↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『世界史8点の私に、アリエノール・ダキテーヌは荷が重い』 ~未来の夫も息子も、ろくなことをしないらしい~  作者: 雪森蓮


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
95/177

第94話:違います、これは逃亡ではなく家族会議への出張です

つかまっちゃったねぇ

夕闇が濃くなる森の出口。

松明の赤い光に照らされた林道で、私は三方から完全に包囲されていた。


前方には騎兵。

後方にも騎兵。

左右の茂みには、槍を携えた兵士たち。

誰も怒鳴らないし、剣を抜く者もいない。

ただ静かに、こちらの逃げ道だけがきれいに塞がれている。


こういう時に限って、仕事が丁寧すぎる。

やがて、一人の初老の騎士が馬を進めてきた。


胸にはプランタジネット家の紋章。

見るからに真面目そうな顔で、馬上から恭しく一礼する。


「……王妃殿下ですね?」


私は即座に声を低くした。


「違います」


「では、フードをお取りください」


「嫌です」


「…………」


騎士は困ったように眉を下げた。

それから、実に静かにため息をつく。


「殿下。無理がございます」


「何がよ! 私はただの、通りすがりの旅人です! 

ちょっと喉を痛めていて、声が高いだけの若い従者です!」


「……若い?」


「そこ引っかかる!?」


今、もっと重要なところがあったでしょうが。

騎士は何も言わず、私の足元へ視線を落とした。


「上等な革の乗馬靴。仕立ての良い外套。

身につけておられる留め具も、一般の旅人が持つようなものではございません」


「そこは……ほら、実家が太い旅人とか」


「そして何より」


騎士は、私の後ろを指した。


振り返る。

護衛三人が、完全に終わった顔で天を仰いでいた。

一人など、今にも「神よ」と呟きそうな勢いである。


「後ろの方々が、先ほどからずっと『もう無理だ』という顔をなさっています」


「お前らぁぁぁぁ!!」


味方の演技力が低すぎる。

そこは命懸けで、


『旦那様、この者どもは何者です!』


くらいの茶番を続けるところでしょうが!

護衛の一人が申し訳なさそうに目を逸らした。


「……申し訳ございません、女公殿」


「名前まで呼ぶなぁぁぁ!!」


完全終了。

私は観念してフードを脱いだ。

まとめていた髪が少し崩れ、夜風に揺れる。


「はいはい! そうです、アリエノールです! これで満足!?」


騎士は深く頭を下げた。


「お姿を確認でき、安堵いたしました」


「私は全然安堵してないけどね!」


「王妃殿下には、これ以上北へ進まれぬようお願いすることになります」


「お願い?」


「はい」


「お願いという名の強制では?」


騎士は答えなかった。

答えないということは、だいたいそういうことである。

私は馬上から身を乗り出した。


「言っておくけど、私は反乱軍に合流しようとしてたんじゃないからね!」


「……は」


「息子たちを説教しに行くだけなの! あのアホどもが元旦那の家に三人揃って居候して、

父親への対抗策なんか話し合ってるから、

お母さんが直接乗り込んで全員正座させようとしてただけ!」


騎士は黙っている。

私はさらに畳みかけた。


「若ヘンリーは勝手に家出! リチャードは話し合いに行かせたら戦う気満々!

 ジェフリーに至っては自主参加! 

