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『世界史8点の私に、アリエノール・ダキテーヌは荷が重い』 ~未来の夫も息子も、ろくなことをしないらしい~  作者: 雪森蓮


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第87話:改善要望書を出したつもりが宣戦布告書に化けていた件

そこは止めとかないと。。。

ポワティエの私室で、私は頭を抱えていた。


「……また何か間違ったフラグ立ててない?」


机の上には、各地から届いた書状

息子たちの不満

諸侯たちの要求

そして、返事の来ない夫への抗議文


「違う方向に話が進んでない!? なんかどんどん話がデカくなってんだけど!?

 教えてGoogle先生ぇぇぇ!!」


当然、返事はない。

十二世紀である。

Wi-Fiどころか、コンセントすら存在しない。


前世の文明が恋しい。

ものすごく恋しい。


四十年以上、アリエノールとして生きてきた。


十字軍にも行った

離婚もした

再婚もした

王妃も二周目である

それなりに政治も学んだし

、この時代の面倒な仕組みだって多少は理解している


だがしかし……

中身は世界史八点の元OLなのである。


そろそろ人生の難易度を下げていただきたい。

そもそも、私の主張は最初から一貫している。


第一に、息子たちの待遇改善。

名ばかり管理職みたいな肩書を与えておいて、権限も予算も渡さないのはやめろ。


第二に、アキテーヌの自治と権利の尊重。

あそこは私の故郷だ。夫の都合だけで好き勝手に扱われては困る。


第三に、夫の独断専行への抗議。

いい加減、人の話を聞け。


そして第四。

戦争はしない。

絶対にしない。


ここが一番”大事”である。


「……ほら、何もおかしくないじゃん」


私は机の上に並べた書状を眺めた。


改善要望書

待遇改善交渉

労使協議

どこからどう見ても、まっとうな組織運営のための話し合いである。


……いや、十二世紀に労働基準監督署はないけれど。

ないからこそ、当事者同士できちんと話し合う必要があるのだ。


それなのに。

なぜか周囲では、兵だの城だの同盟だの、物騒な単語が飛び交い始めている。


「……おかしいなあ」


私の改善要望書、どこかで宣戦布告書に変換されてない?


勝手にファイル形式を変更するな。

しかも変換後の内容が物騒すぎる。

そんなことを考えていると、扉が叩かれた。


「母上」


入ってきたのはリチャードだった。

旅装に身を包み、革の手袋を手にしている。


十五歳。

まだまだ子どもだと思っていたのに、最近は本当に大きくなった。

しかも、立ち姿や目つきが年々父親に似てきている。


……遺伝子というものは、時に残酷だ。


「どうしたの?」


「兄上のもとへ参りたいと思います」


「…………」


はい?


「……兄上って、若アンリ?」


「はい」


「パリの?」


「そうです」


「元旦那のところにいる、あの?」


リチャードは怪訝そうな顔をした。


「……母上、兄上は一人しかおりませんが」


「知ってるわよ!! 確認してるだけでしょうが!!」


まったく…

こういうところまで父親に似なくていい。


私は椅子に座り直した。


リチャードが若アンリのもとへ行く。

当然、政治的な意味を持つ行動だ。

父親に反発している長男のところへ、次男まで向かうのだから。


しかも、その長男を受け入れているのはフランス王ルイ七世。


私の元夫。


……改めて考えると、本当に面倒くさい家系図である。


「リチャード。何をしに行くの?」


「兄上と、今後のことを話し合います」


「……話し合い?」


「はい。父上に対して、俺たちがどうするべきか決めなければなりません」


なるほど、それは分かる。

兄弟で意見をまとめること自体は悪くない。

むしろ、今の状況なら必要だろう。


だが。


「……戦争の相談じゃないでしょうね?」


リチャードは、少し考えてから答えた。


「父上が俺たちの話を聞いてくだされば、その必要はありません」


「…………」


待て。

今、ものすごく重要な条件が付かなかった?


