第96話:監禁生活、意外と快適なのが逆に腹立つ件
ここから長い監禁生活です。やったね!ニートできるよ!
ロワール河畔、シノンの城塞。
その上階に用意された一室で、私はひとり、しばらく呆然と立ち尽くしていた。
「……ねえ」
誰もいない部屋に向かって、思わず声が漏れる。
「……ベッド、ある」
しかも、どう見ても粗末な寝台ではない。
きちんと厚みのある寝具が敷かれ、毛布も十分に用意されている。
壁には隙間風を和らげるための布が掛けられ、
部屋の隅では暖炉の火が赤々と燃えていた。
「暖炉もある。薪もある。寒くない」
私はゆっくり室内を見回した。
小さな机。
椅子。
祈祷書らしき本も何冊か置いてある。
頼めば湯も用意してもらえるらしい。
「…………」
私はこめかみを押さえた。
「いや、快適すぎない?」
話が違う。
いや、誰とも事前に話をしたわけではないけれど。
『反乱に関与した疑いで身柄を拘束されました』
と言われたら、普通はもっとこう、地下牢とか、湿った石壁とか、
固い床とか、暗闇の中で水滴がピチョンピチョン落ちるとか。
食事も、せめて固い黒パンと薄いスープくらいを想像するでしょうが。
ところが現実は。
暖炉
寝具
侍女
まともな食事
「もっとこう、
『監禁されております! 理不尽な弾圧を受けております!』
って分かりやすい待遇なら、こっちも全力で怒れるのよ!」
私は部屋の中を歩き回った。
「これじゃ高級宿に泊まって、
チェックインした瞬間から外出禁止食らってるだけじゃないのよ!」
怒りの持っていき場がない。
乱暴に扱われれば、思う存分ヘンリーを罵れる。
粗末な部屋へ放り込まれれば、
『このクソジャイアンめ!』
と恨み言の一つも言いやすい。
なのに
王妃としての待遇だけは、きっちり維持されている。
政治的な自由はない。
でも生活環境は粗末にしない。
「……こういうところだけ変にちゃんとしてるの、本当に腹立つわね」
あの男らしい。
ものすごく、あの男らしい。
妻を自由にはさせない。
でも、妻としての体面は傷つけない。
健康も損なわせない。
必要なものは用意する。
そして”外には出さない”。
「……最悪のホワイト企業みたい」
福利厚生だけは充実
退職不可
部署異動不可
外出不可
役員権限停止
とんでもない会社である。
そんなことを考えていると、扉が控えめに叩かれた。
「王妃殿下。夕餉をお持ちいたしました」
入ってきたのは、二人の侍女だった。
運ばれてきた料理から、温かい匂いが漂う。
肉を香草とともに煮込んだもの。
焼きたてらしい柔らかなパン。
野菜を使った温かい汁物。
そして、小さな皿には果実と蜂蜜を使った甘いものまで添えられている。
「…………」
私は無言で料理を見た。
「お口に合いますでしょうか」
「……たぶん」
いや。
絶対おいしい。
匂いでもう分かる。
私は椅子へ座り、スプーンを手に取った。
肉の煮込みを一口。
「……ん」
柔らかい。
普通にうまい。
というか、かなりうまい。
「……腹立つ」
侍女が困った顔をした。
「何か、お気に召さないものがございましたでしょうか」
「違うの。料理は悪くないの」
悪くないどころか、おいしい。
パンをちぎって煮込みの汁につける。
これもおいしい。
「……ジャイアン、こういうところだけ手を抜かないの、本当に腹立つ……」
「……?」
侍女には当然、意味が分からない。
私はため息をついた。
「気にしないで。独り言だから」
とりあえず食べる。
捕まったからといって、空腹が消えるわけではない。
むしろ、数日間の逃亡生活でまともな食事をしていなかった身体には、
温かい料理が容赦なく染みる。
「……悔しいけど、おいしいわ」
これでは怒りながら完食してしまう。
実に屈辱的である。
食事が半分ほど終わったところで、私は何気なく侍女へ尋ねた。
「ねえ。食べ終わったら、少し外を歩いてもいい?」
侍女たちの表情が、ほんの少しだけ曇った。
「あ……」
その反応で分かってしまった。
「……ダメなのね」
「申し訳ございません。殿下には、
こちらのお部屋でお過ごしいただくよう申しつけられております」
「中庭も?」
「……はい」
「廊下も?」
「必要な場合を除きましては」
「…………」
なるほど。
やっぱり牢屋だった。
見た目が上等なだけで。
「手紙は?」
「お預かりすることはできます。ただし、内容については確認を受けることになるかと」
「……ですよね」
息子たちに自由に連絡することもできない。
アキテーヌへ指示を出すこともできない。
どこかへ行くこともできない。
私は頷いた。
「分かった。ありがとう」
侍女たちは申し訳なさそうに頭を下げ、
用があれば呼ぶようにと言い残して部屋を出ていった。
扉が閉まる。
しばらくして、外から、重い鍵の音が聞こえた。
ガチャリ。
「…………」
その音だけで、さっきまでの快適な部屋が少し違って見えた。
私は席を立ち、窓辺へ向かった。
石造りの窓の向こうには、夕暮れの景色が広がっている。
遠くに流れる川。
その向こうに続く土地。
もっと先には、アキテーヌがある。
パリがある。
息子たちがいる。
そしてどこかでは、ヘンリーが反乱への対応を続けている。
「……出られないんだよな」
ぽつりと呟いた。
どれだけ寝具が柔らかくても、
暖炉が暖かくても、
食事がおいしくても、
ここから、自分の意思では出られない。
息子たちを止めに行くこともできない。
アキテーヌの諸侯と直接話すこともできない。
ヘンリーのところへ押しかけて、
『お前いい加減にしろ』
と直接文句を言うことすらできない。
少なくとも、今は。
「……長くなりそうね」
思わず、そんな言葉が漏れた。
少しだけ。
本当に少しだけ、胸の奥が重くなる。
これまで私は、何だかんだ言いながら自分で動いてきた。
嫌なら抗議した。
納得できなければ話をしに行った。
逃げることだって、戻ることだって、自分で決めた。
『でも今はそれができない』
「…………」
しばらく窓の外を眺めていた。
その時。
背後のテーブルから、まだ温かい汁物の匂いが漂ってきた。
「…………」
私は振り返った。
湯気……まだ立っている。
「…………」
席へ戻り、スプーンを取る。
一口。
「……でも、このスープうま……」
うん。
美味しいものは美味しい。
監禁生活初日。
世界史八点ちゃんは、自由を失った現実を噛み締めながら
とりあえず夕食だけは、きれいに完食したのである。
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




