第99話:母上を助けたい三兄弟、父親の浮気発覚で家庭裁判所になる
だから隠れてやれと。
パリ、シテ島のフランス王宮。
重厚な軍議室のテーブルを囲み、反乱軍の若き首脳陣による、
事実上の「第何回目か分からない親父をどうやって分からせるか会議」
が開かれていた。
「父上に屈してなるものか! 我々の正当な要求を全土に知らしめ、
共同国王たる私の立場を認めさせるのだ!」
机を拳で叩いて気勢を上げる長男、若ヘンリー。
「口先だけでは何も変わらん。父上が力で押さえつけるなら、
こちらも力があると示すしかない」
腕を組み、冷ややかな闘志を燃やす次男、リチャード。
「だから、正面から突っ込む前に味方を固めましょうと言っているんです。
どの領主がこちらにつくのか、どの城を使えるのか、
それを確認せずに兵を動かしてどうするんですか」
羊皮紙の名簿を指先で叩く三男、ジェフリー。
見事に、綺麗に、
”一ミリも噛み合っていない”。
上座で三人を見ていたフランス王ルイ七世は、
深いため息をついた。
「……そなたたち、一度落ち着きなさい」
その一言で、三兄弟の視線が集まる。
ルイは腕を組み、ゆっくりと彼らを見渡した。
「まず決めるべきは、どう戦うかではない。何のために戦うのかだ」
若ヘンリーが眉をひそめる。
「何のために、とは?」
「そなたたちが真に求めているものは何だ?」
ルイは一人ずつを見る。
「共同国王としての実権か」
若ヘンリー。
「アキテーヌでの権限か」
リチャード。
「ブルターニュにおける立場か」
ジェフリー。
そして。
「それとも、母君アリエノール殿の解放か」
「…………」
軍議室に、気まずい沈黙が落ちた。
全員、父親に対する不満はある。
全員、母親が捕らえられたことにも怒っている。
だが、
若ヘンリーが一番欲しいものと、
リチャードが欲しいものと、
ジェフリーが欲しいものは、
”完全には同じではない”。
同じ旗の下に集まってはいる。
けれど、見ている先は少しずつ違っていた。
三兄弟が揃って黙り込む。
その部屋の隅で、
小皿から干し葡萄をつまんでいた七歳のフィリップが、ぽつりと呟いた。
「……やっぱり、みんな欲しいものが違うんですね」
「…………」
若ヘンリーが微妙な顔をした。
リチャードも黙った。
ジェフリーは小さく咳払いした。
七歳児は、別に難しいことを言ったつもりはない。
ただ、目の前で聞いたことをそのまま口にしただけだった。
それが一番刺さった。
ルイが、少しだけ頭を抱えかけた。
その時だった。
「陛下!」
勢いよく扉が開き、一人の使者が入ってきた。
「何事だ」
ルイが顔を上げる。
戦況報告か。
兵の移動か。
あるいはヘンリー二世側の新たな動きか。
部屋にいた全員が身構えた。
だが。
使者は、なぜか少し言いにくそうな顔をした。
「その……イングランド王に関する風聞が届いております」
「風聞?」
ルイの眉が寄る。
「はい。ヘンリー王が、ウッドストックにて、
ある女性を殊のほか寵愛しておられるとか」
「…………」
一瞬。
誰も反応しなかった。
「女性?」
若ヘンリーがゆっくり聞き返した。
「は。ロザムンドという名の女性だとも伝わっております。
ただ、どこまで確かな話かは……」
その先を、若ヘンリーは聞いていなかった。
「な……」
顔がみるみる赤くなる。
「母上を城に閉じ込めておきながら、自分は女だと!?」
椅子を蹴って立ち上がった。
「ふざけるな! 母上を反乱に加担した者のように扱って
自由を奪っておきながら、自分は他の女を寵愛しているだと!?」
「兄上、まだ噂です」
ジェフリーが冷静に言う。
「だからといって!」
「確かめてもいない話で怒鳴っても仕方ないでしょう」
「お前は腹が立たんのか!」
その言葉に。
ジェフリーは少し考えた。
「腹は立ちます」
「なら――」
「でも、この噂が父上に不満を持つ者たちへ広まれば、
絶好の宣伝材料にはなりますね」
若ヘンリーとリチャードが、同時に振り返った。
「「お前、今そこ考えるのか!?」」
「え」
ジェフリーが目を瞬く。
「いや、だって使えるものは使った方が――」
「そういう話ではない!」
「母上の話だぞ!」
「だから母上のためにもでしょう!」
一気に会議が別方向へ崩れた。
その横で。
リチャードだけは、しばらく無言だった。
腰の剣の柄に手を置き、低く呟く。
「……父上は本当に、母上に対してそこまで無神経なのか」
怒鳴らない。
だが、声が冷たい。
母親を捕らえた直後に、父親の女性関係の噂が飛び込んでくれば、
十五歳の息子として腹が立たないはずもなかった。
「待て!」
ついにルイが立ち上がった。
「全員、落ち着け!」
三兄弟が振り返る。
「まだ確認も取れていない風聞だ。それを事実として扱うな」
「しかし!」
「今は軍議の最中だ」
ルイは机を指した。
「兵の配置、補給、味方になる諸侯。まずそちらを決める」
「だが母上が!」
「母君のことを考えるなら、なおさら感情だけで動くな!」
さすがに国王の一喝で、三兄弟も少し黙った。
ルイは深く息を吐いた。
威厳を保つ
王らしく
冷静に
”大人として”
だが、内心では。
(……ヘンリー)
胃のあたりが、また痛み始めていた。
(お前、今それをやるのか……?)
息子三人に反乱を起こされ
妻を捕らえ
各地で戦が続き
国家の内外に問題を抱えている。
その状況で、女性関係の噂まで飛ばしてくる。
確かな話かどうかは別として、それだけでも十分に頭が痛い。
(なぜ、あいつの周りでは問題が同時に発生するんだ……)
しかも
なぜか全部、こちらにも飛んでくる。
ルイは静かにみぞおちを押さえた。
海を隔てたシノンでは。
元妻アリエノールが、
『案件増やすなバカ社長!』
と怒鳴っている頃である。
本人たちの知らぬところで。
元夫婦の意見が、久しぶりに完全一致していた。
その時。
「父上」
小さな声がした。
ルイが振り返る。
フィリップが、干し葡萄を手にしたまま立っていた。
「……なんだい」
「大人は」
七歳の少年は、心底不思議そうに首を傾げた。
「戦争中でも、恋をするのですか?」
「…………」
ルイは何も答えられなかった。
若ヘンリーも黙った。
リチャードも黙った。
ジェフリーまで黙った。
誰も、七歳児にうまく説明できなかった。
フィリップは、しばらく大人たちの顔を見回した。
「……大人って、忙しいのですね」
そう言って
また一粒、干し葡萄を口へ入れる。
ルイは静かに机へ両手をついた。
「……神よ」
軍議はまだ終わっていない。
反乱も終わっていない。
母親も捕まったまま。
父親の愛人疑惑まで増えた。
パリのフランス王宮では
国家の命運を決めるはずの会議が、今日もまた見事に家庭裁判所へと変貌していたのである。
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




