第79話:この家族、全員それぞれ違う理由で父親にキレている
全部ヘンリーのせい
ポワティエの宮殿には、ここ最近、妙に重たい空気が漂っていた。
少し前までなら、庭からリチャードの笑い声が聞こえ、私は葡萄酒を飲みながら、
「いやー、ようやく人生も落ち着いたわ」
などと言っていたはずなのに
『どうしてこうなった』
私は机に広げた羊皮紙を眺めながら、額を押さえた。
そこには、最近あちこちから届いた息子たちの不満を、自分なりにまとめてある。
【若アンリ】
王冠を与えられ、周囲からも「王」として扱われるようになった。
ところが、実際に自由にできる領地や収入については、父親がしっかり握ったままだ。
本人からすれば、
「だったら私は何のための王なんですか」
である。
【リチャード】
アキテーヌとの結びつきは日に日に強くなり、
本人もすっかり自分の居場所として意識している。
その一方で、父親は当然のように、
「全体のためにはこうしろ」
「ここの諸侯はこう扱え」
と口を出してくる。
リチャードからすれば、
「俺に任せると言ったくせに、なんで結局全部親父が決めるんだ」
である。
【ジェフリー】
ブルターニュとの婚姻によって、将来の立場は見えてきた。
けれど、それもまた本人が自分で選び取ったというより、
父親が巨大な家族経営の組織図に組み込んだ結果だ。
ジェフリーにもジェフリーなりに、
「俺は父上の計画表の一行ではない」
という思いが芽生え始めているらしい。
そして私。
「…………」
私は羽ペンを置いた。
「この家族、全員それぞれ違う理由で父親にキレてるじゃないのよ……」
見事なくらい、理由が違う。
なのに、矛先だけは同じだ。
”ヘンリー二世”
我が夫。
アンジューの暴走戦車。
家庭内メガベンチャーの創業者兼CEO兼人事部長兼財務部長兼最終決裁者。
要するに全部あいつ。
「母上」
若アンリが、抑えきれない苛立ちを滲ませながら口を開いた。
「私は、いつまで待てばいいのです」
「何を?」
「父上が、本当に私を王として扱う日です」
私は言葉に詰まった。
「王冠はあります。諸侯の前では王と呼ばれます。それなのに、
自分で治められるものはほとんどない。
何かを決めようとすれば、結局父上の許可が必要です」
「……まあ、その辺はね」
「私は子どもではありません」
「そう思う年頃なのは分かる」
「年頃ではありません!」
怒られた。
十八にもなれば、本人からすれば立派な大人だ。
しかも王冠まで被っている。
そこで、
「でも実際の仕事はお父さんの指示に従ってね」
と言われ続ければ、そりゃ面白くないだろう。
私は若アンリをなだめながら、
「一度、ちゃんと話し合いましょう」
と言った。
まだ私は甘かった。
所詮は家族の問題だと思っていた。
父親が少し譲る
息子が少し我慢する
母親が間に入る
それでどうにかなる
前世の職場で散々見てきた、面倒な上司と不満を抱えた
若手の仲裁みたいなものだと、そう思っていた。
だから私は、ヘンリーへ手紙を書いた。
若アンリの不満
リチャードの不満
ジェフリーの立場
そして私自身の意見
少しは本人たちに任せるべきではないか。
全部を自分一人で握り続ければ、かえって関係が悪くなる。
かなり丁寧に書いた。
我ながら大人だった。
数日後返事が来た。
私は読み終えた。
もう一度読んだ。
三度目は途中でやめた。
「…………」
そして。
「人の話を聞けパワハラ野郎ォォォォォ!!」
手紙を机へ叩きつけた。
要約すると、
『まだ早い』
『私が生きているうちは私が決める』
『若者はまず従って学べ』
である。
「だからそれをやってるから揉めてんでしょうが!!」
私は頭を抱えた。
あいつのものは、あいつのもの。
息子たちの将来も、あいつが決める。
私のアキテーヌの扱いも、最終的には自分の大きな構想の中で考える。
「俺のものは俺のもの、みんなのものも俺のものって、
それをジャイアンって言うんだよ!!」
もちろん、ヘンリーにも理屈はある。
自分はまだ現役だ
息子たちは若い
今すぐすべてを分け与えてしまえば、まとまりがなくなる
巨大な所領群を維持するには、強い中心が必要だ
そこまでは分かる。
分かるのだが。
