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『世界史8点の私に、アリエノール・ダキテーヌは荷が重い』 ~未来の夫も息子も、ろくなことをしないらしい~  作者: 雪森蓮


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第77話:よし、あとはアキテーヌで静かに暮らそう(※静かに暮らせるとは言っていない)

8点ちゃん、まだまだこれからだよ!(ΦωΦ)

ポワティエの宮廷のテラスには、今日も心地よい南の風が吹き抜けていた。


庭では、すっかり背の伸びたリチャードが、

現地の騎士たちを相手に木剣を振り回している。


「まだまだ! もう一本だ!」


声も動きも、もう幼い子どものそれではない。

言葉もすっかり土地に馴染み、アキテーヌの騎士や諸侯たちと話す姿にも

違和感がなくなってきた。


私はテラスの椅子に腰かけ、手元の杯を傾けた。


「……平和だ」


葡萄酒を一口。


美味い。

とても美味い。


ロンドンにいた頃の湿った空気と、毎日どこかで起きていた家庭内騒乱を思い出すと、

これだけで寿命が伸びる気がする。


「アンリは北で好きに暴走してるけど、こっちはこっちで回ってるしね」


もちろん、完全に放っておいてくれるわけではない。


時々、手紙が来る。


誰それと話せ

誰それをなだめろ

どこの諸侯が怪しい

いくら必要だ


忙しい…

ものすごく忙しい…。


ただし、その忙しさの大半を引き受けているのはアンリ本人である。


あの男は、相変わらず止まらない。

イングランドへ行ったと思ったら大陸へ戻り、

ノルマンディーにいると思ったら次はアンジュー。


落ち着いて座っている姿を見る方が珍しい。


「まあ、好きでやってるんだからいいでしょ」


私はまた葡萄酒を飲んだ。


子どもたちも大きくなってきた。

リチャードは南の土地によく馴染んでいる。


上の子たちも、それぞれ少しずつ大人になっている。

そして私自身も、気づけばもう40を過ぎている。


「…………あれ?」


杯を片手に、私はふと止まった。


「私の人生、もしかして……もう大きなイベント全部終わったんじゃない?」


ちょっと待て。

一度、整理してみよう。


・十代で父が亡くなった

・アキテーヌ女公になった

・そのままフランス王子と結婚して、気がつけば王妃になった

・主に発注書を切る現場猫と十字軍に行った

・山で死にかけた

・砂漠でも死にかけた

・アンティオキアで夫婦関係がほぼ終了した

・帰ってきた

・離婚した

・帰宅途中で拉致されかけた

・その二か月後、年下の暴走戦車と再婚した

・そいつがイングランド王になった

・二周目の王妃になった

・子どもをたくさん産んだ

・一人は亡くした

『そして気がつけば、

夫は西ヨーロッパのあちこちに手を伸ばす巨大勢力の中心人物になっている』


「…………」


私はしばらく黙った。


「もう十分じゃない?」


自分でも引くくらい濃い。


前世の人生だったら、この中のどれか一つでも一生擦れる。

なのに今の私は、それを全部経験して、なお普通に葡萄酒を飲んでいる。

我ながら丈夫になったものだ。


「これ以上、私の人生に何があるのよ」


思わず笑った。


”もう大きな山場は終わった”


