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『世界史8点の私に、アリエノール・ダキテーヌは荷が重い』 ~未来の夫も息子も、ろくなことをしないらしい~  作者: 雪森蓮


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第82話:私は家族会議をしていたはずなんですが?(※反逆罪って何ですか)

こんなはずじゃなかったみたいな。

「……で?」


私は、目の前に並んだ男たちの顔をゆっくりと見渡した。


ここはポワティエの宮殿。

普段なら領地の運営や税の問題など、

それなりに平和な議題について話し合う場所である。


ところが今日は、どうも様子がおかしい。


円卓の上には大きな地図が広げられ、その周囲にはアキテーヌの諸侯たちが

集まっている。壁際には武装した騎士まで控えていた。


そして男たちは、やれ兵を集めるだの、どの城を押さえるだの、

誰が味方につくだのと、実に物騒な相談をしている。


私はもう一度、全員の顔を見渡した。


「……ちょっと確認していい?」


「何でしょう、女公殿」


「なんで私が、反乱軍の現地最高責任者みたいになってんの?」


沈黙……

誰も答えない。


いや、正確には全員がこちらを見ている。

ものすごく真剣な顔で。


「我らは女公殿のお考えに従うまでです」


「いや、だからね?」


「アキテーヌの権利を守るためならば、我らも覚悟はできております」


「ちょっと待って。その覚悟って何の覚悟?」


「無論、戦う覚悟にございます」


「…………」


ああ…ダメだ。

会話がもう完全に戦争する人たちのそれだ。


私は天井を仰いだ。

ついこの間まで、私は息子たちと夫のギスギスした関係を

どうにかしようとしていたはずなのだ。


父親が全部決める

息子たちはそれが気に入らない

母親は間に挟まれて胃が痛い


よくある家庭内トラブル。

いや、王族なので多少規模は大きいが、

基本的にはそれだけの話だったはずである。


それがどうして。


「……私、家族会議をしたかっただけなんだけど」


誰にともなく呟いた。

すると、諸侯の一人が深々と頷いた。


「まさしく。我らも長く話し合いによる解決を望んでおりました」


「そう! そうなのよ!」


やっと話の通じる人がいた。

私は思わず身を乗り出した。


「だから、まずは落ち着いて――」


「ですが、もはや言葉だけでは通じぬ相手と心得ております!」


「最後まで聞け!!」


思わず声を上げてから、私は深く息を吐いた。


……いや。

そういう私だって、あの暴走戦車には散々腹を立ててきたわけだが。


”ヘンリー二世”

我が夫。

アンジューの巨大怪獣。


本人は優秀だ。

それは認める。

政治も軍事も、並の人間では到底真似できないほどの能力がある。

判断は早いし、仕事もできる。


ただし、”人の話を聞かない”。


これが致命的なのだ。

前世の会社にいたら、確実に部下が大量退職するタイプのワンマン社長である。


しかも、今回ばかりは私だけが怒っているわけではなかった。


若アンリ

リチャード

ジェフリー


それぞれに、それぞれの不満がある。

私はその話を聞き、夫にも意見した。

どうにか互いに歩み寄れないかと考えた。


ところが、あいつは譲らない。

息子たちも譲らない。

おまけに若アンリは、よりによって私の元夫であるルイ七世のところへ逃げ込んだ。


そこまでは分かる。

問題は、そのあとだった。


私は円卓の地図を見下ろした。

あちこちに印がつけられている。


城。街道。諸侯たちの領地。

そして、それぞれがどちらの立場にあるのか。


「……ねえ」


「はい」


「これ、もう本当に戦争する前提で話してない?」


男たちは顔を見合わせた。

何を今さら、と言わんばかりの表情だった。


やめろ。

その顔をやめろ。


「女公殿も、我らの権利を守るとお約束くださいました」


「……言ったね」


「若君たちのお立場についても、支持をお示しになりました」


「……うん」


「国王陛下のなさりようには、女公殿ご自身も異議がおありと」


「…………」


私は口を閉じた。


そう。

言った。確かに言った。

それどころか、もっといろいろ言った気もする。


あのパワハラ野郎とか、

人の話を聞けとか、

お前の会社じゃないんだぞとか。


……最後のやつは、意味が通じなかったかもしれないけれど。


とにかく。

私は自分の意思でヘンリーに異議を唱えた。


誰かに騙されたわけではない。

知らないところで勝手に名前を使われたわけでもない。


息子たちの不満には理由があると思った。

アキテーヌの諸侯たちの訴えも、無視していいものではなかった。


そもそもアキテーヌは、私が父から受け継いだ土地だ。

ヘンリーと結婚したからといって、何もかも夫の都合だけで

決められていいとは思わない。


そこは今でも変わっていない。


ただ……

一つずつなら筋が通っていると思えた判断も、

こうして並べてみると、別の意味を持ち始める。


息子たちを支持する

アキテーヌの諸侯たちの権利を守る

夫の要求を拒む

そして、”武装した諸侯たちが私のもとに集まっている”


