女2
女は足元に転がっている野鳩を鷲掴みにして、乱暴な手つきで刺さっていた白い矢を引っこ抜いた。
その途端に、ブシュッと音を立てて、傷口から鮮血が飛び散った。
そして、それを意に介す風のもなく、女の手は血に染まった野鳩を腰からぶら下げている薄汚れた巾着袋の中に突っ込む。
まだ温かいであろうその鳩を扱うには、何の躊躇もない手荒な作法だった。
少し嫌悪感を覚えた俺は、無意識に眉を寄せた。
「この森で動物を殺してはいけないって聞かなかったか?」
「・・・?いや?誰に?」
俺の問い掛けに、ルアナと名乗ったその女は、キョトンと首を傾げた。
その間抜け面を見る限り、白を切っているようには思えない。
隣の国からわざわざ出張ってきたなら、この国のしきたりを知らなくても無理はないかも知れないが・・・。
「この森には昔から人狼が住んでるんだぜ。無駄な殺生をする人間には、人狼の鉄槌が下るんだ」
「・・・?人狼ってなんだ?」
大きな釣り上がった目をパチパチさせて、ルアナは俺を見つめる。
本当に知らないらしい。
この国では森の守り神と敬われている俺達も、所変われば、服も着てない可哀想な人という訳か・・・。
俺は説明するのを諦めて、溜息をついた。
「・・・何でもない。で、あんたは、俺を隣の国まで連れて行ってくれるのか?」
「ああ。いい所だとは口が裂けても言えないけど、名前も服もないお前よりは大分マシな筈だ。ただし、私を少し手伝ってくれたらの話だけど」
ルアナは大きな口の端を上げてニヤリと笑った。
その口から八重歯がはみ出して、何とも滑稽な顔だ。
「人ではない」とさっきから連発しているこの女は、確かに人というより猫の類に近い気がしてきた。
服を着てないのも名前が無いのも、俺が平素は狼の姿をしている故なんだが、人狼の存在すら知らないこの無知な女にそれを説明するのは困難な事に思えた。
端的に言えば、俺は面倒臭いのが嫌いだった。
女が俺を可哀想だと思っているなら、それについては無理に否定する理由もない。
何より、この女の言う「少しマシ」な世界に、漠然とした興味を覚えた。
「分かった。手伝うから俺を連れて行ってくれ。あんたの言う『少しマシな世界』へ」
◇◇◇◇
「これ、皆、私が矢で射止めたんだ」
ルアナはおびただしい数の動物の死体を麻袋に次々と突っ込みながら自慢げに言った。
地に並べられた死体は、鳥、兎、狐、大きいものでは鹿まで、もの見事に殺傷されている。
俺は呆れて、死体とこの莫迦女の顔を見比べた。
「どうしてこんなに殺したんだ?」
「どうして?そりゃ、生きる為だよ」
「あんたが生きるのに、こんなに食べなきゃならないのか?」
「私が一人でこんなに食べる訳ないだろ!これは売るんだよ」
「売る?」
今度はルアナが呆れた顔で、俺を見上げる。
「お前、ホントに莫迦だな。この国じゃどうか知らないけど、私の住んでる隣の国では、この動物の肉を金と交換するんだ。それが売るって事だ。隣の国の人間は阿呆ばっかりだからな。肉を食うのが大好きなくせに、自分の手を汚して殺す事は大嫌いなんだ。殺しをすると、自分が死んでから地獄って所に行くんだって信じてやがる。だから、人が殺してきた動物の肉を金で買って食ってんだよ。結局、食ってんだから同じ事なのに、バッカじゃねえのって思うけどな」
アハハ・・・と大口を開けてルアナは笑った。
口が半分くらいもあろうかという小さな丸い顔を眺めて、俺はその言葉の意味を考える。
つまり、ルアナは他の人間達に食わす為に、この動物達を殺したという訳か・・・。
「あんたは自分の手で殺す事を、何とも思わないのか?」
「そりゃ、可哀想だと思うさ。でも、自分が生きていく為なんだ。そんな事言ってられないだろ?ヤツラは死んでからの事心配してるけど、私は生きてる今を何とかしなくちゃならないんだ。生きる為なら何でもやるさ」
死体を袋に詰め込む手を休めることなく、ルアナはそう呟いた。
まるで自分自身に言い聞かせているような、小さいけど、強い声だった。
それを聞く限り、無闇に殺生していた訳ではなさそうだ。
動物側としては、到底納得できる理由ではないが、一応、自分が生きる為という大義名分はある。
俺は、『処刑人』として、この咎人の事をもっと知るべきだと思った。
でなければ、今度は俺が彼女を殺す大義名分が成り立たない。
「・・・分かった。で、俺は何を手伝えばいいんだ?」
そう言った俺に、ルアナは器用に片目を瞑って、薄汚れた一際大きい麻袋を投げて寄越した。
受け取ったその麻袋には底と両側に三箇所、穴が開いている。
「まず、服着ろよ。それ、頭から被って、穴から頭と両手を出してみな。それが、私達、人でない者の正装だ」
言われて見れば、ルアナの着ている服も、元は穴の開いた麻袋だ。
これが正装なら、裸で居た方がまだ礼儀正しいように思われた。
埃っぽくて、カビ臭い麻袋の底の穴から、頭を出し、両側に開いている穴から両腕を出してみたが、やはり袋は袋だ。
袋を被った俺の腰に、ルアナは麻の組紐を巻いてくれて、ようやく服らしく見えるようになった。
俺の姿を上から下まで眺めて、ルアナは水色の瞳をキラキラさせて「乞食みたいだ」とゲタゲタ笑った。
乞食の意味がよく分からない俺は、曖昧に笑みを浮かべて首を傾げる。
褒められてない事は確かだった。
「素っ裸で国境越える訳にはいかないからな。今から私とこの獲物を荷台に積んで運ぶんだ。山を降りて国境を越える。丸一日歩くから覚悟しろよ」
「分かった。覚悟する。で、俺の名前は付けてくれるのか?」
「は?」
一瞬、顔を強張らせた後、ルアナはニヤリと悪そうな顔で笑った。
「無事に国境越えたら考えてやるよ。楽しみにしてな」




