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『世界史8点の私に、アリエノール・ダキテーヌは荷が重い』 ~未来の夫も息子も、ろくなことをしないらしい~  作者: 雪森蓮


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作者幕間:アリエノールを幸せにしようとしたら、テューダー朝が消えた件

歴史改変の思考遊びです。飛ばしても本編にはかかわりません

今回は少し、本編から離れたお話を。


以前、とある読み配信で本作を取り上げていただいたことがある。

その際、最初の十話ほどを読んでいただいたところで、こんな趣旨の感想をいただいた。


「転生ものなのに、チートも無双も史実改変もないのは面白みに欠ける」


もちろん意訳である。実際にはもう少し違う言い回しだったと思う。


なるほど、と思った。


確かに、転生ものと聞けば、前世の知識を使って活躍したり、悲劇を回避したり、

歴史を変えたりする展開を期待する方もいるだろう。


ただ、そもそも本作は、そういう話として考えたものではなかった。


僕は別に歴史好きというわけではない。


たまたまアリエノール・ダキテーヌという女性の人生を知り、

その波乱万丈ぶりが面白かったので、これを何とか読みやすく、

できれば笑える話にできないだろうか、と考えたのである。


十二世紀のフランスやイングランドを舞台に、当時の政治や宗教、

封建制度を正面から説明し始めたら、書いている僕も読む方も大変なことになる。


そこで思いついたのが、現代日本人をアリエノール本人にしてしまう方法だった。

しかも、世界史の成績は八点。


歴史を知っていて未来を変えるのではなく、歴史を知らないからこそ、

その場その場で自分なりに考え、最善と思う行動を選ぶ。


そして、その結果が、なぜか史実のアリエノールの人生になってしまう。

これが本作の基本的な構想である。


したがって、史実を積極的に改変する予定はない。実際のアリエノールが行ったこと、

その結果として起きた大きな出来事は変えず、そこへ至る本人の思考を現代人のものに

置き換えてみよう、という試みなのだ。


もっとも、歴史上の人物の内心など、本人が詳しい日記でも残していない限り、

正確にわかるはずもない。


そこは創作である。


では、ここで一つ疑問が生じた。


もしも、八点ちゃんがアリエノールの人生をすべて知っていたら?

もしも、その知識を使って、積極的に史実を改変しようとしたら?


そう考えてみたところ、これが案外面白かった。


というわけで、今回は少々長くなるが、アリエノールの人生を改変した場合、

歴史がどう変わってしまうのかを考えてみたい。


なお、ここから先は完全な思考実験である。

史実として確認できる出来事と、そこから想像した仮定が入り交じるため、

その点はご了承いただきたい。


また、歴史改変ものを否定する意図もまったくない。


単純に、考え始めたら思いのほか大変なことになったので、

せっかくだから書き残しておこうというだけの話である。



◆その一 弟ギョームを助けてみる



まずは、アリエノールの幼少期から。


彼女にはギョームという弟がいた。

しかし、この弟は幼くして亡くなっている。

では、もし八点ちゃんが未来を知っていて、

何とか弟の命を救うことができたら?


幼い弟が亡くなるという悲劇を回避するのだから、

これは実にわかりやすい改変である。


めでたし、めでたし。


……とは、ならない。


なぜなら、弟ギョームが生きて成人した場合、

アキテーヌ公位の継承そのものが変わる可能性が高いからだ。


男子優先の継承が行われれば、アリエノールではなく弟がアキテーヌ公となる。


つまり、アリエノールは巨大なアキテーヌ公領の相続人ではなく、

アキテーヌ公の姉という立場になる。


もちろん、弟が生きているからといって、姉の政治的価値がなくなるわけではない。

弟に子供が生まれなければ、再び彼女の相続権が問題になる可能性もある。


しかし、少なくとも史実と同じ条件でフランス王家との婚姻が進むとは限らなくなる。


そもそも、ルイ7世との結婚が成立するかどうかもわからない。


アリエノールは別の有力諸侯に嫁ぐかもしれないし、

アキテーヌ周辺で一生を過ごすことになるかもしれない。


本人にとっては、むしろその方が平穏な人生になる可能性もある。


「だが、その場合はどうなるのか。」


ルイ7世は別の女性と結婚するかもしれない。

その結婚から生まれる子供も変わる。

アリエノールが後にヘンリー2世と結婚するかどうかも不明になる。


当然、史実のリチャードやジョンが生まれる保証もない。


……あれ?


