがジタバタとあがいている。そしてそれを挟む形で立ちふさがるオーガとニンフ。

 ニンフの興味はオレから移り、その横顔は微笑のままでアトロゥを眺めている。オーガはこん棒を担いだまま、ジリジリとアトロゥへにじり寄っていく。そしてアトロゥのジタバタは徒労のまま、振り返ったその顔面へこん棒が向かっていく。


「ちょ、待っ――」


 アトロゥは何かを言いかけたが問答無用で、フルスイングのこん棒が襲いかかる。ずきんの前へ掲げられた左腕を潰し、その胸ぐらへ激突。


「ドゴオゥッ!」


 ぶっ飛ばされたアトロゥは、立ち木の根元へしたたかに打ちつけられた。アトロゥのマントがはだけ、貧相な手足とフンドシが踊って投げだされる。

 どうやら即死だけは免れたようで、ずきんの奥のギョロ目がパチクリと動いている。だが息を詰まらせたようで、身体は座った姿勢で硬直。といっても休憩が与えられるはずはなく、すでにニンフが振りかぶっていた。


「キルルルル……ッ」


 ニンフの手から放たれた刃の車輪が、風切り音を上げて飛んでいく。緩やかな放物線を描き、物の見事に「マト」のどまんなかへ大当たり。


「……トスッ」


 アトロゥはワンテンポ遅れて、他人事のように小さく声を上げた。


「……あ」


 オーガとニンフの連携は緊密で、あまりにも急展開だった。あっという間にアトロゥのやせた胸へ、ニンフの大ぶりナイフが突き立っていた。

 予感の通り、処刑はつつがなく進行した。突き立つナイフの柄がしらを、オーガが踏みつけにする。


「ズブッ……ズブズブ、ズブ……」


 刀身が沈んでいくのに合わせ、赤いずきんの奥から断末魔がとどろいた。


「……くッ……クソがああああぁあぁぁああぁぁぁぁぁぁぁ……」


 やがてアトロゥの絶叫は、オレの命の鼓動とともに鳴り止んだ。

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