第10話:紙なら漉けると思った
でしょうね!
「……ちず」
現在地が知りたい。
地図が欲しい。
そして、できればこれまでに判明した情報を書き留めておきたい。
アキテーヌ。
ポワティエ。
ボルドー。
ギョーム。
ギョーム。
またギョーム。
……待て。
書く?
書くということは。
記録媒体。
「……かみ!」
私はベッドの上で、むくりと起き上がった。
そうだ。
紙だ。
石鹸は、すでにあって撃沈した。
電気は、技術体系が遠すぎて自爆した。
馬車のサスペンションは、構造を説明できずに尻が死んだ。
でも紙なら。
紙なら、いけるんじゃないか?
”和紙”
日本が誇る伝統技術。
小学校の社会科見学だったか、図工だったか。
詳しいことは忘れたけれど、作っているところを見た記憶がある。
たしか。
コウゾとか。
ミツマタとか。
そういう植物を煮る。
繊維をトントン叩く。
とろとろの水に混ぜる。
木枠みたいなもので、すくう。
乾かす。
完成。
それだけ……たぶん。
羊皮紙なんて、動物の皮から作る。
一頭から取れる量には限界がある。
大きな本を一冊作ろうと思えば、何十枚どころか、とんでもない量の皮が必要になるはずだ。
でも植物から紙を作れれば。
もっと大量に作れる。
もっと安くなる。
紙が増える。
帳簿が増える。
役所の仕事が楽になる。
文字が広まる。
教育も広がる。
そして。
アキテーヌ富国強兵。
来た。今度こそ来た。
私は未来から製紙革命を持ち込む天才児として、歴史に名を刻む。
世界史八点だけど。
紙の作り方くらいなら何とかなる。
――ところで。
コウゾってどんな木だっけ。
「……」
私は固まった。
葉っぱの形。
知らない。
樹皮の色。
知らない。
花。咲くの?
知らない。
そもそも。
どこに生えてるの?
ここにあるの?
フランスに自生してるの?
知らん。何一つ知らん。
では。
ミツマタ。
名前の通り。
枝が三つに分かれる植物。
だった気がする。
以上。
私の知識完全終了。
「……だめじゃん」
いや。待て。落ち着け。
何も和紙にこだわる必要はない。
西洋にも紙はある。
たしか前世でテレビかネットか何かで見た。
古い布。
麻とか。
ボロ布。
そういう植物性の繊維を細かくして、水に混ぜて。紙にする。
よし。
古着ならある。
たぶん。
それを細かく刻んでパルプにすれば。
……。
どうやって?
手で千切る?
二歳児の握力で?
いや。大人を使えばいい。
でも。
繊維になるまで細かくするって。
どのくらい?
水に漬ける?
腐らせる?
木槌で何日も叩く?
石臼で挽く?
水車で動く何かを作る?
……。
その水車と機械。
誰が設計するの?
均一な厚さに漉くための細かい網。
誰が作る?
どうやって。
同じ目の細かさで。
大量に。
そして。
漉いた紙から水を抜く。
圧搾。乾燥。重ね方。剥がし方。
知らん。全部知らん。
さらに。
インクが滲まないようにする処理。
何か塗るんだった。
たしか。膠。
動物の皮や骨を煮て作る、ゼラチンみたいな接着剤。
……だった気がする。
で。
配合は?
濃さは?
どのくらい塗る?
何回?
どのくらい乾かす?
知らん。
まただ。
私は小さな両手で頭を抱えた。
知っているのは。
「ボロ布から紙ができる」
という。
たった一行の結果だけ。
そこに至るまでの。
工程。道具。職人技。
失敗例。
材料の選び方。配合。乾燥。
何も。
何一つ知らない。
「アリエノール様?」
頭を抱えて悶絶している私を、近くにいた侍女が不思議そうに覗き込んだ。
「あのね」
「はい?」
私は恐る恐る聞いた。
「かみ……ある?」
侍女は首を傾げる。
「羊皮紙でございますか?」
「ちがう」
私は手で薄さを表現する。
「もっと、うすいの。ぬの……みたいな」
侍女はしばらく考えた。
そして。
「ああ」
と、声を上げる。
「南から来る商人が、時折そのようなものを扱うと聞いたことはございます」
「……あるの?」
また。
またあるのかよ。
「紙、と呼ぶのでしたか。私は詳しく存じませんが」
「かみ……」
ある。
紙。
もうある。
私の製紙革命。
開始前から怪しい。
「でも」
私は食い下がった。
「それ、つかわない?」
「大切な文書や書物でしたら、やはり羊皮紙をお使いになるでしょうね」
「なんで?」
侍女は少し困ったように笑った。
「昔から、そうしておりますから」
「……それだけ?」
「羊皮紙を作る職人もおりますし、書記の方々も扱い慣れております。
大切なものを長く残すなら、皆そちらを選びますね」
なるほど。
紙がないわけじゃない。
紙という技術が、存在していないわけでもない。
でも今この場所では。
羊皮紙を作る職人がいる。
羊皮紙を扱う人がいる。
それを売る人がいる。
それを買う人がいる。
書記も。
教会も。
役所も。
全部その仕組みの上で回っている。
そこへ突然。
「今日から全部紙にしましょう!」
と言ったところで。
紙を作る工房は?
原料は?
職人は?
供給量は?
値段は?
品質は?
誰が保証する?
誰が使い方を覚える?
……。
また。
父上の顔が頭に浮かんだ。
道路。
橋。
税。
商人。
職人。
何か一つ変えるだけでも。
その後ろには何十個もの仕組みがぶら下がっている。
「……また、あるんかい」
私は小さく呟いた。
そして。
そのまま寝台へ倒れ込む。
私の壮大なるアキテーヌ製紙革命は
羊皮紙利権をぶっ潰すどころか
企画書の一行目を書く前の。
脳内会議の段階で静かに幕を閉じた。
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