弟を一人助けただけなのに、十二世紀の英仏王家の家系図が早くも怪しくなってきた。

しかも、弟ギョームが無事に成人したとして、

その後どのような人物になるかもわからない。


立派なアキテーヌ公になるかもしれないし、周囲の諸侯と争うかもしれない。


姉と仲良く暮らすかもしれないし、

相続や政治的な立場をめぐって対立する可能性だってある。


弟を救えば、アリエノールが必ず幸せになるとは限らないのである。


……歴史改変、開始早々から難易度が高い。



◆その二 父ギョーム10世を長生きさせてみる



では、弟の運命は史実どおりとして、父親の方を助けてみたらどうだろう。


アリエノールの父、アキテーヌ公ギョーム10世は、1137年に亡くなっている。

この父の死によって、アリエノールは若くして広大なアキテーヌ公領を相続することになった。

そして同年、フランス王子ルイと結婚する。


つまり、父親が亡くなったことは、アリエノールの人生を大きく動かした出来事の一つだった。


そこで、父ギョーム10世にもう少し長生きしてもらう。


これならどうだろう。

父親が健在であれば、アリエノールがすぐに公領を相続する必要はない。

政治的な責任を背負う時期も遅くなる。

父親の庇護のもとで成長し、結婚相手についても、

もう少し時間をかけて考えられるかもしれない。


しかも、父ギョームが生きている間に、

アキテーヌの将来について条件を整えておくこともできる。


これはなかなか良いのではないか。


ただし、ここでも問題はある。


父が長生きした場合、ルイとの結婚そのものが史実どおり成立する保証はないのだ。


1137年にはルイ6世も亡くなり、ルイ7世がフランス王に即位している。

結婚時期を遅らせれば、アリエノールは王子ではなく、

すでに即位した国王と結婚することになる。


当然、婚姻交渉の条件も変わるだろう。


しかし、ここでは仮に、父ギョームが存命のまま、

アリエノールとルイの結婚が少し遅れて成立したと考えてみる。


そして、さらにもう一つ改変を加える。



◆その三 ルイとの間に男子を二人産んでみる



ここからが、僕の考えた中では、アリエノールとルイの双方が

比較的平穏に暮らせそうな人生である。


史実のアリエノールは、ルイ7世との間に二人の娘をもうけている。


しかし、男子の後継者には恵まれなかった。

これが二人の婚姻関係にとって、政治的に大きな問題となった。


では、もし第一子が男子だったら?

しかも、第二子も男子だったら?


フランス王家としては、王位継承者とその予備が確保できる。

ルイにとっては、王朝の将来に対する大きな不安が解消されることになる。

アリエノールも、男子を産めない王妃という立場に追い込まれることがなくなる。


もちろん、男子が生まれたからといって、

夫婦の性格の不一致まで解消されるわけではない。


ルイの信仰心の強さや、アリエノールの気質が変わるわけでもない。

それでも、婚姻を維持する政治的な理由は格段に強くなる。


そして、ここでもう一つ重要なのが第二回十字軍である。


史実のアリエノールは、ルイとともに十字軍遠征に参加している。

しかし、父ギョームが長生きし、結婚時期も遅れ、

さらに幼い王子が二人いるとしたら?