「……聞いてくれなかったら?」


「そのときは、考えなければなりません」


「…………」


ジャイアン二号。

その回答はダメです。

非常によろしくありません。


私は深く息を吐いた。


本当なら、行かせたくない。

若アンリのもとへ行けば、父親との対立がさらに深まるのは目に見えている。


ルイだって、単なる親戚のおじさんとして息子を迎えるわけではない。

フランス王としての思惑がある。

それくらい、私にも分かる。


けれど。

ここでリチャードを閉じ込めてしまったら、

結局ヘンリーと同じことをするのではないだろうか。


息子の意思を無視し、親の都合で行動を制限する。

それが嫌だから、私は夫に抗議しているのだ。

なのに、自分も同じことをするのか。


「……ああ、もう」


私は額を押さえた。


こういうときだけ、妙に親としての倫理観が試されるのはやめてほしい。


もっと簡単な問題にしてくれ。

夕飯のおかずを何にするか、とか。

剣の稽古を何時間までにするか、とか。

そういう家庭内案件にしていただきたい。


国家規模の進路相談は、さすがに荷が重い。


私はリチャードを見た。


「……行くなら、約束しなさい」


「何でしょう?」


「戦争を始めるために行くんじゃないわよ。兄さんと話し合って、

どうすれば父上と交渉できるか考えるの」


「はい」


「勝手に兵を動かさない。無茶な約束もしない。

何か決めるなら、私にも知らせること」


「分かりました」


「本当に?」


「はい、母上」


うん。

いい返事だ。


……いい返事すぎて、ちょっと不安になってきた。


「リチャード」


「はい」


「分かってる? 私はあんたたちの味方だけど、戦争には反対だからね?」


「承知しています」


リチャードは真面目な顔で頷いた。

それから、少しだけ笑った。


「母上は、いつも俺たちのことを考えてくださいますね」


「……当たり前でしょう」


ああ……そういうことを言うな。


母親は弱いのだ。

特に、自分の子どもが立派になったと感じる瞬間には。


私は息子の肩に手を置いた。


「……気をつけて行きなさい」


「はい!」


こうして、リチャードは旅立つことになった。


私は最後まで、武力行使は認めないと念を押した。

本人も、きちんと返事をした。


したのだが。

どうにも不安が残る。


なぜか。


私の言う「交渉」は、話し合いで相手から譲歩を引き出すこと。


一方、リチャードの言う「交渉」は、

場合によっては力を示して相手に譲歩を迫ることまで含んでいるらしい。


……いや、それはもう交渉というより威圧では?


もちろん、この時代では珍しい発想ではない。

武力は政治の道具でもある。

四十年以上暮らしていれば、それくらい分かる。


分かるのだが。


「……頼むから、平和的にお願いね」


私は息子の背中を見送りながら呟いた。

どうやら母と息子の間には、見過ごせないほど大きな認識の差があるらしい。

……親父の遺伝子、本当に仕事しすぎである。


さて。

問題はそれだけではなかった。


リチャードが出発するという話は、あっという間に諸侯たちの間へ広まった。


そして。


「女公殿!」


また来た。

最近、誰かが勢いよく呼びかけてくるたびに、胃が痛くなる気がする。

現れたのは、アキテーヌの有力諸侯たちだった。


「若公が兄君のもとへ向かわれるとか!」


「……ええ、そうよ」


「いよいよ、ご兄弟が力を合わせられるのですな!」


「……まあ、話し合いはするでしょうね」


「我らも備えを整えねばなりませぬ!」


「…………」


……ん?備え?


