第98話:監禁された妻の耳に、夫の愛人情報だけは届く件
ヘンリーさん、そういうのはばれないようにしないと・・・
シノン城塞の上階。
暖かな寝台。
よく燃える暖炉。
三食きっちり用意される食事。
頼めば湯も運ばれてくるし、侍女たちは親切で、部屋の掃除も完璧。
生活環境だけ見れば、私の監禁生活は腹立たしいほど快適だった。
唯一、そして致命的な問題がある。
『情報がない』
「……ねえ」
私は窓辺の椅子に腰掛け、運ばれてきた温かい飲み物をすすりながら、
シーツを整えている侍女たちをじっと見た。
「はい、王妃殿下」
「この部屋の居心地については、もう文句ないの。百二十点満点よ」
「ありがとうございます」
「だから代わりに、外の情報をちょうだい」
侍女たちの動きが止まった。
私は身を乗り出す。
「息子たちは?」
「……申し訳ございません」
「若ヘンリーは? リチャードは? ジェフリーは?」
「戦の詳しい状況については、私どもには……」
「ヘンリーは今どこ?」
「存じ上げません」
「アキテーヌは?」
「そちらも……」
「ルイは?」
「…………」
「全滅じゃないのよ!」
何も入ってこない。
息子三人が何をしているのか分からない。
私が捕まったと聞いて、余計なことを始めていないかも分からない。
あの暴走戦車の夫が今どこで何をしているのかも分からない。
戦況も、アキテーヌの様子も、
”何ひとつ”。
「……情報統制だけは、本当に完璧ね」
思わず舌打ちが出た。
侍女の一人が、申し訳なさそうに頭を下げる。
「王妃殿下のお心を乱すような報せは、
なるべくお耳に入れぬようにとのことでございます」
「それ、心を守ってるんじゃなくて判断材料を全部取り上げてるだけだからね?」
とはいえ。
戦時中である。
私が息子たちと自由に連絡を取れる状態にしておくはずもない。
腹は立つが、理屈としては分かる。
『分かる』
納得はしていないけど。
――その日の午後までは。
部屋の隅で侍女たちが布類を整理していた。
私は机で本を読んでいたのだが、ページをめくる手が途中で止まった。
小さな声が聞こえたからだ。
「……ねえ、聞いた?」
「何を?」
「陛下が、ウッドストックで親しくしておられる女性のこと」
私の耳が、ぴくりと動いた。
「ロザムンド様、とかいう……」
「しっ」
「人目を避けてお会いになっているとも聞いたわ」
「王妃様がおられるのに……」
「…………」
本を閉じた。
ゆっくりと、とてもゆっくりと、私は顔を上げた。
侍女二人はこちらを見ていない。
つまり、私が聞いていることに気づいていない。
私は深く息を吸った。
「……ちょっと待ちなさい」
侍女たちの肩が跳ねた。
「はい?」
「今、なんて言った?」
「え」
「ロザ……誰?」
二人の顔から血の気が引いた。
「め、滅相もございません! ただの噂でございます!」
「そのただの噂を、もうちょっと詳しく」
「いえ、私どもも何も詳しいことは……」
「ウッドストックって聞こえたけど?」
「…………」
「女性の名前も聞こえたけど?」
「…………」
「戦況は一文字も入ってこないのに、
夫の愛人情報だけ解像度四Kで届くのおかしいだろぉぉぉぉぉ!!」
侍女二人が飛び上がった。
私は頭を抱えて部屋の中を歩き回る。
「どういう情報網なのよ! 息子の安否は検閲! 戦況も検閲!
アキテーヌの情報も遮断! なのにゴシップだけ検閲網を素通りしてくるの!?」
「王妃殿下、お気を静めて……」
「静まれるか!」
私は窓の方を指差した。
「今、外どうなってると思ってんのよ!」
指を折って数える。
「長男、次男、三男、まとめて父親に反乱!」
一本。
「妻は監禁!」
二本。
「フランス王まで巻き込んで戦争!」
三本。
「ベケット事件の後始末までまだ引きずってる!」
四本。
そこで手を止めた。
「案件、多すぎるでしょうが!」
完全に炎上案件の山である。
普通の人間なら一件でも胃薬が必要だ。
それをあの男は、国家と家庭を同時炎上させながら走り続けている。
なのに。
「そのうえ恋愛案件まで新規立ち上げしてんじゃないわよ!!」
私は窓枠を叩いた。
「リソース配分どうなってんの!? その体力と時間があるなら息子と話し合え!
妻を城に閉じ込めてる場合でも女に会ってる場合でもないでしょうが!」
侍女たちは完全に固まっている。
私は構わず続けた。
「別にね!」
声がさらに大きくなった。
「女がいること自体に嫉妬してるんじゃないの!」
二人が恐る恐るこちらを見る。
「今さらヘンリーがどこの誰と何しようが、そこはもうどうでもいいの!」
『本当にどうでもいい』
二十年近く一緒に暮らして、
子どもも山ほど作って、
領地を巡って喧嘩して、
政治で揉めて、
今や私は夫によって城に閉じ込められている。
恋愛感情がどうこう言う段階など、とっくに通り過ぎた。
問題はそこではない。
「この非常時に、そんなことやってる余裕があるのが腹立つのよ!」
私は拳を握った。
「その時間で若ヘンリーの話を聞け!」
一歩。
「その体力でリチャードを説得しろ!」
もう一歩。
「その頭でジェフリーの不満を整理しろ!」
さらに一歩。
「案件増やすなぁぁぁぁぁ!!」
部屋の中に怒声が響き渡った。
しばらくの沈黙。
やがて
震えていた侍女の一人が、おそるおそるテーブルの上の菓子皿を私の方へ差し出した。
「……殿下。お菓子でも、いかがでしょう」
私は止まった。
皿を見る。
蜂蜜を使った小さな焼き菓子。
「…………」
一つ取った。
噛む。
甘い。
「……おいしい」
「それはようございました……」
「でも許さない」
「はい……」
私はもう一つ菓子を取った。
「アキテーヌのことも、息子たちのことも、私をここに閉じ込めたことも、
それぞれ言いたいことは山ほどあるけど」
もう一口。
「この修羅場で新しい問題を増やした件については、帰ったら絶対に説教する」
侍女が小さく首を傾げた。
「……帰られたら、でございますか?」
「帰るわよ」
即答した。
「いつかは」
たぶん、きっと、帰る。
その頃には、言いたいことが山ほど溜まっているだろう。
私は三つ目の菓子に手を伸ばした。
こうして。
戦況情報は一切入ってこないのに、
夫の女性関係だけはなぜか耳に入ってくるという、最悪の情報環境の中。
世界史八点ちゃんの幽閉生活には、新たな暇つぶしが加わった。
名付けて。
『ヘンリーへの文句を脳内で箇条書きにする』
である。
なお。
その項目数は、この日だけで二桁を突破した。
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