アリエノールが遠征に同行せず、フランスに残るという選択には、

十分な合理性が生まれる。


もちろん、絶対に同行しないとは言えない。

だが、王位継承者を育てる王妃として、

宮廷に残る可能性は高くなるのではないだろうか。


そうなれば、史実で夫婦関係を悪化させた

アンティオキアでのレーモンをめぐる問題も、少なくとも同じ形では発生しない。


ルイが十字軍から帰国したとき、アリエノールは王子たちを育てながら、パリの宮廷で暮らしている。

しかも、父ギョームが存命であれば、アキテーヌとの関係も維持しやすい。

自分の周囲に南仏風の文化を取り入れ、

多少なりとも居心地の良い環境を整えることもできるかもしれない。


もちろん、フランス宮廷全体をアキテーヌ風に作り替えるのは難しいだろう。

しかし、身近な侍女や側近、生活習慣など、自分の裁量で変えられる部分はあるはずだ。


ルイにしてみれば、愛情を持っていた妻が、待望の王子たちとともに帰国を迎えてくれる。

アリエノールにしてみれば、父親の後ろ盾があり、子供たちがいて、故郷とのつながりも残っている。


性格の不一致はあっても、互いに折り合いをつけながら暮らすことは十分考えられる。


……おや?


これは案外、平穏な結婚生活になるのではないか。

さらに、父ギョームの死後、アリエノールがアキテーヌを相続したとしよう。


そして、長男にはフランス王位を、次男にはアキテーヌ公位を継がせる取り決めを行う。

これなら、フランス王家の継承も、アキテーヌの将来も、ひとまず道筋がつく。


無論、実際には継承慣行や諸侯の承認など、簡単には片づかない問題がある。


次男がアキテーヌ公となれば、フランス王である兄との封建的な関係も問題になるだろう。

兄弟仲が悪ければ、結局そこで争いが起きる可能性もある。


それでも、父ギョーム、ルイ、アリエノールが存命のうちに条件を整え、

二人の王子を育てられるなら、比較的安定した体制を作れるかもしれない。


アリエノールは故郷を守り、ルイは王位継承者を確保し、王子たちもそれぞれの立場を得る。


これまで考えた中では、かなり理想に近い人生である。


……ただし。


この場合、アリエノールはヘンリー2世と結婚しない。

当然、史実のリチャードもジョンも生まれない。


さらに、ルイとの間に生まれた長男が無事に王位を継げば、

史実のフィリップ2世がフランス王になることもない。


フランス王家の系譜が変わり、イングランド王家の系譜も変わる。

アンジュー帝国も、史実と同じ形では成立しない。


……ちょっと待ってほしい。


アリエノールとルイを幸せにしようとしただけなのに、英仏両国の歴史が根本から変わってしまった。


そして、この変化は十二世紀だけでは終わらないのである。



◆その四 ヘンリー一家を円満にしてみる


では、ルイとの離婚やヘンリー2世との再婚は、史実どおりにしてみよう。

アリエノールはヘンリーと結婚し、息子たちも史実どおりに生まれる。


若ヘンリー、リチャード、ジェフリー、ジョン。


ここまでは変えない。

そのうえで、アリエノールが家族の間をうまく取り持つことができたらどうなるだろう。


史実のヘンリー2世と息子たちの関係は、なかなか厄介である。

特に若ヘンリーは、父によって共同王として戴冠させられながら、

実際に自由に使える権限や収入を十分に与えられていなかった。


王様なのに、思うように政治ができない。

そりゃあ不満も出るだろう。


もちろん、だからといって反乱が正当化されるわけではない。

しかし、父子の対立には、単なる感情の問題だけではなく、具体的な政治的事情があった。


そこで、アリエノールが仲裁に入る。

若ヘンリーには、一定の統治権と収入を与える。