そう思うと、急に肩の力が抜けた。


「この先はアキテーヌを見て、葡萄酒飲んで、

たまに子どもの喧嘩止めてればいいんじゃない?」


いい。

すごくいい。


王妃業も長い。

子育てもかなりやった。

国家規模のトラブルも十分経験した。


そろそろ穏やかな後半戦に入っても許されるはずだ。


「よし。これからは南で優雅に暮らそう」


完璧である。

私はそう結論づけて、満足げに杯を持ち上げた。


◆


その頃、パリ。


数年前より少し背が伸びたフィリップは、父ルイ七世の執務室で地図を眺めていた。


以前はただ

「アンリという人はずいぶん土地を持っている」

としか分からなかった。


けれど、今は少し違う。


地名も読める。

人の名前も分かる。

誰と誰が婚姻で結びついているのかも、少しずつ理解できるようになってきた。


「父上」


「どうしたんだい?」


書類に目を通していたルイが顔を上げる。


フィリップは地図の西側を指した。


「ここ」


「ブルターニュだね」


「はい」


フィリップは地図と手元の記録を見比べた。


「アンリ殿のご子息が、ここの娘と婚約しているのですよね?」


ルイの表情が、ほんの少しだけ固くなった。


「……そうだね」


「ということは」


フィリップはしばらく考えた。


「今度は、ご子息を通してブルターニュとも結びついたんですね」


「そういうことになる」


ルイは静かに答えた。


そして、いつものように、無意識に腹へ手を置いた。

フィリップはそれを見逃さなかった。


「父上」


「うん?」


「またお腹が痛いのですか?」


「……少しだけ」


「アンリ殿を見るといつも痛くなりますね」


「地図の上で見るだけでもね」


ルイは苦笑した。

フィリップは再び地図へ向き直る。


「父上は、この人が何をするか、ずっと見ているんですね」


今度はルイが少し驚いた顔をした。


「よく覚えていたね」


「前にも言っていました」


「そうだったね」


ルイは椅子の背にもたれ、しばらく地図を眺めた。


「見ていなければならない相手なんだ」


「どうしてですか?」


「力があるからだよ」


ルイは言葉を選んだ。


「土地も多い。家族も多い。そして、その家族を使って新しい土地と結びついていく。

だから、次にどこへ手を伸ばすのか、知らないままではいられない」


フィリップは黙って聞いていた。


そこに怒りはなかった。

憎しみもない。

ただ、”理解しようとしている”。


「アンリ殿は、父上の敵なのですか?」


「それも、簡単には言えない」


ルイは少し笑った。


「時には敵になる。時には交渉する。時には同じものを望むこともある。

王という仕事は、誰が敵で誰が味方かを、一度決めたら終わりというわけではないんだ」


「面倒ですね」


「とても面倒だよ」


フィリップはしばらく考えてから、また地図を見た。


「だから、見ているんですね」


「ああ」


「ずっと」


「ああ」


少年はそれ以上何も言わなかった。


アンリを倒そうとも

土地を奪おうとも

父の代わりに何かしてやろうとも

まだ、そんなことは考えない。


ただ

父が何年も見続けているものを、自分も見るようになった。


それだけだった。


◆


再び、ポワティエ。


「ぷはーっ、美味い!」


私は杯を置いた。


庭では、リチャードが騎士相手に勝ったらしく、大笑いしている。


「俺の勝ちだ!」


「調子に乗るなー! 怪我だけはするんじゃないわよ!」


私が声を飛ばすと、リチャードが手を上げた。


その姿を見て、私は満足した。


「いやー、ようやく私の人生も落ち着いたわ」


本気でそう思った。


修羅場は全部くぐり抜けた。


子どもたちも育ってきた。

アンリはアンリで忙しくしている。

私はアキテーヌにいる。


もう十分だ。


この先は、子どもたちが大人になるのを見ながら、少しずつ穏やかに歳を取っていけばいい。


でも、人生というものは

こちらが勝手に「そろそろ最終章かな」と思っていても

向こうには、向こうの都合があるらしい。


そんな当たり前のことを、この時の私は、まだ知らなかった。

※本作は、実在の人物・史実をもとにしたフィクションです。


人物の年齢、出来事の時期、当時の習慣や文化などは、史料によって諸説あるものも多く、物語として読みやすくするために一部再構成・創作を含みます。


できるだけ当時の空気を大切にしつつ、主人公は相変わらず世界史8点のまま進みます。

なお、主人公より作者の方がちょっとだけ世界史に詳しい……はずです。多分…?

「そこ違うかも?」という部分も、ゆるく楽しんでいただければ嬉しいです。


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