「だからって本人たちの気持ちを全部無視していい理由にはならんのだよ!」
嫌な予感がした。
ものすごく嫌な予感が。
そして、それは数日後現実になった。
「王妃陛下!」
使者が、ほとんど転がり込むように部屋へ入ってきた。
「若アンリ殿が、父王のもとを離れられました!」
「…………は?」
「フランスへ向かわれたとのことです!」
「…………え?」
私はゆっくり立ち上がった。
「フランス?」
「はい」
「誰のところ?」
使者が、一瞬だけ言いにくそうな顔をした。
「……フランス王、ルイ七世陛下のもとへ」
「…………」
脳が止まった。
若アンリ:
現夫ヘンリー二世の息子
ルイ七世:
私の元夫
私は両手で顔を覆った。
「なんで元旦那が、現夫の息子を保護してんの!?」
何この相関図。
昼ドラでももう少し整理するだろ。
前夫と現夫と息子が、国家を巻き込んで三角形を作るな。
しかもルイからすれば、若アンリを受け入れる理由は十分にある。
ヘンリー二世は、長年フランス王権にとって無視できない巨大な存在だった。
その息子が、自分から父親との亀裂を抱えてやって来た。
フランス王が、
「いやいや、ご家庭のことですから」
と丁寧に送り返してくれると思う方がおかしい。
「……ルイ」
私は遠い目をした。
昔はあんなに、
「神よ……」
とか言いながら何でも祈っていた男なのに。
こういう政治的な好機には、ちゃんと王様として反応するようになったらしい。
現場猫、成長したな。
いや、感心してる場合じゃない。
その直後から、事態はさらに転がり始めた。
若アンリだけでは終わらなかった。
リチャードも動いた。
「兄上だけ行かせておけるか」
父親への不満は、若アンリとは違う。
リチャードにとって大事なのは、アキテーヌだった。
自分が母とともに過ごし、自分の居場所だと思うようになった土地。
そこへ父親が当然のように口を出してくることへの反発は、
年齢とともに強くなっていた。
ジェフリーもまた、父親の大きな計画に従うだけでは満足しなくなっていた。
三人とも理由は違う
欲しいものも違う
考えていることも違う
ただ一つ、
「父上の言う通りにしていればいい」
という状態から抜け出したいという点だけが、妙に一致していた。
「待って」
私は頭を抱えた。
「若アンリがグレたからって、なんで全員ついていくのよ!?」
さらに
家族の亀裂を見ていたのは、家族だけではなかった。
フランス王
フランドル伯
ブロワ伯
そして北では、スコットランド王
それぞれが、それぞれの理由でヘンリー二世と争う機会を探している。
若アンリの不満に同情している者もいる。
ヘンリーの力を削ぎたい者もいる。
自分の失った領土や権利を取り戻したい者もいる。
目的はバラバラ。
なのにヘンリー二世にとっては、全部まとめて敵になる。
「…………」
私は机に突っ伏した。
「家族会議で何とかなると思ってたのに……」
いつの間にか、
父親と息子の揉め事が
夫婦の領地問題が
兄弟それぞれの不満が
周辺諸国の思惑と結びついていた。
ただの家庭内トラブルだったはずなのに
気がつけば、西ヨーロッパのあちこちで兵が動き始めている。
「なんで親子喧嘩に周辺諸国が総出で参戦してくるのよ……」
もうスローライフどころではない。
家庭内メガベンチャーの空中分解(大反乱)。
「……これ、どうやって収拾つけるの?」
誰に聞いても答えてくれない。
そして私はまだこの時
この大騒ぎの中で、自分自身がどこまで深く巻き込まれることになるのか。
”まるで分かっていなかった”
※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。
人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。
できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。
なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?
「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。