リチャードにはアキテーヌ、

ジェフリーにはブルターニュという既存の継承構想を尊重する。

ジョンにも、将来の地位について道筋を用意する。


そして父ヘンリーには、息子たちに実権を与えることが、

必ずしも自分の権威を失うことではないと納得してもらう。


……納得するだろうか、あのジャイアンヘンリーが。


ここが最大の難関である。

とはいえ、今回は思考実験だ。

奇跡的に全員が妥協点を見つけ、1173年の大反乱が回避されたと仮定しよう。


そうなれば、アリエノールが反乱に関与して長期間幽閉されるという展開も、

同じ形では起こらない。


夫婦関係が完全に円満になるかは別として、

少なくとも十数年に及ぶ幽閉生活を避けられる可能性がある。


これだけでも、彼女の人生はかなり違ったものになるだろう。


そして、若ヘンリーは史実どおり1183年に病死したとする。

病死まで都合よく回避する必要はない。


若ヘンリーの死後、次の王位継承者となるのはリチャード。


ここで再び問題になるのが、アキテーヌの扱いである。


史実のヘンリー2世は、リチャードからアキテーヌをジョンへ譲らせようとした。

しかし、リチャードにとってアキテーヌは、長く統治してきた重要な領地である。

簡単に手放せと言われても、納得できるはずがない。


そこで、アリエノールがジョンを呼び寄せる。


リチャードは将来イングランド王になる。

ならば、アキテーヌは兄弟で協力して統治してはどうだろう。

リチャードが公位と最終的な権限を保持し、ジョンが実務を担当する。

重要な判断は兄弟で協議し、アリエノールがその関係を支える。


もちろん、実際に共同統治を成立させるには、権限の分担や諸侯の承認など、

さまざまな問題を解決する必要がある。


しかし、兄弟が互いに信頼しているという前提なら、不可能な構想ではないだろう。


そして1189年、ヘンリー2世が亡くなり、リチャードがイングランド王となる。

ジョンはアキテーヌで統治経験を積み、兄を支える。


ここまでは、なかなか良い。


では、さらにもう一つだけ改変してみよう。


1199年、リチャードが死ななかったら?


史実のリチャードは、シャリュの城を包囲している際に石弓で負傷し、

その傷がもとで亡くなった。


しかし、ジョンがアキテーヌの統治を担っていれば、

リチャード自身が現地の紛争に介入する必要が減っていたかもしれない。


もちろん、必ず回避できるとは限らない。

だが、今回はリチャードが1199年を生き延びたと仮定する。


すると、ジョンの即位が遅れる。

あるいは、ジョンが王位につかない可能性も出てくる。


史実のジョン王の治世に起きた、大陸領の大規模な喪失も、同じ形では起こらないかもしれない。


1215年のマグナ・カルタ成立に至る政治的対立も、別の展開をたどる可能性がある。


もっとも、リチャードが長生きすれば万事解決というわけではない。

彼にも嫡出の後継男子はいなかった。

そのため、王位継承問題はいずれ再び浮上する。

ジョンだけでなく、兄ジェフリーの息子アーサーの存在も無視できない。


……結局、また家族会議が必要になる。


アリエノール、いつになったら休めるのだろう。


しかし、このルートには一つ大きな利点がある。


史実の子供たちを残したまま、家族間の争いを減らせることだ。


ルイとの男子二人ルートほど平穏ではないかもしれないが、

アリエノールが実際に産んだ子供たちの運命を、できるだけ穏やかなものにできる可能性がある。


……もっとも、ここでも後世の歴史は大変なことになる。



◆その五 百年戦争はどうなるのか



ここまで考えたところで、ふと気づいた。


あれ?

百年戦争はどうなる?


