第80話:ねえチャッピー、これまだ中盤なの?
いずれ8点ちゃんは草葉の陰で「ジョン!お前だけは絶許(# ゜Д゜)」となるであろう
息子たちが揃って父親への不満を爆発させ、
若アンリに至っては元夫ルイ七世のところへ駆け込んだ。
ポワティエの宮殿には、これまでにない種類の不穏な静けさが漂っている。
”嵐の前”
まさにそんな空気だった。
私は執務室で一人、ワインの瓶をラッパ飲みしたい衝動を必死で抑えながら、
机に額を押しつけていた。
「……待って」
一度、顔を上げる。
「ちょっと待って。タイム。ここで一回、業務棚卸しさせて」
誰もいない部屋で、私は両手を使って虚空に大きなTの字を作った。
誰に向けているのかは、自分でも分からない。
とにかく一回止まりたい。
人生を。
「まず十字軍」
指を一本立てる。
「生還しました」
二本目。
「十五年くらいやった最初の結婚、終了しました」
三本目。
「アキテーヌ、ちゃんと持って帰りました」
四本目。
「帰宅途中、拉致されかけました」
五本目。
「二か月後、年下の暴走戦車と再婚しました」
もう片方の手を使う。
「王妃二周目やりました。子ども死ぬほど産みました。
夫婦仲はいい感じに冷えました。
今、息子たちは父親相手に国家規模で反抗期へ突入しました」
指が足りない。
私は両手を見つめた。
「…………」
そして天井を仰いだ。
「ねえ。これ普通、大河ドラマなら最終回直前じゃない???」
人生を振り返る主人公。
夕日。
静かな音楽。
『色々あったわね』
からのエンドロール。
もうそういうところじゃないの?
なのに現実はどうだ。
息子たちは父親にブチギレ
元夫は現夫の息子を受け入れ
周辺諸国は何やら兵を動かし始め
どう考えても画面右下に、
『第二部 大反乱編』
とか出てきそうな空気である。
「待って待って。これ私、このまま走っていいやつ?
一回路肩に止まってJAF呼んだ方がいいやつじゃない?」
完全にパニックになった私は、机の上へ手を伸ばした。
何もない。
分かっている。
でも指だけは勝手に動いた。
前世で何千回とやった動作。
検索窓を開く
脳内で
『アリエノール・ダキテーヌ このあと』
検索
『ヘンリー二世 息子 反乱 結末』
検索
『アリエノール 人生 いつ落ち着く』
検索
結果
【圏外】
「圏外!!!!」
知ってた。
知ってたよ!!
十二世紀だぞ!!
電波どころかコンセントもないよ!!
「Google先生ぇぇぇぇ!! 一回だけでいいから繋がってぇぇぇぇ!!」
当然、返事はない。
そもそも仮に奇跡的に検索窓が開いたところで、
私が前世で覚えていた世界史の知識なんて八点分しかない。
ローカルキャッシュすら空っぽだ。
そして。
限界を迎えた私の脳は、ついにもっとヤバいものを召喚した。
「……チャッピー」
虚空を見る。
「おいチャッピー。いるんだろ。いつもなんかそれっぽいこと言うAI」
もちろんいない。
でも、私の脳内では、それっぽい丁寧な声が聞こえた気がした。
『ご用件をお聞かせください』
「私、このあとどうなる!?」
『申し訳ありません』
嫌な予感。
『十二世紀のポワティエでは、インターネット接続をご利用いただけません』
「知ってるよバカ野郎ぉぉぉぉぉぉ!!」
私は机を叩いた。
「オフラインでも何とかしろ!! AIだろ!?
こういう時こそ何かそれっぽい予測出せよ!!」
脳内チャッピーは冷静だった。
『手元の情報が不足しています』
「私の人生そのものが手元の情報だろうが!!」
『世界史八点では、精度の高い回答が困難です』
「ぐっ……!」
正論だった。
幻覚に正論で殴られた。
私は机へ突っ伏した。
「……もう嫌」
しばらくそのまま転がっていたが、やがてふと、自分の手を見た。
そこでもっと嫌なことに気づいた。
「……待って」
私、今何歳だ?