「何の?」


「万一に備えて、各地の状況を確認し、兵の用意を――」


「待て待て待て!!」


私は思わず声を上げた。


「なんでそこから軍隊が出てくんのよ!?」


諸侯たちが顔を見合わせた。


「……しかし、女公殿。若公がフランス王のもとへ向かわれるとなれば、

国王ヘンリー陛下も黙ってはおられますまい」


「それはそうかもしれないけど!」


「我らも不意を突かれぬよう、備えは必要かと」


「……うん」


困った。

言っていることは間違っていない。

実際、何かあったときの備えは必要だろう。

城の守備や街道の警戒まで放り出すわけにはいかない。


だが。

だからといって、こちらから戦争の準備を始めていいわけではない。


「いい? 皆さん」


私は立ち上がった。


「勝手に兵を集めて、どこかへ攻め込むようなことは認めません。

私の許可なく軍事行動を起こすことも禁止。これは女公としての命令です」


諸侯たちは一斉に頭を下げた。


「承知いたしました」


「女公殿のご命令に従います」


「……そう。分かっていただければ結構」


よし。


今回はちゃんと伝わった。

私は少し安心した。


ところが。


「では、万一に備え、まずは各城の守備状況を確認いたしましょう」


「兵糧の備蓄についても調べておく必要がございますな」


「街道の警戒も強めるべきでしょう」


「…………」


私は黙った。


……いや。それは必要だと思う。


思うけど、なんだろう。

この、全員が一応こちらの命令には従っているのに、

着々と開戦準備が進んでいるような感じ。


「……皆さん、戦争する気じゃないでしょうね?」


「滅相もございません!」


即答だった。


「女公殿のご意向は承知しております。我らはあくまで、

不測の事態に備えるのみです」


「…………」


そう。


不測の事態への備え。

大事だよね。


リスクマネジメント。

危機管理。

前世の会社でも何度も聞いた言葉である。


でもさ。


「……なんで全員、そんなに嬉しそうなの?」


「は?」


「いや、何でもないわ……」


私は頭を抱えた。


どうにもおかしい。

私は戦争に反対している。

息子にも、諸侯たちにも、はっきり伝えた。

しかも、彼らは私の言葉を聞いていないわけではない。


”ちゃんと聞いている”


そのうえで、それぞれ自分の判断をしているのだ。

リチャードは、兄と協力して父親に対抗する道を考えている。

諸侯たちは、自分たちの土地と権利を守るために備えを進めている。

そして私は、できるだけ話し合いで解決したいと思っている。


全員、理由はある。

理屈もある。


だが、『目指しているものは同じではない。』


(……これ、もしかして)


私は嫌な想像をした。


リチャードが兄と合流する。

ルイがそれを歓迎する。

ヘンリーは息子たちの結束を警戒する。

諸侯たちは、反乱に備えて動き始める。


そして私は、そのリチャードを送り出した母親であり、

諸侯たちの訴えを受け入れている女公である。


「…………」


……あれ?


これ、外から見たらどうなる?


フランス王の側から見れば。


『アリエノールが次男を送り出した。息子たちを支援するつもりらしい』


ヘンリーから見れば。


『妻が息子たちの反抗を後押ししている』


諸侯たちから見れば。


『女公が若公を支持した。いざというときは我らも立ち上がるべきだ』


そして私。


『みんな仲良く話し合ってください』


「…………」


……一人だけ、議題が違くない?


いやいや、待て。

私は自分でリチャードを送り出した。

諸侯たちの要求にも耳を傾けた。

ヘンリーの方針にも反対した。


それは事実だ。

だから、政治的な意味があることも承知している。


承知しているのだが。


(……なんでそこから、全員が戦争の方向へ進んでいくのよ!?)


誰か止めて。

というか、止まって。

せめて一回、全員で認識合わせの会議をしようよ。


議事録も作ろう。

決定事項と保留事項を分けよう。

できれば責任者も明確にしよう。


……いや、責任者は嫌だな。

できれば私は外してほしい。


そんなことを考えているうちに、諸侯たちはそれぞれの城へ戻る支度を始めていた。


リチャードはすでに旅立った。

ヘンリーからは、まだ返事がない。

そして、パリではルイが何やら忙しく動いているらしい。


私は窓の外を見た。


穏やかな春の空。

いつもと変わらないポワティエの景色。


この土地で静かに暮らしたい。

息子たちにも、できれば穏やかな人生を送ってほしい。

ただ、それだけなのに。


「……ねえ」


私は誰にともなく呟いた。


「私の話、ちゃんと聞いてた人いる?」


返事はない。


……いたよね?

さすがに一人くらいは。


私はもう一度、今日のやり取りを思い返した。

リチャードは頷いた。

諸侯たちも頷いた。

全員、ちゃんと返事をした。


なのに。

誰も私の思っていた方向には進んでいない。


「…………」


そこで私は、ある恐ろしい事実に気づいた。


これまで私は、家庭内メガコーポ最大の問題は、

ヘンリーというワンマン社長が人の話を聞かないことだと思っていた。


だが、違った。


どうやら、この会社。

社長だけではなかったらしい。


「……お前ら全員、人の話を聞けぇぇぇぇ!!」


世界史八点ちゃん。

改善要望書を提出し、話し合いによる解決を求め、武力行使を明確に禁止した。


にもかかわらず。

周囲では、なぜか着々と反ジャイアン連合の結束が強まりつつあった。


……なお、本人は今でも、戦争に協力するつもりなど一切ない。

ただし、他人の目にどう映っているかについては

そろそろ本気で考え直した方がよさそうだった。

※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。


人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。


できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。

なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?

「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。


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