史実の百年戦争は、十四世紀に始まったイングランドとフランスの長期抗争である。


背景には、フランス国内に残されたイングランド王領をめぐる問題や、

フランス王位の継承問題などがあった。


しかし、ルイとの間に男子二人が生まれるルートでは、

そもそもアリエノールがヘンリー2世と再婚しない。


アキテーヌが史実と同じ形でイングランド王家の支配下に入ることもない。

さらにフランス王統そのものが変わる。

つまり、百年戦争の前提となった英仏関係が、大きく変化してしまうのである。


では、ヘンリー一家円満ルートならどうだろう。


こちらではアンジュー帝国が成立する。

しかし、1173年の反乱が回避され、リチャードとジョンが協力し、

リチャードが1199年を生き延びれば、イングランド王家の大陸領支配は

史実とは違った展開になる可能性がある。


ジョンの即位時期が変われば、その後の婚姻や王位継承も変わり得る。


そうなると、十四世紀のエドワード3世が史実どおりに誕生し、

同じ理由でフランス王位を請求する保証もない。


もちろん、英仏間の争いが完全になくなるとは限らない。

領土や宗主権をめぐる対立は、別の形で続くかもしれない。


だが、少なくとも僕たちが知っている百年戦争が、

同じ原因、同じ人物、同じ経緯で起きるとは考えにくい。


……アリエノールを少し幸せにしようとしただけなのに、

二百年後の戦争まで変わってしまった。



◆その六 薔薇戦争も怪しくなってきた



さらに、その先を考えてみる。

十五世紀のイングランドでは、ランカスター家とヨーク家が王位を争う薔薇戦争が起きている。


この両家は、いずれもエドワード3世の子孫である。

そして、エドワード3世の王統をさかのぼれば、ジョン王に行き着く。


つまり、ジョンが史実どおりに即位し、その子孫が同じ形で続くことが、

僕たちの知る薔薇戦争の重要な前提になっている。


ところが、今回の改変ではどうだろう。


ルイとの男子二人ルートでは、そもそもジョンが生まれない。


ヘンリー一家円満ルートでも、リチャードが長生きし、

王位継承が変われば、ジョンの子孫が史実どおりに王位を継ぐとは限らない。


もちろん、ジョン本人が王にならなくても、その子孫が後に王位を継ぐ可能性は残る。

しかし、数世代にわたる婚姻や継承の経緯まで史実と同じになる保証はない。


となると、ランカスター家とヨーク家による、あの薔薇戦争も、

同じ形では成立しない可能性が高くなる。


別の王位継承争いが起きるかもしれない。

もっと大きな内乱になる可能性だってある。

逆に、比較的平穏な時代が続くかもしれない。


そこはもう、わからない。


ただ一つ言えるのは、アリエノールの人生を変えた結果、

十五世紀のイングランド史まで書き直す必要が出てきたということである。


……そろそろ勘弁してほしい。



◆その七 そしてテューダー朝が消えた



薔薇戦争の末に成立したのが、テューダー朝である。


ヘンリー7世が王位を獲得し、その息子が、あのヘンリー8世となる。


ところが、ここまでの改変によって薔薇戦争の前提が崩れてしまった場合、

ヘンリー7世が史実どおりに王位を獲得するとは限らない。


そもそも、王家の婚姻や血統が何世代にもわたって変わっているのだから、

ヘンリー7世本人が史実どおりに生まれる保証すらない。


となれば、ヘンリー8世も怪しくなる。


……あれ?


ヘンリー8世がいない?


ということは、キャサリン・オブ・アラゴンとの離婚問題は?

ローマ教皇庁との決裂は?

英国国教会は?


ヘンリー8世によるローマ教皇庁からの離脱は、イングランドの宗教史を大きく変えた出来事だった。

もちろん、ヘンリー8世がいなければ宗教改革そのものが起こらなかった、というわけではない。


ヨーロッパ各地には宗教改革につながる動きがあり、

イングランドでも別の形で宗教的な変革が起きた可能性はある。


しかし、少なくとも僕たちが知っている英国国教会が、同じ経緯で成立したとは考えにくい。


さらに、エリザベス1世も史実どおりには生まれない。


そうなると、スペインとの対立はどうなるのか。


アルマダの海戦は?

スコットランドとの王位継承関係は?

その後のステュアート朝は?

清教徒革命や名誉革命は?


そして、イングランドの海外進出や植民地政策は?