だから私が行って、『国家規模の反抗期やめなさい』って叱って、

夫も含めて家族会議を開く予定だったの!」


「……家族会議」


「そう! 家族会議への出張!」


私は胸を張った。

完璧な説明である。

これ以上ないほど真実しか言っていない。


ところが。

騎士は、なんとも言えない顔で私の姿を見た。


男性用の旅装。

少人数の護衛。

夜間移動。

主要街道を避けた間道。

そして目的地は、反乱中の息子三人とフランス王ルイ七世がいる方向。


「…………」


やめて。

その目で見ないで。


「殿下」


騎士が静かに口を開いた。


「失礼ながら、現在のお姿と移動経路だけを拝見いたしますと……」


「言わなくていい」


「反乱側への合流を試みておられるようにしか」


「言わなくていいって言ったでしょうがぁぁぁぁ!!」


分かってる。

自分でも分かってるのだ。


男装して

夜中に

裏道を使って

夫に反抗している息子たちのところへ向かっている


どう見ても逃亡。

どう見ても反乱側への合流。


「違うのよ……」


私は両手で顔を覆った。


「本当に違うのよ……」


騎士は気の毒そうな顔をした。

それが余計に辛い。


「殿下のお言葉については、しかるべき者へそのままお伝えいたします」


「ちゃんと『家族会議です』って伝えてよ?」


「……可能な限り」


「今ちょっと濁したよね?」


「ですが、ここから先へお通しするわけにはまいりません」


声はあくまで穏やかだった。

武器を突きつけるわけでもない。

乱暴に馬から引きずり下ろすわけでもない。

ただ、こちらが前へ進むことだけは絶対に認めない。


最上級に礼儀正しい通行止め。

それが一番怖い。


「……ヘンリーのところへ連れて行くの?」


私が尋ねると、騎士は首を横に振った。


「まずは王側の城へお移りいただきます。その後については、改めて指示があるかと」


「……なるほどね」


要するに一旦確保。

その後の処遇は上司判断。


完全に身柄拘束の業務フローである。


私は大きく息を吐いた。


「ねえ。一応聞くけど、私、拒否できる?」


騎士は少し困った顔をした。


「……難しいかと」


「ですよね!」


ここまで包囲しておいて、


『嫌なら帰っていいですよ』


なわけがない。


私は仕方なく馬から降りた。

すると、少し離れた場所から一台の馬車が進み出てきた。


見た目は立派だった。

作りもしっかりしている。

雨風も防げるし、座席も悪くなさそうだ。


ただし。

窓が小さい。

扉が厚い。

そして、護衛が多い。


「……これ、護送車じゃない?」


「王妃殿下にお乗りいただくための馬車でございます」


「言い方を変えただけよね?」


騎士は深く一礼した。

私は馬車の前で、もう一度だけ北の方角を振り返った。


あの先には息子たちがいる。

若ヘンリーも、リチャードも、ジェフリーも。

そして、そのさらに向こうでは、夫がもうこの問題を単なる家族喧嘩として扱っていない。


私はずっと。

話せばなんとかなると思っていた。

息子たちを集めて、夫も座らせて、全員で言いたいことを言わせれば、

どこかに落としどころが見つかると思っていた。


でも。

ヘンリーはもう、国家に対する反乱として対処を始めている。


息子だから。

妻だから。

そんな理由で手を緩めるつもりは、たぶんない。


「……あいつ、本気(ガチ)なんだ」


小さく呟いた。

初めて、そのことが実感として胸に落ちた。


二十年近く一緒にいた夫。


何度も喧嘩をした。

何度も腹を立てた。


それでも。

ここまで来るとは思っていなかった。


少しだけ。

本当に少しだけ、夜の空気が冷たく感じた。


「殿下」


騎士が馬車の扉を開ける。


「こちらへ」


私はその扉を見た。


豪奢な馬車

丁寧な護衛

そして、自由なし


なるほど。

王妃待遇の牢獄である。


「……長くなりそうね」


思わず、そんな言葉が漏れた。


騎士が深く頭を下げた。


「できる限り、不自由のないよう手配いたします」


「その言い方、めちゃくちゃ嫌なんだけど」


不自由のないように不自由にする。

高度な日本語……ではなく、中世語法である。


私は観念して馬車へ乗り込んだ。

扉が閉まる。

外から、金具の動く音がした。


ガチャリ。


「…………」


私は静かに扉を見つめた。

それから窓へ顔を寄せ、外にいる騎士へ声をかけた。


「ねえ!」


「はい、殿下」


「一応確認なんだけど」


「何でございましょう」


「これ、途中で『やっぱり家に帰ります』って言ったら降ろしてもらえる?」


数秒の沈黙。


そして。


「……難しいかと」


私は天井を仰いだ。


「ですよねぇぇぇぇぇぇ!!」


こうして。


世界史八点ちゃんの和平交渉出張は、目的地へ到着する前に強制終了した。

家族会議を開くどころか、本人が会議から物理的に排除されるという、

あまりにも見事なオチである。


しかも。

この時の私は、まだ知らなかった。


この「途中下車不可」という状態が。

まさか、この先十年以上も続くことになるとは。


「……長期出張って、そっち!?」


もちろん誰も答えてくれなかった。

※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。


人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。


できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。

なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?

「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。