第9話:Googleマップを要求する
身近な人に聞いても誰も知らなかったから大丈夫だよ主人公!(何が大丈夫なのかは不明)
エレキテルの残骸――正確には、灰燼に帰した私の妄想――を眺めながら、
ロウソクの煙にむせていた時だった。
私は、ふと気づいた。
もっと根本的で、
今さらすぎる事実に。
「……なんで私、普通に会話できてんの?」
思わず口元を押さえた。
幸い、さっきまで「お利口さんですねえ」と頭を撫でていた侍女は、もう部屋を出ている。
今さら。
本当に今さらだけど。
おかしい。
ここの人たちは、日本語を話していない。
英語でもない。
フランス語……なのか?
前世の私が知っているフランス語なんて、
「ボンジュール」
「メルシー」
「ジュテーム」
その程度である。
少なくとも、今まで周囲が喋っていた言葉は、私の知っている「ボンジュール」とは全然違う。
なのに。
私は普通に聞き取れる。
意味が分かる。
そして。
二歳児のせいで舌は回らないけれど、こちらも同じ言葉で喋り返している。
「……なんで?」
私は両手で頭を抱えた。
この身体が覚えているのか?
アリエノールという幼児の脳みそに、すでに言葉が染みついていたのか。
それとも。
これが、いわゆる
転生特典。
自動翻訳チート。
「……もし、そっちならさあ」
私はゆっくり天井を見上げた。
黒ずんだ梁。
煤けた壁。
その向こうに、神様がいるのかどうかは知らない。
知らないけど。
いるなら聞いてほしい。
私は小さな拳を握りしめた。
「もっと、なんか、くれよ!」
誰もいない部屋で叫ぶ。
「すてーたすとか! あいてむしゅーのーとか! かんていとか!」
舌が回らない。
めちゃくちゃ格好悪い。
でも言いたい。
言語理解だけって。
福利厚生として地味すぎるだろ。
神様。
最低限すぎない?
せめて鑑定スキルくらい寄越してほしかった。
そうすれば、
石鹸があるかどうかも。
馬車の中身がどうなっているかも。
このやたら濃い祖父が何者なのかも。
全部、一発で分かったはずだ。
「……けち」
私は見えない神様に向かって、二歳児らしく小さく悪態をついた。
そして。
ひとしきり文句を言ったあと。
ベッドへ、ばふんと倒れ込む。
言葉が分かる。
それはありがたい。
ものすごくありがたい。
もし全員の会話が何一つ理解できなかったら、とっくに泣いていたと思う。
でも。
言葉が通じたところで
一番知りたいことは、何一つ分かっていない。
ここは。
いつの。
どこだ。
私は天井を睨みながら、頭の中に今まで集めた情報を並べてみた。
アキテーヌ。
ポワティエ。
ボルドー。
ギョーム。
父もギョーム。
祖父もギョーム。
私はアリエノール・ダキテーヌ。
アキテーヌ公女。
フランスっぽい。
でも、「フランス」と言うと、どうも自分の知っている意味では通じない。
城というより要塞みたいな建物。
ガタガタの馬車。
石鹸はある。
電気はない。
以上。
「……情報、少なっ」
これで現在地を特定しろという方が無理である。
私は、遠い前世の記憶から世界地図を引っ張り出そうとした。
アキテーヌ。
どこ。
フランスの。
南?
西?
南西?
ボルドーワイン。
あ。ボルドー。
それは聞いたことある。
ワインの産地。
たしかフランスの左下あたり。
……左下って何だよ。
小学生か。
ピレネー山脈。
スペイン。
その上?その辺?
何となく単語だけは浮かぶ。
でも繋がらない。
世界史八点の頭の中では、世界地図が砂嵐のテレビみたいにザーザーしていた。
「ちず……ほしい」
ぽつりと呟く。
『地図』
そうだ。
地図を見ればいい。
できれば。
「ぐーぐるまっぷ……」
当然出ない。
私は虚空へ手を伸ばした。
スマホの画面を親指と人差し指で広げれば。
地球全体から。
国。街。道路。建物。
最終的にはコンビニの入口くらいまで一瞬で拡大できた。
現在地には”青い点”。
目的地には”赤いピン”。
「いまここです」
と、文明の方から教えてくれた。
あれ。
すごかったんだな。
GPSのない世界が、こんなに心細いとは思わなかった。
「地図をくれよ……」
できれば現在地の赤いピン付きで。
あと。
「いま、なんねん……」
これも分からない。
今のところ、周囲の大人に聞いても西暦で答えてくれる気がしない。
「ギョーム公の治世何年」
とか。
「何とかという王の御代」
とか。
「何とかという聖人の祝日の翌日」
とか。
そういう答えが返ってきたら。
詰む。
完全に詰む。
私は。
自分が誰なのか、まだよく知らない。
自分がどこにいるのかも、よく分からない。
今が何年なのかも分からない。
何より。
このアリエノール・ダキテーヌという人間が
この先。
何をして。
誰と出会って。
何歳まで生きるのか。
”何一つ知らない”
周囲の人たちは、私を「公女様」と呼んで大事にしてくれる。
父は土地のことを教えてくれる。
祖父は勝手に肩車して連れ回す。
母は優しく抱いてくれる。
でも。
その先に、どんな道が続いているのか。
世界史八点の私には先頭車両すら見えない。
「……とりあえず」
私は寝返りを打った。
「ちず」
まず地図だ。
現在地を知ろう。
話はそれから。
「それから……かみ」
紙。
いや。
この時代に普通の紙ってあるのか?
羊皮紙?羽根ペン?
それで。
「らくがき」
自分なりに。
分かったことを書いておこう。
アキテーヌ。
ポワティエ。
ボルドー。
ギョーム。
ギョーム。
ギョーム。
……。
「また、ぎょーむ……」
もう嫌だ。
私は毛布を頭まで被った。
現在地不明。
時代不詳。
未来不明。
二歳。
元アラサーOL。
そして世界史八点。
改めて考えると。
結構詰んでいる。
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