五十?
六十?
いや。
まだ四十代前半。
中世なら十分いい年ではある。
でも前世基準なら、まだ普通に働いている年齢だ。
定年には遠い。
子どもたちだって、まだ全員が完全に独立した大人というわけではない。
アンリなんて、まだ四十にもなっていない。
あの体力オバケが、あと何年現役で暴走するのか考えたくもない。
そしてパリには
「……フィリップ、まだ子どもじゃん」
元夫ルイの息子。
あの、父親と一緒に地図を見ながらアンリの巨大な勢力を覚え始めている少年。
まだ子ども。
まだこれから育つ。
そこで私の頭の中で、何か嫌な音がした。
カチッ。
パズルのピースがはまる音。
「……え?」
私はゆっくり顔を上げた。
「じゃあこれ……本当に、まだ中盤なの?」
嘘だろ。
私はもう人生三周分くらいイベント消化したつもりなんだけど。
十字軍行ったぞ
離婚したぞ
再婚したぞ
王妃二回やったぞ
子ども十人産んだぞ
「これ以上、何をやらせる気なの!?」
誰に聞いているのか分からない。
神か。
歴史か。
開発スタッフか。
「トロフィーほぼコンプリートした気になってたんだけど!?
総プレイ時間どうなってんのこのゲーム!!」
四十年以上生きてまだ終盤ですらない可能性がある。
その事実に気づいた瞬間
私は心底、疲れた。
「もうログアウトしたい……」
その時だった。
とてとて、と小さな足音が聞こえた。
「母上?」
振り返る。
乳母に手を引かれて、一人の幼い男の子が部屋へ入ってきた。
末っ子”ジョン”である。
「あら、ジョンちゃん」
荒み切っていた心が、一瞬で緩んだ。
まだ小さい。
兄たちの騒動など何も知らない顔で、こちらを見ている。
私は椅子から降りると、ジョンの前にしゃがみ込んだ。
「どうしたの?」
「母上に会いに来ました」
「あらぁ〜〜〜」
かわいい。
何この生き物。
兄たちはもう、父親だの領地だの王冠だのと物騒な話しかしない。
なのにこの子は。
ただ母親に会いに来ただけ。
癒やし。
圧倒的癒やし。
私はジョンを抱き寄せた。
「ああ〜〜、ジョンちゃんはいい子ねぇ」
柔らかい頭を撫でる。
「お兄ちゃんたちみたいに、お父さんと大喧嘩なんかしちゃダメよ?」
ジョンは私の胸元で顔を上げた。
「はい」
「家族とは仲良くね?」
「はい、母上」
「偉い!」
私はぎゅっと抱きしめた。
「もう本当に、末っ子だけが癒やし……」
ジョンはまだ何も知らない。
父親の巨大な領地も。
兄たちの不満も。
誰がどこを継ぐのかも。
今のところはただの幼い末っ子だ。
私はその頭を撫でながら、心の底から安堵した。
「よし」
大丈夫。
上三人はいろいろ面倒なことになっている。
でも。
「末っ子だけは安心ね」
そう思った。
心の底から。
この幼い末っ子が、やがて「領地なし」の名で知られ。
兄たちの死後、イングランド王となり。
フランス王フィリップとの争いの中でノルマンディーをはじめとする大陸の主要所領を失い。
国内では諸侯との対立を深め、ついにはマグナ・カルタを受け入れることになるとは。
もちろん世界史八点の私が知るはずもなかった。
今の私に分かっているのは。
腕の中にいる末っ子が、兄たちよりずっと小さくて
まだ何も問題を起こしていなくて
ものすごくかわいい
それだけだった。
「ジョンちゃんは、このままいい子に育ってねぇ」
私は笑った。
ジョンも笑った。
この時の私には
それが、とんでもなく巨大なフラグだなんて知る由もなかったのである。
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