……いや、待ってほしい。


僕はアリエノールを幸せにしようとしただけである。

なぜ、ここで近世イングランド史まで考えなければならないのか。


しかも、ここから先はイングランドだけの問題ではなくなる。


スコットランドとの関係が変われば、

後のグレートブリテン王国の成立にも影響する可能性がある。


海外進出の経緯が変われば、北米の歴史も変わる。

さらにその先の歴史まで考え始めたら、もはや収拾がつかない。


……アリエノール一人の平穏な人生と引き換えに、

世界史の教科書が何冊使えなくなるのだろう。



◆その八 まだ終わらない。娘と孫がいる



ここまで考えて、もう十分だろうと思った。


ところが、よく考えたら、今まで追いかけていたのは主に王位継承という太い流れだけである。

実際の歴史には、もっと多くの人間が関わっている。


例えば、アリエノールの娘たち。


ルイとの間に生まれたマリーはシャンパーニュ伯家へ、

アリックスはブロワ伯家へ嫁いでいる。


ヘンリーとの間に生まれた娘たちも、ヨーロッパ各地の有力な家門と婚姻関係を結んだ。


マティルダはザクセン公ハインリヒ獅子公へ。

エレノアはカスティーリャ王アルフォンソ8世へ。

ジョーンはシチリア王家へ嫁ぎ、後にトゥールーズ伯家へ再婚している。


つまり、アリエノールの子供たちの婚姻は、フランスとイングランドだけでなく、

ドイツやイベリア半島、シチリア、南フランスにもつながっている。


そして当然、彼女たちにも子供がいる。

その子供たちが、また別の王家や有力諸侯の家に嫁いでいく。

さらに、その子供たちも結婚する。


……待て。

これ、全部考えるのか?


