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群像について ユグドラシルいわく  作者: まいち
序幕 夢みる瞳の娘
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(1)福音について アトロゥいわく

 ……ませ……に森の……る……


 「それ」は、とうとつにオレの頭の中で鳴り響いた。意味は不明で、だからこそ強い印象を残した。身も心も疲弊し、オレは錯乱しているのだろうか。

 だがその正体に思いをめぐらせる余裕はなかった。背中の左わき腹辺りに衝撃が走る。


「ヂクン!」


 鋭利な何かが皮膚を破り、身体の内側までつらぬく。痛みに神経を支配され、オレの身体はひとりで草やぶへと投げだされた。


「ガサアァ……」


 痛みの出どころを手でまさぐると、棒っキレが刺さっている。たぶん矢だろうが、とにかくそれを引っこ抜いた。


「あぅ……ぅ……」


 その激痛に対し、オレの口から出たうめき声は蚊の鳴くようだった。わずかに残っていた気力も尽き、死臭を漂わせたまどろみへ、なすがままに身をゆだねた。


「ハァ……ァ……ハァ……」


 あぁ、わずらわしい。オレの口から吐きだされる乱調な息づかいが、眠りのジャマをしてくる。仕方がないので気の紛らわしに、辺りの静寂へ耳をすませた。

 葉っぱが擦れあう涼しげな音色を、そよ風が運んでくる。


「……さやさや……さや……」


 そんな心地に浸っていられたのは一瞬だけだった。かすかな人の声を遠くから感じ、追手が間近に迫っていることを思いだした。

 しかし疲れ切ったオレの思考は、現状を追いやるように逃避していく。あの少女の姿を、ただ脳裏で繰り返した。

 少女は何かを伝えようと懸命な様子だが、その言葉のすべてはわからなかった。言語が異なるヤツらとの会話は、ほうびである粗末な食事と、罰則であるムチの痛打だった。

 だが少女の柔らかな手は、優しくオレの肩に添えられていた。そのまなざしは行く末を思いやるように、うるんで揺れていた。少女はまるで、聖母のようだった。


 ……そ……に触れてはなりま……なた……


 緩みかけていた心を、縛りつけるように思いを改める。

 今、オレはなぜ追われているのか。オレの脱走を密告したものは誰か。あの少女のほほ笑みは、見えすいた計略にまんまとハマるマヌケへの、嘲笑ではなかったのか。

 迫りくるリンチに浮かぶ辞世の句は、後悔とうらみ節ばかりだった。しかしそれが肉体の表層に現れることはなかった。背中の苦痛に対しても、うめき声ですらあらがう気力は出せず――それが功を奏した。

 木々がうっそうと生い茂る世界に、明けの薄明は力なく、辺りは漠然としている。天然の草やぶは伸び放題で、身じろぎもせずに横たわれば、おぼろな景色に紛れて姿をくらませた。

 追手はオレに気づくことなく、通りすぎて離れていった。


 ……り……あなたに……る覚悟がないの……


 もはや力は残されていなかった。自分の悪運まで呪いながら、疑心を燃やして憎悪をけむらせ、肉体と霊魂の糧に変えた。

 よろめきながらも立ち上がり、這いずるように歩を進めた。ただ目前にあるケシ粒のような光明を目指し、前へ――前へと進んだ。

 朝ぼらけの森に不調和な光粒が、たとえ幻視であったとしても、それは確かに訪れた。とつじょとして視界は開け、うららかな陽だまりにぽつねんと一条の木があった。


 ……の樹に触れてはな……たに森の……ないのなら……


 「それ」はどこからともなく聞こえ、オレの脳裏で響いた。聞き覚えはなく、言語も定かではなく、そもそも言葉なのか、果たして音なのかすら定かではない。だがオレの思考に侵入し、確かにオレの意識へと触れた。それは懐かしくも感じられ、反射的な拒絶の意思が湧き上がることはなかった。否定も、肯定も、オレ自身にゆだねられていた。

 「それ」をひと言で表せば、それは――それは福音か。


 ……その樹に触れてはなりません……あなたに森の君である覚悟がないのなら……


 その木は幹がのたくるようで、節くれがひしゃげた顔を形づくっていた。分厚いクチビルがめくれて乱ぐい歯がのぞき、ゆがんだダンゴ鼻にはイボが散らばっていた。小さな右目に眼球はなく、らんらんと照る大きな左目は苦悶の表情でにらみつけている。

 このオレを、にらみつけていやがる。


「……ヘドをもよおす、そのミジメなツラで……このオレ様を、見くだしていやがるのか」


 その悪態は、オレの声帯を震わせて発せられた。思わず口を突いて出た、紛れもないオレの本心だった。

 ボンヤリとした自己嫌悪を、目を背けてきた劣等感を、イラ立ちの矛先にいるのがオレ自身であることを――この手で触れるように、ハッキリと自覚した。

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