私は地図から顔を上げた。


「……なるほどね」


ようやく理解した。

これはもう、単なる夫婦喧嘩ではない。

相手はイングランド王であり、

ノルマンディー公であり、アンジュー伯でもある。


そして私はアキテーヌ女公。


それぞれに土地があり、諸侯がいて、兵がいる。

私たちが争えば、そこに暮らす人々まで巻き込むことになる。


前世の夫婦喧嘩とは違う。

食器を割って済む話ではない。

……いや、前世でも食器は割っちゃダメだが。


(現代語でいうところの、これって……)


反逆。

反乱への加担。

場合によっては国家に対する重大な裏切り。


(……反逆罪ってやつじゃないの?)


私は思わず額を押さえた。


まいった。

これは本当にまずい。

もちろん、ヘンリーに逆らえばただでは済まないことくらい分かっていた。

まして息子たちを支持すると決めた時点で、

政治的な意味を持つことだって理解していた。


四十年以上この時代で生きてきたのだ。


王妃も二回やった。

十字軍にも行った。

諸侯たちの思惑や、王家同士の面倒な駆け引きも見てきた。

今さら何も知りませんでした、で済むはずがない。


ただ、

”ここまで大きな騒ぎ”になるとは思っていなかった。


夫に異議を唱えることと、実際に兵が動き、人が死ぬかもしれない事態になること。

頭では分かっていたはずの二つが、目の前の地図の上でつながってしまった。


私はしばらく黙っていた。

それから、もう一度男たちを見渡した。


彼らにも、それぞれ守りたいものがある。

家。土地。権利。長く受け継いできた慣習。

そして、彼らなりの誇り。

私にとって大切なアキテーヌは、この人たちにとっても故郷なのだ。


だから簡単に、


「やっぱりやめます」


とは言えない。

そんなことをすれば、今度は私が彼らを裏切ることになる。


「……女公殿?」


一人が心配そうに声をかけてきた。

私はゆっくり顔を上げた。


「……今からでも、話し合いで収める道はないのかしら」


男たちは顔を見合わせた。


やがて、年長の諸侯が静かに答えた。


「それは、国王陛下が我らの訴えに耳を傾けられるかどうかにかかっております」


「……そうね」


私も、そう思う。

あの男が簡単に折れるなら、そもそもこんな事態にはなっていない。

けれど、だからといって戦うしかないと決めつけていいわけでもなかった。


私はもう一度、地図へ視線を落とした。

そこには、私が子どもの頃から知っている土地が広がっている。


父と歩いた場所。

祖父の歌が聞こえていた場所。

母と妹と暮らした場所。

知らない世界に放り込まれ、帰りたいと泣いていた私が、

いつの間にか”帰る場所”だと思うようになった土地。


【アキテーヌ】


私の故郷。


ここを守りたいと思ったことまで、間違いだったとは思いたくない。

息子たちを守りたいと思ったことも。


ただ、そのために何をするべきだったのか。

本当にこれしか方法がなかったのか。

今になって考えても、簡単には答えが出なかった。


「……少し、考えさせて」


私はそう告げた。


諸侯たちは黙って頭を下げた。


誰も急かさなかった。

けれど、待ってくれる時間がそれほど長くないことくらい、

私にも分かっていた。


夫は動く。

息子たちも動く。

そして、その動きを見ている周辺の王や諸侯たちも、それぞれの判断を下す。

私が何もしなくても、状況は進んでいく。


私は椅子の背にもたれ、深く息を吐いた。


「……どうしてこうなったんだか」


いや…


”どうしてこうなったのか”


それは、私自身が一番よく知っているはずだった。

私は騙された被害者ではない。

誰かに無理やり担ぎ上げられただけの人間でもない。

その時々で、自分が正しいと思う選択をした。


少しずつ、

一つずつ、

そうして積み重ねた結果が、今ここにある。


そして、その選択の責任から逃げるつもりもなかった。

ただ、何もかも納得しているかと聞かれれば、話は別である。


そもそも、

最初はこんな大騒ぎになるはずではなかったのだ。


あれは、若アンリがルイのもとへ逃げたという知らせが届いて、

間もない頃のことだった。


私はまだ、どうにか話し合いで収拾がつくと思っていた。


何しろ相手は夫である。

性格は最悪だが、話せば理解はする男だ。

……理解したうえで自分の意見を曲げないだけで。


「……あのジャイアンめ」


私は小さく呟いた。

世界史八点の私が、なぜ夫に反旗を翻す側へ回ることになったのか。

まずは、そこから整理する必要がありそうだった。


――話を、少し戻そう。


まだ私が、この揉め事を家族の問題として収められると思っていた頃へ。


もっとも、今にして思えば

その時点ですでに、手遅れだったのかもしれない。

※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。


人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。


できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。

なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?

「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。


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