例えば、アリエノールがルイとの間に男子二人を産んだ場合、

史実のマリーやアリックスは同じ形では生まれないかもしれない。


そうなれば、彼女たちの婚姻も変わる。

シャンパーニュ伯家やブロワ伯家との関係も変わる。


ヘンリーと結婚しなければ、マティルダもエレノアもジョーンも生まれない。

ザクセン公家やカスティーリャ王家、シチリア王家との婚姻関係も、史実とは別のものになる。


そして孫世代、そのまた次の世代へと影響が広がっていく。


しかも、史実で生まれなかった子供が、別の結婚によって生まれる可能性もある。

史実では存在しなかった人物が王位を継ぐかもしれない。

史実では成立しなかった同盟が生まれるかもしれない。

史実では起きなかった戦争が起こるかもしれない。


逆に、史実で起きた戦争がなくなるかもしれない。


つまり、一人の人生を変えるということは、その人物だけの運命を変えることではない。


その人物に関わる家族や子孫、婚姻相手、

さらにその先の人々の人生まで変えてしまうということなのだ。


しかも、ここまで考えたのは、あくまで大筋だけである。


実際には、王侯貴族だけでなく、領地に暮らす人々の生活や、

政治的な判断、経済活動、宗教上の問題まで絡んでくる。


もはや、どこまで考えれば終わるのかわからない。


……歴史改変、恐ろしい。



◆その九 では、史実を変えないのはつまらないのか



さて、ここまでいくつかの改変を考えてみた。


弟を助ける。

父を長生きさせる。

ルイとの間に男子を産む。

ヘンリーと息子たちを和解させる。

リチャードを長生きさせる。


どれも、アリエノールの人生を少しでも穏やかなものにできないだろうか、

というところから始まった思考実験である。


しかし、結果として、英仏の王位継承が変わり、百年戦争が変わり、

薔薇戦争が変わり、テューダー朝まで怪しくなった。


もちろん、歴史改変ものを書く場合、

何百年も先の未来まで考えなければならないというわけではない。


物語には物語の範囲がある。

主人公が生きている時代だけを描いてもいいし、その後の歴史を大胆に想像してもいい。

史実とはまったく違う世界を作り上げるのも、創作の楽しさの一つだろう。


ただ、今回考えてみて、改めて思ったことがある。


歴史を改変するというのは、単に都合の悪い出来事だけを取り除くことではない。

一つの出来事を変えれば、その先に続く別の出来事も変わる。


ある人物を助ければ、その人が本来いなかった場所に存在することになる。

ある結婚を回避すれば、その結婚から生まれるはずだった子供たちは生まれない。


その代わりに、別の人生が生まれるかもしれない。

そして、どちらが幸せな未来になるのかは、誰にもわからない。


アリエノールが平穏に暮らせる世界を作ったとしても、

その世界の人々が史実より幸せになるとは限らないのである。


だからといって、史実を改変することが悪いわけではない。

ただ、改変した先には、僕たちが知っている歴史とは違う世界が広がっている。


その世界をどう描くかも、作者の自由なのだと思う。


では、本作はどうするのか。


答えは、最初から変わっていない。


史実のアリエノールが実際に行ったこと、その結果として起きた大きな出来事は、基本的に変えない。

ただ、その行動に至るまでの思考を、世界史八点の現代人に置き換えてみる。


彼女は未来を知らない。

歴史を変えようとも思っていない。

目の前に問題が起きるたびに、何とかしようと考える。

そして、その場で最善だと思った行動を選ぶ。

結果として、それが史実のアリエノールの人生になっていく。


これが、本作でやりたかったことである。


そもそも、アリエノールの人生は、史実のままでも十分すぎるほど波乱万丈なのだ。


フランス王妃になり、十字軍に参加し、離婚し、イングランド王妃になり、

息子たちの反乱に関わり、長い幽閉生活を送り、その後も精力的に活動する。


これだけの人生を送った人物が、現代人の感覚で物事を考えていたら、

いったいどんな反応をするのだろう。


僕は、そこが面白いと思った。


別に歴史が好きだから書き始めたわけではない。


ただ、アリエノール・ダキテーヌという女性の人生が、あまりにも面白かったのである。


そして、どうせなら難しい歴史の話を、少しでもわかりやすく、笑いながら読めるものにしたかった。


そのための転生設定であり、世界史八点なのである。

もちろん、未来知識を駆使して歴史を変える物語を期待していた方には、

物足りなく感じられるかもしれない。


それはそれで、仕方のないことだと思う。

作品に何を求めるかは、読む方によって違うのだから。


ただ、少なくとも本作では、八点ちゃんに歴史を改変する使命を背負わせるつもりはない。


そんなことをさせたら、本人が真っ先に悲鳴を上げるだろう。

何しろ、世界史八点である。


ヘンリー8世の存在がどうなるかなど、考えたこともないに違いない。

というか、そもそもヘンリー8世を知っているかどうかも怪しい。


……いや、さすがに名前くらいは知っているだろうか。


どうだろう。

世界史八点だからなあ。


ともあれ、今回の思考実験でわかったことがある。

アリエノールを幸せにしようとすると、どういうわけか後世のイングランド史が大変なことになる。


ルイとの間に男子を産ませても駄目。

ヘンリー一家を円満にしても駄目。

弟を助けたら、そもそもルイとの結婚から怪しくなる。


そして、どの道をたどっても、数百年後の歴史まで考え始めると収拾がつかなくなる。


……というわけで。


世界史八点の彼女には、これからも目の前の問題を何とかすることだけ考えてもらおうと思う。


本人は歴史を変えるつもりなど、これっぽっちもない。

ただ、平穏に暮らしたいだけなのである。

それなのに、史実のアリエノールの人生を歩む以上、これからも次々と面倒事が降ってくる。


何とも気の毒な話だ。


もっとも、彼女が平穏に暮らせるよう歴史を改変したところで、その結果、

テューダー朝が消えたり、英国国教会が別物になったりする可能性があるのだから、

どちらが良いのかは何とも言えない。


歴史を改変するのは簡単だ。

だが、その後の歴史を史実どおりに維持するのは、恐ろしく難しい。


そして何より。

僕はただ、アリエノールの人生が面白かったから書いているだけなのだ。


世界史の教科書を全部書き直すつもりはない。


……勘弁していただきたい。


以上、世界史八点の主人公を書いている作者による、少々長すぎる思考実験でした。

※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。


人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。


できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。

なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?

「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。


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